格差に関する議論が盛り上がっている。格差といってもいろいろあり、地域格差や年金格差までさまざまあるものの、 現在議論の中心となっているものは雇用における格差だ。きっかけは、秋葉原の事件によって非正規雇用の存在がクローズアップされたことだろう。とくに8月 号の各誌では、この問題に関する左右両派からのオピニオンが乱れ飛んだ。
だが、これは非常におかしな話だ。犯人の動機解明はこれからの捜査を待たなければならない状況であり、家族でもない外野にとやかくいえる問題ではない。む しろこれまで出てきた情報からは、雇用状況はほとんど関係なく、純粋に本人の内面に関わる問題のようにすら思える。とくに問題なのは、明らかに特定の主張 をせんがために、本事件をだしに使ったメディアがあるという事実だ。そういった論調が広まるのを防ぐためにも、格差問題の論点と対策の方向性について、活 字というかたちで以下にまとめてみたい。
非正規雇用拡大の始まり
非正規雇用という言葉が一般にも使われるようになったのは、1990年代半ば以降のことだ。それまでは人事部など、一部の採用業務に関わる人間のあいだで しか使われることはなかった。一応言葉の定義をしておくが、“正社員”とは、雇用の期限のない、つまり終身雇用対象となる雇用労働者のことだ。ほとんどが 厚生年金に加入し、ボーナスと退職金の支給も受ける。非正規雇用とはそれ以外の雇用労働者のことで、フリーターや派遣社員、日雇い労働者が対象となる。彼 らには一般的にボーナスも退職金もなく、年金も国民年金だけである。さて、非正規雇用という言葉が90年代半ば以降にメジャーとなったのはなぜだろう。そ れはバブル崩壊にまでさかのぼる。
じつは、日本の人事賃金制度は、職能給と呼ばれ世界的に見ても非常に特殊なものだ。個人の能力に値札を付ける方式で、経験を積めば値段は上がるはずだか ら、勤続年数に比例して積み上がっていく。いわゆる年齢給だ。年齢に応じて積み上がっていくものだから、当然、下がることは想定されていない。判例でも労 働条件の不利益変更には厳しい制限が付き、賃下げや降格といった処遇見直しは事実上不可能なシステムだ。
一方、世界標準としては職務給と呼ばれるものが一般的で、こちらは担当する仕事に値札が付く。ちょうどプロ野球選手をイメージしてもらえればいい。年齢、 年功に関係なく、本人の果たせる役割に応じて柔軟に上下するシステムだ。よくヨーロッパは終身雇用だという意見もあるが、それはブルーカラーの話だ。ホワ イトカラーは職務年俸制が基本だから、賃下げや降格は普通に行なわれ、人材の流動化は日本よりはるかに進んでいる。
なぜ日本においてだけこのような特殊システムが成立したかは諸説あるが、筆者は戦中の国家総動員法に起源があると考えている。ともかく、戦後の高度成長期を経て80年代いっぱいまではとくに不都合なく機能しつづけた。
だが、1991年以降すべてが変わってしまった。同年、日本企業は過去最高の新卒を採用し、新卒求人倍率は2.8倍を超えたものの、翌年からは新卒採用自 体を見送る企業も出始めた。企業内で人件費の見直しが進められない以上、入り口を締めるしかない。そこで新卒採用が減らされ、ここから就職氷河期が始まる ことになる。
だが若い兵隊自体は必要だ。そこで従来よりずっと安く、社会保険コストや退職金といった福利厚生がなく、さらには柔軟に雇用関係を見直せるワーカーが労使 双方から必要とされることになった。これこそが非正規雇用労働者の拡大の始まりである。ちなみに連合・高木会長自身、「正社員の既得権を守るために、偽装 請負を含む非正規雇用拡大を黙認してきました」という事実は総括的に認めている(2006年8月9日付『朝日新聞』)。
結果、現在の日本には、正社員と非正規雇用労働者のダブルスタンダードが存在する。前者には高度成長期につくられた手厚い保護がなされ、後者はそれを支え るためだけに使い捨てにされる状況なのだ。たとえば、米国経済急失速をもって、トヨタは国内2300名を超える派遣請負労働者を切り捨てている最中である が、正社員は誰1人クビを切られず、賃下げもなされない。雇用に関するリスクはすべて非正規側にしわ寄せされるためだ。
それでいて過去数年間の好況時には、共に働いて得た利益のなかから労組だけにベアが回され、非正規側に回ることはなかった。しかも連合が労働分配率の話を するときには、法人企業統計ベースの話ではなく国民所得ベースで議論し、これだけ下がっているのだからもっとよこせと要求する(非正規雇用労働者もカウン トできるため)。これを搾取といわずに何というのか。
対策の方向性は明らかだ。ダブルスタンダードを解消し、痛みを正社員と非正規雇用労働者のあいだで適正に分配するしかない。それには、賃下げや降格、解雇も含めた正社員の雇用規制を大幅に見直し、人材流動化を推し進める労働ビッグバン以外にはありえない。
「そんなに簡単に職務に値段が付けられるのか」という論者もたまにいるが、そういう人は一度、非正規雇用の現場を見てみるといい。コンビニのバイトにせよ 派遣社員にせよ、こちらの世界ではとっくの昔から仕事に値札が付いている。余計な規制さえなければ、それが自然な姿なのだ。現状の問題点は、一方的な正社 員保護のおかげで、非正規雇用の現場に下りていく人件費が不適切に少ないという点に尽きる。
また、「ただでさえ低い中小企業の処遇をさらに引き下げるのはナンセンス」という声もあるが、逆だ。日本は世界でも稀なほど企業規模によって処遇に差があ るが、これは要するに大手や労組の強い企業が中小下請けに人件費コストを押し付けている結果だ。各企業内で柔軟な見直しが可能となり、職務給が一般化すれ ば、長期的には企業規模の格差は必ず縮小する。
既得権の見直しと聞いて、おそらく多くの正社員は萎えると思われるが、けっして全員一律の賃下げというようなものではない。まず、20~30代の若手であ れば、それは中高年正社員との世代間格差を薄める意味があるから賛成するメリットは大だ。一例として、大卒総合職が課長以上ポストに昇格できる割合はすで に26%にすぎないというデータもある(2006年『読売新聞』調査)。流動化はこの比率を増やす可能性があるのだ。
中高年正社員についても、けっして一律で損をするわけではない。貰い過ぎの人間は賃下げもありえるが、逆に50歳を過ぎての大抜擢もありえる。何よりこれ まで35歳を越えての転職が難しかったのは、年齢給で割高になってしまったためだ。この縛りが消え、誰でも流動化の恩恵を享受できるようになる。労働ビッ グバンとは、けっして中高年の賃下げでも正規と非正規の待遇を等しくする共産主義でもなく、新たな利益の再分配システムだと考えてもらえばいい。
加藤紘一氏の許されざる便乗
ところが、この流れに反対する人たちがいる。まず正社員代表たる連合と、彼らにケツをもってもらっている民主・社民の両党だ(社民党はいまでも自治労など と支部レベルで一定の関係を結んでいる)。彼らは既得権死守のために全力で論点をぼかし、矛先を逸らそうと懸命だ。連合は同一労働同一賃金を建前上うたっ てはいるものの、年齢給を抱えたままどのようにして実現するというのか(30代のフリーターを正社員にする場合、彼の処遇は誰に合わせるのか)。
とくに、リベラルを自称しながら格差是正に反対する社民党の罪は重い。彼らは事あるごとに「格差を拡大させた」として構造改革路線を非難するが、もともと 1993~98年は与党側の一員として、非正規雇用拡大に無為無策だった事実は忘れてしまったらしい。本来はその時点で正社員保護の規制を外し、皆で痛み を分かち合うべきだったのに、それに反対したのは旧社会党ではないか。
さらにいえば、社民党は2003年総選挙での惨敗後、ベテランを中心に党職員の4割をリストラした前科がある。国民の前では全否定した手法でもって、身内のリストラだけはこっそり推進しているわけだ。この政党には格差問題を語る資格がいっさいないと断言しよう。
加えて、特定の政治的主張をするために、格差問題を取り込もうとする勢力も目に付く。たとえば『ルポ・貧困大国アメリカ』(岩波新書)などが好例だ。前半 部の米国ルポ自体は評価するが、中盤以降は構造改革反対の論陣を張りつつ、終盤に突然「憲法改正反対」の論陣を張る。一応フォローしておくが、米国内の貧 困層増大は不法移民の流入が主な理由だ(レーガン政権で不法移民に永住権を一括付与したため、同様の特赦を期待する移民が急増した)。本書は市民派的価値 観を隠しもつ著者と、岩波カルチャーの歪んだ結合にすぎない。
だが、政治的思惑がもっとも目に余るのは加藤紘一氏だ。彼はTBSの番組において、明確に「秋葉原事件は与党の改革路線のせい」と口にしたのだ。おそらく 政界干され気味で中高年人気取りのために口にしたのだろうが、そういう便乗が許される事件ではない。さらにいえば、彼の政治屋としての商売は、問題の本質 をぼかし、解決を困難にしてしまう。われわれが論壇誌やブログでどれほど改革の必要性を説こうと、軽い一言で消し飛ばすほどの影響力を、いまだテレビは もっているのだ。
そういう意味では、悲しいことに既存メディアは、同様に格差をネタにした貧困ビジネスで稼ぐ同類で溢れている。実現性のある解決策など何も持ち合わさず、 いやそもそも格差解消自体にはなんの興味もなく、ただ名前を売りたいだけの評論家や自称活動家たちだ。いちいち名前を出すのは面倒なので、チャンピオンと して森永卓郎氏の名を挙げておこう。この男の主張は、「格差の拡大はすべて経営者が悪い」というシンプル極まりないものだ。だがトヨタの全役員を無報酬の ボランティアにしたところで、クビになった2300人の非正規雇用のうちの何名を正社員にできるというのか。森永氏は「年収〇百万円シリーズ」でもう十分 稼いだだろう。いいかげん格差をネタにして売り出すのはやめてもらいたい。
もちろん、そんな連中をありがたがって引っ張りだす既存メディアの責任も重大だ。筆者の知るなかで、もっとも搾取構造が目に余る業界はテレビ局だ。彼らは スポンサー料の低下をつねに制作下請け会社に転嫁しつづけた。この10年間で制作費が10分の1になったプロダクションも実在する。そう、すべては「日本 一高水準であるテレビ局正社員の賃金」を守るために行なわれたことだ。制作現場の悲惨さは、すでに一般にも知られているとおり。某番組の捏造問題は、矛盾 が噴き出した1つの焦点だ。
セーフティネットは対症療法だ
悲しいことに、こういった格差支持・利用者たちに乗せられてしまっている若者は少なくない。『文藝春秋』8月号「貧困大国ニッポン―ホワイトカラーも没落 する」(湯浅誠氏)はその典型だ。湯浅氏は、貧困サポートで10年を超える実績をもつ一流の現場主義者ではあるが、やはり既存の価値観にとらわれてしまっ ている。「正社員と非正規に対立はない」という論法は、既得権側が常用する典型的ロジックにすぎない。
フォローしておくが、筆者はけっしてセーフティネットの強化自体を否定するわけではない。企業がそれを保証できなくなった以上、行政による整備は必須だろ う。だがそれは格差問題の本質ではなく、結果であり、セーフティネットとはあくまで対症療法にすぎない。格差問題の本丸とはそれを生み出す構造そのもので あり、そこにメスを入れないかぎり、けっして希望は生まれないだろう。フランス革命もロシア革命も、きっかけは日々のパンだったかもしれない。だが、理念 はもっと高みに据えられていたはずだ。雇用に関する規制の存在しない米国なら、格差問題はセーフティネットを論じれば足りるだろう。だが日本の場合、その 前段階であり、並行して構造改革も語らねばならないのだ。
結局のところ、唯一神との契約も市民革命も経ていない日本は、利益団体同士の利害調整社会なのだろう。だからつねに総論賛成だが各論反対、いつまでたって も改革は進まないというわけだ。現在の非正規雇用労働者の悲惨さは、与党=経団連、民主党=連合という代表者がテーブルに着くなかで、誰も彼らを代表する 人間がいないという点に尽きるように思う。
これは政治全般についてもいえることだ。1990年代を通じて、つねに「景気対策」の名の下に問題解決は先送りされ、国債を通じたバラマキが行なわれてき た。80年代には黒字だった財政は一気に悪化し、2007年時点では長期債務残高GDP比率は160%を超えてしまった。驚いたことに、この期間を通じ て、年金問題も少子化問題も公務員改革も、ほとんど手を付けられることはなかった。このバラマキで日本が良くなったと感じる若者がはたして何人いるだろう か?
もちろん、これは投票という権利を行使せず、上に任せっきりにしてきた若年層自身にも責任がある。そこでいまはまず、若年層の意識を高めることが先決だと 考え、筆者はターゲット世代に届くかたちで普段は論を書くようにしている。狙いは、対立軸は左右でも正社員と非正規のあいだでもなく、世代間にこそ横た わっているという事実を教えることだ。
じつは、同じ氷河期世代であっても、正社員と非正規雇用側の連携は可能だと感じている。どちらも割を食っている事実は変わらず、既得権を打ち崩す人材流動化によってメリットを得られるからだ。
民主党は前原視点を生かせ
本論中、いくつかの文章に批判的なかたちで言及したが、1つだけ注目すべき論についても取り上げておきたい。『暴走する資本主義』(R・ライシュ著、東洋 経済新報社)だ。著者はクリントン政権の労働長官を務めた人物で、オバマ陣営のスタッフも務める。おそらくオバマが大統領になった暁には、何らかのかたち で政権入りするであろうと予想される民主党陣営の一員だ。その彼が、グローバリゼーションによって拡大する格差問題について、非常に優れた論考を展開する のが本書である。とくに注目したい点は、ライシュ自身が民主党政治家について、時に辛辣な評価を下している点だ。
超資本主義への処方箋として、まず人々に注意を促すべきは、超資本主義による社会的な負の影響について、企業や経営者を非難する政治家や活動家に用心せよということである(293ページ)。
現在の諸問題は、資本主義がグローバリゼーションとIT化により“超資本主義”として暴走した結果であるとする。そして、それは従来の枠組みには当てはま らない新たな問題であり、一部の企業エゴや資本家のせいにして済む問題ではないと断言する。新興国から輸出された安い製品を買うのも、企業にさらなる効率 化を迫るのも、われわれ自身の社会なのだ。まずはこの事実に向き合うことから、対策への第一歩はスタートするはずだ。著者の鋭い洞察に比べ、わが国の格差 に群がる有象無象はなんと志の低いことか。
最後に、筆者が個人的に期待している存在について述べよう。まずは民主党・前原誠司前代表だ。前原氏は代表となるや、まず連合と一定の距離をとる方針を打 ち出した。労組依存体質のままでは一定の票は確保できても、真の改革は遂行できないと判断したためだ。この判断はきわめて正しい。2005年衆院選で民主 が大敗したのは小泉劇場のせいでもなんでもなく、単純に民主側の自滅である。自治労をはじめとする既得権層に足を引っ張られた結果、郵政民営化、公務員改 革などでろくな政策提案ができなかったため、改革を願う若年層にそっぽを向かれただけの話だ。民主がまともな政権政党に生まれ変われるかどうかは、前原視 点を生かせるかどうかに懸かっている。
そして、もう1つの存在が共産党だ。今回の文中、あえて共産党には触れなかった。評価しているわけではなく、彼らのいっていることは社民党と同レベル、あ くまで既存の価値観からしか物事を見ようとはしていない。ただ、彼らにはしがらみが少ない。いくら中高年正社員の機嫌をとったところで、普通の中産階級は 共産党になど投票しないことは明らかだ。ならば民主・社民に代わって、新たな局面に対応した政策転換を打ち出すべきだろう。「反連合、人材流動化推進!」 とマニフェストに掲げることで、1000万の非正規雇用層を取り込める可能性もあるのだ。おそらく反対するであろう高齢共産党員など、これを機会に切り捨 てればいい(どうせ、ほっておいても今後は減る一方だ)。
筆者が共産党の路線転換に期待するのは、もう1つ理由がある。落ちぶれたりとはいえ、共産党が従来の経営者―労働者という対立軸を捨て、若年層・非正規雇 用労働者―連合という対立軸にシフトすれば、日本国内の政治状況に大地殻変動を起こすことは間違いない。従来の左右対立軸の幻想から、いやでも国民は目を 覚ますはずだ。メディア(これ自体、規制に守られた既得権勢力である)ももう無視できなくなる。べつに単独与党をめざせとはいわないが、このままジリ貧に なるか、もう一度歴史を動かすのか。いまが決断のときだろう。
」
だが、これは非常におかしな話だ。犯人の動機解明はこれからの捜査を待たなければならない状況であり、家族でもない外野にとやかくいえる問題ではない。む しろこれまで出てきた情報からは、雇用状況はほとんど関係なく、純粋に本人の内面に関わる問題のようにすら思える。とくに問題なのは、明らかに特定の主張 をせんがために、本事件をだしに使ったメディアがあるという事実だ。そういった論調が広まるのを防ぐためにも、格差問題の論点と対策の方向性について、活 字というかたちで以下にまとめてみたい。
非正規雇用拡大の始まり
非正規雇用という言葉が一般にも使われるようになったのは、1990年代半ば以降のことだ。それまでは人事部など、一部の採用業務に関わる人間のあいだで しか使われることはなかった。一応言葉の定義をしておくが、“正社員”とは、雇用の期限のない、つまり終身雇用対象となる雇用労働者のことだ。ほとんどが 厚生年金に加入し、ボーナスと退職金の支給も受ける。非正規雇用とはそれ以外の雇用労働者のことで、フリーターや派遣社員、日雇い労働者が対象となる。彼 らには一般的にボーナスも退職金もなく、年金も国民年金だけである。さて、非正規雇用という言葉が90年代半ば以降にメジャーとなったのはなぜだろう。そ れはバブル崩壊にまでさかのぼる。
じつは、日本の人事賃金制度は、職能給と呼ばれ世界的に見ても非常に特殊なものだ。個人の能力に値札を付ける方式で、経験を積めば値段は上がるはずだか ら、勤続年数に比例して積み上がっていく。いわゆる年齢給だ。年齢に応じて積み上がっていくものだから、当然、下がることは想定されていない。判例でも労 働条件の不利益変更には厳しい制限が付き、賃下げや降格といった処遇見直しは事実上不可能なシステムだ。
一方、世界標準としては職務給と呼ばれるものが一般的で、こちらは担当する仕事に値札が付く。ちょうどプロ野球選手をイメージしてもらえればいい。年齢、 年功に関係なく、本人の果たせる役割に応じて柔軟に上下するシステムだ。よくヨーロッパは終身雇用だという意見もあるが、それはブルーカラーの話だ。ホワ イトカラーは職務年俸制が基本だから、賃下げや降格は普通に行なわれ、人材の流動化は日本よりはるかに進んでいる。
なぜ日本においてだけこのような特殊システムが成立したかは諸説あるが、筆者は戦中の国家総動員法に起源があると考えている。ともかく、戦後の高度成長期を経て80年代いっぱいまではとくに不都合なく機能しつづけた。
だが、1991年以降すべてが変わってしまった。同年、日本企業は過去最高の新卒を採用し、新卒求人倍率は2.8倍を超えたものの、翌年からは新卒採用自 体を見送る企業も出始めた。企業内で人件費の見直しが進められない以上、入り口を締めるしかない。そこで新卒採用が減らされ、ここから就職氷河期が始まる ことになる。
だが若い兵隊自体は必要だ。そこで従来よりずっと安く、社会保険コストや退職金といった福利厚生がなく、さらには柔軟に雇用関係を見直せるワーカーが労使 双方から必要とされることになった。これこそが非正規雇用労働者の拡大の始まりである。ちなみに連合・高木会長自身、「正社員の既得権を守るために、偽装 請負を含む非正規雇用拡大を黙認してきました」という事実は総括的に認めている(2006年8月9日付『朝日新聞』)。
結果、現在の日本には、正社員と非正規雇用労働者のダブルスタンダードが存在する。前者には高度成長期につくられた手厚い保護がなされ、後者はそれを支え るためだけに使い捨てにされる状況なのだ。たとえば、米国経済急失速をもって、トヨタは国内2300名を超える派遣請負労働者を切り捨てている最中である が、正社員は誰1人クビを切られず、賃下げもなされない。雇用に関するリスクはすべて非正規側にしわ寄せされるためだ。
それでいて過去数年間の好況時には、共に働いて得た利益のなかから労組だけにベアが回され、非正規側に回ることはなかった。しかも連合が労働分配率の話を するときには、法人企業統計ベースの話ではなく国民所得ベースで議論し、これだけ下がっているのだからもっとよこせと要求する(非正規雇用労働者もカウン トできるため)。これを搾取といわずに何というのか。
対策の方向性は明らかだ。ダブルスタンダードを解消し、痛みを正社員と非正規雇用労働者のあいだで適正に分配するしかない。それには、賃下げや降格、解雇も含めた正社員の雇用規制を大幅に見直し、人材流動化を推し進める労働ビッグバン以外にはありえない。
「そんなに簡単に職務に値段が付けられるのか」という論者もたまにいるが、そういう人は一度、非正規雇用の現場を見てみるといい。コンビニのバイトにせよ 派遣社員にせよ、こちらの世界ではとっくの昔から仕事に値札が付いている。余計な規制さえなければ、それが自然な姿なのだ。現状の問題点は、一方的な正社 員保護のおかげで、非正規雇用の現場に下りていく人件費が不適切に少ないという点に尽きる。
また、「ただでさえ低い中小企業の処遇をさらに引き下げるのはナンセンス」という声もあるが、逆だ。日本は世界でも稀なほど企業規模によって処遇に差があ るが、これは要するに大手や労組の強い企業が中小下請けに人件費コストを押し付けている結果だ。各企業内で柔軟な見直しが可能となり、職務給が一般化すれ ば、長期的には企業規模の格差は必ず縮小する。
既得権の見直しと聞いて、おそらく多くの正社員は萎えると思われるが、けっして全員一律の賃下げというようなものではない。まず、20~30代の若手であ れば、それは中高年正社員との世代間格差を薄める意味があるから賛成するメリットは大だ。一例として、大卒総合職が課長以上ポストに昇格できる割合はすで に26%にすぎないというデータもある(2006年『読売新聞』調査)。流動化はこの比率を増やす可能性があるのだ。
中高年正社員についても、けっして一律で損をするわけではない。貰い過ぎの人間は賃下げもありえるが、逆に50歳を過ぎての大抜擢もありえる。何よりこれ まで35歳を越えての転職が難しかったのは、年齢給で割高になってしまったためだ。この縛りが消え、誰でも流動化の恩恵を享受できるようになる。労働ビッ グバンとは、けっして中高年の賃下げでも正規と非正規の待遇を等しくする共産主義でもなく、新たな利益の再分配システムだと考えてもらえばいい。
加藤紘一氏の許されざる便乗
ところが、この流れに反対する人たちがいる。まず正社員代表たる連合と、彼らにケツをもってもらっている民主・社民の両党だ(社民党はいまでも自治労など と支部レベルで一定の関係を結んでいる)。彼らは既得権死守のために全力で論点をぼかし、矛先を逸らそうと懸命だ。連合は同一労働同一賃金を建前上うたっ てはいるものの、年齢給を抱えたままどのようにして実現するというのか(30代のフリーターを正社員にする場合、彼の処遇は誰に合わせるのか)。
とくに、リベラルを自称しながら格差是正に反対する社民党の罪は重い。彼らは事あるごとに「格差を拡大させた」として構造改革路線を非難するが、もともと 1993~98年は与党側の一員として、非正規雇用拡大に無為無策だった事実は忘れてしまったらしい。本来はその時点で正社員保護の規制を外し、皆で痛み を分かち合うべきだったのに、それに反対したのは旧社会党ではないか。
さらにいえば、社民党は2003年総選挙での惨敗後、ベテランを中心に党職員の4割をリストラした前科がある。国民の前では全否定した手法でもって、身内のリストラだけはこっそり推進しているわけだ。この政党には格差問題を語る資格がいっさいないと断言しよう。
加えて、特定の政治的主張をするために、格差問題を取り込もうとする勢力も目に付く。たとえば『ルポ・貧困大国アメリカ』(岩波新書)などが好例だ。前半 部の米国ルポ自体は評価するが、中盤以降は構造改革反対の論陣を張りつつ、終盤に突然「憲法改正反対」の論陣を張る。一応フォローしておくが、米国内の貧 困層増大は不法移民の流入が主な理由だ(レーガン政権で不法移民に永住権を一括付与したため、同様の特赦を期待する移民が急増した)。本書は市民派的価値 観を隠しもつ著者と、岩波カルチャーの歪んだ結合にすぎない。
だが、政治的思惑がもっとも目に余るのは加藤紘一氏だ。彼はTBSの番組において、明確に「秋葉原事件は与党の改革路線のせい」と口にしたのだ。おそらく 政界干され気味で中高年人気取りのために口にしたのだろうが、そういう便乗が許される事件ではない。さらにいえば、彼の政治屋としての商売は、問題の本質 をぼかし、解決を困難にしてしまう。われわれが論壇誌やブログでどれほど改革の必要性を説こうと、軽い一言で消し飛ばすほどの影響力を、いまだテレビは もっているのだ。
そういう意味では、悲しいことに既存メディアは、同様に格差をネタにした貧困ビジネスで稼ぐ同類で溢れている。実現性のある解決策など何も持ち合わさず、 いやそもそも格差解消自体にはなんの興味もなく、ただ名前を売りたいだけの評論家や自称活動家たちだ。いちいち名前を出すのは面倒なので、チャンピオンと して森永卓郎氏の名を挙げておこう。この男の主張は、「格差の拡大はすべて経営者が悪い」というシンプル極まりないものだ。だがトヨタの全役員を無報酬の ボランティアにしたところで、クビになった2300人の非正規雇用のうちの何名を正社員にできるというのか。森永氏は「年収〇百万円シリーズ」でもう十分 稼いだだろう。いいかげん格差をネタにして売り出すのはやめてもらいたい。
もちろん、そんな連中をありがたがって引っ張りだす既存メディアの責任も重大だ。筆者の知るなかで、もっとも搾取構造が目に余る業界はテレビ局だ。彼らは スポンサー料の低下をつねに制作下請け会社に転嫁しつづけた。この10年間で制作費が10分の1になったプロダクションも実在する。そう、すべては「日本 一高水準であるテレビ局正社員の賃金」を守るために行なわれたことだ。制作現場の悲惨さは、すでに一般にも知られているとおり。某番組の捏造問題は、矛盾 が噴き出した1つの焦点だ。
セーフティネットは対症療法だ
悲しいことに、こういった格差支持・利用者たちに乗せられてしまっている若者は少なくない。『文藝春秋』8月号「貧困大国ニッポン―ホワイトカラーも没落 する」(湯浅誠氏)はその典型だ。湯浅氏は、貧困サポートで10年を超える実績をもつ一流の現場主義者ではあるが、やはり既存の価値観にとらわれてしまっ ている。「正社員と非正規に対立はない」という論法は、既得権側が常用する典型的ロジックにすぎない。
フォローしておくが、筆者はけっしてセーフティネットの強化自体を否定するわけではない。企業がそれを保証できなくなった以上、行政による整備は必須だろ う。だがそれは格差問題の本質ではなく、結果であり、セーフティネットとはあくまで対症療法にすぎない。格差問題の本丸とはそれを生み出す構造そのもので あり、そこにメスを入れないかぎり、けっして希望は生まれないだろう。フランス革命もロシア革命も、きっかけは日々のパンだったかもしれない。だが、理念 はもっと高みに据えられていたはずだ。雇用に関する規制の存在しない米国なら、格差問題はセーフティネットを論じれば足りるだろう。だが日本の場合、その 前段階であり、並行して構造改革も語らねばならないのだ。
結局のところ、唯一神との契約も市民革命も経ていない日本は、利益団体同士の利害調整社会なのだろう。だからつねに総論賛成だが各論反対、いつまでたって も改革は進まないというわけだ。現在の非正規雇用労働者の悲惨さは、与党=経団連、民主党=連合という代表者がテーブルに着くなかで、誰も彼らを代表する 人間がいないという点に尽きるように思う。
これは政治全般についてもいえることだ。1990年代を通じて、つねに「景気対策」の名の下に問題解決は先送りされ、国債を通じたバラマキが行なわれてき た。80年代には黒字だった財政は一気に悪化し、2007年時点では長期債務残高GDP比率は160%を超えてしまった。驚いたことに、この期間を通じ て、年金問題も少子化問題も公務員改革も、ほとんど手を付けられることはなかった。このバラマキで日本が良くなったと感じる若者がはたして何人いるだろう か?
もちろん、これは投票という権利を行使せず、上に任せっきりにしてきた若年層自身にも責任がある。そこでいまはまず、若年層の意識を高めることが先決だと 考え、筆者はターゲット世代に届くかたちで普段は論を書くようにしている。狙いは、対立軸は左右でも正社員と非正規のあいだでもなく、世代間にこそ横た わっているという事実を教えることだ。
じつは、同じ氷河期世代であっても、正社員と非正規雇用側の連携は可能だと感じている。どちらも割を食っている事実は変わらず、既得権を打ち崩す人材流動化によってメリットを得られるからだ。
民主党は前原視点を生かせ
本論中、いくつかの文章に批判的なかたちで言及したが、1つだけ注目すべき論についても取り上げておきたい。『暴走する資本主義』(R・ライシュ著、東洋 経済新報社)だ。著者はクリントン政権の労働長官を務めた人物で、オバマ陣営のスタッフも務める。おそらくオバマが大統領になった暁には、何らかのかたち で政権入りするであろうと予想される民主党陣営の一員だ。その彼が、グローバリゼーションによって拡大する格差問題について、非常に優れた論考を展開する のが本書である。とくに注目したい点は、ライシュ自身が民主党政治家について、時に辛辣な評価を下している点だ。
超資本主義への処方箋として、まず人々に注意を促すべきは、超資本主義による社会的な負の影響について、企業や経営者を非難する政治家や活動家に用心せよということである(293ページ)。
現在の諸問題は、資本主義がグローバリゼーションとIT化により“超資本主義”として暴走した結果であるとする。そして、それは従来の枠組みには当てはま らない新たな問題であり、一部の企業エゴや資本家のせいにして済む問題ではないと断言する。新興国から輸出された安い製品を買うのも、企業にさらなる効率 化を迫るのも、われわれ自身の社会なのだ。まずはこの事実に向き合うことから、対策への第一歩はスタートするはずだ。著者の鋭い洞察に比べ、わが国の格差 に群がる有象無象はなんと志の低いことか。
最後に、筆者が個人的に期待している存在について述べよう。まずは民主党・前原誠司前代表だ。前原氏は代表となるや、まず連合と一定の距離をとる方針を打 ち出した。労組依存体質のままでは一定の票は確保できても、真の改革は遂行できないと判断したためだ。この判断はきわめて正しい。2005年衆院選で民主 が大敗したのは小泉劇場のせいでもなんでもなく、単純に民主側の自滅である。自治労をはじめとする既得権層に足を引っ張られた結果、郵政民営化、公務員改 革などでろくな政策提案ができなかったため、改革を願う若年層にそっぽを向かれただけの話だ。民主がまともな政権政党に生まれ変われるかどうかは、前原視 点を生かせるかどうかに懸かっている。
そして、もう1つの存在が共産党だ。今回の文中、あえて共産党には触れなかった。評価しているわけではなく、彼らのいっていることは社民党と同レベル、あ くまで既存の価値観からしか物事を見ようとはしていない。ただ、彼らにはしがらみが少ない。いくら中高年正社員の機嫌をとったところで、普通の中産階級は 共産党になど投票しないことは明らかだ。ならば民主・社民に代わって、新たな局面に対応した政策転換を打ち出すべきだろう。「反連合、人材流動化推進!」 とマニフェストに掲げることで、1000万の非正規雇用層を取り込める可能性もあるのだ。おそらく反対するであろう高齢共産党員など、これを機会に切り捨 てればいい(どうせ、ほっておいても今後は減る一方だ)。
筆者が共産党の路線転換に期待するのは、もう1つ理由がある。落ちぶれたりとはいえ、共産党が従来の経営者―労働者という対立軸を捨て、若年層・非正規雇 用労働者―連合という対立軸にシフトすれば、日本国内の政治状況に大地殻変動を起こすことは間違いない。従来の左右対立軸の幻想から、いやでも国民は目を 覚ますはずだ。メディア(これ自体、規制に守られた既得権勢力である)ももう無視できなくなる。べつに単独与党をめざせとはいわないが、このままジリ貧に なるか、もう一度歴史を動かすのか。いまが決断のときだろう。
」
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