水曜日, 10月 22, 2008

小沢の不誠実、麻生の構想力

面白がって全部引用しちゃう!!

2008年10月21日(火)21:10
福田政権を総括する

自民党総裁選は下馬評どおり、麻生太郎の勝利で決着した。候補者5人の全国ツアーは自民の一体感をアピールしたが、対立軸を乱して争点を喪失させた観もあ る。自民党の狙いは総裁選の余勢を駆って解散総選挙に打って出ることだった。目論見どおりになったかは別として、日本国民は、あらためて総理大臣を自民党 総裁の麻生太郎に委ねるのか、民主党代表の小沢一郎に任せるのか、という選択に迫られる。

選択の前にやるべきは、福田政権の総括である。閣僚の不祥事で足元をすくわれ、過去の年金未記録で叩かれ、どこからか浮上した格差問題で責任を問われ、参 院選で大敗北、KY扱いされた安倍総理の突然の辞任を受けて、福田政権は誕生した。自称「背水の陣」内閣の滑り出しは60%前後の支持率。支持理由の大半 は「安定感がある」だった。国民的人気を背景に颯爽と登場した橋本内閣の成立時とほぼ同じ数字を獲得したのは、逆風が吹き荒れるなかでは上出来だった。

「安定感」が小泉・安倍の改革路線にブレーキを踏むことだとすれば、福田政権は期待どおりの活躍をした。公務員制度改革、地方分権改革、独立行政法人改革 など引き継いだ改革は、角を削られたり、先送りされた。三位一体改革は中途半端でもともと高く評価できないが、「格差是正」が至上命題となり、「地方法人 特別譲与税」や「地方再生対策費」など政策的逆戻りもみられた。

小泉・安倍路線と大筋では同じ方向に走ってきた民主が、突然方向転換して「子ども手当」や「戸別所得補償制度」など「大きな政府」政策を掲げて参院選に勝利したのだから、自民がそれを追いかけるのは自然である。

だが、民意に従ったはずの福田政権を民意は評価しなかった。支持率は墜落寸前の低空飛行を続ける。国際的には福田総理のリーダーシップが高く評価された洞爺湖サミットも、福田色を出したといわれる内閣改造も支持率回復にはつながらず、解散総選挙の大合唱が湧き上がる。

ここで福田総理はキャパが一杯となり、少しでもましな状況で総選挙を闘うために、マウンドを国民的人気者に譲ることを最後の仕事と決める。参議院で少数派 である以上「ねじれ」は解消されぬし、「郵政選挙」で膨張した議席数も維持できぬが、自公合わせて過半数を取れば、地に落ちた正統性は回復できる。「私は ね、自分自身を客観的に見る事ができるんです。あなたとは違うんです」といって辞任した判断は、言葉どおり客観的であり、理性的といえる。

福田政権は民意に翻弄されたのである。「ねじれ」のなかでめざす方向を失い、動けなくなった。安定ではなく停滞、それが福田政権であった。

民意は政治の基盤である。民意に逆らった政治を行なってはならぬし、逆らっても長続きはしない。また、民意におもねっては政治は合成の誤謬に陥ってしま う。民意を無視する政治も、民意に従うだけの政治も機能不全を起こす。民意の「罠」にはまった福田政権ののちに求められるのは、日本が繁栄を続けるビジョ ンを示すとともに、国民合意の醸成に全力で取り組み、その実現に向けた政策を確実に実施することにほかならない。

企業で例えれば、経営者と従業員がビジョンを共有し、一丸となって事業に取り組む姿である。明治維新と戦後復興、日本はこれまで2回は経験したはずだ。ど ちらも日本は危機的状況にあり、指導者は日本の生存を懸けたビジョンを描かねばならなかったし、国民は生きるために必死で働いた。それがこの国を豊かにし た。対立がなかったわけではない。むしろ血を流すほどの激しい争いがあった。みな真剣だった証しである。

豊かになった日本はかつての姿を失った。ベンチャー企業が大企業になったようなものだ。安泰なら、それもよかろう。だが、現在の日本もまた内外ともに大転 換期を迎えている。皆気づいてはいるが、誰も本気にならない。危機に気づかず死を迎える茹で蛙になぞらえられた日本は、ジワジワだが確実に訪れる危機を知 りながら対応できないでいる。

「糖尿病」にかかっている日本

危機とは何か。日本は「糖尿病」にかかっているということだ。

日本の貿易収支は1990年代から一貫して黒字であった。2000年前後、安い労働力を武器にした中国の著しい経済発展とともに、日本の産業は空洞化する と思われたが、それは一時的な懸念に終わった。日本の高度技術によって製造される部品や素材を中国が必要としたからである。世界市場は中国製品で溢れてい るが、そのじつは「ジャパン・インサイド」であり、中国の輸出が増えれば日本の輸出も増える、という構造が形成された。

近年の貿易黒字はほぼ10兆円。多くは米国やアジア諸国などへの海外投資となっている。リスクを恐れる企業は投資にも個人所得としても分配せず、内部留保 を決め込んでいる。恩恵を受けるのは公債を連発する政府だけだ。国内企業への投資が進まず、家計も潤わず、もっともおカネの使い方が下手なところにおカネ が回る。だから経済成長は頭打ちとなる。せっかくの栄養を血肉に変えられぬ糖尿病と同じではないか。

生み出した利益を民間投資と個人消費に回るように制度的・慣習的障害を徹底的に排除すると同時に、非効率な国のあり方そのものをリストラする。「糖尿病」からの脱却こそが、わが国の根本的課題なのである。

この問題を一層深刻にしているのが、少子高齢化、すなわち、労働力人口の減少、貯蓄率の減少、社会保障負担の増加である。高齢者・女性に働いてもらうのは 言うに及ばず、移民も視野に入れねばなるまい。長期的には子供を増やせればいいのだが、大人になるまでその分負担は増える。「糖尿病」からの脱却は並大抵 の努力ではできない。

中国が儲かれば日本も儲かる構造を支えるのは、中国の主な輸出先となる米国だ。その米国は、9.11以降、テロと大量破壊兵器の結合を安全保障上の最大の 懸念と捉え、アフガン、イラクに対して軍事行動を展開するなど、攻撃的な側面をあらわしている。反米感情が国際的に広まる一方で、グローバル化によって中 国やインドが台頭し、資源国の中東諸国やロシアに富が集中するようになった。欧州もまた世界的規範づくりやユーロ高を通じて、存在感を高めている。米国の 相対的な優位性は軍事的にも経済的にも失われないにしても、米国以外の国が力を付け、多極化が一段と進んでいる。

日本は、米国の変化に合わせて「世界の中の日米同盟」という地平を開いたが、多極化の世界では複雑な力関係の均衡が求められる。「世界の中の日米同盟」を 維持すべきか、それとは異なった戦略をとるべきか、国内の体質改善を進める傍らで、国益を守る基本戦略の再確認に迫られている。ポスト福田には、そうした 認識をもって日本のあるべき姿を考え、具体的な政策を示し、国民ときっちり合意形成をしたうえで、確実に実行してもらいたいのである。

麻生太郎の道州制論

こうした観点から、麻生太郎か、小沢一郎か、を問われれば、彼らのこれまでの著述や発言を追うかぎり、麻生のほうに軍配を上げざるをえない。

麻生にはユーラシア大陸に沿って自由の輪を広げ、豊かで安定した開かれたアジアを形成することをめざす「自由と繁栄の弧」という構想がある。明らかに米国 支持の表明であり、相対的に力を弱めかつ孤立感を高める米国にとって歓迎すべきものとなっているが、価値を共有する欧州を排除するものではない。また一方 では、中国に対する期待と牽制にもなっている。米国を国際秩序の中心に位置づけながら欧州をも排除せず、中国の安定的発展を促すという多極対応で、安全保 障と経済という国益を確保する基本戦略を麻生は示している。少なくともそこには国際的大局観がうかがえる。

国内について麻生は、霞が関を中心とする中央集権システムを解体し、道州制を導入しようと主張している。中央集権は、明治維新や敗戦後の復興には大きな効 果があった。だが、ナショナルミニマムがほぼ達成され、豊かになった現在の日本にとっては中央集権では無理がある。その結果が、地方の衰退である。

日本の発展のためには道州制を導入し、公共事業、産業振興、社会福祉などの権限やそのための税源を移すことによって地域の経済的自立を図るとともに、中央 政府を小規模にして外交、国防、司法などに特化する。これが彼の道州制論である。細部にわたる議論はないが、「糖尿病」からの脱却をめざす基本戦略と読み 取れる。

麻生のもっとも大きな特性の1つが、小泉総理に勝るとも劣らない国民とのコミュニケーション能力だ。「失言」も懸念されるが、飾らない言葉、明るい表情、 マンガやアニメを好む大衆性が若者やオタクをも惹きつけている。小泉総理は「郵政選挙」を圧倒的な支持で勝利した。ポピュリズムと非難もされたが、国民と の合意形成がうまかったともいえる。民意に翻弄されることなく、難しい国の体質改善を進めるには、こうした国民とのコミュニケーション能力は不可欠であ る。

立派なアイディアがあっても、国民との合意形成ができなければ、何もできない。アイディアは借りてくることもできるが、コミュニケーション能力はそうはいかない。麻生には国の指導者として欠かせない能力があるようにみえる。

一方の小沢の議論は説得力に欠ける。国際社会に対しては、国連中心主義である。国連が認めない活動は行なってはならない、国連が決めたことなら「平和維持 活動や国連平和維持軍はもとより、多国籍軍にも日本は積極的に参加すべき」「危険地域であっても血を流す覚悟をもって行くべき」という立場だ。

そもそも国連は国際的な「主体」ではなく、国益を背負った加盟国による競争の「場」という性格をもつ。その「場」の意思に従うだけでは、日本が国際社会の なかで何を重視し、何を守ろうとしているか、誰にも伝わらない。会議で何も発言しないが、決まったことにはひたすら汗を流すお人よしのようなものだ。小沢 の国連中心主義は、一見、多極化の時代にふさわしい戦略に見えるし、日本的美学の匂いもするが、これでは複雑な力関係を背景に各国の駆け引きが行なわれる 国際社会において、国益を維持していくことは困難だ。長年マキャベリズムの世界に生きてきたはずの小沢にしてはナイーブすぎる。

小沢には『日本改造計画』という日本のあり方を示す代表的著作がある。基本理念は「自己責任」、前書きはその象徴となっている。いわく、グランドキャニオ ンには転落防止用の柵がない。断崖絶壁の向こうに落ちるも落ちないも自己責任である。実際に年に何人も転落して死亡しているが、誰も柵を付けろとはいわな い。日本をこうした自己責任の社会に変えなくてはならない……。

つまり、何でもかんでも国に依存する日本社会の体質を「自分でできることは自分でする」という理念で作り変えろということであり、麻生の道州制の議論と考え方は変わらない。「糖尿病」対策の基本思想として理解できる。

だが、昨年の参院選で「国民の生活が第一。」というスローガンの下に「子ども手当」の支給や農業の「戸別所得補償制度」の創設など、自己責任とは逆方向の 政策を示して以来、それを持論としている。状況が変われば政策も変わってしかるべきだが、現在のほうが『日本改造計画』当時より、国には余裕はない。自己 責任の追求というなら、自民党がめざしてきた方向性も同じであり、批判するなら、それが中途半端になっていることだろう。

「なにしろ私の生涯の政治目標は政権を代えることだから。それさえできれば何でもします」といって、小泉・安倍と続いた改革に疲れた有権者をさらい取るの は、選挙戦術としては合理的であっても、自ら描いたビジョンに誠実ではない。政権獲得後にさらにもう1度方向転換すると期待する向きもあるが、それでは有 権者に対する裏切りとなる。

自民を変えるといって自民を出奔し15年、政権交代の鬼と化した小沢は破壊者ではあっても創造者には見えない。いま必要なのは破壊と創造である。小沢の本 心はよくわからない。説明もよくわからない。わからないことがカリスマ性と同時に信用が置けないという雰囲気を醸し出している。愛想はずいぶんよくなった し、メディア露出も増えたにせよ、そうした小沢に小泉総理がやったような国民的合意形成ができるとは考えにくい。

総選挙後こそが正念場だ

政策の実行力については2人とも未知数だが、何をするにも、チーム力が必要である。チーム麻生とチーム小沢のどちらが優秀かわからないが、いずれも二大政 党のトップに上り詰めた政治家なのだから、性質は異なってもリーダーシップがないはずがない。重要なのは、彼らのチームが一体感を維持しながら困難な仕事 に突き進むためには、しっかりとしたサポーターが必要だということ、すなわち世論に訴えかけ、国民から直接的な支持を得なければならない。その重要性は小 泉政権で実証されている。この点でもやはり、コミュニケーション能力に長けた麻生のほうが分が良さそうだ。

もっとも総選挙に突入すれば、麻生もこれまで説いてきたビジョンや政策の方向性とは反する耳ざわりのよいことを訴えてくるかもしれない。事実、彼の財政出動の議論には、小沢の「子ども手当」や農業の「戸別所得補償制度」のような選挙対策の影が見える。

一方、「バラマキ」と批判された小沢のほうは、財源確保のための具体策を示し、筋を通そうという努力が窺える。いずれ両党はマニフェストを発表するだろうが、それぞれの理念とビジョンに基づいた体系性のある政策を示してもらいたいものである。

有権者は理性だけでは動かない。だが、政党がきっちりとしたマニフェストを示すならば、それを理性的に判断して選択するのが日本の民主主義の発展には重要である。そうしないかぎり、マニフェストは意味のないものになってしまい、有権者は政権選択の重要な指針を喪失する。

選挙の結果は、麻生になるか小沢になるかはわからない。明らかなのは、いずれになっても総選挙後こそがわが国の正念場、ということだ。

麻生が勝てば、与党としての正統性をアップデートできるが、「ねじれ」がある以上、世論の「罠」で停滞した福田政権とは異なるにせよ、そのビジョンと政策 を推し進めるにはそうとうの抵抗が予想される。小沢が勝てば「ねじれ」はなくなるが、彼のビジョンと政策がそのまま実行されることにはまだ不安がある。

どちらになっても日本丸の進路は険しいわけだが、それに業を煮やした勢力が自民と民主のバランスを崩す行動に出るかもしれない。政界再編などやっている時間的余裕はないようにも思えるが、それが日本を危機的状況から救う近道のようにもみえる。(文中敬称略)





常務取締役・国家経営研究本部長

永久 寿夫 (ながひさ・としお)

専門分野 【 政治問題 】

日本の政治行政制度、政治プロセス、公共政策、国政・地方選挙などの分析・研究を通じ、問題提起や政策提言を行なっている。


常務取締役・国家経営研究本部長 永久寿夫

経歴

  1982年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同年PHP総合研究所入社。88年、スタンフォード大学にてロシア・東欧学修士号(A.M.)取得。94 年、カリフォルニア大学(UCLA)にて政治学博士号(Ph.D.)取得。国家経営研究部長などを経て、現在に至る。杉並区行政評価検討委員会委員、神奈 川県「21世紀の県政を考える懇談会」委員、内閣府国際青年育成事業ハンガリー派遣団団長、東京外国語大学非常勤講師、熱海市行財政改革会議委員などを歴 任。NPO法人パンゲア理事、PHPマニフェスト検証委員会事務局長、「世界を考える京都座会」事務局長、「次代を考える東京座会」メンバーを務める。メ ルマガ『PHPリサーチニュース』でコラムを連載中。

【 主な著書 】

『二十一世紀日本国憲法私案 新しい時代にあった国づくりのために』(江口克彦・永久寿夫編著 PHP研究所)

『こんなのはじめて!スラスラ読める「日本政治原論」』(永久寿夫著 PHP研究所)

『世界はこうして財政を立て直した-9カ国の成功事例を徹底研究-』(林宏昭・永久寿夫編著 PHP研究所)

・ 『いま「首相公選」を考える』(弘文堂編集部編)

・ 『地方分権への道標』(静岡県編)

・ 『日本の安全保障と憲法』(加藤秀治郎編 南窓社)

・ 『国際政治学の基礎知識』(加藤秀治郎・渡辺啓貴編 芦書房)

『ゲーム理論の政治経済学――選挙制度と防衛政策』(PHP研究所)

【 近年の雑誌論文 】

・ 「もはや自民も民主も不要!」『Voice』(PHP研究所)2008年7月号

・ 「北海道道州制特区の悲惨」『Voice』(PHP研究所)2008年2月号

・ 「安倍政権へ『15の提言』」『Voice』(PHP研究所)2006年12月号

・ 「日本外交の新基軸は何か」 『改革者』(政策研究フォーラム)2005年3月号

・ 「二十一世紀日本国憲法私案」『Voice』(PHP研究所)2004年12月号

【 その他 】

・NEWS23、サンデー・モーニング、ブロードキャスター(TBS)、スーパーニュース(フジテレビ)、報道ステーション(テレビ朝日)、Channel News Asia(シンガポールTV)、夜エクスプレス(日経CNBC)など。



ちくちくやりながら、結論出さない辺りは、流石だおね。

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