水曜日, 8月 13, 2008

原油高と“ばらまき”の誘惑

「竹中平蔵(慶応義塾大学教授)
Voice2008年8月13日(水)14:51
原油高、一次産品高騰、サブプライム問題……。世界の経済環境は1年前と大きく変化した。このようななかで、新たな 政策課題が多数生じている。スタグフレーションにどのように対処するか、原油高で苦しむ業界をどうするか、原油高そのものを抑える方策はあるのか……。政 策を担当する政府の責任は重大である。

そんななかで、政府の政策のあり方に関する基本的な方針が公表された。今年の骨太方針と、いわゆる第二前川レポート(経済財政諮問会議の「構造変化と日本 経済」専門調査会報告)である。しかし残念なことに、今日の厳しい経済環境の変化にどのような基本スタンスで臨もうとしているのか、メッセージを読み取る ことができないのである。骨太方針についていうならば、全体で41ページの報告のなかで、マクロ経済運営についての記述は0.5ページしかない。かつ、そ の内容は、昨年の記述とほとんど変わらないものだ。さすがに第二前川レポートにおいては、こうした問題意識に基づく現状の解説は行なわれている。ただ、そ れに対する処方箋は「開放されたプラットフォーム」をつくるという一般論に終始している。

原油価格上昇、一次産品高騰に関連して、今後政治の場で多くの政策論議が出されるだろう。選挙が近いことを意識した「ばらまき」型の政策に走る傾向も懸念される。われわれは、以下の点に十分な留意が必要だ。

まず認識する必要があるのは、輸入財の価格上昇すなわち「交易条件の悪化」が生じる際には、国民の生活水準は低下せざるをえないという厳しい現実である。 これまで100円で手に入っていたものが、200円さらには300円支払わねばならないわけだから、購買力は確実に海外に移転する。石油燃料を多く使用す る輸送業や漁業の業績が悪化したり、消費者の家計が苦しくなるのは、程度の差はあれ避けられない現象なのである。もちろん、だからそれをすべて放置してよ いということではない。価格形成に圧力がかかって(たとえば大手業者が買い叩いて)零細業者が不当に苦しむような事態は修正されなければならない。しか し、交易条件が悪化している以上、結果的に当面は国民全体としての生活水準が下がるということは甘受しなければならないのである。

しかし現実問題として、ポピュリスト的な政治勢力(与野党を問わず……)とメディアの一部は、影響の大きい業界の救済を強力に求めるだろう。このような動 きはすでに始まっており、補正予算で補助金や無利子・低利貸付の活用を求める声が強まっている。政策を考えるに当たっては、ばらまきを避けてきわめて限定 的な対応を行なうことが求められる。具体的に、政策の項目は次の3点に絞られなければならない。

第1は、当面の生活さえも危ぶまれる人たちに対するセーフティネット的な対応である。もっとも、こうした場合も、本来は生活保護で対応すべきものである。 ただ、価格の変化があまりに急激であり対応が不可能なケースに限って、限定的な政策対応を行なうことはありうるだろう。ただし期間を限定するなど、しっか りとしたルールに基づいた政策としなければならない。

第2は、価格変化に対応した新たな技術への移行を助ける場合などに、必要な資金を低利で提供するという政策だ。最近しばしばイカ釣り漁船の問題が取り上げ られるが、極端な例でいえば、石油燃料に依存しない新しい漁法への移行(それがどのようなものかチェックが必要だが……)などを推し進めるのは意味があ る。そうした投資が困難な中小業者に一定の範囲で政策融資を行なうことは、考えられてよい。

その際、あらためて確認すべきなのは、相対価格の変化を歪めるような安易な救済措置は避けなければならないことである。たとえば、原油高で苦しんでいるか らといって原油の価格を補填するような財政措置をとってはならない。価格の高騰は厳しい事実ではあるが、高い価格によってこそ省エネと代替エネルギー開発 が進む。安易に一時的な価格補填を行なうことは、省エネのインセンティブを抑え込むことにほかならない。じつは第一次石油危機の際、日本は安易な価格補填 をとらない国であった。石炭などの代替エネルギーも存在しなかったために、世界のなかでも、もっとも厳しい石油価格上昇に直面した国となった。しかし、だ からこそ今日、日本は世界でもっとも省エネが進み、エネルギー効率の高い国となったのである。

じつは第二前川レポートでは、こうした点についての一般的考え方はかなり明快に書かれている。「価格のシグナルの活用を」という項目を立てて議論する姿勢 は、そのかぎりにおいて正しいものである。たとえば、「重要なことは……短期的に痛みを緩和する政策への誘惑を極力排除すること」「相対的な価格の変化 は、何が不足し、何が過剰かを示すシグナルでもある」といった指摘は適切なものである。

第3は、長期的な国家戦略としての代替エネルギー開発、省エネの促進である。原油価格の今後の動向については、専門家のあいだでもさまざまな見方がある。 筆者はあえて、中長期的に原油の値上がりが続くという見方を提示したい。しばしば指摘されるように、現状の原油価格には投機による行きすぎた部分が含まれ ている。しかし、もしバブル的な要素だけが問題であるのなら、事態はそれほど深刻ではない。バブルはいつか必ず崩壊し、結果的に原油価格の上昇は抑えられ るからである。しかし現実には、原油の(さらには精製の)供給サイドに構造的な問題があり、いったん価格は下がっても、その後、中長期的に原油価格が上昇 する可能性が高い。その最大の理由は、第一次石油危機当時は供給の40%を占めていた国営企業のウエイトが、いまや65%を占めるようになっていること だ。一般には、価格が上昇すれば供給が増える、という当然のメカニズムが働くはずだ。しかし、国営企業のウエイトが高まるなかでこうしたメカニズムが働き 難くなっている。

選挙が近づくなかで、政治の世界では原油高に苦しむ業界への露骨な救済策が議論されてこよう。また、なかには、インド洋での自衛隊の給油に掛かるコストを 削減し、その分、国民の価格負担を補えといった議論さえあるという。しかし繰り返しいうが、第一次石油危機の当時、日本はそうした安易な救済措置をあまり とらなかったからこそ、今日の省エネ・環境大国と呼ばれる状況が出現した。政策における短期と長期の“インコンシステンシー(矛盾)”にどのように対処す るか、経済政策の軸足が問われる。

この程度なら、誰でも何とでも、対策打てたんだろね....。