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月曜日, 12月 22, 2008

資源大国・日本の誕生:北野幸伯(国際関係アナリスト・ロシア在住)

「
Voice2008年12月20日(土)15:30
世界的に石油不足が深刻化

 現在「エネルギー市場」といえば、もっとも重要なのが原油価格の動向である。原油価格は2008年年初から上昇を続け、7月に史上最高値の1バレル=147ドルを記録した。その後は約3分の1の50ドル台まで下げた。
 2010年の時点で原油価格はどうなっているのだろうか? 2つの動きがあり、予測は難しい。
 1つは原油価格を下げる動き。アメリカ発の危機が波及し、世界的金融危機が深刻化している。景気が悪化し、原油の需要が減少すれば、当然原油価格は下がっていく。現在の状況を見ると、2010年に景気が回復しているとは思えない。
 もう1つは原油価格を上げる動き。アメリカとイスラエルは、何度もイラン攻撃の可能性に言及している。実際に戦争が起こり、イランが原油輸送ルートの要所 ホルムズ海峡を封鎖すれば、原油は200ドル以上になるかもしれない。事実08年1月には一触即発の事態も起こっている。

〈 ホルムズ海峡でイラン高速艇が米軍艦船を威嚇=米国防総省――08年1月8日7時28分配信
[ワシントン 7日 ロイター] 米国防総省は7日、ペルシャ湾のホルムズ海峡で現地時間5日夜から6日未明にかけイラン革命防衛隊の艦船5隻が、米海軍艦船3隻に至近距離まで接近し、威嚇行為を行ったことを明らかにした 〉

 結局、「原油価格の動向を短期で予測するのは難しい」という結論になる。
 しかし、日本の行くべき道を知るためには、もう少し長いスパンで未来を考えてみればいい。
 数年先を知るのは困難だが、長期で未来を予測するのは、逆に簡単である。長期的に見ると、世界的エネルギー危機が起こる可能性が高い。
 第1の理由は、世界の人口が年8000万人ずつ増えていること。つまりエネルギー需要は1年間に8000万人分ずつ増えていくのだ。米商務省の予測によると、世界人口は2013年に70億人、27年に80億人、45年に90億人を突破する。
 第2の理由は、世界経済の拡大により、エネルギー需要が増加していくこと。
米エネルギー省によると、1日当たりの世界石油消費量は、2000年の約7700万バレルから、05年には8500万バレル、10年9400万バレル、 15年1億200万バレル、20年1億1000万バレルと増加しつづけていく。石油消費量がとくに急増していく見通しなのが、中国とインド。
 第3の理由は、新エネルギーの普及が進まないこと。
「石油の話ばかりするが、新エネルギーが普及していくのではないか?」と疑問を抱かれる人もいるだろう。しかし、現時点での見通しは暗い。
 2000年の時点で、石油は世界のエネルギー消費の39%を占めていた。2位は石炭で24%、3位は天然ガス(22%)、4位原子力(6%)。
 20年になるとどうなるのだろうか?
 37%が石油。20年間で2%しか減らない。減るといっても、エネルギー消費全体内の割合が減るだけで、量は前記のように増加しつづけていく。
 2位は天然ガス(29%)、3位石炭で22%。残り12%のなかに原子力、水力、風力、太陽エネルギー、燃料電池などが含まれる。
 新エネルギーと期待される、風力・太陽エネルギー・燃料電池を全部合わせても、20年の段階で全エネルギー消費の5~6%にしかならない。
 第4の理由は、石油が枯渇する日が近づいていること。世界を牛耳るイギリス・アメリカの油田がすでに枯渇しつつあるのは、よく知られた事実である。そればかりか、遅くても2040年ごろには世界的に石油不足が深刻化していくと予想される。
 以上4つから、長期的に石油価格は上昇しつづけていくとの結論に行き着く。

 もう1つ重要なのは、石油の供給が減少していく過程で、石油獲得戦争が起こる可能性がある。
 そういえば、フセインのイラクには「大量破壊兵器」も「アルカイダとのつながり」もなかった。では、アメリカがイラクを攻撃した真の理由は何なのか?
 あのグリーンスパン氏は、「イラク開戦の動機は石油」と断言している。

〈 「イラク開戦の動機は石油」=前FRB議長、回顧録で暴露――17年9月17日15時0分配信
[ワシントン 17日 時事]18年間にわたって世界経済のかじ取りを担ったグリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長(81)が17日刊行の回顧録で、2003年春の米軍によるイラク開戦の動機は石油利権だったと暴露し、ブッシュ政権を慌てさせている 〉

 事実、アメリカはイラク占領後、先に進出していた中国・ロシア・フランス企業を追い出し、石油利権を独占した。この3国が国連安保理で、イラク戦争に最後まで反対したのも偶然ではないのだ。今後、この手の紛争は増えていくだろう。
 まとめると、(1)石油の需要は長期的に増加していく、(2)石油は枯渇する方向で、長期的に供給は減少していく、(3)石油をめぐる紛争は増加していく、(4)エネルギー危機が起こる可能性は高い、となる

エネルギー自給率100%へ

 日本の進路を語るとき、排除されなければならないのは、「石油争奪戦」に参戦することである。米中ロは現在、熾烈な資源獲得競争を繰り広げている。いずれ も、自国の利益のためなら何でもありのワイルドな大国である。日本は第2次大戦時、この3大国を敵に回して敗れた。同じ過ちを繰り返してはならない。
 では、日本はどうすればいいのか?
 エネルギー自給率100%をめざすべきなのだ。
 「不可能だ!」
 そんな声が聞こえてくる。しかし、これは可能なのである。
 メタンハイドレートという新エネルギーがある。簡単にいうと、「凍結状態のメタンガス」。メタンハイドレートは、メタンを中心に周囲を水分子が囲んだかたちになっている物質で、ほとんどは海底にある。
 見た目は氷と同じ。しかし、火を付けると燃えるので、「燃える氷」と呼ばれている。一立方メートルのメタンハイドレートを解凍すると164立方メートルのメタンガスになる。
 石油、石炭と比較すると、燃焼時の二酸化炭素は半分ほど。温暖化対策にも有効な新エネルギーなのだ。
 米地質調査所とエネルギー省のデータによると、世界のメタンハイドレートは、陸域で数十兆立方メートル、海域で数千兆立方メートル。これは、世界天然ガス 確認埋蔵量(145兆立方メートル)数十倍。天然ガス、原油、石炭の総埋蔵量の2倍以上といわれている。まさに世界を救う新エネルギーといえる。
 ここからが重要。メタンハイドレートは日本周辺にたっぷりあることがわかっている。
 米エネルギー省によると、南海トラフ(東海地方沖から宮崎県沖)北側に4200億~4兆2000億立方メートル。地質調査所の調査では、南海トラフ、北海道周辺海域に、6兆立方メートルが存在する。これは、日本の天然ガス使用量の100年分に匹敵する。
 日本近海は、なんと世界最大のメタンハイドレート量を誇っている。そのため、日本は石油枯渇後、世界最大のエネルギー資源大国になる可能性がある。
 実際、政府、東京ガス、三井造船、三菱重工、日立製作所、新日本石油などが、すでに研究開発に取り組んでいる。
 最近では、こんな情報もある。

〈 燃える氷をすくい取れ 「メタンハイドレート」試験採掘へ――MSN産経ニュース08年8月19日0時36分
経済産業省は資源価格の高騰を受け、天然ガスの代替エネルギーとして期待される「メタンハイドレート」の日本近海の海底での産出試験に平成21年度から着 手する。同省によると日本近海には国内の天然ガス消費量の100年分に相当する大量のメタンハイドレートが存在するとしており、成功すれば日本のエネル ギー政策に大きな影響を与えそうだ。19日に開催する同省「メタンハイドレート開発実施検討会」で試験計画の内容を説明し、了承を得たい考えだ。計画では 30年度までの商業生産を目指す 〉

 エネルギー革命を起こす可能性があるのは、メタンハイドレートだけではない。たとえば、二酸化炭素削減効果があるバイオエタノール。これまでは、主にトウモロコシやサトウキビを原料に生産されているため、穀物価格を暴騰させる原因になっている。
 しかし、ゴミからバイオエタノールをつくれば、インフレは起きない。
 静岡油化工業株式会社は、「おから」を使ったバイオエタノールを開発した。「おから」とはご存じのように、豆腐の生産過程でできるカス。食べることもでき るが、年間72万トンが捨てられている。同社の長嶋社長は、「100%おからエタノール」で自動車を走らせる実験に成功。排気ガスはまったく無臭だった。
 同社長は今後、じゃがいもの皮・うどんやパンの残飯など、ゴミからバイオエタノールをつくる研究を続けていくと意気込んでいる。ちなみに、「おからエタノール」は静岡県庁で使用されることが決まった。
 もう1つ、「バイオ水素」という面白い技術もある。
 自動車メーカーは現在、水素を燃料とする「燃料電池自動車」の開発に取り組んでいる。燃料電池自動車は、水だけを排出するので「究極のエコカー」と呼ばれ るが、問題もある。それは、水素をつくる過程で、石油やガスを使うこと。結局「化石燃料の呪縛」からは逃れられないのか?
 玉川大学工学部の小原宏之教授は、「バクテリアがつくった水素」で車を走らせる実験に成功した。
 バクテリアのなかには、水素を発生する水素生成菌がいる。同教授は静岡県佐鳴湖から水素生成菌を採取。菌は300リットルの水素を生成し、自動車はこれを燃料に時速40キロのスピードで走った。
 水素生成菌は、枯渇する恐れのある石油などとは違い、無尽蔵で究極のエコエネルギーといえるだろう。
 このように、日本にはとんでもない技術が雨後のタケノコのように現れてきている。世界的金融危機と景気の悪化で世相は暗い。しかし、危機の向こうには、エネルギー大国日本の姿が見えている。


メタンハイドレート その他 (環境goo)
凍った天然ガス「メタンハイドレート」:米で採掘調査開始 (WIRED VISION)


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」
ほぉ....。

金曜日, 12月 12, 2008

きょう再議決 テロ法案と金融法案

「
産経新聞 2008年12月12日(金)08:05
 参院外交防衛委員会は11日、海上自衛隊のインド洋での給油活動を継続する新テロ対策特別措置法改正案を、民主、共産、社民各党の反対多数で否決した。 改正案は12日の参院本会議でも否決されるが、与党は同日中に衆院本会議を開き、3分の2以上の賛成で再可決し、成立させる。
 金融機関への予防的な資本注入を可能にする金融機能強化法改正案について民主党は、11日午後の参院財政金融委員会で新銀行東京を資本注入対象から除外する修正案を提出した。

 採決では修正案に賛成の民主党と、反対の自民、公明、共産の各党の間で可否同数となり、国会法50条の規定に基づき峰崎直樹委員長(民主)が可決と決めた。12日の衆院本会議では、参院が可決した修正案を否決し、衆院通過時の修正案を再可決、成立する。

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金融機能強化法を採決、民主党の修正案可決=参院財政金融委(トムソンロイター) 12月11日 16:45
新テロ法も12日に再可決=民主、「異常な政治」アピール(時事通信) 12月10日 16:30
今国会会期25日延長を可決(産経新聞) 11月29日 08:05
金融法案が年内成立へ 民主、採決に方針変更(共同通信) 11月27日 19:17

」
「
党首会談の隠された意図:上杉 隆(ジャーナリスト)
Voice2008年12月12日(金)08:30

◇ 「油」に苦しめられる首相

 自民党にとって「インド洋の油」は、国会対策上の「鬼門」であるようだ。
 米ワシントンでの世界金融サミットから戻ったばかりの麻生太郎首相だが、過去の首相たちと同様、やはりこの「油」に苦しめられている。
 今臨時国会の会期は68日間、順調にいけば、2008年11月30日でもって閉幕するはずだった。ところが、この「油」すなわち給油継続法案をめぐる攻防のなかで、延長を余儀なくされ、いまに至っている。
 たしかに20日間の会期延長をもってすれば、衆議院での60日ルールによる再議決で法案の成立は可能だ。だが、今後も、参議院の多数を民主党に握られているばかりに、法案を「人質」に取られ、国会日程をコントロールできないでいる状況に変わりはない。
 思えば、歴代2人の自民党総裁は、この「油」が原因で、次々と辞任にまで追い込まれたのではないか。
 約1年半前の夏、直前の参院選の大敗によって参院での野党に転落した自民党は、それでもテロ特措法の成立をめざし、あの手この手の戦術を打ち出していた。 とはいえ、策も尽き、ついには当時の安倍晋三首相は事態打開のため、民主党の小沢一郎代表との「党首会談」を企てる。この国際公約を達成することで、政権 浮揚に役立てようとしたのだ。
 しかし、野党国対との連絡調整がうまくいかず、結果、民主党側は「党首会談」を拒否、安倍首相は辞任を余儀なくされた。
 代わって最高権力ポストに就いたのが福田康夫首相だ。福田首相も、給油法案に代わって提出された新テロ特措法(給油法案)の年内成立が困難になったのを受けて、同じく事態打開に動く。今度も小沢代表との「党首会談」を求めたのだ。
 そこで出てきたのがあの「大連立構想」であった。給油法案を通したい一心で、福田首相は野党民主党への譲歩を示した。だが、民主党内の根回し不足から、結局、党首間の「合意」は決裂し、再び国会は硬直状態に陥った。
 結果、国会は越年となり、08年1月、与党は衆議院での3分の2の再議決によって、辛うじて給油法案を成立させたのだった。
 旧聞に属するが、あえて過去の政治状況を振り返ったのには理由がある。
 じつは、08年もまた、首相が同じように、同じ「油」で苦しめられ、同じ野党の代表との「党首会談」を行なったからだ。

◇ 小沢代表は何を狙ったか

 だが今回はより深刻である。なぜならこの給油法案は「麻生外交」にとっての屋台骨であり、麻生首相自身の政治信条とも大いに重なる部分があるからだ。
 麻生首相は、自身初となる所信表明演説のなかでも、わざわざ米国との同盟関係を強調したうえで、自衛隊艦船によるインド洋上での補給活動こそが国際貢献の精神にかなうと言い切っている。
 また、就任直後の国連演説のなかでも次のように述べている。
 「わが国は、アフガニスタンの復興支援に当初から力を注ぎ、インド洋では補給活動を続けてまいりました。私はここに、日本が今後とも国際社会と一体となり、テロとの闘いに積極参画してまいることを申しあげるものです」
 これらの発言の背景には、外務大臣時代にぶち上げた自身の構想、「自由と繁栄の弧」がある。
 北東アジアから、中央アジア、コーカサス、トルコ、中・東欧、バルト諸国まで弧状に延びる国々への国際貢献を通じて、日本外交の地位を相対的に高めようというのが、麻生首相の提唱した「自由と繁栄の弧」構想である。
 その弧の中央にはアフガニスタンがあり、同国への支援こそが、同盟国である米国のいう「テロとの闘い」に協力する最大の政策の1つだと麻生首相は見ている。
 それゆえに、首相になっても、同法案が日米同盟を第一義とする「麻生外交」にとっての最優先課題になっているのだ。

 こうなると、小沢代表が持ち掛けた11月の党首会談に隠された意図も見えてくる。
 民主党は「インド洋の油」という与党の弱点を突くことによって、3度、首相を追い詰めようとしているのだ。その先には「解散」という2文字がチラついている。
 現給油法は、2009年1月15日で期限を迎える。衆議院の解散がないかぎり、法案成立は揺るがないだろう。
 だが、この国会審議の混乱による自民党の疲弊は深刻だ。

 同盟国の米国ではバラク・オバマ大統領の誕生が近づいている。すでにオバマ次期大統領は、アフガニスタンにおける対テロ戦争のオペレーション強化を明言し ている。イラク駐留軍を全面的に移すという考えも仄めかしてさえいる。給油法案が通過しようがしまいが、米国は日本に対してより相応の負担を求めてくる。 しばらくのあいだ、国会は「インド洋の油」によってスピンさせられていく見込みだ。

」
こんなもん分析したところで、閉塞感に満ち満ちた現状打破が、どう成されるか?!の議論にゃ結び付かんよね。 ただ、民主党は解散したがってるだけだと考えたとき、コイツを廃案に追い込む意味が、国民にピンとこないのは問題かもね。 自民党議員も単なるおばか集団じゃないし、先々見据えてこの法案の継続だけは死守したがったんだろう。 民主党も本音じゃ成立させといた上で、前回決まったことだから仕方がないスタンスで、政権移譲された方が、気楽っちゃぁ気楽だもんね。 となれば、仮になくなることのメリットとリスクが、民主党内でキッチリ煮詰まってなけりゃ、郵政民営化お題目と同様の詐欺行為なんじゃない? 時間あったら調べてみよう....。

木曜日, 12月 11, 2008

「1940年体制」はこう倒す:渡辺喜美(衆議院議員)

「
Voice2008年12月11日(木)08:30
「ポスト近代」が始まった
 世界史的な視点でみれば、現在は「ポスト近代」の始まりという、何百年に1度の転換点に立っている。近代は、地中海ヨーロッパと東ヨーロッパが一体化し、 新大陸の発見で金銀が流入し、植民地化が進むなかで、ヨーロッパが豊かになっていった時代である。ロシアが崩壊して冷戦が終わった1990年代半ばから、 世界経済自体が急速に一体化しはじめた。IT革命によって世界中を情報が駆け巡るようになり、金融資産が異常に膨れ上がったのである。そこから発生したバ ブルが、サブプライムに端を発する金融恐慌で大崩壊を始めた。いわば「ポスト近代」が始まったと同時に、われわれは試練に直面しているのだ。
 一方、日本史的な視点でみても、現在は何百年に1度あるかないかの変わり目といえるだろう。
 日本の歴史を振り返ればおよそ400年に1度の周期で大変化が起こっている。大和朝廷の誕生が4、5世紀ごろ、平安時代に入るのが8世紀、鎌倉時代は12世紀、江戸時代になるのが17世紀初頭である。そこから400年たった21世紀、再び大変化が起ころうとしている。
 日経平均が一時期、6000円台まで下がり、多くの人はショックを受けたが、このような状況が起こるのも大変革期の特徴である。アメリカ人が借金に借金を 重ね、貿易も財政も赤字にして世界中から買い物をしてきた。まさに消費の先食いで、このような巨大な不均衡がいつまでも続くはずはない。その意味で現在の状況は、来るべきものが来たといってよい。
 幸か不幸か、世界に先駆けて、今回のような金融危機を日本はすでに経験している。バブル経済の崩壊がそうで、そこで金融システムに穴があいてしまい、その 後、デフレ経済にも真っ先に突入した。これは「近代の転倒現象」ともいえる状況で、冷戦崩壊を「近代の終わり」と位置づけるなら、日本はいちばん遅れてい るといわれつづけたが、ポスト近代においては先頭を走っていたともいえる。
 さらにいえば、79年前にも日本は同じ経験をしている。1927年に昭和の金融恐慌を経験し、その2年後に世界恐慌が起こった。その後、犬養内閣の蔵相で あった高橋是清は、ケインズ以前のケインズ政策といわれるすさまじい
財政金融一体政策を行なった。金本位制から離脱し、大量の国債を発行すると同時に、日銀にそれを引き受けさせたのだ。この政策によって瞬く間に日本はデフレから脱却していく。しかし不幸にして犬養首相は5・15事件、高橋蔵相も2・26事 件で暗殺され、そこから軍部独裁、官僚内閣制への道が始まる。
 振り返れば1930年代には、どの国も似たような政策をとった。軍事費を拡張し、公共事業を行ない、同時に社会政策に専心した。アメリカではフランクリ ン・ルーズベルトが登場し、ワグナー法をつくって労働者を保護し、高賃金政策をとった。しかし失業率はいっこうに改善せず、就任から5年たっても経済はほ とんど回復しなかった。
 一方、ドイツではヒトラーが登場し、労働者を虫けら扱いにして労働組合を解散させ、低賃金政策をとった。その結果、5年後には完全雇用をほぼ達成し、経済は絶好調になった。その状況下、ヒトラーはポーランドに侵攻し、第2次大戦が始まる。何をやってもうまくいかなかったルーズベルトにとってこれは渡りに船 だった。歴史の皮肉というのであろう。結局、大恐慌は第2次大戦をもってしかリセットされなかったのである。
 歴史の教訓としてみれば、これは「大失敗の教訓」である。現在が「恐慌前夜」というならば、かつ
て何が成功し、何が失敗したかを大いに参考にすべきだろう。
 世の中が大きな不安心理に苛まれ、人心が千々に乱れるとろくなことが起こらない。日本の場合、デフレから脱却したにもかかわらず、軍部が台頭し、テロが起 きてしまった。ドイツもそうで、ワイマール共和国で不安心理に見舞われたドイツ国民が「自由からの逃走」(エーリッヒ・フロム)を行ない、ヒトラーを礼賛 したのである。

 金融危機によってデフレの心配を抱えた現代もまた、人心が攪乱する恐れの強い時代に入りつつあるといえるのではないか。このような時代に大切なのは、政治 が正しく機能し、人心収攬をきちんと行なうことである。私の父である渡辺美智雄はよく、「『この人なら、ある程度まではお任せしていい』と国民が思っているときは、国民と政治家とのコミュニケーションは容易になる。しかし、いったんこの関係が崩壊すると、100万回理屈をこねても、国民はまったく政治を受 け入れない」といった。「信頼の絆」が何より大切で、これを父は「まごころ」という。まごころが通い合っていれば、世の中は非常にうまくいく。しかしいっ たん崩壊すると、止めどもなく逆回転し、谷底に転げ落ちる。政治も経済も谷底に転げ落ちるときは速く、あっという間なのだ。

公務員制度改革の骨抜きを許すな

 では、このような危機的状況において、政治はどのように人心収攬を行なえばよいか。一言でいえば、それは「危機管理」であろう。危機を認識して回避行動を とり、不幸にして危機に巻き込まれたときは、積極果敢に対応する。すでに日本は危機に巻き込まれており、麻生総理のいう「100年に1度の暴風雨」はけっ して大げさなものではない。またどんな危機であれ、未来永劫に続くものはないから、危機に巻き込まれたとき、同時に将来を考えた新しいシステムづくりを行 なう。「100年に1度の暴風雨」なら、「100年に1度の対応策」の非常対応策が求められているといってよい。
 ところが日本のような官僚主導体制の強い国では非常時対応策が、平常時モードの延長線でしか行なわれない。逆に対応が素早いのが、アメリカやヨーロッパの ような政治主導の国である。今回の金融危機にしても、真っ先にデフレに見舞われた日本から、当初欧米諸国は「日本の教訓に学べ」といわれた。そして彼らは 一瞬で手を打ち、あっという間に日本は欧米に追いつかれてしまったのだ。
 試験選抜エリートに政治決断を期待するのではなく、いまこそ真の政治主導を確立しなければならない。選挙選抜の政治家が国家の命運を懸けた国家戦略を立 案・実行できるようにする。それがうまくいけば、わが国はポスト近代の時代において、世界の最先頭を走ることができるだろう。
 われわれはかねてより、官僚主導から政治主導への大転換を図るための仕掛けをいろいろ考えてきた。その1つが、公務員制度改革である。
 日本の公務員制度は、試験選抜エリートによる利益共同体を徹底して守る仕組みになってしまった。各省ごとに行なわれる採用、人事育成、幹部登用、天下り、 それも1回だけでなく、2回3回以上も繰り返す生涯安心システム。官が民を支配する統制型システムだからこそ、この遂行は可能になる。そこに官が政治をコ ントロールする官僚内閣制や、官が地方をコントロールする中央集権体制がセットになっているのだ。一方、各省に縄張りと年功序列があるがゆえ、手直し彌縫策の政策しか出てこない。
 そこで私が内閣府特命担当大臣(金融および行政改革、公務員制度改革)に就任し、まず行なおうとしたのが天下りシステムの打破と、実力主義の導入である。 年功序列人事を廃止し、大抜擢もあれば、降格・降級もある。民間であれば当然の制度を導入し、そのために内閣人事局をつくり、幹部人事を一元管理する。内 閣の方針に官僚機構が従うという、当たり前の議院内閣制を実現しようとしたのだ。
 いま問題となっているのは、そのための必須事項である給与体系の見直しが、とてつもないサボタージュにあっていることだ。役人の企画立案に任せているため、彼らはこの点に指1本触れようとしない。私が大臣を辞めたあと、骨抜きの動きが急速に顕著になっている。
 そこで有志議員「正しい公務員制度改革を実現する会」で決議文をつくり、それを麻生内閣の甘利行革担当大臣に手渡した。「信賞必罰」「民間並みのリスト ラ」「天下りの根絶」などの実現には給与法身分保障規定の見直しが不可欠で、組織行政に関わる政府内の関係部局の機能をすべて統合する。具体的には総務省 の関連部局(行政管理局、人事・恩給局)だけではなく、人事院の公正中立性に関わる部局、財務省の給与共済課などの機能も統合する。
 器の議論だけでは猛反対に遭い、大統合はできず、こぢんまりした人事局がつくられて終わってしまう。これは霞が関の現状維持派、抵抗勢力にとって、じつに程よい手直し彌縫策で、断じて阻止せねばならない。政府にできなければ、われわれ立法府の人間が、議員立法をもってやる。給与法の体系を変えることについ て、ローメーカーである国会議員が議員提案を出すのは少しもおかしいことではない。
 その次のステージで大事になるのは採用の一元化だろう。真の「日の丸官僚」を養成するには、各省ごとの採用・育成でなく人事局採用を行なわねばならない。だが残念ながらこの案は先の通常国会の法案修正協議で葬り去られてしまった。
 また国家戦略スタッフの創設も、官邸主導、政治主導を実現するうえで不可欠のテーマである。官邸に100人程度の官民の英知を結集し、国家戦略を企画立 案、実行する。私が金融大臣時代につくった金融市場戦略チームはそれを先取りしたもので、そこでは非常事態対応のブレーンストーミングを行なった。
 結局、このような仕組みがないから政策も迷走し、100年に1度の政策ではなく、こぢんまりした平時モードの延長線にしかならない。最たるものが定額給付金騒ぎではなかろうか。はたして景気対策なのか、社会政策なのかすら、その位置づけははっきりしない。

「道州制」導入を一大国民運動に
 社会保障については「1940年体制」とも呼ばれる、大日本帝国が戦争を効率的に遂行するために作り上げた国家社会主義的戦時体制を改めねばならない。 1938年の「国民健康保険法」、39年の「職員健康保険法」などで適用対象が拡大され、ほぼ全国民がその対象となった。41年に「労働者年金保険法」が 制定され、老齢年金などの支払いが規定された。44年にこれは「厚生年金」となり、対象が職員と女子にも拡大された。それを個人化する方向に舵を切るべき だ。「社会保障個人勘定」といわれるもので、それによって税や社会保障が個人ごとの勘定をもって機能できるようになる。
 たとえば年金個人勘定法をつくり、個人ごとの掛け金と給付の計算を可能にする。こうなれば保険方式か税方式かという話は神学論争にしかならないだろう。税で負担する部分は個人ごとに計算し、掛け金に組み入れればよい。
 これによって社会保障全体に横串が刺さり、「個人お好みメニュー」が可能になる。健康に自信のある人は医療の自己負担を高くして、そのぶん年金を多くもら う。あるいは年金の掛け金を低くして、そのぶん給付も低くする。そんな選択が可能になるだろう。さらに納税と連動した個人勘定になるから、マイナスの所得 税給付、すなわち給付の受け取りも、このインフラを通じて可能になる。
 これは先進国ならどの国も取り入れているシステムで特段難しい話ではない。しかし日本ではこの発想がずっと見捨てられてきた。各省割拠主義の利権構造が幅 を利かせ、国民のほうを向いた制度・政策の実現を阻んでいたからだ。しかし危機の時代にこそ、このような未来を見据えた危機対応を図るべきではないか。
 また霞が関が地方をコントロールする中央集権体制を大転換するツールとして、きわめて有効に働くのが道州制である。なかには「道州制をやるなら、分権改革 はそのときまでストップしなければならない」「分権改革と道州制は調整が必要」という議論もあるが、ナンセンスの極みだ。
 分権改革は徹底して進めればよい。県が要らないのなら、地方支分部局は廃止すればよい。つまり県は徹底して市町村に対し、分権移譲を進める。いずれ県はなくなるのだから、基礎自治体の強化を図る政策をとっていけばいい。その改革の先にあるのが道州制である。道州制の議論は国民の理解なくして前に進まないだ ろう。そういう意味で、この国のかたちを変える一大運動になっていかねばならない。
 そして道州制を導入した暁に、かつて議論されたような国土政策的なレベルを超え、「首都は東京であるべきか」といった議論が出てくるかもしれない。首都が 移るとき、時代が変わる。これが日本の歴史である。平安京に首都が移ると平安時代、鎌倉に移ると鎌倉時代、室町に移ると室町時代、江戸に移ると江戸時代……。首都が移った先の地名が時代の名前になるという歴史をわれわれの祖先はつくってきた。その意味で繰り返しになるが、まさに何百年かに1度の出来事 が動き出そうとしているのかもしれない。
 いまわれわれには「直勘・実感・大局観」が求められている。直勘とは「将来を見通す洞察力」、実感は「民の竈がわかる感覚」、大局観は「歴史認識」だ。これらが合わさってこそ、国家の命運を懸けた判断や決断を行なえる。この危機を突破し、日本をポスト近代において世界に冠たる国家にできるか。いまが正念場である。

」
えらくまともな話しか出てこないと思うけど、何でこういった一本筋の通ったビジョン持った政治家が、リーダーシップ発揮できないのか?よくわからない。 政治家の官僚化が55年体制以降染み付いちゃった弊害なんだろうけど、小泉さんの「ぶっ壊」し方が、えらく半端に終わっちゃった結果、元の木阿弥ってトコなのかな。 恐らく首相就任前の坊ちゃんにも、似たような気概はあったんだろうけど、リーダーシップ発揮に至らないのは、偏に就任後すぐさま、解散総選挙に打って出なかったのが、変な柵残す最大の原因だったんだろう。 まぁ政治家にとっちゃ、自分の代で下野した実績なんか残したくなかろうけど、このままじゃ追い討ちに次ぐ追い討ちかわすんで精一杯だろ? 既に建て直しの機会は失われたよ。

とは言え、最大野党の代表にしても、選挙戦見据えて地方遊説に余念がないご様子で、真の意味での「政策」論争は、結果棚上げされたままなのもどーかと思う。 仮にこの先坊ちゃんを退陣に追い込んだところで、景気やら経済やらには、何をするにも、後手に回る状態を、引きずる結果に陥るんじゃなかろうか? その意味では、この人の言う「危機管理」は、将に焦眉の急を告げているはずだが、離党しなけりゃ国民は納得しない....なんぞと言ってる場合なんだろうか?

「まごころ」が通い合う政治を、政治家一丸となって、考えるべきではないのか?

蛇足で論点ずれるけど、こういった時代に、田母神氏のような輩が、省として格上げされた「軍隊」の中枢に存在していた事実の方が、実感として怖い。 戦争を知らない世代が、世の大半を占める中で、ここで言われたような歴史からの教訓が生かされないようなら、やっぱり日本は「ジリ貧」だ。 確かに全面的に卑屈になる必要性はないものの、日本が原爆を持っていたなら、当然報復攻撃は辞さないと公言して憚らない輩が、ヒトラーに類する「言葉」という武器を得たなら、大勢に傾倒されない「民衆」が、どれだけ残るか?疑問だ。 彼に退職金渡して、以降一民間人として野放しにして、任命権者の責任が問われない状態は、次代に対する大問題だと思うのだが....。

木曜日, 11月 27, 2008

対外イメージを壊す政治家たち

「金子将史(PHP総合研究所主任研究員)
Voice2008年11月26日(水)19:40

新大統領が引き継ぐ難題

 本誌が店頭に並ぶころには、米国の次期大統領は決まっているのだろう。金融危機やイラク問題など、新大統領はブッシュ政権から多くの難題を引き継ぐことになるが、その1つは、イラク戦争に代表される単独主義的行動で傷ついた米国の対外イメージを再建することである。
 9・11テロは、全世界、とくにイスラム世界での反米感情を印象づけ、以後、米国では「なぜアメリカはこれほど憎まれるのか」が盛んに論議された。その結 果、米国では、広報活動や教育文化交流、対外放送を通じて他国民に働き掛ける「パブリック・ディプロマシー」に期待が寄せられる。
 ブッシュ政権は、とくにイスラム圏へのパブリック・ディプロマシーにテコ入れし、民間のマーケティング手法の活用を奨励した。だが、成果は芳しいものではない。各種世論調査は、とくにイラク戦争後、イスラム圏をはじめ、多くの国で対米感情が悪化したことを示している。
 だが、新大統領の登場は、米国のイメージを回復する好機になる。国家イメージは、多くの場合、政治指導者個人と不可分であり、いまの反米感情も、相当程度 反ブッシュ感情に結晶化している。ブッシュ大統領が大胆に政策変更しても米国イメージの好転は期し難い。対して、オバマ氏ならもちろん、マケイン氏であっ ても、外交姿勢の転換を印象づけられれば、対外イメージは改善できよう。ただ、新大統領にとっては、むしろ金融危機による「衰退」イメージを打ち消すこと が重要になりそうだ。
 対外イメージを気にしている国は、米国だけではない。対テロ戦争で米国と行動を共にした英国は、イスラム社会との相互理解を強調するなど、米国から独立し た対外イメージを確立しようと必死である。中国は、孔子学院を通じた中国語教育や国際テレビ放送を大々的に展開しているが、北京五輪の対外アピール力は、 チベット問題や中国製品の安全問題で減殺されてしまった。
 なぜ国家は対外イメージを気にするのか。まず、現代の国家は、グローバル市場のなかで競争力を高めるため、他国とは違う自国の魅力をアピールし、グローバ ルなヒト、モノ、カネ、情報を自国に引き寄せねばならない。加えて、情報化や民主化が相まって、対外政策決定における世論の比重が高まっており、対外的に 影響を及ぼすうえで、その背後にある他国民の支持や評価、信頼を得ることが不可欠になっている。

好感度より存在感を高めよ
 こうしたなか、日本の対外イメージはまずまずである。グローバル市場のなかでの差別化の面では、先端的なモノづくりの強さに加えて、近年では、漫画やゲー ム、ファッションなど、ポップカルチャーが、「ジャパン・クール」として海外で受け入れられている。政治的評判についても、BBCの国際世論調査で、日本 は、世界に肯定的な影響を及ぼすとみられる度合いで例年1、2位を競っている。中韓を除けば、概して日本に対する好感度は高い。これらは民間の活発な活動 や穏当な対外政策の帰結だろう。
 しからば、これでよいかといえばそうでもない。いまの日本にとっては好感度より存在感を高めることが必要だ。日本の国際的パワーの最大の源だった経済は伸 び悩み、少子高齢化が日本の国力基盤を侵食している。そうでなくとも、新興国、とくに中国の台頭で、放っておけば日本の存在感は埋没しがちである。
 政府も手をこまねいてきたわけではない。外務省の報道担当に民間出身者を起用し、国際放送やポップカルチャーの利用を図るなど、新しい試みも見られた。小 泉政権期、歴史問題をめぐって中国や韓国などとの関係が紛糾した際も、従来以上に国際社会に日本の立場を主張する姿勢を見せた。
 だが、政治の現状は、こうした営為を無にしかねない。国際舞台や報道を通じて海外でも露出が高い首相は、日本最大のコミュニケーションシンボルである。そ の首相がクルクル代わるようでは、いかにコミュニケーション手法を洗練させても、日本の姿は明瞭な像を結び難い。国内では、不人気な首相をすげ替えて支持 率を回復できても、対外イメージはピンボケになる。
 日本が世界のなかでどう生きるか、適切な国家ビジョンなくして何のための存在感か、という反論もあろう。そのとおりなのだが、いくら優れた国家ビジョンで も1年やそこらで模様替えされるビジョンなど誰が覚えていようか。そもそも対外発信の前提たるべき国家ビジョンは、一定期間持続しなければ絵に描いた餅で ある。政権が相当期間続くことは、対外的な存在感確保の、十分条件でなくとも必要条件なのである。政権の安定性を高める制度設計上の創意が求められる。

関連ニュース
」
まどろっこしいけど、まぁ言いたいことは分かるかな。
どの道坊ちゃんも長くはないぞ....

火曜日, 10月 21, 2008

リーマン破綻への正当な評価:竹中平蔵(慶應義塾大学教授)

「
Voice2008年10月21日(火)20:59
政策当局のなかにいた当時、私は次のようなコメントをしたことがある。

「政策は本当に難しい。法律という強い枠組みがありつつも経済の福利厚生を最大化するという複雑な方程式を民主主義という政治プロセスの中で解かないとい けないからだ。民間のシンクタンクやエコノミストが簡単に批判するようなお手軽なものではない」(『日本経済新聞』2006年1月5日)

政策過程論の専門家である曽根泰教教授(慶應義塾大学)は、授業やセミナーでしばしばこの表現を引用してくださる。読んで字のごとく、政策問題はその中身 が一般の想像以上に複雑であることを意味している。したがって日常的な政策報道にはどうしても不十分な点が見られるが、それはある程度はやむをえない性格 をもっている。政策についての大まかな意味合いが伝われば、それで十分と考えねばならないのである。

しかし、リーマン・ブラザーズの経営破綻が問題となった今回のケースを見ていると、やはり正確な政策論議を関係者が行なわないと、風評被害など大きなマイ ナス効果が現れることが懸念されるように思う。困難な金融問題の発生という1つの極限的状況のなかで、いまこそ政策リテラシーを高める工夫が求められるの である。

今回のリーマンのケースを例に取り、具体的に2つの問題点を指摘したい。

第一に、「公的資金」という言葉を使う際に明らかに混乱が見られていることだ。周知のようにリーマン・ブラザーズは、政府が同社に特別の措置をとらなかっ たことを受けて破綻した。その意味で、公的資金の投入はなかった。ポールソン財務長官は、「公的資金を考えたことは一度もない」と述べたのである。その直 後、保険会社AIGのトラブルが問題になった際に、政府は資金を融資することを決め、結果的にAIGの混乱を抑える役割を果たした。これに対し、なぜその 前のベアー・スターンズや直後のAIGと違う措置をリーマンにとったのか、整合性がないといった批判がメディアでは聞かれた。こうした点は、ほとんどのテ レビコメントでも、また主要紙の社説においても見られた。しかし、そもそも公的資金という言葉には、いくつかの異なった意味合いが含まれていることを知ら なければならない。少なくとも今回の件では、2つの意味を識別する必要がある。

第一の意味は、中央銀行による流動性の供給だ。山一證券に対する1965年の日銀特融は、まさにこれに当たる。これに対し第二の意味は、資本注入である。 2003年5月、金融庁は、りそな銀行に対して約2兆円の公的資本を注入したが、これはまさに第二のケースだ。要するに、第一は資金繰りを助けるためのも のであるのに対し、第二はバランスシートが毀損したことに対して自己資本を充実するための措置である。

金融機関といっても銀行の場合は、不特定多数の人から預金を受け入れて決済システムを構成する特殊な機能を有している。したがって多くの国で、中央銀行に 対する流動性供給、政府による資本注入の仕組みが整備されている。アメリカも日本も同様である。しかし、証券会社や保険会社の場合、社会の決済システムを 担っているわけではないので、公的な部門がこのような措置をとることの正当化が難しい。日本の場合、流動性に関しては、金融秩序を維持するための非常手段 としての「特別融資」が日銀法に規定されてきた。だからこそ山一證券に対する救済が行なわれた。しかし資本注入は、あくまで銀行にのみ可能な措置である (預金保険法に規定)。

じつはアメリカでは、今回の一連のサブプライム問題を受けてFRB(連邦準備制度理事会)は銀行以外の証券会社などにも直接融資を行なう措置を準備した。 しかしリーマンの場合、おそらくバランスシート上に深刻な問題があり、こうした融資だけでは事態を改善できないと当局は判断したのではないか。少なくとも 外部からは、資本注入なくしては解決しないと判断したと推察されるのである。しかし銀行以外の金融機関に資本注入すれば、文字どおり深刻なモラルハザード を起こす可能性がある。だからこそポールソン財務長官は「公的資金を考えたことはない」と発言した。ついでにいえば、だからこそリーマン経営破綻の発表に 併せてメリルリンチに対する措置(バンク・オブ・アメリカの支援)を発表し、影響が広がるのを避ける措置をとったものと思われる。

このように公的資金の異なった意味を解釈すれば、アメリカ金融当局への評価は一般のものとはかなり異なったものとなる。

第二は、日本政府の対応に関して、である。日本国内ではほとんど問題にされなかったが、今回リーマンの日本法人は即座に業務停止の処分を受けた。おそらく トラブルの拡大を避けるための措置であったろうが、本当に業務停止の処分が適切であったかどうかについては議論があって然るべきだと思う。こういう事態に なった以上、資産の保全を行なうことは当然に必要だ。リーマンの別の国の法人が、本体に資産を吸い上げられたという話も一部に伝えられている。しかし資産 保全の問題と、業務を全面的に停止するべきかどうかは別問題である。資産保全をしながら業務の一部を続ける方法も、あったかもしれない。業務を停止するこ とによって生じた社会的なコストもあるはずだ。問題は、こうした点がまったくといっていいほど議論されなかったことである。政策当局の立場としては、国会 などで責任追及されることを想定してできるだけ堅い措置をとりたがる。この点は理解できる。しかし、役人の保身という点が前面に出すぎると経済全体にマイ ナスの影響を与える。いわゆるコンプライアンス不況は、こうして起きている。今回のケースがそれに当たるかどうかは軽々に判断できないが、少なくとも議論 はあって然るべきだった。

政策問題は本当に複雑である。これを評価するには、評価する側にそうとうの政策知識が求められる。通常の場合はそれほど問題にならなくとも、今回のように 極限状況での政策判断となると、評価する側の責任も大きくなる。筆者はかねてから、民間の政策能力を高める必要があること、そのためにポリシー・ウオッ チャーの育成が必要なことを述べてきた。今後とも、複雑な金融・財政問題が続くと予想される。そうしたなかで、真のポリシー・ウオッチャーを社会全体で育 て民間の側から正確な政策評価を行なわないと、対応を大きく誤るリスクが高まっている。

さくらシティ日立 (goo Wikipedia 記事検索)


■関連ニュース

民主党金融チームが金融危機対応の追加策(トムソンロイター) 11月25日 19:36

【コラム】 金融危機の処方せんらしいが…なぜ銀行に「資本注入」するのか(R25) 11月21日 15:00

米財務省、株式非公開の金融機関への資本注入で指針発表(トムソンロイター) 11月18日 12:31

海外進出絶好のチャンス:松本大・伊藤元重(1)(Voice) 11月12日 08:20

情報BOX:各国の金融危機対策(29日現在)(トムソンロイター) 10月30日 13:20
」
分かったような、分からんような....

木曜日, 10月 16, 2008

中川・小池新党のシナリオ:花岡信昭(ジャーナリスト)

「
Voice2008年10月16日(木)13:00
冷めていた自民党員・党友

「それで、人事は終わったの?」

麻生太郎氏は9月24日、首相指名選挙を終えて国会内の民主党控え室を訪ね、小沢一郎代表に挨拶した。握手を済ませて、ソファに腰を下ろした小沢氏がまず発したのが、そういうぞんざいな物言いであった。

相手は内閣総理大臣である。長い政治経歴をもつ者同士の親近感の表れと見る向きもあったが、麻生氏を格下に見下ろすかのような口調に、早くも世紀の対決を前にした小沢氏の「殺気」ともいっていい凄みが滲んでいた。

自民党総裁選は予想どおり、麻生氏の「ぶっちぎり圧勝」であった。有効投票525票の67%、351票を制したのだから、これは堂々たる勝利といっていい。

だが、総裁選の裏側で重大な「異変」が起きていたことは、あまり知られていない。というよりも、自民党本部があえて明らかにしていないというほうが正解かもしれない。都道府県連ごとに行なわれた党員・党友(117万人)投票の投票率がいかにも低調だったのだ。

自民党の末端組織がいかに疲弊しているかを如実に表すものといえた。後半、失速気味となったとはいえ、5氏が立って華々しく展開された総裁選は、テレビを中心に大々的に報じられた。その一方で、肝心の党員・党友は「冷めていた」のである。

これは今後の総選挙情勢を占ううえで、見過ごすことができないポイントである。自民党の旧来の支持団体に「自民離れ」が起きていることは喧伝されてはいたが、それがこういうかたちで示されたのだ。自民党執行部は背筋が寒くなったのではなかったか。

今回のような福田康夫氏の突然の退陣といった事態に対して、自民党の党則など内規では、党員・党友投票を実施するかどうか、明確にはされていない。その辺りがとかく融通無碍な自民党らしいところだが、党員・党友投票を行なうかどうかは、都道府県連の判断に委ねられている。

だから、都道府県連に各3票ずつ与えられた持ち票をどう使うか、場合によっては都道府県連の役員会のようなところで、一部幹部だけで決めるということもあ りえた。だが、これだけ全国的に注目されている総裁選である。ここはできるかぎり公明正大に行なわなくてはならない。そこで、曲折はあったものの、全部の 都道府県連で投票が行なわれた。

都道府県連ごとの投票率を見ると、60%を超えたところは、和歌山、島根、大分の3県しかない。最高の島根にしても62%である。東京の58%をはじめほとんどが50%前後だ。40%台も岩手、茨城、長崎、群馬、鹿児島の5県。最低は長崎の43%であった。

自民党総裁選は国民にある種の「錯覚」を与える効果をもつ。ここで当選すれば首相になるのが当然のこととして認識されていたから、首相・政権を選ぶ選挙と なる。今回、自民党本部はこれまでにも増して徹底した選挙戦を展開、12日間の選挙期間中、全国17カ所で街頭演説会を実施した。

べらんめえ調の演説が人気の麻生氏をはじめ、消費税増税を主張する財政再建派の与謝野馨氏、初の女性候補であり小泉構造改革の継承をうたう小池百合子氏、 将来の首相候補として若手代表格の石原伸晃氏、安全保障政策の第1人者であり旧田中派(現津島派)の次のリーダーとしての位置を確実にした石破茂氏……い まの自民党としては、それぞれ意味をもつ顔触れが勢ぞろいしたのだから、これは面白くないはずがない。

自民党が狙ったとおり、ワイドショーをはじめ、テレビは総裁選一色となったのである。後半、アメリカ発の100年に1回あるかないかといわれるほどの金融 危機が起きたり、事故米騒ぎ、年金記録の大量改ざん問題、後期高齢者医療制度の見直し、母親による子殺しなどが生起したりしたため、総裁選そのものの露出 は減ったが、それでも一定の「テレポリティクス効果」は上げた。

自民党の党員・党友117万人は、有権者1億人の1%にすぎない。街頭演説で仮に1000人集まったとしても、そのなかに投票資格のある人は10人いるか どうかということになる。だが、メディアの物量報道によって、国民には、あたかも首相公選に参画しているかのような一大国家的イベントとして映る。

こうした「錯覚効果」を演出できるところが自民党の強みでもあったのだが、党員・党友の投票動向を見れば、1000人のうち10人どころか5人程度しか総 裁選に参加しなかったのである。この現実をどう見るか。自民党は、表面的な新政権歓迎ムードとは別の次元で進行する深刻な「自民離れ」の実態の徹底分析が 迫られているはずである。

ともあれ、麻生新政権は発足した。福田前首相が8月1日の改造人事で麻生氏を幹事長に起用した時点で、「後継麻生」の基本構図は固まったと見るべきだろ う。「禅譲密約」があったかどうかはともかくとして、厳しい政権運営に追い込まれ、支持率低迷に悩む福田氏が麻生氏に「すがった」時点で、麻生氏は自民党 の危機を救う役割を委ねられたのであった。

したがって、総裁選で麻生氏が圧勝したのは、当然の帰結といえる。与謝野氏ほか4氏が出馬したのは、派手な総裁選を展開するところに意味があるというの が、党内の共通認識となったためである。民主党は早々と小沢代表の無投票3選を決めてしまった。総裁選に出ることが党への貢献となる自民党と、代表選に出 たら「干される危険」に直面する民主党の「成熟度」の差といっていい。

麻生新首相の役割は、いうまでもないが、早期の衆院解散、総選挙をいかに手際よく断行するか、にある。総裁選の高揚感、ご祝儀感の残っているうちに総選挙をやってしまおうというのが、自民党の基本的な思惑だ。総裁選と総選挙は連動・一体化したものとして位置づけられた。

所信表明、代表質問まで行ない、その直後に解散……というシナリオが固まったかに伝えられた。だが、景気対策重視の姿勢を強調する麻生氏は、補正予算の成 立後の解散を模索した。この稿を書いている時点の状況だと、代表質問直後の解散なら10月3日解散・26日投開票、補正予算成立後なら、それが1週間程度 ずれ込み、投開票日は11月2日か9日となる公算が大きい。

「自公で過半数」が現実的

そこで、総選挙はどうなるか。日本政治で初の本格的な政権選択選挙として、歴史的な意味合いをもつ。野党第1党に政権奪取の可能性があるという状況は、こ れまで考えられなかった。55年体制下の社会党は総定数の過半数を超える候補を擁立できず、「万年野党第1党」の座に安住することで党の存在感を維持して きたといって過言ではない。

「麻生政権か小沢政権か」という選択が有権者に迫られる。宮澤政権崩壊後の細川政権は、選挙前から想定されていたものではなかった。選挙結果は自民党が過 半数を割り込んだものの第1党の座は死守した。自民党側に日本新党、新党さきがけとの連立でしのげるという判断が生まれ、一瞬のスキができた。そこを小沢 氏が巧みに動いて、七党一会派の連立政権をつくるという離れ業を演じたのである。野党第1党の社会党委員長では連立政権の首相として担げないという判断か ら、勢力では4番目の日本新党党首の細川護煕氏を据えたのが成功したカギである。

今回は自民党が勝てば麻生政権継続、民主党側が勝てば小沢政権、という構図が選挙前から示されている。したがって、総選挙は事実上の「首相公選」の色彩を帯びることになる。ここが、重要なポイントだ。

さまざまな調査データや総選挙の結果予測は出ているものの、正直いって、どう転ぶか分からない。

総選挙の全体構図を見よう。小選挙区300、比例代表(全国11ブロック)180、計480議席の攻防戦だ。過半数は241議席である。分かりやすくするために大括りにすると、こういうことになる。

480議席のうち、公明党が30、共産、社民、国民新党そのほかで30……といったところではないか。自民、民主両党は残りの420議席を争うことにな る。小選挙区制は昨年の参院選1人区で民主党が圧倒したことに見られるように、得票と議席数の乖離現象を生む。思いもかけない結果が出ることは、カナダや オーストラリアなどで政権党が少数党に転落したケースで証明されている。

早い話が、A党とB党が300選挙区すべてで争い、全選挙区でA党が51%、B党が49%の得票となったとしよう。得票数の差はわずかだが、獲得議席はA党300、B党ゼロとなる。これは極端な例だが、論理的にはありうるのである。

小選挙区制のメリットは、こうしたメリハリのある結果を生むことにより、多数を制する安定した政権が生まれ、これが政権運営に失敗すると、次の選挙で政権 交代がたやすく実現するというところにある。「政権交代可能な二大政党制」を導くには最適のシステムが小選挙区制だ。もっとも、日本では激変緩和措置とし ての比例代表が加味されているから、少数党も残ることになる。これが安定政権をつくりにくくしている。

420議席を自民、民主両党が争い、拮抗したとしよう。筆者はこの可能性が最も高いと見ている。それにはそれなりの根拠もある。

4月27日に行なわれた衆院山口2区補選は民主党が自民党を破った。このときの出口調査の結果などからはじき出したデータ(無党派層、高齢者、共産支持票 の動きなど)を全国に当てはめて推計した数字がある。それによると、自公与党と共産を除いた野党勢力が235議席程度で拮抗するのだ。残り10票ほどが共 産党である。

民主党は前回獲得議席が113だから倍増しても過半数には達しないのだが、上述したように、小選挙区制は予想外の結果を生む。420議席の半分、210議 席程度を占めるのはありえないことではない。まして、今回は共産党が「全区候補擁立」作戦を引っ込めた。共産候補のいない選挙区では共産票が否応なく民主 あるいは社民候補に上乗せされることになる。

この場合、自民党210、公明党30と見込めば、自公与党は辛うじて過半数ラインに達する。民主党は210議席の場合、共産党を加えないと過半数ラインには届かない。民主党も共産党も互いに「連立はありえない」としている。

自民党内には「あの小沢のことだから、何をやるか分からない。共産党を加えれば過半数を超えるとなれば、閣外協力のかたちで『容共政権』に踏みきるのではないか」といった見方がないわけではない。その一抹の不気味さは残る。

自民、民主両党が拮抗した場合、自民党のほうが公明党の存在があるぶんだけ、政権維持の可能性が高いということになる。公明党が連立離脱の可能性までちらつかせて「福田退陣―麻生後継」でプレッシャーをかけたことは知られている。

福田氏は大方の予測よりも早く退陣を表明した。その背後には、公明党に対して「そちらの意向に沿って退陣した。この上はよけいなことはすまいな」という無 言の圧力が隠されている。早期の福田退陣を引き出すことで、公明党は自民党に「借り」をつくったといってもいい。この点は総選挙後の政局を占ううえで重要 なポイントである。

自民党は前回総選挙の296議席から大きく減らすことになるが、それはすでに織り込み済みである。自公で3分の2の確保という非現実的な数字は、もはや自 民党の目標にはなってはいない。むろん、自民で単独過半数を狙いたいところだが、「自公で過半数」が現実的な勝敗ラインである。

前回から激減すれば、麻生首相の責任が問われるのではないかという見方もないわけではないのだが、「前回の郵政総選挙は特殊事情。これを基準とするのは無 理がある」というのが大方の判断である。つまりは、八十数議席落としたとしても、首相や党執行部の責任論は出ないのだ。それほど自民党は追い込まれている のである。

中川氏か小池氏が首相?

自民、民主両党が拮抗して、いずれも過半数に達しない場合、どちらが第1党になるかが重大なポイントになる。たとえ数議席でも、多い側が主導権を握る。互いに相手に手を突っ込み、一定の勢力を引き出そうとするだろう。

かつて、小沢氏は渡辺美智雄氏らにこれを呼び掛けた経緯がある。渡辺氏は気持ちが動いたとされるが、最終的には自民党離党を思いとどまった。必要な手勢を集められなかったため、ともされる。

これと同様の事が起きる。民主党内部でひそかにターゲットの1人として想定されはじめたのが、中川秀直氏だ。総裁選で「上げ潮派」代表として小池氏を担い だのだが、派閥・町村派の後見役である森喜朗元首相の不興を買い、町村派の大勢は麻生氏支持となった。麻生新内閣で官房長官を外れ、派閥に戻った町村信孝 氏との確執も一段と激化しそうなムードで、民主党側は早くも「自民離党予備軍」と踏んでいる。

小池氏は総裁選で議員票46票を得たが、この支持グループが新党結成の軸となり、民主党との連立政権樹立といった展開になった場合、事によったら、中川氏か小池氏が首相になるというサプライズが起きる可能性がまったくないとはいえない。

非現実的な話にはちがいないが、政治というのは時にダイナミックに転換するものだ。麻生新首相は組閣で「上げ潮派」には何らの配慮も示さなかった。総裁選で戦った4氏のうち、小池氏だけが無役である。

加えて、小池氏支持を鮮明にしていた小泉純一郎元首相が突然の引退に踏み切った。とかくサプライズの多い小泉氏だが、これこそ政治家として最後のビッグ・ サプライズである。後継は27歳の次男とするというから、「あの改革派の小泉が世襲を認めるのか」といった批判も出たが、なに、小泉氏自身が祖父以来の3 世議員なのだから、そうした情緒的批判は当たらない。

小泉氏の引退で、中川―小池グループには「遠慮」が要らなくなる。民主党としては、ますます「いざとなったら引き出せる可能性が高まった」という判断が強 まっているのも当然だ。繰り返すようだが、自民も民主も過半数に達しないという状況が生じた場合、これまでの常識では予測できない事態が起きても不思議で はないのだ。

これとは逆に、自民党側が狙いを付けるのは、当然ながら前原誠司氏だ。安保政策では自民党とほとんど一致し、小沢氏の「国連中心主義」に疑念を投げ掛けて いる。民主党のマニフェストについても、財源確保策が明確でないなどと批判的である。小沢民主党の難点は、選挙に勝てば小沢神話がまかり通るが、中途半端 な結果に終わった場合、小沢氏の強権的党運営に対する非難が噴出する可能性があることだ。

自民、民主のいずれも事情は同じなのだが、大量の議員を引っこ抜くための条件は「ポスト、選挙区、資金」である。政党間の移籍となると、後援会の説得そのほかで、この3点セットが必須となる。

公明党はどうするか。前述したように、「福田退陣―麻生後継」の流れをつくったとされていることもあって、麻生新政権の下では、総選挙に敗北したといってもただちに自民党との友好関係を断ち切るというのは信義に反することになる。

だが、公明党内からは「政策的には民主党に近い」といった声があからさまに聞こえてくる。自民党が下野する事態に至れば、時期を見はからいながら民主党側に近寄っていく可能性を捨てきれない。

公明党は「与党志向」がきわめて強い。野党になると、政教分離などをめぐって攻撃のターゲットにされるが、多数派与党に属していれば、幹部の国会招致などを回避できるといった事情も作用している。

かつて竹下登氏が漏らした公明党・創価学会論を思い出す。あの竹下氏は保守2党論者であった。「社会党や共産党は国会の隅で一服の清涼剤であればいい」といった言い方もした。二大政党になる場合、対立軸をどう考えるのか。そうした問いに竹下氏はこう答えた。

「大きな政府―小さな政府といった対立軸がいわれているようだが、二大政党はそんなものではない。学会・公明を容認する保守と容認しない保守。これしかない」

つまりは、学会・公明を包含した保守政党と、学会以外の宗教団体に支持される保守政党、これが二大政党時代のイメージだというのである。これは現実政治の裏表を熟知してきた竹下氏ならではの「慧眼」といっていいかもしれない。

再燃する「大連立」


自民党総裁選のさなか、民主党側はメディアの話題を何とかつくり出そうという思惑もあってか、小沢代表の「国替え」、国民新党の吸収などを次々に打ち上げた。このうち、国民新党の吸収論は結局は消えたが、総選挙前後の政局をにらむと、踏まえておきたいポイントが浮かぶ。

国民新党との合併話で小沢氏側が必要としたのは、じつは長谷川憲正参院議員であった。長谷川氏は東大卒、郵政省に入り、郵務局長、郵政審議官などを務め た。2004年の参院選比例代表で自民党公認で当選、05年に国民新党に移る。当時、100万の集票力があるとされた全国特定郵便局長会(全特)顧問で、 いまでも郵政関係に力をもつ。

全特は、小泉郵政民営化路線に抵抗して自民党支持から国民新党支持に切り替えている。小沢氏はこの郵政票が欲しかったのである。ところが土壇場になって、 改正国会法で、比例代表で当選した議員は競合関係にある政党に移れないことが分かった。無所属か新党に行くのであれば構わないが、政党名で当選してきた以 上、その選挙で争った他党への移籍は認められないのだ。

国民新党は、いずれ自民党に戻る「時限政党」という受け止め方が強かった。郵政造反・無所属当選組は平沼赳夫氏を除いて復党している。国会対策では民主党と同一歩調をとることも多い国民新党だったが、これは一時的な反自民の姿勢を誇示するためと見られていたのである。

この一件で平沼氏に再びスポットが当てられることになる。民主党を飛び出した渡辺秀央参院議員らが結成した「改革クラブ」は姫井由美子参院議員のドタキャ ンによって4人しか集まらず政党要件を欠いたが、西村眞悟衆院議員(無所属)が男気を見せたか、これに馳せ参じた。この結果、晴れて「国会議員5人」とい う政党要件を満たすことになった。

「改革クラブ」に集まった議員は、平沼氏が決起した場合、国民新党とともに有力な軸となる顔触れと見られていた。総選挙前後にそうした「拡大平沼新党」が 結成される可能性は残されている。総選挙前なら郵政造反落選組の出馬母体ともなる。自民党総裁選で示された末端党員の離反傾向を見れば、「保守層の自民離 反票」の受け皿となる役割がいよいよ本格的に求められることになる。

自民、民主両党が双方入り乱れた引き抜き作戦を展開する事態が見えている以上、ここはキャスティングボートを握った者が最強ということになる。その結果、多数派工作が失敗したら、何が起きるか。ここは「大連立」の再燃以外にない。

小沢氏は昨年の大連立構想破綻の際、「民主党は若い政党で、政権担当能力は未知数」と率直に公言した。その思いはいまだに残っている。メディアの世論調査 でも、総選挙後の望ましい政権の姿として「自民、民主の大連立」を挙げる回答が増えている。一般にも大連立の意味合いがようやく浸透してきたということ か。

大連立によって、民主党が政権担当の準備を行なう。衆院任期4年が近づけば、小選挙区制を軸とした選挙制度なのだから、自然と選挙区での対立機運が高ま る。その時点で再び両勢力に分かれる。政治状況、選挙区事情によって、かなりの出入りがあるだろう。これによって、いよいよ本格的な二大政党時代がやって 来ることになる。小沢氏の本音はそこにあると見る。


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」
ふーん

水曜日, 9月 17, 2008

貧困ビジネスで稼ぐ連中!:城繁幸(joe’s Labo代表取締役)

「
Voice2008年9月17日(水)19:00
 格差に関する議論が盛り上がっている。格差といってもいろいろあり、地域格差や年金格差までさまざまあるものの、 現在議論の中心となっているものは雇用における格差だ。きっかけは、秋葉原の事件によって非正規雇用の存在がクローズアップされたことだろう。とくに8月 号の各誌では、この問題に関する左右両派からのオピニオンが乱れ飛んだ。

だが、これは非常におかしな話だ。犯人の動機解明はこれからの捜査を待たなければならない状況であり、家族でもない外野にとやかくいえる問題ではない。む しろこれまで出てきた情報からは、雇用状況はほとんど関係なく、純粋に本人の内面に関わる問題のようにすら思える。とくに問題なのは、明らかに特定の主張 をせんがために、本事件をだしに使ったメディアがあるという事実だ。そういった論調が広まるのを防ぐためにも、格差問題の論点と対策の方向性について、活 字というかたちで以下にまとめてみたい。


非正規雇用拡大の始まり

非正規雇用という言葉が一般にも使われるようになったのは、1990年代半ば以降のことだ。それまでは人事部など、一部の採用業務に関わる人間のあいだで しか使われることはなかった。一応言葉の定義をしておくが、“正社員”とは、雇用の期限のない、つまり終身雇用対象となる雇用労働者のことだ。ほとんどが 厚生年金に加入し、ボーナスと退職金の支給も受ける。非正規雇用とはそれ以外の雇用労働者のことで、フリーターや派遣社員、日雇い労働者が対象となる。彼 らには一般的にボーナスも退職金もなく、年金も国民年金だけである。さて、非正規雇用という言葉が90年代半ば以降にメジャーとなったのはなぜだろう。そ れはバブル崩壊にまでさかのぼる。

じつは、日本の人事賃金制度は、職能給と呼ばれ世界的に見ても非常に特殊なものだ。個人の
能力に値札を付ける方式で、経験を積めば値段は上がるはずだか ら、勤続年数に比例して積み上がっていく。いわゆる年齢給だ。年齢に応じて積み上がっていくものだから、当然、下がることは想定されていない。判例でも労 働条件の不利益変更には厳しい制限が付き、賃下げや降格といった処遇見直しは事実上不可能なシステムだ。

一方、世界標準としては職務給と呼ばれるものが一般的で、こちらは担当する仕事に値札が付く。ちょうどプロ野球選手をイメージしてもらえればいい。年齢、 年功に関係なく、本人の果たせる役割に応じて柔軟に上下するシステムだ。よくヨーロッパは終身雇用だという意見もあるが、それはブルーカラーの話だ。ホワ イトカラーは職務年俸制が基本だから、賃下げや降格は普通に行なわれ、人材の流動化は日本よりはるかに進んでいる。

なぜ日本においてだけこのような特殊システムが成立したかは諸説あるが、筆者は戦中の国家総動員法に起源があると考えている。ともかく、戦後の高度成長期を経て80年代いっぱいまではとくに不都合なく機能しつづけた。

だが、1991年以降すべてが変わってしまった。同年、日本企業は過去最高の新卒を採用し、新卒求人倍率は2.8倍を超えたものの、翌年からは新卒採用自 体を見送る企業も出始めた。企業内で人件費の見直しが進められない以上、入り口を締めるしかない。そこで新卒採用が減らされ、ここから就職氷河期が始まる ことになる。


だが若い兵隊自体は必要だ。そこで従来よりずっと安く、社会保険コストや退職金といった福利厚生がなく、さらには柔軟に雇用関係を見直せるワーカーが労使 双方から必要とされることになった。これこそが非正規雇用労働者の拡大の始まりである。ちなみに連合・高木会長自身、「正社員の既得権を守るために、偽装 請負を含む非正規雇用拡大を黙認してきました」という事実は総括的に認めている(2006年8月9日付『朝日新聞』)。

結果、現在の日本には、正社員と非正規雇用労働者のダブルスタンダードが存在する。前者には高度成長期につくられた手厚い保護がなされ、後者はそれを支え るためだけに使い捨てにされる状況なのだ。たとえば、米国経済急失速をもって、トヨタは国内2300名を超える派遣請負労働者を切り捨てている最中である が、正社員は誰1人クビを切られず、賃下げもなされない。雇用に関するリスクはすべて非正規側にしわ寄せされるためだ。

それでいて過去数年間の好況時には、共に働いて得た利益のなかから労組だけにベアが回され、非正規側に回ることはなかった。しかも連合が労働分配率の話を するときには、法人企業統計ベースの話ではなく国民所得ベースで議論し、これだけ下がっているのだからもっとよこせと要求する(非正規雇用労働者もカウン トできるため)。これを搾取といわずに何というのか。

対策の方向性は明らかだ。ダブルスタンダードを解消し、痛みを正社員と非正規雇用労働者のあいだで適正に分配するしかない。それには、賃下げや降格、解雇も含めた正社員の雇用規制を大幅に見直し、人材流動化を推し進める労働ビッグバン以外にはありえない。

「そんなに簡単に職務に値段が付けられるのか」という論者もたまにいるが、そういう人は一度、非正規雇用の現場を見てみるといい。コンビニのバイトにせよ 派遣社員にせよ、こちらの世界ではとっくの昔から仕事に値札が付いている。余計な規制さえなければ、それが自然な姿なのだ。現状の問題点は、一方的な正社 員保護のおかげで、非正規雇用の現場に下りていく人件費が不適切に少ないという点に尽きる。

また、「ただでさえ低い中小企業の処遇をさらに引き下げるのはナンセンス」という声もあるが、逆だ。日本は世界でも稀なほど企業規模によって処遇に差があ るが、これは要するに大手や労組の強い企業が中小下請けに人件費コストを押し付けている結果だ。各企業内で柔軟な見直しが可能となり、職務給が一般化すれ ば、長期的には企業規模の格差は必ず縮小する。

既得権の見直しと聞いて、おそらく多くの正社員は萎えると思われるが、けっして全員一律の賃下
げというようなものではない。まず、20~30代の若手であ れば、それは中高年正社員との世代間格差を薄める意味があるから賛成するメリットは大だ。一例として、大卒総合職が課長以上ポストに昇格できる割合はすで に26%にすぎないというデータもある(2006年『読売新聞』調査)。流動化はこの比率を増やす可能性があるのだ。

中高年正社員についても、けっして一律で損をするわけではない。貰い過ぎの人間は賃下げもありえるが、逆に50歳を過ぎての大抜擢もありえる。何よりこれ まで35歳を越えての転職が難しかったのは、年齢給で割高になってしまったためだ。この縛りが消え、誰でも流動化の恩恵を享受できるようになる。労働ビッ グバンとは、けっして中高年の賃下げでも正規と非正規の待遇を等しくする共産主義でもなく、新たな利益の再分配システムだと考えてもらえばいい。

加藤紘一氏の許されざる便乗


ところが、この流れに反対する人たちがいる。まず正社員代表たる連合と、彼らにケツをもってもらっている民主・社民の両党だ(社民党はいまでも自治労など と支部レベルで一定の関係を結んでいる)。彼らは既得権死守のために全力で論点をぼかし、矛先を逸らそうと懸命だ。連合は同一労働同一賃金を建前上うたっ てはいるものの、年齢給を抱えたままどのようにして実現するというのか(30代のフリーターを正社員にする場合、彼の処遇は誰に合わせるのか)。

とくに、リベラルを自称しながら格差是正に反対する社民党の罪は重い。彼らは事あるごとに「格差を拡大させた」として構造改革路線を非難するが、もともと 1993~98年は与党側の一員として、非正規雇用拡大に無為無策だった事実は忘れてしまったらしい。本来はその時点で正社員保護の規制を外し、皆で痛み を分かち合うべきだったのに、それに反対したのは旧社会党ではないか。

さらにいえば、社民党は2003年総選挙での惨敗後、ベテランを中心に党職員の4割をリストラした前科がある。国民の前では全否定した手法でもって、身内のリストラだけはこっそり推進しているわけだ。この政党には格差問題を語る資格がいっさいないと断言しよう。

加えて、特定の政治的主張をするために、格差問題を取り込もうとする勢力も目に付く。たとえば『ルポ・貧困大国アメリカ』(岩波新書)などが好例だ。前半 部の米国ルポ自体は評価するが、中盤以降は構造改革反対の論陣を張りつつ、終盤に突然「憲法改正反対」の論陣を張る。一応フォローしておくが、米国内の貧 困層増大は不法移民の流入が主な理由だ(レーガン政権で不法移民に永住権を一括付与したため、同様の特赦を期待する移民が急増した)。本書は市民派的価値 観を隠しもつ著者と、岩波カルチャーの歪んだ結合にすぎない。


だが、政治的思惑がもっとも目に余るのは加藤紘一氏だ。彼はTBSの番組において、明確に「秋葉原事件は与党の改革路線のせい」と口にしたのだ。おそらく 政界干され気味で中高年人気取りのために口にしたのだろうが、そういう便乗が許される事件ではない。さらにいえば、彼の政治屋としての商売は、問題の本質 をぼかし、解決を困難にしてしまう。われわれが論壇誌やブログでどれほど改革の必要性を説こうと、軽い一言で消し飛ばすほどの影響力を、いまだテレビは もっているのだ。

そういう意味では、悲しいことに既存メディアは、同様に格差をネタにした貧困ビジネスで稼ぐ同類で溢れている。実現性のある解決策など何も持ち合わさず、 いやそもそも格差解消自体にはなんの興味もなく、ただ名前を売りたいだけの評論家や自称活動家たちだ。いちいち名前を出すのは面倒なので、チャンピオンと して森永卓郎氏の名を挙げておこう。この男の主張は、「格差の拡大はすべて経営者が悪い」というシンプル極まりないものだ。だがトヨタの全役員を無報酬の ボランティアにしたところで、クビになった2300人の非正規雇用のうちの何名を正社員にできるというのか。森永氏は「年収〇百万円シリーズ」でもう十分 稼いだだろう。いいかげん格差をネタにして売り出すのはやめてもらいたい。

もちろん、そんな連中をありがたがって引っ張りだす既存メディアの責任も重大だ。筆者の知るなかで、もっとも搾取構造が目に余る業界はテレビ局だ。彼らは スポンサー料の低下をつねに制作下請け会社に転嫁しつづけた。この10年間で制作費が10分の1になったプロダクションも実在する。そう、すべては「日本 一高水準であるテレビ局正社員の賃金」を守るために行なわれたことだ。制作現場の悲惨さは、すでに一般にも知られているとおり。某番組の捏造問題は、矛盾 が噴き出した1つの焦点だ。

セーフティネットは対症療法だ

悲しいことに、こういった格差支持・利用者たちに乗せられてしまっている若者は少なくない。『文藝春秋』8月号「貧困大国ニッポン―ホワイトカラーも没落 する」(湯浅誠氏)はその典型だ。湯浅氏は、貧困サポートで10年を
超える実績をもつ一流の現場主義者ではあるが、やはり既存の価値観にとらわれてしまっ ている。「正社員と非正規に対立はない」という論法は、既得権側が常用する典型的ロジックにすぎない。

フォローしておくが、筆者はけっしてセーフティネットの強化自体を否定するわけではない。企業がそれを保証できなくなった以上、行政による整備は必須だろ う。だがそれは格差問題の本質ではなく、結果であり、セーフティネットとはあくまで対症療法にすぎない。格差問題の本丸とはそれを生み出す構造そのもので あり、そこにメスを入れないかぎり、けっして希望は生まれないだろう。フランス革命もロシア革命も、きっかけは日々のパンだったかもしれない。だが、理念 はもっと高みに据えられていたはずだ。雇用に関する規制の存在しない米国なら、格差問題はセーフティネットを論じれば足りるだろう。だが日本の場合、その 前段階であり、並行して構造改革も語らねばならないのだ。

結局のところ、唯一神との契約も市民革命も経ていない日本は、利益団体同士の利害調整社会なのだろう。だからつねに総論賛成だが各論反対、いつまでたって も改革は進まないというわけだ。現在の非正規雇用労働者の悲惨さは、与党=経団連、民主党=連合という代表者がテーブルに着くなかで、誰も彼らを代表する 人間がいな
いという点に尽きるように思う。

これは政治全般についてもいえることだ。1990年代を通じて、つねに「景気対策」の名の下に問題解決は先送りされ、国債を通じたバラマキが行なわれてき た。80年代には黒字だった財政は一気に悪化し、2007年時点では長期債務残高GDP比率は160%を超えてしまった。驚いたことに、この期間を通じ て、年金問題も少子化問題も公務員改革も、ほとんど手を付けられることはなかった。このバラマキで日本が良くなったと感じる若者がはたして何人いるだろう か?

もちろん、これは投票という権利を行使せず、上に任せっきりにしてきた若年層自身にも責任がある。そこでいまはまず、若年層の意識を高めることが先決だと 考え、筆者はターゲット世代に届くかたちで普段は論を書くようにしている。狙いは、対立軸は左右でも正社員と非正規のあいだでもなく、世代間にこそ横た わっているという事実を教えることだ。

じつは、同じ氷河期世代であっても、正社員と非正規雇用側の連携は可能だと感じている。どちらも割を食っている事実は変わらず、既得権を打ち崩す人材流動化によってメリットを得られるからだ。

民主党は前原視点を生かせ

本論中、いくつかの文章に批判的なかたちで言及したが、1つだけ注目すべき論についても取り上げておきたい。『暴走する資本主義』(R・ライシュ著、東洋 経済新報社)だ。著者はクリントン政権の労働長官を務めた人物で、オバマ陣営のスタッフも務める。おそらくオバマが大統領になった暁には、何らかのかたち で政権入りするであろうと予想される民主党陣営の一員だ。その彼が、グローバリゼーションによって拡大する格差問題について、非常に優れた論考を展開する のが本書である。とくに注目したい点は、ライシュ自身が民主党政治家について、時に辛辣な評価を下している点だ。

超資本主義への処方箋として、まず人々に注意を促すべきは、超資本主義による社会的な負の影響について、企業や経営者を非難する政治家や活動家に用心せよということである(293ページ)。

現在の諸問題は、資本主義がグローバリゼーションとIT化により“超資本主義”として暴走した結果であるとする。そして、それは従来の枠組みには当てはま らない新たな問題であり、一部の企業エゴや資本家のせいにして済む問題ではないと断言する。新興国から輸出された安い製品を買うのも、企業にさらなる効率 化を迫るのも、われわれ自身の社会なのだ。まずはこの事実に向き合うことから、対策への第一歩はスタートするはずだ。著者の鋭い洞察に比べ、わが国の格差 に群がる有象無象はなんと志の低いことか。

最後に、筆者が個人的に期待している存在について述べよう。まずは民主党・前原誠司前代表だ。前原氏は代表となるや、まず連合と一定の距離をとる方針を打 ち出した。労組依存体質のままでは一定の票は確保できても、真の改革は遂行できないと判断したためだ。この判断はきわめて正しい。2005年衆院選で民主 が大敗したのは小泉劇場のせいでもなんでもなく、単純に民主側の自滅である。自治労をはじめとする既得権層に足を引っ張られた結果、郵政民営化、公務員改 革などでろくな政策提案ができなかったため、改革を願う若年層にそっぽを向かれただけの話だ。民主がまともな政権政党に生まれ変われるかどうかは、前原視 点を生かせるかどうかに懸かっている。

そして、もう1つの存在が共産党だ。今回の文中、あえて共産党には触れなかった。評価しているわけではなく、彼らのいっていることは社民党と同レベル、あ くまで既存の価値観からしか物事を見ようとはしていない。ただ、彼らにはしがらみが少ない。いくら中高年正社員の機嫌をとったところで、普通の中産階級は 共産党になど投票しないことは明らかだ。ならば民主・社民に代わって、新たな局面に対応した政策転換を打ち出すべきだろう。「反連合、人材流動化推進!」 とマニフェストに掲げることで、1000万の非正規雇用層を取り込める可能性もあるのだ。おそらく反対するであろう高齢共産党員など、これを機会に切り捨 てればいい(どうせ、ほっておいても今後は減る一方だ)。

筆者が共産党の路線転換に期待するのは、もう1つ理由がある。落ちぶれたりとはいえ、共産党が従来の経営者―労働者という対立軸を捨て、若年層・非正規雇 用労働者―連合という対立軸にシフトすれば、日本国内の政治状況に大地殻変動を起こすことは間違いない。従来の左右対立軸の幻想から、いやでも国民は目を 覚ますはずだ。メディア(これ自体、規制に守られた既得権勢力である)ももう無視できなくなる。べつに単独与党をめざせとはいわないが、このままジリ貧に なるか、もう一度歴史を動かすのか。いまが決断のときだろう。

」
なるほど....

金曜日, 9月 12, 2008

埋蔵金6兆円で好景気に

「高橋洋一(東洋大学教授)
Voice2008年9月12日(金)14:09
◇ 無駄にもっていた埋蔵金

 行政の無駄を省くべきだ。この意見に反論する人はいまい。ただ、人によって「無駄」の程度に差が出るのは致し方ないだろう。
 ちなみに与謝野馨経済財政相は、「予算の無駄には2種類あって、会計検査院が指摘するような間違った使い方ということと、この政策は無駄な政策だという政 策の評価の問題とがある」と講演で述べていたが、先日のテレビ番組では、天下りや官製談合、特殊法人などでの無駄遣いの指摘に対して、「無駄遣いはない。 政策判断の問題だから」といっていた。
 もちろん、政策判断の程度の差という問題はあるが、それをオープンな場で議論することは有用だろう。そうすれば、無駄の意味も明らかになるし、何より政策議論の質が向上する。これは長期的には行政の「無駄」をなくすことになるだろう。
 一例として、筆者がこれまで指摘した「霞が関埋蔵金」について考えてみよう。
 筆者と埋蔵金の関わりはこれまで3回ある。1回目は3年ほど前である。経済財政諮問会議において、特別会計の資産負債差額が50兆円弱あり、それらの1部 は取り崩しても問題ないと指摘した。その結果、財政融資資金特別会計などから20兆円の取り崩しが閣議決定され、その内容を盛り込んだ「簡素で効率的な政 府を実現するための行政改革の推進に関する法律」が2006年6月に成立した。
 2回目は、2007年11月の話だ。自民党財政改革研究会(与謝野馨会長)が、増税路線を打ち出したが、中川秀直元幹事長が異論を唱え、増税の前に特別会 計積立金のうち財政貢献できる部分があると主張した。ところが、この増税反対論に対して、財政改革研究会は「そのような話は霞が関埋蔵金伝説だ」と揶揄 し、「埋蔵金は存在しない」と応酬した。中川氏は、具体的に財政融資資金特別会計と外国為替資金特別会計の繰越利益・当年度利益が合計40兆円あると指摘 し、それらは過大であると反論した。財政当局はこの指摘を受け「埋蔵金」の存在を認め、10兆円を2008年度予算に取り入れることとした。
 1回目と2回目での「埋蔵金」は、特別会計のバランスシートにおける資産負債差額の総計である。資産負債差額が行政の「無駄」につながるかは、慎重な検討を要する。まず、無駄に使わなかったからこそ、その結果、資産負債差額として残っているといえる。
 ただし、過剰にもっているかどうかで、有していることが無駄であるかどうかがわかるであろう。1回目の20兆円、2回目の10兆円はいずれも取り崩され て、一般会計や国債償還に使われたのであるから、結果として特別会計では過剰な剰余金をもっていたわけである。それは無駄にもっていた埋蔵金だったといわ れても仕方ない。
 3回目の関わりは今年7月に出た「清和骨太」の埋蔵金50兆円である。7月4日、自民党の総裁派閥である清和政策研究会が発表した政策であるが、まず、「骨太」の意味を説明しておきたい。
 そもそも「骨太」というのは、正式名称についていえば、2001年は「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」、2002年から 2006年まで「経済財政運営と構造改革に関する基本方針」、2007年と2008年は「経済財政改革の基本方針」である。いずれも、6月までには閣議決 定されて、次年度の予算方針などの前提となる国の経済政策の基本方向を定めている。
 じつは2年前に、「骨太2006」というものがあって、その後の5年間、2011年度までの「5年間の予算シーリング」がすでに決まっており、それで2011年度のプライマリーバランス黒字化が目標となっている。
 ところが近年、社会保障費2200億円をカットすべきかどうかという問題や、基礎年金について国庫負担割合の引き上げにどのように対応すべきかという問題 があり、さらには、ここ2年間の名目成長率が政府見通しを大幅に下回り、税収も下方修正せざるをえなくなっている。ということは、本来であれば経済状況を 踏まえて、2011年度の黒字化目標を含め、今年の「骨太2008」では「骨太2006」を改訂すべきであった。
 埋蔵金の話を抜きに、来年度以降の予算の話などできるわけないが、なぜか諮問会議が埋蔵金の話をしないまま、6月27日に「骨太2008」は閣議決定され た。社会保障費の問題や2011年度のプライマリーバランス黒字化などについて、この「骨太2008」では解が盛り込まれておらず、明らかに不完全であっ た。そこに、清和研の政策提言は、具体的な財源の裏づけのある答えを示した。つまり、埋蔵金の活用によって、社会保障問題への対策や、成長・環境などの新 たな課題にも対応しつつ、2011年度のプライマリーバランスの黒字化の方針は堅持できるとした。
 8月1日、福田康夫総理は政権発足後初の内閣改造を行なったが、「清和骨太」の作成に関係していた、いわゆる「上げ潮派」は一掃されたかたちだ。
 しかし、「清和骨太」が示した事実は、今年度の補正予算編成や来年度の予算編成に確実に大きな影響を与えるはずだ。つまり、少なくとも来年度までは、消費 税増税の議論はできない。福田総理が自ら公言しているが、50兆円の埋蔵金が否定できない以上、増税論議はできるはずがない。伊吹財務相(前自民党幹事 長)も、埋蔵金は10兆円以上あることを認めており、今年度補正予算と来年度予算ではそれを活用せざるをえないわけだ。

◇ 4四半期ぶりのマイナス成長
 以上を踏まえて、3回目の埋蔵金50兆円を説明しよう。7月4日、「上げ潮派」といわれる中川秀直自民党元幹事長らが中心となって、清和政策研会として 「『増税論議』の前になすべきこと」という政策提言を行なった。陣頭指揮をしたのは杉浦正健さん、奥野信亮さんである。山本拓さんも精力的に活動してい た。私も手伝って、派閥集団が新たな「霞が関埋蔵金」の存在を指摘したのだ。
 今回の埋蔵金50兆円は、3つの部分からなる。第一に、今年度中に使えるものとして6兆円。第二に、来年度予算に使えるものとして10兆円。第三に、その後3年間で使えるものとして19兆~37兆円だ。
 これらが無駄なお金であったかどうかであるが、6兆円と10兆円は、使われていなかったという意味では、ひどい無駄遣いであったわけではないが、うまく使 われてこなかった金であることは間違いない。19兆~37兆円はこれからよい政策をすることによって生み出すわけで、無駄な政策をしない結果といえる。以 下では、補正予算が話題になっているので6兆円を中心としつつ、10兆円にも触れてみよう。
 第一の6兆円は、新たな負担なしで補正予算に対応するにはこの部分で賄える。なぜ補正か。いろいろと大型補正の声も聞かれるが、なぜかといえば、とうとう 景気が悪くなったからだ。8月13日、内閣府は2008年4―6月期の国内総生産(GDP)速報値を発表したが、実質GDPは前期比0.6%減、年率換算 で2.4%減だった。2007年4―6月期以来、4四半期ぶりのマイナス成長だ。民間エコノミストのあいだでは、今年初めからすでに景気後退に入っている のではないかといわれていた。政府が景気後退を認めるのはいちばん最後であるので、これで景気後退が確実になったといえる。
 同じ内閣府が発表している景気動向指数、景気ウォッチャー調査をみると、景気減速は2007年中に始まったのだろう。この景気後退は、しばしばアメリカ経 済の景気減速を背景にした輸出の減速が主要因といわれ、内需の柱である個人消費や設備投資の落ち込みが響いたとされている。しかし、4―6月期のアメリカ の実質GDPの伸び率は、鈍化したとはいえ、まだ0.5%増であった。サブプライム問題の本家本元のアメリカのほうがまだマシということは、日本の景気後 退が国内要因(ホームメイド)であることを強く示唆している。
 ただし、日本の景気後退は大したことはないという意見もある。8月4日付の『フィナンシャル・タイムズ』紙は、「日本の景気後退は景気後退でない」と題し て、「住宅バブルや金融危機もない。アジア向け輸出も伸びている」と指摘し、「日本政府に求められているのは、改革強化であって、設計の悪い財政出動でも インフレに対する日銀の過剰反応でもない」としている。そのうえで、日銀に対しては「金利を維持し、長年のデフレに慣れきった日本人に対して、ガソリン以 外にも価格上昇を覚悟させるようにせよ」、政府に対しては「漁船のための燃料補助金は悪い。道路建設もさらに悪い。無駄な財政出動に抵抗し、小泉構造改革 に回帰せよ」と提言している。
 これは1つの正論であろう。それに、この機会に予算分捕りもあり、与党から見れば選挙向けのばらまきとなる恐れもある。ただし、どうしても「景気対策」が必要というのであれば、この正論の趣旨に即したものにすべきだ。

◇ 日本の景気が後退した理由
 具体的な景気対策を論ずる前に、日本の景気後退の理由を整理しておきたい。
 景気減速が2007年中に始まったとすれば、効果のラグを考慮して2006年中の出来事に注目すべきである。
 いまサブプライム問題をきっかけとして、アメリカ経済は危機状況に陥っているが、2006年には住宅価格の上昇率が鈍化するとともに、住宅ローンの延滞率 が上昇してきたという状況であったものの、サブプライムローンが世界的に問題視されはじめたのは2007年夏ごろからである。しかも、日本はサブプライム 問題の発信地ではない。
 まず思い出すのは、定率減税の廃止だ。定率減税は、所得税と住民税の税額をそれぞれ20%、15%減額するもので、景気対策のために暫定的に1999年から導入されていた。それが、2006年(度)と2007年(度)で半分ずつ段階的に廃止された。
 定率減税の廃止は、マクロ経済的観点からみれば、3兆円強の所得税増税になる。その経済効果は、ある試算によれば、実質GDPを0.5%程度低下させるという。
 また2006年は、日銀が金融引き締めに転じた年でもあった。2006年3月9日、日銀は量的緩和政策を解除した。2006年7月14日、2007年2月21日、日銀は誘導金利をそれぞれ0.25%ずつ引き上げた。
 量的緩和政策の解除は金利に換算すると0.5%程度の効果であるといわれているので、一連の金利引き上げは1%程度と思っていいだろう。ある試算によれば、この一連の金利引き上げによるマクロ経済効果は実質GDPを0.5%程度押し下げるといわれている。
 いずれにしても、マクロ経済的には、2006年に財政引き締めと金融引き締めが同時に行なわれたわけで、形式的に考えても、実質GDPを1%程度押し下げてもおかしくない。
 ちなみに、実質GDP伸び率について、2007年度の政府の見通しは2.0%であったが、実績は1.6%。2008年度の政府見通し2.0%が、実績見通 しは1.3%にとどまった。また、名目GDP伸び率について、2007年度の政府の見通しは2.2%であったが、実績は0.6%。2008年度の政府見通 し2.1%が、実績見通しは0.3%にとどまった。
 この名目GDPの低迷と裏腹のことであるが、ホームメイドインフレの指標とされ総合的な物価の動きを示すGDPデフレータについて、2007年度の政府見 通しは0.2%であったが、実績は▲1.0%、2008年度の政府見通し0.1%が、実績見通しも▲1.0%と2年連続して大きく下回った。

◇ 金融のイロハを間違った日銀
 こうした経済指標を見ても、2006年の財政引き締めと金融引き締めのどちらが主因であるかを判断することは難しい。ただ、明確な決まりはないが、政府見通しについて、実質成長率は政府、GDPデフレータは日銀の責任という漠然とした思いはある。
 もっとも、日銀はその責任分担さえ拒否してきた。現行の仕組みでは、日銀は、政府経済見通しについて、マクロ経済運営に関して基本的視点を共有するのみで あり、コミットメント(結果責任を伴う約束)はしていない。この意味で、政府見通しの達成義務は政府だけにあり、それが達成できなくても、日銀は政府に対 して何の責任もないことになる。日銀は、どこにもコミットしておらず、経済運営の結果についていっさい責任は生じないというのだ。
 考えてみればこれはおかしいのだが、いまの日銀法の下では仕方ないことである。ちなみに、日銀法では「日本銀行の通貨及び金融の調節における自主性は、尊 重されなければならない」(第3条第1項)、「日本銀行は、通貨及び金融の調節に関する意思決定の内容及び過程を国民に明らかにするよう努めなければなら ない」(第3条第2項)となっており、政府との関係は、「日本銀行は、その行う通貨及び金融の調節が経済政策の一環をなすものであることを踏まえ、それが 政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない」(第4条)と規定されているのみ で、意思疎通さえすれば、結果は問わないのだ。
 これは、中央銀行の独立性を曲解しており、日銀法の欠陥であるといわざるをえない。現行制度の下では、先進国の行政機関で導入されているPDCA(PLAN‐DO‐CHECK‐ACT)サイクルさえ、日銀には適用できない。
 中央銀行の独立性については、中央銀行は政府と目標を共有するが、その達成手段は中央銀行に任せ、政府が口出ししないとなっているのが世界標準である。と なれば、中央銀行の目標について、政府が設定するか、または政府と中央銀行が設定し、その目標の達成は中央銀行に任せて、中央銀行のPDCAサイクルを適 用できるわけだ。このような中央銀行と政府の関係について、しばしば「中央銀行は目標の独立性をもたず、手段の独立性をもつ」と表現している。
 こうした見方について、日銀としては政策委員会・金融政策決定会合で決めた金融市場調節方針にコミットメントしていたとの反論があるかもしれない。たしか に、2001年3月から2006年3月まで、消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的に0%以上となるまで継続するとの明確な「約 束」に沿って、量的緩和政策を継続してきた。
 ただし、これは外部から見たら「言い訳」にすぎない。というのは、日銀は物価見通しをこれまで何度も下方修正して、それでシナリオどおりだという後出し じゃんけんばかりやっている。日銀はフォワードルッキングといって、先読みの政策をやってきているというが、先読みがあったためしはない。
 また、見るべき物価を間違えている。一般的に、物価はGDPデフレータで見るのが優れている。ただしGDPデフレータは統計作成が遅れるため、できるかぎりそれに連動するもので物価を見る必要があるので、コアCPI(消費者物価指数)で見るのが世界の常識である。
 海外では、このコアCPIは変動の激しいエネルギー・食品を除いているのが通例であるが、日本はなぜが生鮮食品しか除いていない。このため、コアCPIの 数字で海外から誤解を招くことが多かったので、竹中平蔵氏が総務大臣になった2006年から、エネルギー・食品を除いたCPIも公表するようにした。とこ ろが、マスコミ報道は相変わらず、古いCPI(除く生鮮食品)であり、日銀も古いものを使いつづけている。
 ちなみに、6月のCPI(除く生鮮食品)は前年同月比1.9%の上昇であるが、CPI(除くエネルギー・食品)は0.1%、4―6月期のGDPデフレータは前年同期比1.6%の下落であった。
 このようにいうと、「日常品で値上がりしているのでインフレではないか」という声が聞こえてくる。だがインフレというのは、正しくは全体の物価水準の上昇 であり、現在のような状況は「海外インフレ、国内デフレ」である。国内が本当にインフレになれば、賃金も地価も上がるはずであるが、そうなっていない。
 いずれにしても、ホームメイドインフレの指標であるGDPデフレータがマイナスである以上、日銀の金融政策は失敗したといわざるをえない。要するに、 GDPデフレータがマイナスのまま、しかもそれはCPI(除くエネルギー・食品)を見ていても容易に判定できたにもかかわらず、2006年から金融引き締 めを行なったのは、金融政策のイロハを間違ったのである。
 さらに、増税を行なう政府と金融引き締めを行なう日銀とのあいだの連携も結果としては不十分だった。こうして景気後退になった。

◇ もっとも効果的な経済政策は
 以上を踏まえ、景気対策を考えるなら、単純にいえば、2006年の逆をやればよい。つまり、金融政策を緩和しゼロ金利・量的緩和政策まで戻るとともに、財政政策も定率減税を復活させればよい。
 さらに、経済政策のセオリーを使うと、もっと効果のある対策もある。マクロ経済政策の効果について、マンデル=フレミング理論というノーベル経済学賞の栄 誉に輝いた有名な理論があるが、同理論によれば、変動相場制の下では、金融政策のほうが財政政策より効果が高い。財政政策は為替変動・輸出入変動を通じ て、その効果が海外にスピルオーバーするからだという。
 ここで、今年度中に使える埋蔵金6兆円に戻ろう。じつは2回目の埋蔵金10兆円(正しくは9.8兆円)について、今年度予算で国債償還に充てられていると 説明したが、正確にいうと、埋蔵金9.8兆円のうち、市中の国債買い入れに充てたのは3兆円だけであり、残りの6.8兆円分は、日本銀行が保有する国債 3.4兆円分と、財務省の資金運用部が保有する国債3.4兆円分を買い入れるとされていた。
 要するに、6.8兆円は広義の政府部門の国債償還に充てられているので、政府の外から見れば、何もしていないことになる。つまり、まだ使えるわけで、これが6兆円の意味だ。
 もうおわかりであろうが、マクロ経済効果が少なく財政赤字を増す定率減税の復活もさることながら、それよりも埋蔵金6兆円を活用すべきである。マンデル= フレミング理論の応用になるが、この6兆円を財政支出や減税より市中国債の償還に回すほうが、長期金利低下となって、金融緩和政策と相まって、大きなマク ロ経済効果になるにちがいない。
 こうしたマクロ経済政策ミックスは金利低下を促すので、実質的には設備投資減税と同じことになる。今回のようなエネルギー・輸入価格を上昇させ交易条件を悪化させる外的ショックに対して、省エネ体質にして長期的な競争力を強化するために、政策的にも望ましい。
 埋蔵金6兆円を使わないのは、もったいないし無駄である。使うとしても、財政支出や減税より、市中国債の償還のほうが、効果的という意味で無駄がない。ま して現在、与党内で議論されているように、金融政策なしで個別業界対策のような支援を行なうのは、ここで述べたマクロ経済政策ミックスと比べると、大いに 無駄な対策である。
 最後に、来年度予算に使える10兆円の内訳に触れよう。
 今年度の特別会計では、来年度への繰越金が25.4兆円ある。特別会計は、1年間で使い切れなかったお金は次年度に繰り越せるのである。だが余っているなら、その金を一般会計に返せばよい。
 ただ、約25兆円の繰越金のうち、翌年度に繰り越さないと資金がショートして支障が出かねないものある。しかし、一般会計に繰り入れても問題ない繰越金 が、私の見積もりによると、5.3兆円ある。その内訳は、労働保険特会で0.8兆円、財政融資特会で2兆円、外為資金特会で2.5兆円である。
 また、特別会計で今年の黒字分を繰り越すのは、会計学でいうフローの数字だ。一方で、ストックに当たる積立・準備金がある。そのうち、財政融資資金特別会計は、金利リスクに備え現在10兆円の積立・準備金をもっているが、ここから4兆円分を取り崩すことは十分に可能だ。
 もう1つは、労働保険特会である。先に指摘したとおり、雇用保険料が高すぎるのか、0.8兆円もカネが余っている。にもかかわらず、一般会計から毎年0.2兆円が投入されている。
 すき焼き三昧の離れに、粥をすすっている母屋から仕送りをする必要はなく、すぐ停止すべきだ。「骨太2006」では、社会保障費の自然増分を年に2200 億円ずつ抑制するとされ、それは難しいと厚生労働省は文句をいっている。だが、自分たちがもっている労働保険特会の埋蔵金だけで解決できる。さらに、労働 保険はストックベースでも4兆円以上余っているので、それらを取り崩しながら、長期的に維持可能な社会保障システムを考えたらいいだろう。
 こうしたお金をうまく使わなければ、無駄なお金といわれてしまうだろう。

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年金財源に「埋蔵金」活用へ=国庫負担増、財投準備金で確保-政府(時事通信) 12月05日 22:30
「財源」4つのハードル 歳出抑制を転換 来年度予算方針決定(産経新聞) 12月04日 08:05
消費税から逃げない「麻生蛮勇」(ファクタ) 11月28日 09:00
21年度予算編成、建議の全容判明 歳出増加の圧力牽制(産経新聞) 11月22日 08:05
」
無駄となりそう....。

水曜日, 8月 13, 2008

原油高と“ばらまき”の誘惑

「竹中平蔵(慶応義塾大学教授)
Voice2008年8月13日(水)14:51
原油高、一次産品高騰、サブプライム問題……。世界の経済環境は1年前と大きく変化した。このようななかで、新たな 政策課題が多数生じている。スタグフレーションにどのように対処するか、原油高で苦しむ業界をどうするか、原油高そのものを抑える方策はあるのか……。政 策を担当する政府の責任は重大である。

そんななかで、政府の政策のあり方に関する基本的な方針が公表された。今年の骨太方針と、いわゆる第二前川レポート(経済財政諮問会議の「構造変化と日本 経済」専門調査会報告)である。しかし残念なことに、今日の厳しい経済環境の変化にどのような基本スタンスで臨もうとしているのか、メッセージを読み取る ことができないのである。骨太方針についていうならば、全体で41ページの報告のなかで、マクロ経済運営についての記述は0.5ページしかない。かつ、そ の内容は、昨年の記述とほとんど変わらないものだ。さすがに第二前川レポートにおいては、こうした問題意識に基づく現状の解説は行なわれている。ただ、そ れに対する処方箋は「開放されたプラットフォーム」をつくるという一般論に終始している。

原油価格上昇、一次産品高騰に関連して、今後政治の場で多くの政策論議が出されるだろう。選挙が近いことを意識した「ばらまき」型の政策に走る傾向も懸念される。われわれは、以下の点に十分な留意が必要だ。

まず認識する必要があるのは、輸入財の価格上昇すなわち「交易条件の悪化」が生じる際には、国民の生活水準は低下せざるをえないという厳しい現実である。 これまで100円で手に入っていたものが、200円さらには300円支払わねばならないわけだから、購買力は確実に海外に移転する。石油燃料を多く使用す る輸送業や漁業の業績が悪化したり、消費者の家計が苦しくなるのは、程度の差はあれ避けられない現象なのである。もちろん、だからそれをすべて放置してよ いということではない。価格形成に圧力がかかって(たとえば大手業者が買い叩いて)零細業者が不当に苦しむような事態は修正されなければならない。しか し、交易条件が悪化している以上、結果的に当面は国民全体としての生活水準が下がるということは甘受しなければならないのである。

しかし現実問題として、ポピュリスト的な政治勢力(与野党を問わず……)とメディアの一部は、影響の大きい業界の救済を強力に求めるだろう。このような動 きはすでに始まっており、補正予算で補助金や無利子・低利貸付の活用を求める声が強まっている。政策を考えるに当たっては、ばらまきを避けてきわめて限定 的な対応を行なうことが求められる。具体的に、政策の項目は次の3点に絞られなければならない。

第1は、当面の生活さえも危ぶまれる人たちに対するセーフティネット的な対応である。もっとも、こうした場合も、本来は生活保護で対応すべきものである。 ただ、価格の変化があまりに急激であり対応が不可能なケースに限って、限定的な政策対応を行なうことはありうるだろう。ただし期間を限定するなど、しっか りとしたルールに基づいた政策としなければならない。

第2は、価格変化に対応した新たな技術への移行を助ける場合などに、必要な資金を低利で提供するという政策だ。最近しばしばイカ釣り漁船の問題が取り上げ られるが、極端な例でいえば、石油燃料に依存しない新しい漁法への移行(それがどのようなものかチェックが必要だが……)などを推し進めるのは意味があ る。そうした投資が困難な中小業者に一定の範囲で政策融資を行なうことは、考えられてよい。

その際、あらためて確認すべきなのは、相対価格の変化を歪めるような安易な救済措置は避けなければならないことである。たとえば、原油高で苦しんでいるか らといって原油の価格を補填するような財政措置をとってはならない。価格の高騰は厳しい事実ではあるが、高い価格によってこそ省エネと代替エネルギー開発 が進む。安易に一時的な価格補填を行なうことは、省エネのインセンティブを抑え込むことにほかならない。じつは第一次石油危機の際、日本は安易な価格補填 をとらない国であった。石炭などの代替エネルギーも存在しなかったために、世界のなかでも、もっとも厳しい石油価格上昇に直面した国となった。しかし、だ からこそ今日、日本は世界でもっとも省エネが進み、エネルギー効率の高い国となったのである。

じつは第二前川レポートでは、こうした点についての一般的考え方はかなり明快に書かれている。「価格のシグナルの活用を」という項目を立てて議論する姿勢 は、そのかぎりにおいて正しいものである。たとえば、「重要なことは……短期的に痛みを緩和する政策への誘惑を極力排除すること」「相対的な価格の変化 は、何が不足し、何が過剰かを示すシグナルでもある」といった指摘は適切なものである。

第3は、長期的な国家戦略としての代替エネルギー開発、省エネの促進である。原油価格の今後の動向については、専門家のあいだでもさまざまな見方がある。 筆者はあえて、中長期的に原油の値上がりが続くという見方を提示したい。しばしば指摘されるように、現状の原油価格には投機による行きすぎた部分が含まれ ている。しかし、もしバブル的な要素だけが問題であるのなら、事態はそれほど深刻ではない。バブルはいつか必ず崩壊し、結果的に原油価格の上昇は抑えられ るからである。しかし現実には、原油の(さらには精製の)供給サイドに構造的な問題があり、いったん価格は下がっても、その後、中長期的に原油価格が上昇 する可能性が高い。その最大の理由は、第一次石油危機当時は供給の40%を占めていた国営企業のウエイトが、いまや65%を占めるようになっていること だ。一般には、価格が上昇すれば供給が増える、という当然のメカニズムが働くはずだ。しかし、国営企業のウエイトが高まるなかでこうしたメカニズムが働き 難くなっている。

選挙が近づくなかで、政治の世界では原油高に苦しむ業界への露骨な救済策が議論されてこよう。また、なかには、インド洋での自衛隊の給油に掛かるコストを 削減し、その分、国民の価格負担を補えといった議論さえあるという。しかし繰り返しいうが、第一次石油危機の当時、日本はそうした安易な救済措置をあまり とらなかったからこそ、今日の省エネ・環境大国と呼ばれる状況が出現した。政策における短期と長期の“インコンシステンシー(矛盾)”にどのように対処す るか、経済政策の軸足が問われる。
」
この程度なら、誰でも何とでも、対策打てたんだろね....。

金曜日, 6月 20, 2008

もはや自民も民主も不要!:永久寿夫 (PHP総合研究所常務取締役)

「
Voice
ダッチロール状態の日本政治

ねじれ国会である。衆参それぞれ別の時期に選挙が行なわれるのだから、両院で多数派が異なる現象が生じるのは何もおかしくはない。いや、同時に選挙を行 なっても選挙方法が異なるのだから、結果的にねじれが発生する可能性もある。実際、外国の例をわざわざ持ち出さなくとも、過去を少し振り返れば、こうした 状況は9年ごとに現れている。

リクルート事件、消費税導入、宇野宗佑首相の女性問題と続いたあとの1989年の参院選で、自民は半数割れとなった。宇野首相辞任後の首相指名では、衆議 院が自民党の海部俊樹を指名したのに対し、参議院は社会党の土井たか子。参議院で、消費税廃止法案が可決され、89年度の補正予算が否決されるなどもし た。

それから9年後の1998年の参院選では、消費税率引き上げや景気の後退、失業率の上昇、減税に関する橋本龍太郎首相の一貫性のない発言などが要因で自民は敗北。責任をとって橋本首相は辞任する。

その後の首相指名では、衆議院で自民党の小渕恵三が指名されるも参議院は民主党の菅直人を指名。金融再生法案では参議院で野党が修正案を提示し、与党はそ れを丸呑みするという事態が生じている。防衛庁調達実施本部の背任事件で、額賀福志郎防衛庁長官が問責決議を通され辞任した。与党に打撃を与えたという点 では、今回のねじれと同様である。

ただし、今回のねじれが前回の2つのケースと決定的に異なるのが、自民・民主の大連立、あるいは大幅な政界再編がないかぎり、ねじれは解消しない点である。

1989年のときには、自公民が政党間協議で同調するというかたちで与党は参議院で過半数を回復した。98年のときには、自民は自由・公明と連立を図り、 ねじれを解消した。つまり、自民は参議院の少数派と手を組むことによって、危機から脱出したのである。だが今回は、自公与党は参議院で最大多数となった民 主党と大連立を組むか、さもなければ民主の一部を離党させて吸収しないかぎり、参議院で過半数を得ることはできない。

昨年11月にわいた大連立構想が誰の思惑で進められたのか、真相はよくわからないが、ねじれ現象を解消しようという力学が働いたのは確かだ。その大連立構 想の主人公で、「民主には政権担当能力がない」と自らの政党を酷評した小沢代表の辞任表明を拒否し、留任を求めた民主党幹部には、小沢代表が「配下」を引 き連れて自民に合流するのではないかという危惧があったのではないか。

いずれにしても、今回のねじれは規模が大きいだけに、その分、政局を大きく変化させうるだけのエネルギーが政治の舞台裏で溜まっている。

大連立が成立しなかった背景には、衆院選に向けて選挙区ごとの候補者のバッティングをどう解決するかという「ミクロ」な問題もあっただろうが、むしろ 1998年の結党以来、政権交代を悲願としてきた民主に、千載一遇のチャンスを逃してはならないという判断があったはずである。参院選の勢いがあるうちに 衆議院を解散総選挙に持ち込み、自公を政権の座から引きずり下ろす、与党と徹底的に対立し、ダメージを与える、そのためには手段は選ばない、という戦術が 開始されるのである。

その端的な例が、日銀総裁人事とガソリンの暫定税率ではないか。

日銀は財務省にとって最高の「天下り」先で、事務次官経験者が何人も総裁のポストを占めてきたのは確かではある。だが、これによって日銀の独立性が損なわ れてきたかどうかは一概に結論づけできない。もちろん、有害な天下りは無用だし、経歴が考え方を左右もするが、現職の独立性を保つために経歴を制限すると いう論理は強引すぎる。事実、民主内部ではそのやり方に批判的だった人間はかなりいる。何度も拒否を続ける民主をやりすぎとみた有権者は多いし、政府与党 も、それを予想して拒否されるような人材ばかりを提案してきたのではないか。

暫定税率のほうは、ガソリンは高いより安いほうがありがたいのは当然だが、ガソリンが安くなって喜びながらも、2兆6000億円もの財源がなくなってほん とうに大丈夫なのか、と多くの「普通の人」が心配した。政治がやるべきことは、暫定税率がなくなったら財政が立ち行かなくなるのか、それを実証的に議論す るところにあったはず。あとになって道路特定財源の一般財源化の議論がさかんになったが、そうした議論をそっちのけで税金を上げ下げするだけに終始した一 時期は、ポピュリズム中毒ともいうべき症状であった。

政府与党による一方的な国会運営が行なわれなくなり、日銀総裁人事や暫定税率など、これまで問題視されなかったイシューが国民の前で論議されるという事態 が生じたことは、ねじれ国会がもたらした1つの効果として評価すべきではあるが、実際行なわれたのは政策本位の議論というよりも政局バトル。反対のための 反対や人気取りといった空虚な争い。有権者にはそれがミエミエであった。

一方の政府与党といえば、虻蜂取らずの停滞状態を続けている。

先の参院選に向けて不祥事が次々と露呈して弱っていた安倍政権に対し、大局的には小泉・安倍の改革路線と同じ方向を走ってきた民主は、突然、方向転換した かのように「子ども手当」や「戸別所得補償制度」など「大きな政府」政策をマニフェストの前面に掲げ、小泉・安倍路線に「付いていけない」と感じた有権者 をさらい取った。

この民主の勝利を見た福田政権は、これまでの方向を突き進めば民意は離れると判断したのか、「ダウンズ均衡」をめざして改革にブレーキをかける。その表れが、小泉時代からの継続事項であった独立行政法人改革や公務員制度改革に対する福田政権の冷たい態度である。

根回し御免の渡辺喜美行革担当大臣の手法に対する批判もあるが、彼が示した改革プランを閣僚たちはほとんど無視。それをそのままにしている福田首相は思考 停止か、「改革派」と「守旧派」の均衡点にはまって身動きがとれないか。暫定税率を復活させ、10年間の道路特定財源法案を通しながら、閣議で一般財源化 を約束したのも同じこと。福田政権は結果的に何もしていないとの印象が強い。

結局、民主のポピュリズム中毒と政府与党の自家撞着で政治はダッチロール現象を引き起こし、到達したところが政治全体への不信ではないか。福田内閣の支持率はすでに10%台に突入、対する民主の支持率はたしかに伸びてはいるが、風が吹くというほどのものでもない。

活発化する超党派の動き

こうした膠着状態を打開しようという動きがないわけではない。与野党超党派の議員連盟や勉強会が新しく発足したり、活動を再開したり、その動きを活発化させているのである。

3月に発足した「せんたく議連」には、自民、民主、公明、国民新党など100名を超える議員が参加しており、分科会がいくつも設置されている。ねじれで法案審議が停滞しがちななかで、与野党横串の連携で風通しをよくし、政策の実現を図るというのが狙いのようである。

個別イシューごとに円滑な政策の実現を目的とした超党派のグループもある。たとえば「医療現場の危機打開と再建を目指す議連」「京都議定書目標達成議連」 「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」「多重債務問題対策議連」「量刑制度を考える会」「地方政府IT推進議連」などがこの2月ごろから次々と 設立され、活動を展開している。

政治的な信条によるグループなどもできている。自民党の中川昭一元政調会長が会長を務める「真・保守政策研究会」は自民党内の研究会だが、無所属から平沼 赳夫元経済産業相が参加していたり、また民主の保守系議員とも近い関係にある。こうした保守勢力から一線を画すリベラル派の勉強会として自民党の加藤紘一 元幹事長を中心として「ラーの会」が設立され、ここには民主、公明、社民、国民新党などからの参加もある。

さらにいえば、自民党内には与謝野馨前官房長官、園田博之政調会長代理という、いわゆる「財政タカ派」による勉強会や、小泉―竹中路線を継承する中川秀直 元幹事長が中心の「上げ潮派」による研究会もできている。民主にも同様に、その立場や政策論でさまざまな勉強会ができている。

こうした動きは、たしかに与野党の対話の模索ともいえるが、政界再編への備えとみることもできる。ただ、有権者として困るのは、このようなグループがいく つもできると、いったいどの政党がどのような立場でどのような政策を進めようとしているのか分からなくなり、混乱してしまうということだ。

もっとも、こんなことはいまに始まったわけでもない。自民党はもともと社会主義勢力に対抗するために保守政治家が合同してできた政党だが、全国の多様な支 持母体に実質的な利益をもたらそうとするプラグマティックな共同体として成長してきた。自民党がキャッチオールパーティと呼ばれるゆえんである。

民主党は、1996年の総選挙から導入された小選挙区において、自民という巨人に対抗すべく小勢力が結集してできた政党といってよい。そのDNAは、55年体制の自民党、民社党、社会党までじつに多様だ。民主党の右左のウィングは自民党より広いといわれるゆえんである。

そもそも小選挙区導入の狙いは、A党候補者かB党候補者かそのどちらか1人を選ぶことになれば、それぞれの政党は政策によってその違いを示さねばならず、 投票行動はそのまま政策選び、政権選びになるということである。利益誘導から政策中心の政治、政権交代が起こりやすい政治への転換を図ろうとしたのであ る。

実際、2003年の総選挙あたりから、各党はマニフェストを有権者に示すようになった。マニフェストとは、その政党のビジョンや、それを達成するための諸 政策と具体的な数値目標や方法、実施期限などを示す「政策パッケージ」であり、有権者と候補者の委任関係を明確にする「契約」である。

こうした「契約」を選挙前に提示することは、選挙制度改革の狙いどおりであり、選挙を重ねるたびに、その内容は洗練されつつあるのは確かだ。しかしなが ら、その中身を読み込んでいくと、同じ政党内のさまざまな思惑がモザイクのようにちりばめられており、まだまだ体系性の希薄な政策リストから脱してはいな い。この状態を、党の性格がそうなのだから仕方ない、それにマニフェストをそんなに真剣に読む人はいない、といって放っておいていいものではない。

商品に合わせて政党を再編せよ

いま有権者は政治に何を求めているのか。もちろん、個別的には、職業、住んでいる地域、性別、世代など、それぞれの置かれている状況で異なるだろう。

だが共通するのは、国際的にはグローバル化が進展し、国内的には少子高齢化というデモグラフィーの変化が財政に構造的な変化をもたらしつつあるなかで、日 本が将来的にいかにサバイバルしていくのか、そのために国のあり方をどのようにしていくのかという5年・10年先のビジョンと、その実現に向けた戦略的か つ、整合性のある具体策の提示ではないか。しかも、耳触りのいい話だけでなく、正味の話をしてくれということである。

国力はさまざまな側面で落ちてきているように見える。自分たちの生活がどうなるかも不安である。これにどう対応していけばよいのか、どのような覚悟が必要なのか、それを見通せるようにしてほしいということである。

総選挙はいつになるのか。自民の支持率が上がれば、なにも解散総選挙をする必要はない。逆に下がったら、議席は確実に減るので解散総選挙のモチベーション は下がる。民主の支持率が上がろうが下がろうが同じこと。論理的に考えれば、支持率回復のために総理が代わっても、来年の任期満了まで総選挙はない。

そのあいだにお願いしたいのが、自民、民主ともに、いまのばらばらになっている状況を整理し、自らの旗印を鮮明にしてほしいということである。すなわち繰 り返していうが、国内外の現状認識をしっかり行ない、5年・10年のビジョンを掲げ、それに向けた戦略的かつ、整合性のある具体策をメリット・デメリット も含めて提示してほしいということだ。

そうでなければ有権者は困るのである。自民の旗印がわからない。民主の旗印がわからない。いったいどちらを選んだらいいのか。どっちを選んでも同じではな いのか。仮に選んだとしても、何の説明もなく中身が変わってしまうのではないのか。そんな状況で選挙をしても意味がない。

さもなければ、それぞれの政治信条や政策を軸として、政界を再編してほしいということだ。くくり方が容易でないのは理解できる。外交・安保で一致しても、 社会保障では一致しない。その逆もある。さらに政策分野を増やせば、もはやグループ分けは無理かもしれない。松下政経塾出身者ですらまとまれないのであ る。

冷戦も右肩上がりも終わった。多様な価値観が存在し、政策も複数の問題に同時に解を出さねばならない複雑な連立方程式となった。政党が政治信条や政策でま とまるのは、事実上不可能かもしれないし、有権者も政策のパッケージではなく、アラカルトで選びたい。だが、選挙でそうした選び方はできない。既存の政党 政治はもはや限界に直面している。

これを解決するには、国が膨大な政策分野を抱え込む現在の中央集権体制を道州制などによって変える必要がある。つまり、地方が決定する守備範囲を拡大する ことで国政のディメンションの数を減らすという制度的イノベーションを待たねばならないが、それにしても、現在の政党の状況はあまりにもいびつである。

自民と民主の「保守派」、あるいはそれぞれの「リベラル派」は政治信条的にも政策的にも非常に近いものがあるように見える。縦で割るより、横で割ったほう がすっきりするではないか。また外交・安保についていえば、違いはあっても55年体制時代よりは幅は狭い。とすれば、社会保障や行財政など国内問題へのア プローチの違いで分ければよいではないか。

自民のある政治家は「新党なんて、信条や政策なんかでまとまるものではない。しがらみや馬が合うとか合わないとか、いろんな要素で集まるのであって、簡単 に割り切れるものではない」という。また、民主のある政治家は「やっとここまできたのに、政権奪取が目前にみえるのに、新党結成なんてありえない」とい う。たしかにそれはそうかもしれない。だが、いずれも政党のカスタマーである有権者を無視した話ではないか。いや、国の将来を考えていないということでは ないか。

有権者にとって、政治家同士のしがらみなど知ったことではないし、民主が政権奪取に王手をかけていることなどどうでもよい。重要なのは、どの政党が何を売 ろうとしているのかである。各党がはっきりとした商品のラインアップができないなら、商品に合わせて政党を再編してくれということである。商品が分からな ければ買えないではないか。

郵政造反組で無所属となった平沼赳夫元経済産業相が「新党侍」を選挙前に立ち上げるとか、高知一区から出馬表明している橋本大二郎前高知県知事があえてド ン・キホーテになって新党を結成するとか、いろいろな話がある。彼らにどの程度の求心力があるかは分からない。行き場のない「浪人」だけが集まるか、サン チョ・パンサがついてくるだけになってしまうかもしれない。だが、こうした動きが、ねじれ国会で蓄積された政界再編のエネルギーの起爆剤にならぬともかぎ らない。それに期待したいものである。

」

さてさて