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水曜日, 12月 31, 2008

2009年の世界経済 回復に必要な3つの優先事項


フィナンシャル・タイムズ 2008年12月30日(火)13:00
(フィナンシャル・タイムズ 2008年12月28日初出 翻訳gooニュース) ヴォルフガング・ミュンヒャウ
 2009年の経済を予測するのは、簡単でもあるし難しくもある。米国や欧州やアジアのほとんどにとって、ひどい年になるだろうと予測するのは簡単なこと だ。先進工業国は各国連動してひどい景気後退に陥るだろう。世界的な国内総生産(GDP)もおそらく1930年代以来初めて、縮小するだろう。これを避け たくても、私たちにできることはあまりない。
 来年の経済予測で難しいのは、政策決定者たちがどこまで実行できるかどうかだ。不況がいよいよ恐慌にまで悪化するのを回避し、2010年からの持続可能な 回復のための基礎づくりができるのかどうか、予測するのは難しい。これについて私がほぼ確信をもって予測できるのはただ、各国政府の対策がとても重要性を 増すだろうということのみだ。
 今の経済をどんどん悪化させているマイナスの力は、「デレバレッジ(レバレッジ解消)」。それは分かっている。借金過多の家計や資金不足の銀行が、賃借対 照表(バランスシート)を調整しているのだ。借金過多の家計の場合は、貯蓄することで。資金不足の銀行の場合は、貸し出しを抑制することで。このプロセス がほぼ完了するまで、持続的な経済回復などあり得ようもない。
 その段階に至るまでにはまだかなりかかる。たとえば私の計算では、長期的な価格推移に立ち返り、住宅価格/家賃比率がもっと持続可能な水準に回復するに は、米国住宅市場の実勢価格が最高値から最安値まで40~50%の幅でぐるりと一巡する必要がある。私たちはこのプロセスの真ん中あたりまでやってきた。 幸いなことに、ほとんどの名目調整は2009年末か2010年初頭までには終わるだろう。
 しかし金融セクターについて私はもっと悲観的だ。金融セクターもやはりレバレッジを減らしてはいるが、さらに大量の公的資金の注入がなければ、持続可能な ポジションを素早く回復することはできないだろう。しかしそのためには、大々的かつ根本的な再構築が必要となり、それには時間もかかる。
 こうやってざっくりまとめた概観をもとに結論すると、2009年に優先するべき政策課題は3つある。各国の中央銀行はデフレを回避しなくてはならない―― というのが、一つ目の優先事項だ。中央銀行は今この時こそ、物価安定を目指さなくてはならない。物価安定とここで言うのは、欧州的な意味合いでだ。つま り、年率2~3%という小幅ではあるが確実にプラスなインフレ基調を確保しなくてはならないという意味だ。実施されている諸政策の規模や威力を思えば、各 国の中央銀行はこれを達成するだろうと思う。
 しかし私が心配なのは米国で、米国はかなり後になってからインフレ率を上げようとするのではないだろうか。そうすれば米国の財政赤字の実質水準は減るけれ ども、為替レートや資金フローなどの面でとてつもない歪みが生じ、ひいては新たな国際金融・経済危機を引き起こしてしまう
 ふたつ目の優先事項は、金融セクターを縮小することだ。金融部門が無秩序に破たんなどしたら、それは壊滅的な状況となるが、だからといって今の過剰な規模 で金融部門がこのまま持続することは、望ましくもなければ可能でもない。たとえば、債務不履行のリスクを保証する金融商品「クレジット・デフォルト・ス ワップ(CDS)」の市場はどうだ。国際金融の安定に対するとてつもないリスクをはらみながら、市場参加者が金儲けできるという以外に何の経済的な意義も ない、50兆~60兆ドル規模の無規制なカジノではないか。私は原理原則として、経済的な意義のあるなしに基づいて金融活動を規制しても構わないと思って いる。経済的な観点でいうと、CDSは保証としての機能を果たしているので、だったら保証として扱い規制すればいい(そうしたらもちろん、CDSは機能し なくなるのだが)。
 さらに言えば、当局は金融業界をあまり事細かに規制しようとしない方がいい。そんなことをしても、規制当局が負けるに決まっている。ガチガチに決められた 規制ルールの適用を回避するために、既存の金融手段を使ったり新しいのを作ったりすることにかけて、金融セクターは実に長けている。それよりも注力すべき なのは、「倒産するには大きすぎる」などという銀行を分割すること。あるいは、一国の金融部門の規模を、その国のGDP規模に見合ったものに縮小すること だ。特に、国の経済規模の何倍にもふくれあがった銀行部門の債務高を国が保証するなど、止めるべきだ。
 今起きているのは世界的な危機で、危機の余波も様々な形で世界中のあちこちで派生する。だからこそ、対策は世界レベルで調整しなくてはならない。これが3つ目の、そしておそらく最重要な優先事項だ。
 バラク・オバマ次期米大統領の経済チームから聞きたいのは、刺激策の総額が7000億ドルになるのか8500億ドルになるのかという狭量な議論でもなけれ ば、それをどういう事業に使うかと言う議論でもない。私がそれよりも知りたいのは、アメリカの新政権が、共同戦略にどうやって欧州や中国を取り込むつもり なのかということだ。
 一方で各国政府は、インフラ整備や教育にこれまで以上に資金をつぎ込むような真似はしないほうがいい。そうすれば何かの解決につながると期待してのことかもしれないが、そこで解決される問題は、私たちが今すぐ直ちに解決しなくてはならない問題とは違う。
 それに今のところ、本当の意味での政策協調が見えていない。これは諸外国との協調がなければ検討もしなかっただろう政策を、実施するという意味での政策協 調だ。少なくとも欧州では現在、政策協調プロセスは逆のベクトルで動く。つまり各国政府がそれぞれ単独に、自分が何をやりたいか決めた後、欧州連合 (EU)のレベルに持っていって「政策協調」という外見を整えるのだ。
 経済が大破局を迎えるという、ありえそうなシナリオを組み立てるのは難しいことではない。これから並べる展開のいくつかを選んで組み合わせれば、現代史のあらゆる記録を塗り替えるひどい恐慌に見舞われるかもしれない――。
 ・世界的な保護主義の台頭
 ・各国が競い合って通貨を切り下げ
 ・ポンド危機
 ・中国の政情不安につながる社会不安
 ・ここぞというタイミングで起きるテロ攻撃
 ・ユーロ圏の指導者たちがいつまでも協調を拒否し続ける
 ・ユーロ圏の大国で支払い不履行が起きる
 ・新興市場の急落
 ・各国の金融政策がいつまでたっても協調されない
 ・CDS市場が破たん
 このほか言うまでもなく、巨大な国際的金融機関が債務不履行に陥ったり、ヘッジファンド業界が壊滅したりしたら、それはもちろん見逃せない事態となる。
 あるいはこうして破局を迎えるのではない、別の道もある。つまり、2009年不況の拡大をなんとか押さえ込んで、その間に派手さはないが着実で持続可能な回復の基礎をひたすら敷いていくことだ。それこそが、最良の展開だ。
 しかしそのためにはまず、国際経済とはそれを構成する各パーツの単純な総和ではない、それ以上のものなのだと認識する必要がある。ということは各国の政策 決定者はもっと賢くなり、協力し合い、そして既成概念にとらわれない自由で新しい発想をする必要がある。しかし政策決定者というのは元来、そういう風には 動かないもの。そこが問題なのだ。


よくわからん....。

月曜日, 12月 29, 2008

FTが選ぶ今年の人=バラク・オバマ


フィナンシャル・タイムズ 2008年12月29日(月)12:43
(フィナンシャル・タイムズ 2008年12月23日初出 翻訳gooニュース) エドワード・ルース
 2冊目の著作「Audacity of Hope (邦題「合衆国再生」)」の中でバラク・オバマは、「政治的立場の大きく異なる人たちが、それぞれの考えを私という真っ白なスクリーンに投影する」と書い ている。そういう曖昧模糊としたバラク・オバマ像は、間もなく消えてなくなるのかもしれない。
 リベラルは彼をリベラルと呼び、中道派は彼を中道派と呼び、共和党の穏健派は オバマ氏を真に超党派な存在だと評価してきた。それだけにオバマ氏は2009年1月20日に宣誓就任してから比較的すぐに、それまで自分を評価してくれた 人たちの一部を立腹させてしまうに違いない。しかしオバマ氏をよく知る人たちでも、 新大統領が真先にどの主義主張のグループを怒らせる羽目になるのか、見当がつけられずにいる。
 「統治するとはすなわち、選択することだ」 クリントン政権の補佐官だったビル・ガルストン氏はこう言う。「オバマの心理状態について疑問があるとすれ ば、それは不人気をどこまで我慢できるのかという点だ。人気と引き換えにしてでも厳しい選択をする覚悟がどれだけあるのか。これまでのところ彼はもっぱ ら、そういう局面を回避できてきたので」
 オバマ氏のこれまでの公職生活からは、超党派な行動を直感的に選ぶ政治家の姿がはっきりと見て取れる。本能的に党派対立を避け、たとえ面倒でも手間暇をか けて対決を避けるという、そういう姿が印象的だ。オバマ氏とはそういう人物だという、そのイメージが最初に米国民の目に留まったのは、2004年の民主党 大会。まだ無名だったイリノイ州議会議員が「赤い州と青い州と『合州国』のアメリカ」と演説した時のこと。そしてオバマ氏のそういうイメージは、歴史的な 勝利に大きく貢献したのだった。
 フィナンシャル・タイムズはそのバラク・オバマ氏を、2008年の「今年の人」に選んだ。理由は、実に見事な大統領選を展開したから。選挙戦を通して、頭 から疑ってかかって否定する声に昂然と立ち向かい、国民を奮い立たせ、アメリカ民主主義のたくましさに信頼を回復させたからだ。
 アメリカ有権者のほとんどは「超党派」という言葉が好きだ。オバマ氏はそれをとらえて、「超党派的イメージ」というものを政治的なアート作品、芸術の域に 達するものにまで高めて見せた。民主党にとって1964年以来という圧勝で大統領選に勝利した直後、栄光の極みに上り詰めたと思われる瞬間にも、オバマ氏 はシカゴのグラントパークで、いわゆる「議会通路を越えた反対側」に手を差し伸べてみせた。「この国の政治をあまりにも長いこと毒で満たしてきた、相変わ らずの党派対立やくだらない諍いや未熟さに再び落ちてしまわないよう、その誘惑と戦いましょう」とオバマ氏はあの夜、演説した。「民主党は確かに今夜、大 きな勝利を獲得しましたが、私たちはいささか謙虚に、そして決意を持って、この国の前進を阻んでいた分断を癒すつもりです」と。
 このテーマは、オバマ氏の人生から直接生まれてきたものだ。最初の自伝「Dreams From My Father (邦題「マイ・ドリーム」)」はハワイとインドネシアで過ごした少年時代から始まり、やがて「ハーバード・ロー・レビュー」初のアフリカ系編集長に選ばれ るまでの歳月を描いている。そしてその中でも、対立を避け相手に手を差し伸べるというオバマ氏の生涯のテーマが示されている。
 オバマ氏はこれまで生きてきた節目節目で、ことあるごとに、対立する意見を組み合わせてより良いものを導き出すという、実に稀有で、知的に見事な才能を繰 り返し披露してきた。しかし大統領になってからもこれを続けるのは大変なことだろう。本人が語っているように、新大統領が受け継ぐのは、2つの戦争と、歴 史的な経済・金融危機と、地球温暖化で危機にさらされる地球なのだ。
 「私たちが直面する課題は、あまりにも重大で、あまりにも途方もない。なので私たちは何が大事なのかを選択していくより仕方がない」 デビッド・アクセル ロッド氏はこう言う。オバマ氏の選挙戦略担当で、近くホワイトハウスでも大統領の上級顧問となる同氏は、「成果を着実に挙げていくためには、自分が積み上 げてきた政治的資産をバラク・オバマは惜しげもなく使うだろう。それは確実だ」と話す。
 しかし本当にそうだろうかと疑う人もいる。雑誌「ハーパーズ」の最新号で、 ニューヨーク・ニュースクール大学のサイモン・クリッチリー教授(哲学)はこう書いている。「バラク・オバマが何者なのか、私には全くもってつかめない。 これはとても奇妙なことだ。彼の言うことを聞けば聞くほど、読めば読むほど、曖昧模糊とした分かりにくさはいや増すばかりだ。(中略) この男はいったい 誰なのだ?」
 歴史学者で作家でもあるダイアナ・シーツさんは独自の、そしてこれまであまり言われたことのない説明をしている。シーツさんいわくオバマ氏はアメリカ初の 「ポストモダンな大統領」になるのだそうだ。そしてシーツさんいわくオバマ氏は、有色人種の学生を優遇するアメリカの「ポリティカリー・コレクト(政治的 に正しい)」な大学システムの典型的な産物なのだという。「ハーバード・ロー・レビュー」の編集長時代にオバマ氏が何も論文を発表しなかったのは、何か特 定の問題について特定の立場に立って主張すれば、政治家になった暁に、特定グループの有権者の支持を得られなくなるからだ——というのが、シーツさんの見 解だ。
 「バラク・オバマは素晴らしい人だ。けれども同時にいかにも典型的な、現代アメリカの大学教授的な人でもある。つまり、今のアメリカの大学で学者にとって 大切なのは、終身地位を獲得するために、何か特定の強い主張をしないことであって、そういう大学世界の一員になるということは、あらゆる真実は相対的であ るという考えを受け入れるということだ。またアメリカの大学というのは、アイデンティティーを傷つけられたと不満を抱いている人たちの坩堝(るつぼ)だ。 そういう側面が、大統領に好ましいとは思えない」
 こういう意見のシーツさんはごくごく少数派だ。世論調査によると、オバマ氏は記録的なほどの国民の支持を集めて就任する。70~80%もの支持率を掲げて ホワイトハウス入りする次期大統領など、これまでになかったことだ。次期大統領は77日間の移行期間を使って次期政権の閣僚を次々と指名しているわけだ が、その間にもオバマ氏の支持率は上がり続けている。
 政権移行期間に支持率が上がり続けている理由のひとつは、オバマ氏がこれまで政権幹部に選んできた顔ぶれが総じて、超党派的な匂いがするからだ。オバマ氏 が熱心に読んでいるからと有名になったドリス・カーンズ・グッドウィン著「Team of Rivals」では、南北戦争を戦ったリンカーン大統領が、あらゆる主張や対立意見の持ち主を政権に多数登用した様子を描いている。オバマ氏はこれを参考 に政権作りをしているとされるだけに、その閣僚人事が「オバマ大統領」の政治スタイルのヒントとなるのだろう。
 オバマ政権には、現共和党政権下の国防長官ロバート・ゲーツ氏が留任する。また民主党の大統領候補指名を激しく争ったヒラリー・クリントン氏が入閣する。 素晴らしく有能だが辛らつ極まりない元財務長官、ローレンス・サマーズ氏も政権入りするし、政治との関わりを避けてきた元海兵隊のジム・ジョーンズ大将も 大統領補佐官となる。
 一部のリベラルは裏切られたと感じていて、もっと左寄りな人たちはもっとランクの低い閣僚ポストしか与えられていないと指摘する。けれどもその言い分は、大事なポイントを見逃しているかもしれない。
 「イラクの戦争を終らせたいなら、もじゃもじゃ頭のリベラルたちを選んで終戦までのプロセスを任せるか? それとも可能な限りとことん有能で、信頼されて いる、国家安全保障のプロを集めるか? 頭がよくて自分に自信のある人なら——そしてオバマ氏は余りあるほど頭が良くて自信もたっぷりある——、後者を選 ぶはずだ」 前出のガルストン氏はこう言う。
 オバマ氏による経済関係の人選にも、同じようなことが言える。国家経済会議(NEC)の議長となるサマーズ氏も、財務長官となるティム・ガイ トナー氏も、共に中道派と見なされている。しかしエコノミストたちが言う「中道」というのは、ここ2年の間に一気に左寄りに傾斜した。特に今年9月に金融 危機が始まって以来は、ことのほかそうだ。
 オバマ政権入りが決まるまでフィナンシャル・タイムズにコラムを寄稿していたサマーズ氏は、その中で「市場が必要以上に動いてオーバーシュートしているな ら、政策決定者もそうしなくてはならない」と書いていた。その結果、オバマ氏が来月発表するはずの包括的な財政刺激策は、記録的な8500億ドル (約85兆円)規模かそれ以上になると見られている。「経済については、オバマはアメリカを左に持っていくだろう。クリントン時代に比べても、さらに左に いくはずだ。状況がそれを求めている」 選挙中に一時、オバマ陣営顧問だった人はこう言う。
 オバマ氏の様々な資質の中で最も高く評価されているのは、その沈着冷静ぶりかもしれない。常に落ち着きはらったその冷静さがあったからこそ、国際金融危機の対策を任せて信頼できるのは、何かと短気なジョン・マケインよりもオバマの方だと、多くの有権者を説得できたのだ。
 そのオバマ氏がリンカーン大統領と並んで尊敬しているのは、フランクリン・D・ルーズベルト(FDR)大統領。ルーズベルト大統領はその「一流の気質」に よって、就任直後の100日間をかつてないほど生産的なものにしたと言われる。ルーズベルト大統領にその落ち着きぶりをしばし比較されるオバマ氏だけあっ て、オバマ氏が声を荒げた場面など誰も覚えていないのだそうだ。
 オバマ氏の親しい友人で、ホワイトハウスで上級顧問となることが決まっているバレリー・ジャレット氏はこう言う。「彼が腹を立てる姿を見たことがない。素 晴らしい資質だ」と。前出の側近アクセルロッド氏は、オバマ氏が備えている「内面の静謐」を、大統領として理想の資質だと話す。「周りのみんなが 興奮してわけが分からなくなっているときでも、彼は落ち着いている」とアクセルロッド氏は言う。「大統領選本選の渦中で決定的だったのは、リーマン破綻か ら1回目の大統領討論会までの9日間だった。あのとき初めてアメリカ国民も、オバマの沈着冷静ぶりを目の当たりにすることになった」
 それでもやはり、オバマ氏のこうしたソクラテスもかくやといわんばかりの資質が果して、危機を前にしてどうなのだろうかと危惧する声もある。次期副大統領 となったジョー・バイデン氏は選挙の最中に、オバマ氏は就任から6カ月以内に国際危機に見舞われ、大統領としての資質を試されるだろうと発言した。つ まりイランやベネズエラや北朝鮮など、オバマ政権と敵対するかもしれない国々は、オバマ氏に弱点を見いだしているかもしれないと示唆したのだ。
 対照的にジョージ・W・ブッシュ大統領は、相次ぐ危機に本能的に反応していった。それはブッシュ大統領の大きな欠点としてさかんに非難されるポイントなの だが、同時に一部のアメリカ人にとっては誇るべき勲章でもあった。しかしオバマ氏は、ブッシュ氏とはかなり違った「決断者」になるだろう。大統領選中にロ シアがグルジアを進 攻した際、共和党候補のマケイン氏は「われわれは皆、グルジア人だ」と宣言するなど、実に好戦的でやる気満々だった。そして保守層はオバマ氏を「弱腰」 「反応が遅い」 と口々に非難したものだ。
 しかしロシア進攻の引き金となったグルジア側の行動について様々な新事実が明らかになった今となっては、当時のオバマ氏の慎重な発言内容の方が、 評価できるものに思えてくる。さらにオバマ氏はやはり9月当時、マケイン氏の先導にならって、7000億ドルもの不良債権救済策に賛同しなかったためさか んに攻撃された。しかしこれもその後は、何の役にも立たない対策をかき集めただけのものとひどく批判されている。
 言い換えれば、「オバマは危機に際して弱腰だ」と批判しようとする勢力が具体的な事例として挙げる証拠のいちいちは、どれも批判への反論に使える材料に なってしまうということだ。もっと内実のある批判をするなら、オバマ氏は正しいことをするよりも対決回避を優先しがちだという批判の方が有効だ。共和党の リンゼー・グレアム上院議員が特に鋭く的を射た批判をしているのだが、それはオバマ氏が2006年、超党派の移民法不成立に「貢献」したときのこと。一部 の移民を「ゲスト」労働者として受け入れる条項を含んでいたこの法案に、労働者団体が反対したため、オバマ氏は「安物のスーツみ たいにクタクタとしおれていった」とグレアム議員は言うのだ。
 イリノイ州議会議員としての8年間で、オバマ氏は100以上の条例案について「賛成」でも「反対」でもなく、ただ「出席」と投票しており、これもやはり批 判された。しかもこのうち36回については、「出席」票はオバマ氏のみだった。しかし最近になってイリノイ州のロッド・ブラゴイェビッチ知事が汚職の罪で 起訴されたことからも分かるように、シカゴ政治という泥沼からオバマ氏のように何の汚点もなく浮上するというのは、並大抵のことではないのだ。シカゴ政界 で犯し得た他のあまたの罪科からしたら、「出席」と投票したことくらい、ささいな問題のように思える。
 自著「Audacity of Hope」の中でオバマ氏は、「名声の落とし穴や、人に好かれようという欲求、失うことへの恐怖からどうやって逃れればいい。どうやったら、私たちの最奥 にある誠心を常に思い起こさせてくれる、私たちの内なるあの比類なき声、あの一握りの真実を、失わずにいられるものか」と書いている。
 その答えは、大方の予想よりも早く訪れるのかもしれない。オバマ氏はおそらく就任早々から、いくつもの重大な決断を連続して余儀なくされるだろうから。就 任当初の100日をどう過ごすつもりか、そのヒントはすでにはっきりと提示されている。今の経済危機のせいで、オバマ氏が選挙戦中に公約していた、金のか かる様々な改革案(健康保険改革やインフラ整備など)は棚上げされるのではという見方とは裏腹に、実は今回の危機は、そうした改革案の実施を前倒しする チャンスではないかという見方もある。「ビッグバン」手法とも呼ばれるそのやり方を実施すれば、オバマ政権の最初の100日間は、FDR政権の最 初の100日にも匹敵するものになり得る。
 「危機はチャンスにもなり得ると、オバマは承知している」とアクセルロッド氏は言う。「角を曲がればすぐ先に、色々とびっくりする展開が待っている。今に分かりますよ」と。


そか....。

月曜日, 10月 27, 2008

営業再開 選挙後の米国に新しい資本主義が?

フィナンシャル・タイムズ
(フィナンシャル・タイムズ 2008年10月15日初出 翻訳gooニュース)
クライヴ・クルック

1930年代以来最悪の金融危機が米国を本格的に襲った今年夏のずっと前から、米国はイデオロギーの変換期にさしか かっている様子だった。ジョージ・W・ブッシュ大統領の政権はひどく不人気だったし、アンチ自由貿易、アンチ・ビジネスの国民感情は高まっていたし、民 主・共和両党ともそれぞれ違うやり方で、こうした変化に対応していた。

ビル・クリントン前大統領と、民主党改革を掲げた新進気鋭の「ニュー・デモクラット」たちはその昔、自由市場重視でテクノクラート中心のリベラリズムを推 進した。しかし今年のバラク・オバマ民主党候補の選挙戦では、こうした市場重視型リベラリズムはすでに影を潜めている。米国の経済苦境が深まるにつれて、 「市場主義」というテーマは下火になったどころか、消えつくしてしまった。オバマ氏はもはや競争やインセンティブの重要性を呼びかけるよりも、「金持ちか ら富が下に滴り落ちる」仕組み重視の経済がいかに破綻したかを力説することになる。
共和党のジョン・マケイン候補も、オバマ氏に負けず劣らず、「ウォール街の強欲」を激しく批判している。ブッシュ政 権はその間、国内金融機関に総額2500億ドル(約26兆円)を投入(ポールソン財務長官はこの施策を「好ましくはない」が必要なものだと評価した)。 ブッシュ政権も、それまで表向きしがみついていた市場原理主義や規制緩和のお題目を、ついに諦めることになった。

これから先はどうなるのか? 今回の金融混乱は、一部の識者が指摘するように、いわゆる「アメリカ的」な資本主義そのものの終りを指し示すものなのか?  全体を見渡せばこれは、ありえないように思える。しかしそれでも、いわゆる「アメリカは特別な国」という発想は、かつてないほど激しく揺さぶられている。
金融危機がこれからさらに展開していく中で、誰が大統領になろうとも、米国金融は大変化するだろう。こう予測しても 問題はあるまい。規制強化された金融システムでは、体力が弱く破綻しつつある金融機関は、まだそれほど弱っていない金融機関に吸収されていく。監視監督の 仕組みは今までよりも簡潔で包括的なものとなり、権限は明確化され、監督当局の数は絞り込まれるだろう。

金融規制のルールそのものがどれだけ厄介なものになるかは、もっと予測が難しい。今回の金融破綻は「規制緩和」のせ いだとさかんに言われている。だからと言って、以前のような強い規制でがんじがらめの仕組みを、ただそのまま復活させればいいというものでもない。かつて 預金金利の上限を設定した「レギュレーションQ」を復活させようという声は聞こえてこないし、「グラス・スティーガル法」の復活を求める意見もない(銀行 の証券引受業務や株式の売買を禁止するなど、銀行業務と証券業務の分離を定めた同法がもしあったなら、バンク・オブ・アメリカによるメリル・リンチ買収 や、JPモルガン・チェースによるベア・スターンズ買収は、禁止されていたはずだ)。
今よりもっと優れた規制が必要なのは明らかだが、規制の仕組みを作り出すのは、これまでの歴史が示すように、難しい作業だ。「市場は間違う」と言ってみたところで、それは確かに正しいのだが、解決にはならないからだ。
いずれにしても、金融とは特別なものだ。金融規制に新たな姿勢で取り組むことそれ自体は、アメリカ式資本主義の終焉 を意味したりしない。危機がそこまで波及するには、もっと大きな変化が必要だ。たとえば経済全般における政府の役割が変化し、財政支出の規模や課税規模が 変化し、社会的なセーフティネットをどう提供すべきかという意識が変化し、富を再配分すべきかという意識が変化しなくてはならない。要するに、新たな社会 契約が必要なのだ。そんなことが果たして考えられるだろうか?

もちろんだ。大恐慌から生み出されたのは「ニューディール」という、新しい社会契約の形だった。今回も、同じような 展開をはなから度外視するのは愚か過ぎる。現在の危機は、政府による新たな介入をますます求めている。多くのエコノミストは、景気循環に対抗するために も、長期成長のきっかけを作るためにも、インフラ整備に支出すべきだと主張している。失業者が増え、国民の所得が減れば、社会の不平等に対する不満感がい や増すことになる。米国世論はかつてないほど、国民皆医療保険を支持するかもしれないし、たとえば高額所得者への増税をも支持するかもしれない。

こういう国民感情によって、アメリカ式資本主義は変身するかもしれないし、一気に終息して過去のものに成り果てるかもしれない。こういう国民感情があれば こそ、オバマ氏はおそらくホワイトハウス入りするのだろうし、連邦議会の民主党支配も、より強固なものになるのかもしれない。流れの勢いはあまりに強く、 そのため世論調査の専門家たちは、「地すべり的圧勝」の可能性さえ口にし始めた。ひょっとしたら、大統領の拒否権をも覆すことのできる、3分の2以上とい う圧倒多数を民主党が上院で確保するかもしれないと、そこまで言われ始めたのだ。
さらに現在の危機は、長期間かけて進行しつつある米国民の態度変化の方向性とも合致しているかもしれない。米国の世 論調査機関ピュー・リサーチ・センターによると、「自分たちの国は持てる者と持たざる者とに分断されている」と考える米国民が、次第に増えているという。 米国がそうやって分断していると答える人は、1988年には約4分の1だった。それが2007年には、約半分に増えていた。同様に、1988年には約 60%の回答者が自分は「持てる者」だと答えていたのに対し、今回の金融危機が始まる前の2007年時点ですでに、自分は「持てる者」だと答える人は 45%に減っていた。
米国社会は分断されているという認識は高まりつつある。そして多くの人が、自分は損する側に立たされていると感じる ようになっている。この傾向は、共和党支持者でも民主党支持者でも同じだし、大学進学した人でもそうでない人でも同じだ。調査データをどう縦横斜めに切り 取っても同じで、老若男女すべてのグループでほとんどの人が、同じように感じているのだ。この期間、インフレ修正後の収入伸び率は(最富裕層を除いて)す べての所得グループにとって比較的鈍かった。これに加えて、多くの中流世帯にとって支出の大部分を占める医療費や大学の学費が急騰したことも、「自分たち の暮らし向きはなかなか良くならない」という多くの米国人の思いを増幅させた。

一方でこの間、主だった金融関係者(投資ファンドのパートナーやヘッジファンドのマネージャー、破綻しかかっている 銀行のCEOなどなど)の収入は驚くほど巨額になり、そのとてつもなさはさかんに報道され、そして「とんでもないことだ」と広く国民の怒りを買った。米財 務省が最初に提示した金融救済案は、ウォール街の大金持ち連中に緊急避難のパラシュートを提供するに等しいと見なされ、すさまじいまで世論の抵抗に遭っ た。それはまさに、国民の怒りを浮き彫りにする反応だった。どうやら今のアメリカ国民は、金融業界の巨人たちを確実に大いに苦しめるためなら自分たちが少 し苦しい思いをするのも厭わないと、そういう気持ちでいるらしい。こういう態度はアメリカ的というよりは、旧ソ連を彷彿とさせる。
専門家たちによると、ルーズベルト大統領の「ニュー・ディール」政策が、結果として米国に欧州型の社会主義を定着さ せることにならなかったのは、第2次世界大戦後の好景気の影響だという。戦後の好景気が実に多くの米国民に、生活レベル向上の機会を与えたからだと言われ ているのだ。生産力は急激に拡大し、その恩恵を多くの国民が共有した。高等教育も急激に広まり、それに伴い生まれた優れた労働力とあいまって、「チャン ス」というアメリカン・ドリームの維持に貢献した。ほとんどの人は自分の生活レベルがどんどん良くなっていくのを実感し、自分の子供たちは自分よりもさら に良い暮らしができるはずだと、根拠をもって確信していた。

そんな時代は、もう終った。生活レベルは横ばいを続けている。次の10年間で、労働市場を去っていく大卒者の数が、新たに労働市場に入っていく大卒者の数を上回ることになる。米国経済の流動性は今でもすでに、多くの欧州諸国を下回っている。

こうした諸々のことは、住宅市場の低迷とその後に続いた金融危機が起きる前から進行していた。そしてその上に重なる ようにして、住宅市場が破綻し金融危機が起きて、ほとんどの米中流世帯の預金(ほとんどの場合は住宅担保ローンという形をとっていた)が危うくなり、 ウォール街の「強欲は良いことだ」と唱える商人たちを救済するために7000億ドルものの命綱を投げてやる羽目になった。こういう状況で、新たな社会契約 などありうるのかって? もちろんだ(You bet)。

にもかかわらず、反対方向へと強力に押し出す力もある。ピュー・リサーチ・センターを始め、過去数年にわたる複数の 調査結果は一貫して「欧州市民よりも米市民の方が、自分の経済的失敗やその他の失敗は、社会の責任ではなく個人の責任だと捉えがちだ」という傾向を示して いる。これは未だにそうらしい。経済的成功のチャンスと言うアメリカン・ドリームが消え失せつつあっても、「個人の責任」を重視する姿勢は変わらず強固 だ。というよりもむしろ、そういう傾向があるからこそ、金融救済案に国民があれだけ反発した理由がよく分かる。多くのアメリカ人は、救済に値しないウォー ル・ストリートの住人に怒っているだけではなく、救済に値しないメーン・ストリート(金融業界以外の一般市民)にも向けられているのだから(「私は、返済 できる範囲内の住宅ローンしか借りなかった。借金しすぎた連中を、どうして私が助けてやらなきゃならないんだ」)。
「社会民主主義のアメリカ」に向かおうとする流れをせきとめる、もうひとつの大きな要素は、財政だ。ブッシュ政権の 遺産のひとつに、構造的な財政赤字がある。社会保障年金やメディケア(高齢者向け医療保険)のコストなど、長期的に財政を圧迫する諸問題は、途方もなく大 きい。さらに短期的には、景気後退のせいで税基盤が縮小するため、歳入を超えた歳出を重ねてしまうことになる。そしてさらにその上に、金融機関救済の費用 がかかるというわけだ。

現行の金融救済パッケージのコストは、7000億ドル以下に抑えられそうだ。財務省が買い上げた資産や証券からの払 い戻しによって、いくらかは回収できると期待されているからだ。しかしそれでも、かかるコストは巨大な額になるだろう。利益が回収できるようになるまでの 間、救済策の費用は全部支払わなくてはならないし、そもそも現行の救済策は第一陣に過ぎないのだ。来年早々にも追加刺激策が導入されるだろうし、銀行の資 本再構成やその他の危機管理施策がさらに必要だとなれば、現時点で予定されている以上の費用がさらにかかるだろう。

こうしたことに加えて、もしオバマ政権が発足するとなれば、金のかかる大規模な政府事業の計画をたくさん抱えてホワイトハウスに乗り込んでいくことにな る。安い大学の学費実現、学校予算の拡大、最新の電力供給網など新しいインフラ整備、化石燃料以外の代替燃料支援、ほぼ皆国民に近い医療保険制度の実現な どだ。最初の大統領討論会で、司会はオバマ氏に繰り返し、これまで公約してきたこうした新規事業のうち、金融危機によってどれを諦めなくてはならないかと 質問していた。オバマ氏は、明確に答えようとしなかった。ただ目標を繰り返しただけだった。(その後に討論会に臨んだ副大統領候補のジョー・バイデン上院 議員の方が、もう少しはっきりとこの質問に答えていた。バイデン候補は、対外援助を削減することになるかもしれないと述べていた)。オバマ氏はいまだに、 勤労世帯の95%には減税を実施すると約束している。
エコノミストの多くは、こうした施策は新しい短期的な景気刺激策と平行して、全て実施すべきだと指摘する。必要なの は需要拡大であって、だとすると、インフラ整備の投資に主眼を置いた新しい「ニュー・ディール」の必要性は否応なしに高まっているというのが、彼らエコノ ミストの主張だ。
インフラ整備事業の立案と実行には何年もかかることがあるので、景気循環への対抗策としてはめったに使われない。し かし今回は違うと、多くの専門家が言う。費用効率の高い優れた事業計画があちこちの州で、予算不足のせいで実施されずにいる。連邦政府から資金提供があれ ば、いくつもの優れた投資計画がただちに動き始める。そしてもし米国経済の景気後退が長引くのならば、公的資金の支払いによって何年かにわたって国民に雇 用を提供する計画は、対応策としてふさわしいものと言えるかもしれない。
しかしこれほどの巨額借金を必要とする事業に、世界の金融市場は拒否感を示すかもしれない。これは次の米政権の懸案 となるだろう。来年の米財政赤字は、1兆ドルを大幅に超える見通しだ。次の大統領がこれをまるで気にしていないわけもないだろうし、次の大統領は遅ればせ ながらでも、長期的な財政バランス回復のためにやる気を市場に示すことだろう。もしそうならなかったら、逆に驚くべきことだ。次の大統領は当然のことなが ら、色々な新規事業に支出したいと思っても、支出意欲を抑制せざるを得なくなるはずだ。
しかし最終的に歴史の評価を分けるのはほかのどの事業でもなく、医療保険改革の成否に尽きるのかもしれない。最新の 電力供給網の確立などといったインフラ整備事業は、最初の「ニュー・ディール」と似ているし、それぞれに意味のある投資事業だろう。けれどもアメリカにお ける資本主義の性質そのものを変えてしまうほどの影響はないかもしれないのだ。その一方で、もしもオバマ氏が当選したとして、財政圧力やその他の懸案事項 をおいてでも、彼が強い意志を持って、国民皆保険にほぼ等しい制度を実現したとする。そしてこれがさらに、(オバマ氏の想定どおりに)完全な皆保険制度へ と発展したとする。
これはアメリカ社会において、とてつもない変化だ。社会保障(ソーシャル・セキュリティー)年金制度が作られたとき と同じくらいの、大変化だ。国民皆保険が米国で実現されれば、社会保障の整備具合において米国と欧州の落差はほとんどなくなる。そして国民保険制度の長期 的なコストが国の財政にどう影響するかを考えれば、米国と欧州の税率ギャップもやがてほとんどなくなるかもしれない。

それでもアメリカの資本主義は、その特色を失うことはないだろう。アメリカ式資本主義というのは、競争意欲や創意工 夫の精神から生まれ出る。そしてアメリカという骨身に刻みこまれているかのような、ひたむきな勤勉の精神から湧き出るものだ。こうした意欲が、アメリカの 資本主義の特徴なのだ。

しかし今回の危機の結果、強力で意欲的なオバマ政権が誕生し、民主等優位な連邦議会が成立し、それによって野党の反対という従来の抑制が取り払われるのな ら、そこから大規模な医療保険改革が実現し、それがきっかけとなってアメリカ社会は大変身を遂げるかもしれない。今回の経済危機がもたらす最大で持続的な 変化とは、もしかしたらこういう形での社会の変化となるのかもしれない。アメリカは新しい社会契約を結ぶことになる。その結果アメリカは、それほど特別でもなければ特殊でもない国となるだろう。


」 アメリカの面白味が消えるってコト?

土曜日, 8月 02, 2008

日本の政局、膠着状態に直面

ちょっと楽しめる読み物だったんで、全文引用させてもらっちまいましょうか....

フィナンシャル・タイムズ 2007年8月2日(木)14:00

(フィナンシャル・タイムズ 2007年7月30日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

安倍晋三首相の初めての、そしてもしかして最後の、国政選挙で最も印象的だった姿は、首相のものではなかった。それよりもはるかに記憶に残ったのは、四面 楚歌状 態にある赤城徳彦農水相の姿。巨大なバンソウコウを顔中に貼って登場して、その異様な様子で記者団を仰天させた時の、あの姿だ。

安倍政権の信頼性を次から次へと侵食した政治とカネのスキャンダル。その最新版の中心にいた赤城氏は、どうしてバンソウコウを貼っているのか、顔をどうし たのか、 説明しようとしなかった。そもそも何か困ったことがあったのか、そのこと自体を認めようとしなかった。そしてひたすら、「何でもありません」と繰り返し た。

「満身創痍(まんしんそうい)」といったこのイメージは、29日の参院選で惨敗した安倍首相に実にふさわしい。一説によると今回の選 挙は、 1955年の自民党結党以来、最悪の敗北なのだそうだ。指導力に対する信頼がボロボロに失墜した安倍首相も(赤城氏同様)、「何でもありません」というフ リをするしかないところまで追い込まれた。首相は有権者の厳しい判断について「反省していかないといけない」と認める一方で、「基本的な政策は間違ってい なかったと思うし、国民のご理解をいただいている」と繰り返した。

しかし選挙結果をざっと見渡した限り、そういう風には全く見えない。選 挙結果によると自民党は、浮動層の多い東京、名古屋、大阪など大都市部で大きく敗退。それに加えて、自民党にとってさらに深刻なのは、農村部でも散々に敗 れていることだ。自民党があたかも永遠に選挙で勝ち続けるかのように見えていたのは、あくまでも農村部の支持基盤に下支えされていたからだというのに。

自民党は6年前、29ある1人区のうち25選挙区で圧勝したものだが、今回はわずか6勝。民主党は今回、農村地域の23県で勝利した。これはアメリカ政治 で言うなら、(ブッシュ大統領地元の)テキサス州で民主党が地滑り勝利を収めるようなもの。日本の民主党は、それと同じくらいありえない大勝を収めたの だ。

米コロンビア大学の日本専門家ジェラルド・カーティス教授は、安倍首相惨敗という今回の選挙結果から、3つの大きな疑問点が浮かび上がったと指摘する。 (1) 有権者はなぜ安倍首相にこれほどきつい罰を与えたのか。(2) 短期的そして中期的に、日本政治はどうなるのか。そして、(3) 政策への影響は何かあるのか——の3つだ。

有権者が怒った理由はいくつか推測できる。安倍内閣は発足当初から相次ぐスキャンダルまみれだった。閣僚2人が辞任し(訳注・8月2日現在で3人が辞 任)、1人はあろうことか汚職で追及された挙げ句に自殺した(この人の後任が、例のバンソウコウ だらけの赤城農水相だった)。これに加えて、年金記録問題が発覚。安倍首相の責任ではないことは明らかだが、役人の怠慢のせいで年金記録5千万件が行方不 明になり、何百万人もの老後の生活に影響が出るかもしれないと発覚した時、国民は怒ったのだ。

しかし、有権者が安倍政権に圧倒的な 「ノー」をつきつけた背景には、もっと深い理由がある。それはつまり前任者からの移行が、うまくいかなかったのだ。あの抜け目のないカリスマ的な小泉純一 郎氏から、比べてしまうと政治的な洞察力に乏しい安倍氏への引き継ぎが1年前、うまくいかなかったのだ。自民党の加藤紘一元幹事長は、今回の大敗の原因 は、小泉政治の負の遺産にあると話す。今回の選挙で起きたのは、小泉時代の経済改革に反発する国民の本格的な復讐であって、それに自民党がここまで痛めつ けられたのだと加藤氏は言う。

一見したところでは、加藤氏の分析は間違っているように見える。わずか2年前、小泉氏率いる自民党は総選挙で圧勝したのだし、昨年9月に首相を辞めた時、 小泉氏はまだまだとてつもなく高い支持率を獲得していたではないか。小泉氏が総理大臣だった5年間、日本経済は成長し続け、いわゆる「失われた10年間」 についに終止符を打つことができた。加えて小泉氏は、経済や社会に改革が必要だと訴え続けたし、少なくとも当時は多くの人が小泉氏による改革の呼び声をエ キサイティングなものだと受け止めていた。

それはどれもその通りだと、加藤氏は言う。しかし小泉氏がいなくなった今、小泉政治の遺産のあちこちが色あせて見え始めたと言うのだ。小泉改革の様々な施 策は農村部を痛めつけた。だからこそ今回の選挙で農村部が、自民党をとことん痛めつけたのだと加藤氏は言う。小泉改革は諸々の予算を削った。特に、産業の ない地方において貴重な雇用機会を提供していた公共工事の予算を大きく削った。地方交付税も削り、おかげで地方自治体は自分たちで独自に地元で税収をまか なうしかなくなった。この地方交付税削減に関係して(訳注・「三位一体改革」で税源が国から地方に移譲され)各地の住民税が引き上げられたわけだが、皮肉 なことに、有権者の多くは投票日の直前になっていきなり、自分たちの税金がはねあがっている事態に気づく羽目になった。


小泉氏は日本の経済危機を利用し、改革の必要性を国民に訴えた。とりわけドラマチックだったのは2005年の政局。あのとき小泉氏は、郵政民営化をめぐっ て有権者の圧倒的信任を自民党に取りつけることに成功した。「小泉改革には光と影の両側面があった」と加藤氏は言う。「小泉さんがそこにいれば、出し物と してずいぶんと面白かったが、小泉さんがいなくなった今、多くの人が小泉劇場の暗部に気づくようになった」

低所得地域の厳しい実情を、安倍首相はきちんと認識していなかったと加藤氏は批判する。たとえばかつては自民党の強固な牙城だった高知県が今回、民主党の 手に落ちた。日本全体で見ると有効求人倍率は1.06倍。つまり求職者100人に対して106件の求人がある計算だ。しかし日本列島4大島で最小の四国島 にある高知県では、求人倍率は0.48倍。つまり100人に対して仕事は48件しかないのだ。農村部の多くがそうだが、高知も人口に占める高齢者の比率が 非常に高い。若者たちはほとんどが仕事を求めて都市部に移住してしまっている。「こうした人たちの不満や苦しみを理解しようという姿勢が、安倍さんには見 られない」と加藤氏は言う。(訳注・加藤氏の日本語は全てgooニュースが英語から翻訳したもの)

コロンビア大学のカーティス教授もこの分析に同意する。「多くの人が小泉氏を支持したのは、その政策が好きだったからではない。日本人は小泉さんが好き だったから小泉さんを支持したのだ。小泉流の魔法が消えてしまった今、たくさんの不満や悲しみが残された。今回の選挙で農村部の有権者は、小泉改革に仕返 ししたのだ」

安倍首相は、国民にとって最も関心が深い日常の生活の問題を無視して、「美しい国、日本」という自分にとって大事なテーマを追求した。カーティス教授はこ う言う。第2次世界大戦後もっとも若い52歳の総理大臣は、「戦後体制からの脱却」を訴え、平和憲法を書き換え、教育内容を今よりも愛国的なものに変えよ うとしてきた。しかし本当にこれが優先事項なのだと、国民を説得できずにいる。「一国の首相が自分の国で体制変換をしようとしている。そんな国がほかにあ るだろうか」とカーティス教授は言う。

社会民主党の福島瑞穂党首は、安倍氏が一般国民の気持ちが分からない貴族なのだと批判する(安倍氏は祖父と大叔父が総理大臣)。アメリカのリンカーン大統領をもじって福島氏はこう言う。「安倍さんは、お坊ちゃんの、お坊ちゃんによる、お坊ちゃんのための政府の代表だ」

安倍氏は国民感情が分かっていないのなら、ではこれからどうなるのだろう。首相を続投できるという判断は、間違っているのだろうか? 答えはおそらく「イ エス」だ。「ここで逃げてはならない。政治の空白は許されない」と繰り返した安倍首相だが、このまま政権を担い続けるのは無理だろう。

首相続投を言明した安倍首相を、民主党はただちに反論。たとえば1998年の参院選で44議席(今回の37議席より7議席多い)と大敗した橋本龍太郎元首 相をはじめ、これまで選挙で大敗した自民党総裁はいずれも引責辞任というまともな対応をしていると、安倍氏を非難している。民主党の菅直人代表代行は「国 民の審判がはっきり下ったわけだから、その審判の結果と全く矛盾する行動を取ることは理解できない」と批判した。

しかし民主党には、首相を無理やり退陣させるだけの力はない。参議院で第1党にはなったが、内閣総理大臣の指名に関しては衆議院が優越する。そして衆議院 では(小泉氏のおかげで)自民党が圧倒多数を占めているし、衆院選の予定は2009年までないからだ。さらに言えば、5つの政党が合流してできた民主党 も、自民党に負けず劣らず、党内は分裂している。7月29日の選挙結果は、安倍首相に対する反対票であって、小沢一郎・民主党代表への支持票では決してな い——というのが、大方の政治評論家の見方だ。

10年以上前に自民党を離党した小沢氏は、新しい時代の改革派というよりは、「小泉以前」の昔ながらの政治スタイルが得意な、豪腕・辣腕(らつわん)な策 略家——というイメージが強い。自ら表舞台に立つよりも、水面下で動く方が得意な政治家だ。民主党の代表ではあるが、自分自身が総理大臣になりたいかとい うと、あまり意欲的ではない。29日夜の小沢氏は、政治的勝利を国民の前で堂々と祝うよりも、「遊説中の疲れ」を理由に世間の前から姿を消した。

少なくとも現時点では、安倍氏を本当に脅かすものは、野党ではなく自民党内だ。表面的には自民党実力者たちは揃って、首相続投表明を支持。中川秀直幹事長と青木幹夫参議院議員会長は、大敗の責任をとって辞任すると表明している。

それで安倍批判の風は少し和らぐのかもしれない。首相はすでに「人心を一新せよというのが国民の声だ」として、近く内閣改造するつもりだと言明している。

しかし30日の時点ですでに、自民党支持者の間では不満がふつふつと表面化していた。首相以外のみんなが責任をかぶる羽目になっているのに、なぜ首相だけは……と。

安倍氏はあと数カ月は首相の座に留まろうとするだろう。カーティス教授はそう見ている。小泉氏がすでに党内派閥の力をボロボロに打ち砕いてあるので、後任 の座をねらえるだけの実力者が党内にあまりいないのだ。麻生太郎外相は、首相になりたいと願っている。しかし彼もいわゆる政界のサラブレッドで、安倍氏の 考え方とかなり近いだけに、今のところは安倍支持の姿勢を保っている。ほかに候補として考えられるのは、昨年9月の総裁選で安倍氏と争った谷垣禎一前財務 相だ。しかし谷垣氏は、現行5%の消費税を引き上げようと一貫して主張してきた。選挙で消費税引き上げを訴えることは自殺行為に等しいと考える、党中枢に してみれば、谷垣氏も安倍氏と同じくらい厄介な存在ということになりかねない。

何がどうなるにせよ、総選挙が行われるまで、日本政局ははっきりしない状態が続くだろう。そのせいでこれから何カ月にもわたって政局が膠着し、政策が迷走 する恐れがあると、一部の政治評論家は指摘する。今回の選挙結果がもたらした新しい政界地図が、実際の政策決定にどう影響するか、そのきざしがすでに見え 始めているのだ。民主党は早くも30日、インド洋に展開する米艦隊を自衛隊が後方支援するためのテロ対策特措法の延長に、反対を表明したのだ。

自衛隊による米艦艇の給油支援。そして、イラク復興支援のための自衛隊550人派遣。これはいずれも、国際情勢にもっと積極的な役割を担っていくという日 本政府の覚悟を示すものだとして、米政府は大いに歓迎していたものだ。しかし参院選の結果を受けて、こうした動きは全て失速していくかもしれない。

しかし経済については、大きな揺り戻しはなさそうだと、専門家たちは見ている。参院選の結果は、小泉流の自由市場主義の流れに反発したものだという見方もできるが、方向性がすぐに大きく変わることはなさそうだ。

というのも民主党は、たとえそうしたくても、財政支出拡大を要求できる立場にないからだ。予算関連の決定権は衆議院にある。そして小泉改革によって日本に 新しくやってきた弱肉強食の経済に不満はたくさんあっても、国の借金を増やして増税しようと主張できる政治家はそうはいない。それどころかむしろ、消費税 率引き上げ議論はさらに先送りされる可能性が出てきた。とすると、仮に引き上げが決まったとしても、実施されるのは2010年以降ということになる。

衆参ねじれ現象で国会議決が滞ることになれば、新しい政策づくりはほとんど何もできなくなる。しかしだからといって、大した影響はないのかもしれない。地 方との格差は確かに問題だが、日本経済全体は堅調で、あと数年はこのまま拡大成長を続けるだろう。こうした状況なら、日本の政治家がお互いを罵り合うのに 忙しくて大胆な決断をする余裕がないというのは、そうそう悪くはないのかもしれない。

金曜日, 3月 21, 2008

求む、日銀総裁

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2008年3月19日初出 翻訳gooニュース)

国際的な金融危機というささやかな問題に対応する必要があるのだから、日本銀行の総裁探しは急務だと思われるかもしれない。しかし野党・民主党が『この人 は強大な財務省に近すぎる』とみなす候補に次々と反対するのは、正しいことだ。市場は脆弱だし、妥協可能な候補を早急に見つける必要があるが、しかし理想 の候補は「マクロエコノミスト」として優れた実績をもつアウトサイダーであるべきだ。

日本の福田康夫首相は、同じことをただ繰り返しても違う結果が出ると考えているようだ。野党が、東大法学部卒で財務省(旧大蔵省)キャリア出身の武藤敏郎 前副総裁に否決した後、福田総理はやはり東大法学部卒で財務省(旧大蔵省)キャリア出身の田波耕治国際協力銀行総裁を候補提示した。そして民主党はやは り、田波氏も否決したのだ。

武藤氏をどういう政治的理由から候補に提示したのかは、不可解だ。野党は参議院をコントロールしているのだから、わざわざ野党にケンカをふっかけにいくの はリスクが高い。どうしても対決するなら、国民の支持が広く得られている問題についてのみ挑戦するべきだ。にもかかわらず、わざわざケンカを仕掛けていっ て、負けて、そしてまた同じケンカをふっかけるというのは、荒唐無稽だ。ただでさえ弱い福田政権は、これでますます弱体化したように見える。

福田氏の選択はほかでもない、お役所的な伝統に従うという理屈に動かされていたようだ。一定の役職レベルで財務省を退官する官僚は、日本銀行などの組織で ポストを得るのがこれまでの常だったからだ。確かに、中央銀行向けの人材は財務省で見つけやすいだろうし、その逆もまた真理だろう。しかし、財務官僚を半 ば公式に日銀へ天下りさせるという仕組みは、金融政策の独立性を損なってしまう。

このため、もっと強力な日銀総裁が必要だと民主党が力説するのは正しいことだ。それに、民主党が適任だと名前を挙げる、黒田東彦・アジア開発銀行 (ADB)総裁や、(武藤・田波両氏よりはやや若い)渡辺博史前財務官にしても、「非・主流派」というほどではない。総裁空席の穴を急ぎ埋めなくてはなら ないという緊急性を思えば、どちらの候補もあり得るだろう。

しかしもっとラディカルな選択だって、あり得る。中央銀行を取り仕切るという仕事は、ほかにはない独特のものだ。パーフェクトな候補とは、素晴らしいマク ロエコノミストであって、市場心理を読み取れる心理学者で、公の場できちんと話せる手堅いパブリック・スピーカー。かつ国際的な外交官で、優れた最高経営 責任者(CEO)の資質も欲しい。外交官やCEOとしての能力をもつエコノミストを見つけるのは難しいが、一方で、スタッフの言いなりになるのではなくス タッフを問いただすことができるだけの深い経済の経験をもつ官僚を見つけるのも大変なことだ。オーソドックスなものの見方に挑戦できるだけの総裁が得られ れば、日銀にとって大きなメリットとなる。

総裁不在でも、あまり支障はないという意見もあるだろう。総裁がいなくても日銀は機能するし、近く金利を変える可能性も低いし、そもそも多くの重要な政策 決定は財務省が行っているのだから。しかし毎日のように新しい経済危機が出来する今、市場の信頼性はもろく、日本経済の展望も陰りつつある今、トップ不在 は間違ったメッセージを発してしまう。政府と民主党は急ぎ、総裁候補で合意すべきだ。その過程で、日本のなれ合い的な公職人事システムが一新されるのな ら、それはなお良し、だ。



結果庶民レベルでものを言うと、具体的に国民が困らんのなら、どーでもイイって話に、落ちていってしまう悲しさはあるなぁ....。

土曜日, 1月 19, 2008

米大統領選の最大テーマは経済に

フィナンシャル・タイムズ 2008年1月19日(土)12:07

(フィナンシャル・タイムズ 2008年1月14日初出 翻訳gooニュース) ワシントン=エドワード・ルース

今年の米大統領選のメインテーマはどうやら久しぶりに、「大事なのは経済なんだよバカモノ」になりそうだ。1992年の大統領選でクリントン陣営が掲げた (そしてそれによって勝利を獲得した)選挙テーマだ。とはいえウォール街ではもう数カ月前から、「(選挙で)大事なのは経済なんだよ」と心配されてきたの だが。

米国経済が不況に陥る危険は50%と多くの経済学者が警告する中、ここ数日来、3人の大統領候補が(民主党のバラク・オバマ上院議員とヒラリー・クリントン上院議員、共和党のルディ・ジュリアーニ前ニューヨーク市長)相次いで、それぞれの景気刺激策を発表した。

これはつまり候補たちがみな、最新の世論調査結果を重視していることの現れだ。調査によると有権者がいま最も重視している政策テーマは、経済。2007年にはイラク戦争だったものが、経済に取って代わられたのだ。

1月8日のニューハンプシャー州予備選の出口調査によると、民主党支持者の38%と共和党支持者の31%が、ほかのテーマを大きく引き離して、最大の関心事は経済と答えている。

さらに目を引いたのは、共和党支持者の80%と民主党支持者の98%が、経済について「とても心配している」あるいは「やや心配している」と答えたこと だ。両党支持者が関心事として挙げた3大テーマはほかに、移民問題と医療だが、いずれもやはり経済的な要素を背景に抱えている。

「目新しいのは、今や共和党支持者たちさえもが経済の悪化をひどく恐れていることだ」 ワシントンの政治アナリスト、チャーリー・クック氏は言う。「つい最近まで、経済に警鐘を鳴らしていたのは民主党支持者だけだったのに」

米経済の悪化がどの候補に有利に働くか、憶測は危険だと世論調査の専門家たちは言う。しかし民主党候補のなかでは、クリントン候補が有利になるだろうと見 られている。たとえば、経済問題が最大の関心事と答えたニューハンプシャーの民主党支持者たちは、オバマ議員よりもクリントン議員を高く支持した。

平均世帯年収5万ドル(約600万円)未満の有権者たちが一番支持するのも、クリントン議員だ。これに対してオバマ議員は、「希望と変化」を唱え、より教 育レベルの高い有権者の支持を集めている。平均世帯年収10万ドル(約1200万円)以上の有権者は、圧倒的にオバマ議員を支持しているのだ。

「一般論として、希望や変革という選挙メッセージに有権者が好意的に反応するのは、経済が好調なとき」 インターナショナル・ストラテジー・アンド・イン ベストメントのワシントン事務所のトム・ギャラガー氏はこう言う。「私が思うに、不景気になれば、自分には実行力があると主張する候補が有利になる」

一方で、不景気になれば有利になる共和党候補は、経歴だけをとれば明らかに、ミット・ロムニー氏のはずだ。前マサチューセッツ州知事のロムニー氏はヘッジ ファンド運営で設けた2億ドル以上の個人資産をもつ、もっとも金持ちの候補だ。しかし政策テーマについてことあるごとに立場を変えてきた、風見鶏的な選挙 活動が広く批判されている。「イデオロギーではなく自分の実務能力を売り物にしてきたなら、ロムニーは今ごろ躍進しているはずだが、今までそうしてこな かった」とクック氏。

やはり共和党候補では、アリゾナ選出のジョン・マケイン上院議員もマイク・ハッカビー前アーカンソー州知事も、経済に強いという定評はない。そして局地的 な不景気にずっと見舞われているミシガン州の予備選で、この3人がぶつかるわけだ(訳注・ミシガンではロムニー氏が勝った)。しかしハッカビー氏は一般受 けする経済ポピュリズムのメッセージを繰り返し展開するようになったし、マケイン氏はこれまでもずっと利権誘導型の政治を厳しく批判してきて、2人とも支 持率を上げている。

それでもほとんどの専門家は、本選のころになればイラク戦争がテーマとして再浮上しているはずだと見越しているが、それでも最重要テーマは経済のまま本選 にいくだろう。1992年大統領選を参考にするなら、選挙では政治テーマよりも経済が優先するものだ。1992年には米失業率が6月にピークに達し、そこ から減り始めた。しかし有権者たちは11月になってもまだ景気を心配し続けて、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領に2期目を与えずにビル・クリントン氏を大統領に選んだ。

1992年の大統領選はそのほかにも、やはり経済を主要テーマに掲げて出馬したロス・ペローという第3の候補の存在によって、混乱に拍車がかかった。 2008年に米経済が不況に陥れば、今回の大統領選も同じような展開になり得る。不況によって「最大の恩恵を受けるのは、もしかしたらマイケル・ブルーム バーグ(ニューヨーク市長)かもしれない。経営者としての経験を全面に打ち出す資格が、申し分なくあるわけだし」とギャラガー氏。「一方でイラクが主要 テーマだったとしても、市長の立場では大したことは言えないし」


市場の動きのが、早かったね。

水曜日, 11月 21, 2007

福田首相に聞く

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年11月12日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

福田康夫首相は11月12日、首相官邸でフィナンシャル・タイムズの単独インタビューに応じた。以下はその一問一答 (gooニュース訳注:以下は英語記事からの翻訳です。福田首相自身が使った日本語表現ではありません)。

フィナンシャル・タイムズ(FT):
 最近の政局の動きについておうかがいする前に、今日の経済の動きに ついて質問させてください。今日、円が対ドルで110円をつけました。ずいぶん円が強くなってきています。町村内閣官房長官によると、円高は日本にとって 特に問題ではなく、むしろ「国の価値を上げることで良いこと」とおっしゃいました。首相もそう思われますか?

福田首相(以下、福田): 短期的には、円高は確かに問題となります。為替レートの急激な変化は、どういう形でも好ましくない。しかし長期的な視点に立つと、必ずしも円高に拒否反応を示すこともない。しかしこれはあくまでも、長期的な話です。

FT: でも今回の円高はかなり急激にやってきました。私が先週に日本を離れたときは対ドル115円だったのに、帰国したら110円になっていました。これは急すぎますか?

福田: はい、急すぎます。

FT: それについて、日本は何ができるでしょうか。

福田: 実際には、ただ日本経済の問題ではなく、米国経済の状況が反映されているわけです。私たちにできることは限られています。ただし、投機的な動きは抑える必要があると思います。

FT: どう抑えるのでしょうか。日本は介入に踏み切ることができますか。

福田: 私は「慎重に」と言っているのです。

FT:  しかし危機的な状況になれば、介入のおそれもあるということですか?

福田: 私が言っているのは、そういうことにならないよう、慎重に、ということです。

FT: ほかの話題に移る前に、経済についてもうひとつだけお聞かせください。ご承知の通り、米国では今サブプライ ムローン問題が起きていて、これが日本にも波及しつつあると一部で指摘されています。輸出の問題があるし、穏やかではあるけれどもデフレは続いているし、 GDP(国内総生産)の数字もあまり良くない。このサブプライム問題のせいで日本のとても長い景気拡大が打撃を受けて、拡大がついに終ってしまうかもしれ ないという懸念が、外国では起きています。その点について心配なさっていますか。

福田:
 米国や欧州ほど、サブプライム問題の影響は日本にはないだろうと考えています。もちろん、一部の企業は打撃を受けるでしょうが、全体的な影響は限定的なものにとどまると思っています。

もちろん、世界経済がこれからどう展開するだろうという疑問はあります。世界経済が下振れする可能性はもちろんあって、国際貿易と金融に日本がこれだけ深 く関わっている以上、日本が影響を受けるのは必至です。しかしほかの国と比べれば、日本への影響はそれほどひどくならないだろうと思います。

FT: それでは政治の話に移ります。先週の東京の動きを私はロンドンから見ていたのですが、周りからはさかんに 「これは昔への逆戻りなのか?」と言われました。日本は統治不可能なように見えます。このこう着状態はどうやって打開できるのでしょう? 早めに選挙に踏 み切って有権者からの支持基盤を固めるのか。衆院の3分の2議席を押さえている、その数の力を使うのか(それで法律を通していくのか)。あるいは民主党に 歩み寄って、大連立ではないにせよ、何らかの形で時には協力していくのでしょうか。

福田: ご承知の通り、衆院と参院ではねじれ現象がおきています。衆院では与党が過半数を占めるが、参院では野党が過半数です。こういう状況は私たちの予想外のことで、しかもしばらくは続く見通しです。これは戦後日本で初めてのことです。

なので私たちは今、かつてない経験をしているわけで、これからどうやって進むべきかまだ検討中」と首相はFTに語った。「連立を組む試みにはすでに失敗したので、当面できることは、個別案件ごとの政策協調くらいです」

なので私たちは今、前例のない経験をしているわけで、これからどうやって進むべきかまだ検討中です。個別の政策ごとに野党と協力することは、あり得るでしょう。いずれは、ドイツのような連立が生まれるかもしれません。

私たちはすでに一度、連立づくりに失敗しているので、当面は政策ごとの協力を模索するしか方策はない。法案ごとひとつひとつ、野党の合意をとりつけて政策を施行するのが、政権与党の役割です。

FT: 次の選挙のタイミングというのは、重要な秘密事項です。もしかしたら当の総理ご自身、まだ決めていないのか もしれません。しかし、主要8カ国(G8)の国の間には、これだけ政治が混乱している状態では、一体どの政府が来年の洞爺湖サミットを主催するのか予測も つかない、と懸念する声があがっています。洞爺湖サミットの時点でご自分がまだ政権を率いている、あるいは洞爺湖サミットが終るまで総選挙は行わないと保 証できますか? それを世界に約束できますでしょうか。

福田: ええ、かなりの確度で保証できますよ。総選挙の時期を決める権限は、私がもっているからです。言い換えると、衆院解散がない限り、G8サミットを主催するのは私たちだということです。

FT: おっしゃることはつまり、総理は早い選挙よりも遅い選挙の方がいいと考えていらっしゃると、そうはっきり示唆されたように聞こえますが。

福田: 全ては、野党がどう行動し、どう考えるかによります。もし野党が普通に行動すれば、あなたが今おっしゃったような展開になるでしょう。しかしいずれにしても、選挙がいつになろうと、私たちが勝てばいい。それが大事なポイントです。

FT: 総理は今週末にワシントンに行らっしゃいます。いざとなれば衆院の3分の2議席を使って対テロ法案を可決させる用意があると、ブッシュ大統領に言うことができますか。

福田: それは国内の政治問題なので、話題にするつもりはありません。言う必要があるのは、新法可決のために努力していくということだけでしょう。

FT: 民主党の小沢一郎代表は、日本は国際情勢に積極的な役割を果たすべきだが、それは米国流の善か悪かという枠組みによってではなく、国連の枠組みの中でやるべきだという立場です。総理はこれに共感なさいますか?

福田: 小沢さんは国連決議、あるいは国連決議に容認された活動という意味で、話をされています。これについて日本 国内ではさかんに議論されており、小沢さんの主張が大きな支持を集めているというわけでは、必ずしもない。それに、国連決議の下で果たして日本がどれだけ 活動できるのだろうか、という問題もあります。

ご承知の通り、日本には(平和)憲法がありますから、国連がどんな活動を認めたとしても、それが日本国憲法上どうか、という問題がある。また小沢さんはどうも、日本の憲法よりも国連決議が優先すると言いたいような、そんな印象を受けています。

日米安保で定められた色々な取り決めが、実際に速やかに実行できるのかという問題もあります。ですから私たちは、小沢さんが本当に何を考えているのか詳細に把握しない限り、彼の提案に同意することはできません。

FT: 今回の訪米では当然、北朝鮮について議論することになります。首相の訪米期間中にも、ブッシュ大統領が米国は北朝鮮をテロ支援国家リストから外すと言う可能性もあります。これは北朝鮮の核武装解除という大きな合意の利益を考慮して、日本が容認できることでしょうか。

福田: もちろん私たちは、米国が核武装解除を巡って北朝鮮と手緩い交渉をしているとは考えていません。北朝鮮の核 兵器は明らかに日本にとって大きな脅威であり、我々は米朝交渉の方向性を支持しています。我々はこうした交渉ができる限り完全な形で成立することを強く期 待しています。

FT: 拉致問題という観点から、日本が反対し、「交渉はやめるべきだ。我々は気に入らない」と言うことはないのでしょうか。日本が立場を後退させ、拉致問題が完全に解決されないままでも、交渉プロセスの続行を認めることはあり得ませんか。

福田: もちろん、北朝鮮の核開発計画が破棄されるのは望ましいことだし、我々は北朝鮮のミサイルの脅威が取り除か れることも非常に重視しています。そして拉致問題も解決する必要があります。我々としては、日本はこうした3つの問題をほぼ同時期に解決すべく、北朝鮮と 交渉する必要があると考えています。

FT: 選挙がいつになるかというのは極秘事項です。実際、総理ご自身もまだ分からないのかもしれません。しかし、主 要8カ国(G8)のメンバーの中には、これだけ政治が混乱する中で、一体どの政府が北海道のG8首脳会談(来年7月の洞爺湖サミット)を主催するのか分か らないという懸念があります。

あなたがその時点でまだ政権を率いている、あるいは洞爺湖サミット後まで総選挙は行わないと保証できますか?これは世界に向けて確約できることでしょうか。

福田: ええ、かなりの確度で保証できますよ。総選挙を行う権限は私にあるからです。言い換えると、衆院解散がなければ、我々がG8サミットを主催するということです。

FT: 選挙の時期は早いよりも遅い方が望ましいという、かなり強いヒントのように聞こえますが。

福田: 野党の動きと考え方次第です。もし野党が自然に振る舞えば、あなたが今おっしゃったような展開になるでしょうね。しかし、いずれにせよ、問題の核心は、選挙がいつになろうと、我々が勝てばいいということです。

FT: 総理は今週末、ワシントンを訪問されます。状況が差し迫れば、衆院の3分の2議席を使って対テロ法案を可決させるとブッシュ大統領に言うことができますか。

福田: これは国内の政治問題なので、話題にするつもりはありません。私が言わねばならないのは、我々は新法を可決するために最大限の努力をするということだけでしょう。

FT: 民主党の小沢一郎代表は、日本は国際問題に積極的な役割を果たすべきだが、それは米国の是か非かという枠組みではなく、国連の枠組みの中でやるべきだと主張しています。小沢氏のそうした立場に共感できますか。

福田: 小沢さんは国連決議、あるいは国連決議に容認された活動という観点で話されている。これについては日本で大きな議論があり、必ずしも彼の立場が大きな支持を得ているわけではありません。そして、国連決議の下で日本がどれだけの活動を行えるのか、という問題もあります。

ご承知の通り、日本には(平和)憲法がありますから、国連がどんな活動を認めようとも、それが日本国憲法にどう関係してくるかという問題がある。また、私が受けている印象では、小沢さんはどうも国連決議が日本国憲法より上であると言いたいようです。

日米安保で定められた様々な条項が実際スムーズに実行できるかどうかという問題もあります。ですから我々としては、小沢さんが本当に何を考えているのか具体的な内容が分からない限り、彼の言っていることに同意することはできません。
日米首脳会談で議論する北朝鮮問題

FT: 言うまでもなく、今回の訪米では北朝鮮について議論なさるでしょう。総理の訪米中にブッシュ大統領が、米国は 北朝鮮の「テロ支援国家」指定を解除する方向で動いていると発言する可能性もあります。北朝鮮の核武装解除という大きな合意実現のためになら、日本として も容認できることでしょうか。

福田: 北朝鮮の核武装解除について、米国が手緩い交渉をしているとはもちろん思っていません。北朝鮮の核兵器はもちろん日本にとって大きな脅威です。私たちは米朝交渉の方向性を支持しています。この交渉が、できるだけ完全な形で合意にたどりつくよう、強く期待しています。

FT: ということは、拉致問題を抱える立場から日本が米朝交渉について、「これはよくない。やめるべきだ」と反対したりしないということですか? 拉致問題への十分な対応がなくても、米朝交渉の継続を容認するということですか? 譲歩するというほどではなくても。

福田: もちろん、北朝鮮の核開発計画が廃棄されるのは望ましいことだし、北朝鮮のミサイルの脅威が排除されることも 重視しています。さらに、拉致問題は解決されなくてはならない。この3つの問題をほぼ同時に解決するためにも、日本は北朝鮮と交渉しなくてはならないと考 えています。

FT: 国内の問題に移ります。総理は小泉政権で大きな役割を果たされました。小泉時代に何が根本的に変わったとお考 えですか。そして後悔していることは何ですか。悪化したことは何だと思いますか? 総理はここ最近の演説で、小泉時代の悪影響に言及していらっしゃいま す。何が悪影響だったと考えていらっしゃるのか、そしてどうやって対処できるとお考えか、お聞きしたいです。

福田: 小泉改革と呼ばれているものは、日本でそれまで普通だった物事のやりかたを変えた。それ自体は、私はいいこと だったと思っています。当時、「官から民へ」や「中央から地方へ」というキャッチフレーズをよく聞いた。内容について言えば、方向性は間違っていなかっ た。しかし時によっては、(小泉元首相は)急ぎすぎたかもしれない、それによるマイナス影響がいくらかあったかもしれないと、私は思っているます。

日本はここ数年、大きく変化しています。人口が減っている。ご承知の通り、第2次世界大戦が終わってからの60年間、日本の人口は年々増え続けましたが、数年前にその流れが変わりました。

高齢者人口が急増する一方で、労働力人口はこれから減っていく。こうした変化に対応するために、やらなくてはならないことがたくさんあります。小泉改革は、こうした問題を念頭に行われたものです。

私たちは、いや、あなたもそうです。今生きている者は皆、環境とエネルギーの問題において、大きな変化に直面している。挑戦に打ち勝つため、私たちは自分たちを変えていかなくてはならない。そういう大きな変化が必要とされる時代に、私たちは生きているのです。

改革は進める必要がある。もしかしたら、もっと大規模な改革が必要になるかもしれません。

FT: どういう改革でしょうか。改革というのは、かなり曖昧な言葉です。具体的に何を想定されていますか。

福田: 日本人を見ると、今言ったように労働力人口が減っていきます。それはつまり、女性と高齢者を労働力人口に取り込んでいく必要があるということ。労働力が減るに従い、内需も減る恐れがある。とすると経済の規模も恐らくは縮小する。

その一方で私たちは、返済が必要な巨額の公的債務を抱えています。もし経済が縮小し続けたら、債務返済は簡単にはできなくなる。ですから私たちは経済を拡大し、国民の生活水準を向上させるという目的を維持しなくてはならない。そのためには、諸外国との絆を深めるしかない。

つまり私たちは、日本経済の国際化を今後も推進していく必要がある。これは基本的に、日本からの対外投資と、海外からの対日投資の両方をもっと促すという ことです。そして海外からの対日投資を促すためには、日本市場をもっと開かれたものにするため、大いに努力をする必要がある。大きな障害がいくつもありま す。障害を取り除くため、私たちは戦わなければなりません。

FT: 質問があと1つしかできないので、何をお聞きするのがいいか。そうですね、参院選で怒りをもって行動した有権 者をなだめるために、総理がやろうと考えていることには、お金がかかるものがあるかもしれません。そうなると、今はいったん棚上げされている、消費税の増 税問題が出てきます。数週間前と比べて野党が弱まっている今、増税への動きを加速させられるでしょうか? 必要だと考えていらっしゃる消費税引き上げにつ いて、発言しはじめられますか? タイミングの問題だと思うのです。以前よりも、議論開始を前倒しできる状態になったと思いますか?

福田: 日本国民は、消費税率引き上げの必要性を感じているし、理解しています。とは言っても、政府の無駄遣いに不満ですし、自由競争入札ではない随意契約が多すぎると不満満を抱いています。現時点で私たちが消費税の問題を持ち出したら、国民は激怒するはずです。

今しなければならないことは、まず私たちが、政府支出の削減にできる限り努力し、その後に、消費税引き上げを認めてもいいかなと国民が思ってくれる、そういう雰囲気作りを目指すことです。

そしてもう1点。高齢化社会において、社会保障に必要な出費が増え続けますから、今後どれだけの追加コストが必要になるのか計算しなければなりません。日 本国民は、個人個人が将来どれだけの社会保障を必要とするのか、議論をしなければならない。そして政府は、国民に選択肢を示す必要があります。

FT: 総理はすでに決まっていた歳出削減措置を一部撤回しました。いや、今はまだダメだとおっしゃったわけです。歳出削減策の中には、行きすぎたものもあったということですか。

福田: 政府が歳出削減を強調すると、どうしても横断的な削減案になってしまった。それを実行すると、すでに苦しんでいる人たちがいっそう苦しむことになる。なので、歳出削減には限度があると思っています。



ぼっちゃんよりは、まともでしょ?

土曜日, 11月 17, 2007

日本の新首相、国と党の進む道を見据える

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年11月13日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

日本の安倍晋三前首相が今年9月にいきなり辞意を表明して世間を驚かせた後、自民党は大急ぎで後任として、福田康夫氏を首相官邸に押し込んだ。そのとき新首相は、トレードマークのドライな調子で「貧乏くじをひいた」とコメントしたものだ。

福田氏は実際、危機的状況の最中に首相となった。戦後初めて参院が野党に支配され、自民党の評判は7月の参院選以来どん底にあった。有権者は参院選で、所得格差の拡大と農村部を置き去りにする政策は、自民党のせいだと批判票を投じたのだ。

就任から1カ月半、福田新首相はテロ特措法をめぐる政局の膠着への対応にひたすら追われた。米国主導の「対テロ戦争」への日本式貢献としてのインド洋での 補給活動の継続に野党が反対したため、新首相は、海上自衛隊の撤退を命令せざるを得ないという、屈辱的な立場に立たされた。この給油活動を部分的に継続す るための新法案が衆院委員会で認められたが(訳注・13日には衆院本会議も通過し、参院送付された)、参院では否決される見通しだ。

その一方で先週には、びっくりするような大展開があった(結局は茶番で終わったのだが)。その中で福田首相は、国を治められるようにするためにと、対立する民主党に大連立をもちかけたのだ。

この申し出は結局、拒絶された。その過程において民主党の小沢一郎代表は、一時でも連立を検討したことの責任をとるためとして、いったんは辞意を表明し、そして撤回。民主党はほとんど内部崩壊しかかった。

この展開は、福田氏による見事な一手のなせる技だったのか、それとも単に運が良かったのか。いずれにしても野党の半崩壊状態によって、首相の立場は強化さ れた。それでもなお、福田首相は依然として、野党が(今回のことで勢力は弱まったが)あと6年は参院を支配するという問題を何とかしていかなくてはならな いのだ。

フィナンシャル・タイムズ(FT)とのインタビューで福田首相は12日、今のこの困難な状況の中でどうやって首相として国を導くつもりか、そして自民党の支持を回復するために何ができるか、見通しを語り始めた。

「かつてない経験が始まっていて、どうやって進むべきかまだ検討中」と首相はFTに語った。「連立を組む試みにはすでに失敗したので、当面できることは、個別案件ごとの政策協調くらいです」

もっと長期的な話としては(たとえば衆院選の後に。衆院選は2009年までには必ず行われるが、来年実施の可能性が強い)、大連立を再度提案してみるかもしれないという、その可能性は否定しなかった。

福田氏は一部では、急場しのぎの一時的な総理大臣と言われている。しかしもし、自分はそれ以上の存在だと示すことができたとしても、福田氏は今や非常に不 人気になってしまった小泉改革の諸策について、国民の怒りを鎮めなくてはならない。福田氏は小泉政権の内閣官房長官として、小泉純一郎元首相の右腕だった のだから、なおさらだ。

「小泉改革と呼ばれているものは、日本でそれまで普通だった物事のやりかたを変えた。それ自体は、私はいいことだったと思っています。当時、『官から民 へ』や『中央から地方へ』というキャッチフレーズをよく聞いた。内容について言えば、方向性は間違っていなかった。しかし時によっては、(小泉元首相は) 急ぎすぎたかもしれない、それによるマイナス影響がいくらかあったかもしれないと、私は思っている」と福田首相は話した。

福田氏は、公共投資の拡大路線には戻らないと約束しているが、その一方で、計画されていた高齢者や身体障害者への給付削減は一部見送ると強調もしている。 高齢者社会で就労人口が減少していく中で日本は、規制緩和を進めて生産性を拡大する方向を、追及して行かなくてはならない。首相はこう言う。「改革は進め る必要がある。もしかしたら、もっとずっと大規模な改革が必要になるかもしれない」

福田首相は、日本をさらに外国投資に開く計画を追及するかもしれないと、示唆した。これはこれまで長いこと話題には上りつつも実現になかなか結びつかずにきたテーマだ。「大きな障害はいくつかある。障害物を除くために努力しなくてはならない」と首相は話した。

やはり前々から提案されては先送りされてきた、消費税引き上げについては(これは財政改革に必要な政策だという意見が多 い)、首相は、公共事業の不正入札に関する政府関与の疑惑に国民が怒っている今、そんなことを持ち出したら国民を「激怒させる」と説明。その上で首相は、 歳出拡大が必要だということは国民にも理解されているとの見解を示した。

「まず私たちが、政府支出の削減にできる限り努力し、その後に、消費税引き上げを認めてもいいかなと国民が思ってくれる、そういう雰囲気作りを目指す必要がある」と首相は話した。

志半ば...ってのも、強ち外れてないかもね。 この人のスマートな雰囲気は、悪くなかったのに....。

火曜日, 10月 30, 2007

日本経済と小泉神話

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年10月17日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

東京の日興シティグループのエコノミスト、村島帰一氏はロンドンから戻って来たばかり。ロンドンはあまり楽しくなかったという。日本の国債や証券をもつ投資家たちと何度か会合した結果、村島氏はこう結論した。「日本への関心が薄れている」

関心が薄れている一因は、わくわくするとは言い難い日本の経済成長がいまだに、外需依存だからだ。しかもその外需依存は、ますます不安定さを増している。 しかしそれよりも根深く、日本経済にがっかり落胆する気分が広まっている原因は、9月の安倍政権崩壊をきっかけにした政治膠着が、そのまま政策の麻痺につながるのではないかと懸念されているからだ。

こうした懸念は、表面的にはよく理解できる。9月には与党・自民党の派閥領袖数人が集まって、自分たちで決めて、灰色スーツを着た71歳の福田康夫氏を総裁室に押し込んだ。この人選方法はまさに、小泉政権の前にさかのぼるオールドスタイルな日本そのもの。小泉元首相は国民に直接訴えかけて支持を集め、そう やって旧弊や因習を覆したものだが、今回のこれは……という不安を、多くの人が抱いたのだろう。

さらに不安なことに、福田氏というコンセンサス重視型の政治家が首相になったと時を同じくして、日本ではまさにその党内コンセンサスを飛び越えて実施され た「小泉改革」への反発が噴出している。与党は今年7月、5年間にわたる景気回復の具体的成果をほとんど得られていない、日本の最貧地域の有権者に、手痛いしっぺ返しをくらった。

2001年4月から2006年9月まで総理大臣だった小泉氏は、「改革なくして成長なし」と訴え続けて、有権者だけでなく、少なくない数の外国人投資家を 見事に説得した。小泉氏の在任期間がちょうど、日本で戦後最長の景気拡大と時期が重なったため、この成長は改革のおかげなんだろうと多くの人が考えたの だ。この単純な分析をつきつめるとつまり、改革がいま止まれば成長も止まる、ということになる。

構造改革がどういう性質のものだったか。日本経済の回復に構造改革が具体的にどういう役割を果たしたのか、それとも関係なかったのか。誤解されている部分がある。最も好意的に解釈したとしても「改革」というのはせいぜいが「良い変化」という曖昧な意味しかもたない、ある意味でいい加減な、政治家にとっては便利な言葉だ。特に、自分が施行する法律が全て好ましいものだとは限らないという事実を、はっきり認めたくない政治家にとっては、便利な言葉だ。日本では この「改革」という言葉は、「財政再建」と「規制緩和」の両方を意味してきた。それだけに、意味はますます良く分からなくなる。

小泉政権下での予算削減や規制緩和の推進はいったい、経済成長にどういう効果があったのか? ほとんど何もなかった。2001年の金融危機の最中に政権を とった小泉氏は、政府借入金を大幅削減すると約束した。しかし幸いにして、元首相はそんなことをしなかった。あの時に政府の借金を大幅に減らしていたら、 ただでさえデフレ状態にあった経済がさらにひどい景気後退に陥っていただろう。小泉氏は確かに公共事業予算を削った。また任期末期に向けては、支出全般を 抑制し、課税されていることが分かりにくい巧妙な隠れた税によって歳入を増やした。これは日本の将来の長期的な健康のためには、良いことだったかもしれな い。しかしこれらの施策が景気回復のきっかけになっただなどと主張する経済学者は、たとえいたとしても、きわめて少数派だ。

規制緩和は成長を促進させることはできる。しかし日本で行われたほとんどの規制緩和は(たとえば金融や小売り部門での緩和は)、小泉氏が首相になる前に実施されたものだ。

小泉内閣の官房長官だった福田氏は、小泉政権による規制緩和の功績について質問されると、風邪薬が薬局以外でも買えるようになったことを例として挙げた。 確かにこの措置は、ハンカチとティッシュを手放せないあまたのサラリーマン諸氏にとってきわめて便利な、津々浦々まであまねく影響力をもつものだったかも しれない。しかし、これが経済成長の根源だったとはほとんど誰も言わないだろう。

小泉政権の下で日本経済が回復した、その本当のカギとなったのは、輸出業に恩恵となった中国の好景気と、金融機関の建て直し成功だ。円安基調を維持するた めに金融当局が行ったすさまじい為替介入によって、輸出業はさらに助けられた。しかしさすがに、いくら日本で「改革」論争がごちゃごちゃに混乱しまくった とはいえ、この為替介入を「改革」に分類する人は誰もいなかった。

小泉改革の中で、最大かつ本物の改革だったのは、郵政民営化だ。これは小泉氏が辞任した1年後にならないと始まらなかったし、完成するには 2017年までかかる。しかし外国人投資家は2005年末の時点で早くも、郵政民営化を理由に日本の株式を買いまくった。おかげで当時の株価は一気に 40%近く高騰したのだ。

リーマン・ブラザーズは最近、こういうコメントを書いている。「小泉時代、興奮や派手なレトリックはともかくとして、構造改革のペースはとりたてて速くはならなかった」

そもそも小泉氏が、めくるめく新世界を実現できなかったのだ。小泉時代の財産を福田首相が全部なかったことにしてしまうのでは? などと心配するのは的外れだ。

財政面でいえば、よくも悪くも新首相は、赤字削減を大事なテーマとして抱えているようだ。辛い目に遭っている農村部に国家予算をつぎ込むべきだという圧力が、政治的にはあるのかもしれない。しかし福田氏は、公共事業拡大を否定し、2011年度にプライマリーバランス(基礎的財政収支)を黒字化させるという (達成可能な)政府目標を改めて表明している。そしてこれまでのどの前任者よりも、消費税引き上げ議論に積極的なように見える。

規制緩和については確かに、野党が参議院をコントロールしている限り、大した前進は期待できなさそうだ。もしも農産品関税引き下げや外国人労働者の規制緩 和を期待している人がいるなら、考え直した方がいい。とは言えそもそもからして、これといってろくに何も起きていなかったのだ。すでに実現したものを新政権がむやみに解体してしまうなどというおそれは、ほとんどない。コンビニやスーパーから総合感冒薬を撤去しろ、などと言い出す政治家は、今のところはまだいないのだし。

日本に関しては、確かに心配に値する材料が色々ある。たとえば給与水準が伸び悩んでいることとか、消費需要がなかなか活気づかないとか。しかしながら、福田氏が小泉氏の改革マニュアルを破り捨ててしまうかもしれない、などという心配は無用の長物だ。



よく分析してるよね。
小泉さんが、結果なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんにもしてないことを、よく分かってらっしゃる。
マネーゲーム冗長させたことを、功績と呼ぶなら呼べばイイだけのことで、実態経済が上向いていたなんて話は、嘘っぱちでしかない。
それでも、郵政民営化に踊らされたツケは、じわじわと国民にしわ寄せてくるだろうね。

金曜日, 9月 28, 2007

福田氏、自民党に警告する

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年9月26日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

幸運の女神はこのところ、日本の民主党にほほ笑んでいる。わずか数カ月のうちに、民主党としてかつてない大勝を選挙で収め、参議院の第一党となり、そして安倍晋三前首相を辞任に追い込んだのだ。

後任の総理大臣となった自民党の福田総裁は現状について、自らの内閣を自分自身で「背水の陣内閣」と呼び、「一歩でも間違えれば、自民党が政権を失う、そういう可能性がある内閣だ」と危機感を示した。

しかし、過去半世紀にわたり権力を独占してきた自民党をこうして脅かすことと、その自民党を実際に野党の地位に追いやってしまうことは、全く別の話だ。民主党はどうやったら今のこの順風を本格化させて、政権与党になることができるのだろう。

民主党には、戦略と政策の両方が必要だ。というのも福田氏の首相選出は民主党にとって、色々と厄介をはらんでいる。不運な安倍氏と比べて、福田氏は攻撃しにくいというのが、1点。

おまけに新首相は、テロ特措法の延長をほぼ諦めたかに見えるのがもう1点。米国など多国籍軍の艦船に海上自衛隊がインド洋上で補給活動をするためのテロ特 措法について、延長を承認しないというのが、民主党のこれまでの切り札だった。しかし切り札はもはや、切り札でなくなってしまった。

民主党「次の内閣」の「ネクスト防衛大臣」、浅尾慶一郎参議院議員は、「もし福田氏がテロ特措新法を議論しようというなら、それは民主党にとっていいことだ。しかしどうも、見通しが変わってきた」と話す。

民主党はこれから、自衛隊の海外派遣は国連決議にもとづいた活動にすると規定した独自法案を提出するかもしれない。それにはおそらく、給油活動を停止し、 アフガニスタンの警察部隊を訓練し、アフガニスタンにおけるDDR(元兵士の武装解除・動員解除・社会復帰)活動に参加するという内容が含まれるだろう

この戦略にはリスクがないでもない。日本の世論はインド洋での給油活動を支持するかどうかで割れているし、民主党が特措法延長を政争の具に使って政治的ポ イントを稼ごうとしているとみなされたら、世論は民主党を批判するかもしれない。さらに福田首相は、民主党内でも意見が分かれているところに割って入っ て、民主党内の不一致を利用するかもしれない。民主党内ではたとえば、前原誠司前代表などが、党の公式見解を乗り越えて、給油活動の継続に前向きな姿勢を見せているからだ。

テロ特措法をめぐる対立は別にしても、民主党は参院優位を活用して、早期の衆院解散を強く求めていく方針だ。浅尾氏はこう言う。「できるだけ早い総選挙を望んでいる。しかし福田氏の方は、できる限り引き伸ばしてくるだろう」

総選挙を遅らせる理由のひとつとして、自民党は来年7月に予定される北海道・洞爺湖サミットをあげてくるかもしれないと浅尾氏。G8サミットで議長国の任 を果たす前に政権交代のリスクを犯すのは、無責任だと政府は言うかもしれない。そして総選挙を遅らせればその分だけ、自民党はその間に体勢を立て直し、安 倍政権の不幸な1年の記憶を和らげることができるというのが、評論家たちの見方だ。

民主党にとって、とるべき戦略がリスキーだというなら、まして掲げるべき政策は尚のこと。民主党の政策が自民党といかに違うか、その説明の仕方にはかなり 工夫が必要となる。与党・自民党は、タカ派から穏健派、自由市場主義者から保護主義者、福祉重視派まで様々な政治思想・主義主張をひっくるめて擁している 思想的幅の広い政党だ。しかし同様に、民主党も同じだ。

小泉純一郎氏が首相だったとき、民主党は自分たちこそが市場改革の党で、小泉氏は民主党の真似をしただけだとさかんに主張していた。ところが最近の民主党は、農家への補助金給付を約束したり「共生社会」を掲げたりと、むしろかつての旧来型の自民党のような様相だ。

しかしそれは誤解だと、民主党の参議院政策審議会長代理、大塚耕平議員は言う。「矛盾はしていない。市場主義原理を導入する必要があると最初に訴えたのは民主党だ。しかしだからといってそれは、貧しい人々を置いてきぼりにしていいということではない」

浅尾氏はさらに、民主党の外交政策の基本はただ米国に盲目的に追従することではなく、国際法を守り、アジアの近隣諸国と関係を改善していくことだと話した。

自民党と違う政策を提示する以上に、民主党が示す可能性と言うのは、戦後初めて自民党以外の政党が長期政権を担うかもしれないという展望だ。浅尾氏はこう言う。「どこの民主国家でも、せめて10年に一度は政権交代があったほうがいい」

一方でこの間、26日に発表された世論調査によると、福田新内閣への支持率は58%まで一気に上った。つまり日本の有権者は、執行部を一新した自民党に、再度チャンスを与えようとしているのだ。

共同通信によるこの世論調査の支持率は、第一次安倍内閣のそれよりも17ポイント高く、8月の内閣支持率に比べれば約30ポイントも高い。

UBS証券のチーフエコノミスト、大守隆氏は、福田首相が主要ポストに派閥重鎮を多く選んだことについて、「古い自民党に逆戻りしてしまったという批判もある」と指摘する一方で、自民党の派閥はかつてよりもずっと実力主義なところになっているとも話す。

小泉政権で金融担当相などを務めた竹中平蔵氏は、福田首相が「大胆な改革」を実行するとは考えにくいと指摘。「(福田首相は)強力な指導力を発揮するというよりも、色々な意見を調整することの方が得意なのです」



この人ってば、攻撃しずらいってのもあるけど、攻撃してもこないよね。 なぁぁぁんか、淡々と乗り切られちゃいそうで、岸さんとこのお孫さんより、よっぽど手ごわい感じ....。

水曜日, 9月 26, 2007

変わらなければ日本は取り残されると福田氏は

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年9月24日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

福田康夫氏が自民党総裁選に出馬し、自民党を苦境から救いだす希望の星として浮上したとき、福田氏は出馬について「貧乏くじかもしれないよ」と記者にコメ ントしていた。確かに福田氏が率いることになったのは、参議院の支配を失った自民党だ。日本では、自由主義的な市場改革の動きに取り残されたとされる地域 や人たちが大勢いて、その人たちが夏の選挙で、自民党に手痛いしっぺ返しをしたばかりなのだ。

過去5年にわたる経済成長がいずれは国民一人ひとりの生活向上につながると、そういう希望を自民党が有権者に与えることができなければ、自民党は次の総選 挙で本当に政権を失いかねない。まさにそうした危機的状況にあると多くの政治評論家は見ている。そして、衆院選は遅くても2009年には開かなくてはなら ないのだ。

第2次世界大戦以降で最長期にわたる持続的な経済成長の最中にあっても、多くの日本人はその恩恵を実感できずにいる。給料はほとんど上がらないのに、いく つかの市町村では失業率が全国平均を大きく上回ったまま動かない。小泉政権で導入された地方交付税の見直しなどによって、いくつかの地方自治体は財政破綻 の危機に直面。なかでも北海道の夕張市はすでに破綻してしまった。

こうした一連のことが重なって自民党は今、1993年に一時的かつ一度だけ政権を失って以来の、最悪の事態にさらされている。にもかかわらず福田氏も、そ して対立候補として総裁選に出馬した麻生太郎氏も、有権者に対して大きなネックとなっているこの小泉改革を、後戻りさせようとは決して主張しなかったの だ。

福田氏は麻生氏と同様、社会格差の是正に取り組み、自由市場の行き過ぎを抑制する必要があると主張した。しかし今の政策の基本路線について後戻りはないと、この点について福田氏は明快だった。

総裁選の最中にたびたび開かれた討論会で福田氏は、「改革を推進しなければならない」と言った。さらに福田氏はこうも言った。

「世界は変わっている。改革をしないと、日本は国際社会から取り残される」

小泉改革以前に戻ろうと掲げる総裁候補を自民党が出さなかったことからしても、反・改革の動きに本当の意味での政治的な勢いはないのだというのが分かる。

改革の動きは小泉改革とは呼ばれるが、小泉氏が一人で始めたものではない。そしてこの改革の動きにはいくつかのポイントとなる課題がある。(1)財政健全 化 (2)公共事業や税収移転の形で人口の少ない農村部に与えてきた補助金を減らす (3)可能な限り、民間部門の役割を拡大する——とういものだ。

福田氏は9月半ばに日本外国特派員協会で、「日本社会は転換期にある。高齢化が進み、社会構造が変わりつつある。労働生産性を上げて、一連の課題に対応していかなければならない」と話している。

リーマンブラザーズ証券のエコノミスト白石洋氏はこれに対して、たとえ政治家がそう望んだとしても、国の財布を緩めるのは難しいだろうと話す。

「財務省の厳しい縛りの下では、財政政策が大きく変わるのは難しい。(今や日本のGDPの1.5倍に達する)公的債務の規模を思えば、ばらまき政治に戻るのは、かなり考えにくい」

2011年度までに基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字化する目標については、そのまま堅持するだろうと多くのアナリストは見ている。

福田首相は確かに、国民が生活する上での困難・困窮を和らげるため、いくつかの施策を掲げている。たとえば、高齢者の医療費自己負担を1割に凍結する案を 検討するとしている。小泉政権で決まった現行案では、来年4月から70-74歳の医療費の窓口負担は現在の1割から2割に引き上げられることになってい る。

さらに小泉政権下では、国から地方へ税源を移譲し、地方自治体が独自に税収を増やすことで、独自で自主的な行政サービスをまかなうべきだという税制改革が進められたが、福田氏の下ではこれも、より穏やかで漸進的な変化に変えようと議論されている。

とは言うものの財務省も、そして小泉政権の内閣官房長官として小泉改革の諸政策に関係の深い福田氏も、1990年代に顕著だったばらまき財政に立ち返るわけもないだろう。

当時は、ともかくひたすら財政支出を重ねることで停滞するデフレ経済を回復させようというのが、政府の方針だった。それに対して現時点では、自民党が政権 を維持できる程度に、有権者の支持を集められる程度に、要所要所で支出を少しばかり調整しようというのが、政府のねらいだ。しかしそのために使える財源は 今後も、厳しく制約されたままだろう。



日本の内閣総理大臣って、世襲制だったっけ?

金曜日, 9月 21, 2007

総理がいなくてもやっていける日本

末期的だよね

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年9月19日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

米テレビドラマ「The West Wing(ザ・ホワイトハウス)」に、作中の米大統領ジェド・バートレットが撃たれて緊急手術を受けるという話がある。大統領は間もなく回復するが、その 後、大論争が持ち上がる。大統領が手術を受けていた間、いったい誰が国を動かしていたのか、というのだ。全ては平常に戻るが、大統領が麻酔をかけられてい た数時間、実は憲法上の危機が起きていたのではないかという議論が後からぶりかえす。というのもあの数時間の間、アメリカには正当な最高権力者がいなかっ たからだ。

現実の日本では、安倍晋三という若すぎた首相が12日に辞任表明。52歳という年齢は首相には若すぎたと言われてしまったが、辞任の本当の理由はまだ全て が明らかになっていない。23日には、与党・自由民主党の新しい総裁が決まり、25日には国会で総理大臣として指名される。辞意を表明した翌日、くたびれ きった安倍氏は入院し、政府から退場した。とするとこの国を動かしているのは、正確にはいったい誰なのだ?

と言うことを、誰も気にしていない。あるいはほとんど気づいてもいない。そしてそのこと自体が、日本における権力と民主主義の本質について、なかなか興味深い点をいくつか浮き彫りにしている。

結局のところ、安倍氏は国民に選挙で選ばれた首相ではなく、半世紀にわたって権力を独占してきた政党に選ばれた首相だったというわけだ。ということは、安 倍氏というのはベネズエラのチャベス大統領の日本版だったのか?——と思われるかもしれない。しかし日本の首相というのはベネズエラの大統領とは全く違 う。確かに数年前から、内閣は少しずつ権限を強めてはいるが、日本の総理大臣というのは先進国の中でもきわめて力の弱い指導者のひとりなのだ。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は1989年発表の名著「日本権力構造の謎」で、このパラドックスを詳しく分析した。あの本が発表されて以来、日本の政界は二転三転しているが、混乱の末にやがて何が新しく生まれてくるのか、誰もはっきり見通せないままだ。

1993年に自民党は9カ月間、政権の座を追われた。野に放り出されたこのわずかにして唯一の経験の後、自民党は他党との連立に頼ることで権力にしがみつ いてきた。そしてこの不安定な状況下の日本では、まもなく二大政党制が成立するのではないかという憶測がさかんに飛び交うようになった。

二大政党制成立の予測は、実現しつつあるように見えるかもしれない。2001年に首相となった小泉純一郎氏は、自分の党を「ぶっ壊す」と掲げて出馬。「自 民党をぶっ壊す」というこのスローガンはあるいは、自民党が権力を握り続けるための最高の手法だったのかもしれない。小泉氏はこれで地すべり勝利を収めた のだから。そして2007年7月には、民主党の小沢一郎代表が同じスローガンを掲げて参院選を戦った。小沢氏も自民党をぶっ壊すと主張し、そして小沢氏も 大勝した。ということはつまり、自民党の命運は途絶えたということなのだろうか?

手短かな答えはノーだ。というのも自民党は、確かにあからさまな問題をたくさん抱え込んではいるが、見た目と違って、決して政治的に破たんはしていないからだ。日本は確かに未だに、一党支配の国かもしれない。しかしそれでもどうにかして、民主国家であり続けているのだ。

日本が一党支配下の民主国家だという証拠は、先週の政界の動きからも明らかだった。というのも、国民は安倍氏が嫌いだった。だから国民は、安倍氏を辞任さ せたのだ。もって回ったやり方になったのは、安倍総理が自民党総裁だったからで、自民党総裁である以上、2009年9月には必ずやらなくてはならなかった 衆院選まで、その立場は理屈の上では安泰だったからだ。安倍氏は、空気が読めないと批判されていた。しかし当の自民党は、空気を読むことができた。だから 安倍氏は速やかに退場となったのだ。

いつもこういう展開になる。自民党は確かに、日本国民よりも保守色の強い保守政党だ。しかし自民党の政策は、世論の大きな動きをきっちり追いかけている。 たとえば1970年代にひどい公害問題に対して国民の不安が高まると、自民党は社会党のお家芸を盗んで、一夜にして環境重視の党に変身した。あるいはバブ ル崩壊後の長引く不況対策として民主党が自由市場主義を持ち出してくるや、自民党はそれに対抗して小泉氏を作り出し、民主党の政策を掲げて出馬させた。

今回の総裁選で、ほとんどの党内派閥が結集して福田康夫氏をこぞって支援している光景は、確かに「古い悪い自民党」復活の兆しなのかもしれない。しかし派 閥同士が密室であれこれ取り引きしている今のこの状況でさえ、世論の意向を反映したものだと言える。日本国民は、麻生氏の個性的な人柄が好きだが、それで もやはり総理大臣には福田氏の穏健で落ち着いた安定ぶりを好んでいるのだ。

なのでもしかしたら、日本は確実に二大政党制に近づいているというお題目は、妄想に過ぎなかったという結末になるかもしれない。それよりもむしろ可能性と してあり得るのは、福田氏の下で自民党が今一度、世論を反映する形で自らを作り変えるという展開だ。これはなかなか厄介な作業になる。小泉前首相による市 場主導の改革を継続しつつも、改革に取り残されたと感じている人々を支援しなくてはならないからだ。

あるいは別の可能性として、自民党は次の選挙で負けるかもしれない。しかしそうするとかえって、もっと大々的な政界再編成につながるかもしれない。そして その結果として、はっきりと主義主張の異なる二大政党が出現するよりも、様々な勢力がひとつの当選しやすい政党に結集するという結果になりかねない。その 「当選しやすい政党」が自民党と名乗るか、別の名前にするかは、本質とはあまり関係のないことだ。

そしてひるがえって自民党総裁、別名「日本の総理大臣」のことだが。小泉氏がさかんに努力したにもかかわらず、権力のほとんどを握っているのは、総理大臣ではない。

日本における権力の一部は自民党が、そして一部は大企業が握っている。そしてさらに一部は、政官財という「鉄の三角形」のもう一角、つまり官庁が握ってい る。1990年代に度重なるスキャンダルや政策の失敗ですっかり面目を失った官僚たちは、今はじっと鳴りを潜めている。確かに往時の勢いはないかもしれな いが、しかしそれでも官僚の影響力はおそらく今でも、政治家のそれを上回るはずだ。

たとえば今なら、貧しい地域にいる有権者の不満を解消するという政治的な要請に応えるならば、公共投資の拡大が当然ということになる。しかし官僚たちが、国の財布のひもを緩める気配はまったくない。

つまりだからこそ、安倍氏がモーニングジャケットを脱いで入院着に着替えても、誰もパニックしなかったのだ。自民党は見た目以上に権力をがっしり握りしめている。しかしその手に握った権力の実態というのは、見た目ほど強固なものではないのだ。

党の魂をめぐる戦い 自民党総裁選

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年9月19日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

安倍晋三首相が先週、突然の辞任表明で自由民主党を危機に突入させて以来、福田康夫氏と麻生太郎氏は、切っても切れない関係となった。どこに行くにも2人 一緒と言う状態だ。安倍氏に代わって自民党の総裁になり、よって次の総理大臣になろうと名乗りをあげた2人は、23日の総裁選挙に向けて国民に訴えかける ため、一緒にバスや飛行機であちこちを行脚している。

福田氏と麻生氏は実際、同じ目的を抱いている。それはつまり、自民党を守ること。しかし2人の政策やスタイルの違いから、2人は実は自民党の魂をめぐって 争っているのだということが、明らかになってきた。「安倍辞任」の大失態を党として乗り切った後、自民党がどういう政党になるのか、その根幹の部分を2人 は争っているのだ。

自民党幹事長の麻生氏は、党の右派から総裁を目指している。安倍首相と同様に、日本はもっと国際社会の舞台で頭角を現すべきだと考えている。弁舌に優れ、裕福な名家出身であると同時に、一般受けする親しみやすさも兼ね備えている。

福田康夫氏は対照的にドライで辛口、かつガリ勉的な政策通あるいは政治オタクだ。日本外国特派員協会で開かれた19日の記者会見では麻生氏が、福田氏は「霞が関の機械」の言いなりになりかねないと、言外に皮肉っている。

外交政策について2人のスタンスはかなり違う。A級戦犯数人を含む戦没者200万人が奉られている靖国神社について、福田氏は「参拝しない」と言明。一方 の麻生氏は、実際にはおそらく参拝しないだろうが、参拝する権利を手放すつもりはないと示唆して、「自分の国のために命を投げ出してくれた人に敬意を表す ることを禁止する国はない」と述べた。福田氏は、第2次世界大戦がもたらした全ての問題が誰にとっても満足のいく形で解決したと言えるわけではないと認識 した上で、近隣諸国との相互理解を求めていくべきだと主張。この立場も、戦後日本はこれまで十分すぎるほど戦争への負い目を抱えてきたとする麻生氏とは、 対照的だ。

両氏は共に、インド洋で多国籍軍への給油活動を継続することで、アフガニスタンでの「対テロ戦争」に貢献すると表明。この給油活動継続を可能にするテロ対 策特別措置法の延長問題が、安倍首相辞任の表向きの理由だった。アフガニスタンの国際治安支援部隊に関する国連安保理決議に、海上自衛隊によるインド洋で の給油活動などへの「謝意」が盛り込まれたことは、テロ特措法延長の突破口になるかもしれない。民主党など野党はこれまで、「アフガニスタンの対テロ戦争 は国連の承認を得ていない」として、特措法延長に反対していたからだ。

実のところ福田氏は、国際舞台でむやみに日本のプレゼンスを上げることに腐心していない。特に、従来の憲法解釈では禁止されてきた集団的自衛権の行使とみなされる活動について、福田氏は慎重だ。

安倍首相の「主張する外交」がどうも国民にしっくりこないまま終った後とあって、福田氏の穏健な外交姿勢は自民党にとって安心できるものなのかもしれない。しかし自民党が次の総選挙で勝つか負けるかを決めるのは、外交ではなく国内の問題だ。

国内の課題については、安倍氏前任の小泉純一郎前首相の人気と、小泉改革がもたらした自由主義市場改革への反発との間で、どうバランスをとるか。これが、 自民党にとって重大な課題だ。雇用が少なくて経済が停滞している地域の多くは夏の参院選で、自民党に厳しい反撃をくらわせている。

麻生氏は、「どこにも行かない道路」などを造る公共事業のばら撒きによる、強引な地方経済の振興には反対している。その代わり、地域経済が自ら復活できる よう、行政のしきたりを破り、地方分権を促進すると方針を示した。とは言うもののその一方で麻生氏は、明らかに保護政策や補助金などのことを意味しつつ、 国際競争をする企業に求められる「グローバル・スタンダード」を必ずしも地域経済に要求する必要はないだろうと付け加えている。

福田氏も「自立と共生」ということを訴えている。改革続行と規制緩和を進める上で、今までよりも優しい、家長的なアプローチを組み合わせることは可能だろ うという考えだ。小泉改革による市場主義による行き過ぎが、日本の格差を拡大させたという意見があると福田氏は言及。これまで阻害されてきた人々の声を、 政府がよく聴いてよく考えていかなければ、反発の嵐に押し流されて、改革そのものが「破滅」してしまうだろうとの考えを示した。



所詮大同小異なんだって....。

金曜日, 9月 14, 2007

安倍政権1年、ひどい1年は辞任で幕


フィナンシャル・タイムズ


(フィナンシャル・タイムズ 2007年9月12日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

今月11日のことだ。ふだんは羊のように大人しい日本人記者団が珍しく、安倍晋三首相に「少し体調が悪いようだが」と立ち入った質問をした。首相はこれに 「ちょっと風邪をひきました」と返答。しかし振り返ってみればこれは、予兆だった。映画ではたいがい、登場人物がくしゃみをすれば、そのキャラクターは後 のほうで死ぬことになっているものだが、案の定、「ちょっと風邪をひきました」と答えてから24時間もたたない内に、安倍首相は政治的な屍と化していた。

首相の辞任会見後に会見した与謝野馨官房長官は、首相が自ら口にすることはなかったが、辞任の理由のひとつに健康問題があったのではないかと述べた。

「総理は自分の健康が総理大臣の厳しい日程・精神的な重圧に耐えられるかどうか、常に吟味していた」と官房長官。

確かに12日の辞意表明会見で、安倍首相はげっそりと生気がなかった。声は小さく、元気もなくて、狭い会見室の後ろのほうにいた人たちは、首相が何を言っているのか聞き取るのに苦労するほどだった。

健康問題を辞任理由にする自民党の説明の仕方が、単なる目くらましの煙幕なのかどうかは、間もなく明らかになるだろう。しかし何が突然の辞任の契機となったにせよ、安倍首相の近くにいた人々はみな驚いていた。

「絶対に戦い続けるはずだと信じていた」 首相を良く知る関係者はこう言う。

これが7月に参院選で惨敗した後に、首相が辞任していれば、誰も驚かなかったはずだ。自民党52年の歴史の中でも最悪の敗北だったとされるあの選挙で、有 権者は安倍首相のリーダーシップと政治テーマをとことん拒絶したのだ。なかでも、ここ数年の自民党の経済政策によって取り残され、のけ者にされたと感じて いる地方や貧しい県の有権者は、きっぱりと安倍政権にそっぽを向いた。

にもかかわらず安倍首相は、政治的な慣例を破り、党内重鎮たちの声も聞き入れず、続投を表明。参院選大敗の責任をとって辞任するのではなく、国際社会において顔を上げて主張することのできる日本をつくるという野望実現のため、努力し続けると表明していた。
心機一転の再出発を期して、首相は8月に内閣を改造。閣僚が4人も不祥事や失言などで辞任する羽目になった「軽量級」の第一次内閣とは異なる、より堅実で 有能な布陣をそろえたかに見えた。しかしそれからたった1週間もしないうちに、農林水産大臣がスキャンダルで辞任するという事態に陥っていたのだ。

首相はその後、海上自衛隊がインド洋で米国など同盟国の艦船に給油することを認めるテロ対策特別措置法の延長に、自分の将来を賭けることになる。というの も、参院第一党となった民主党が、「直接的に国連安全保障理事会から承認されていない」という理由で、延長に反対しているからだ。

先週末にシドニーで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で、安倍首相はブッシュ米大統領に、テロ特措法延長を約束。さらに記者会見で、 そのために「職を賭す」と発言し、延長できなければ辞任する意向を示唆したのだ。この発言は、首相が面目を保ちながら辞任する口実を作るための、いわば出 口戦略を自ら用意したものだと、そう解釈する声もあった。

しかし帰国後の首相は、戦い続ける意志があるかのような姿勢を見せていた。10日には臨時国会を開いて所信表明演説。与党が衆院で獲得している3分の2の圧倒多数を使ってテロ特措法延長を衆院で再可決する意欲があるかのようだった。

けれどもその同じ日、安倍氏の後継と目されている麻生太郎氏によると、首相は「困難な状況」打開のために自ら退くと、辞任の意向を麻生氏に伝えていた。

辞任表明のタイミングに、大勢が驚き、そして政治状況をいっそう混乱させるものだと反発した。「大変なことになる」と政府関係者は話す。

しかし短命政権で終る羽目になった安倍首相の就任直後から、今回の事態の予兆はあちこちにあった。就任直後に果たした中国訪問で、首相は冷え切っていた両国関係の回復を図り、「戦略的互恵」と呼んだ日中関係の構築を掲げるというシンボリックな外交成果を挙げた。

しかし思えばこれこそが安倍政権の絶頂期だったわけで、それ以降は閣僚のカネのスキャンダルと失言(女性を「産む機械」と呼んで、有権者の半分の反感を買った大臣さえいた)が相次ぎ、首相の支持率は60%から20%台までひたすら下落し続けた。

ただでさえ支持率が低下し続ける中、社会保険庁が3000万件分の年金記録を紛失したという事態があかるみに出て、安倍政権はさらに横殴りの打撃を受ける羽目に。

米コロンビア大学の日本専門家ジェラルド・カーティス教授は、年金記録問題こそが安倍首相にとっての「ハリケーン・カトリーナ」だったと指摘する。 2005年に米南部を襲ったハリケーン・カトリーナがブッシュ米大統領自身の責任ではなかったと同様、年金記録の紛失は安倍首相本人の責任ではないもの の、事後の対処の仕方があまりにひどかったせいで、首相の(あるいは大統領の)感覚と国民の感覚がいかにずれているか、そのずれの大きさを象徴する出来事 だったからだ。

日本経済はもう5年間も成長基調にあると言われるが、全くそれを実感できない。日本各地で一般国民は、そのことを何よりも心配している。にもかかわらず、安倍首相は「美しい国」作りというお題目を唱え続けたのだ。

「自虐的」だと安倍氏が呼ぶ日本人の自己像を捨て、日本の誇りを復活させようと安倍氏は訴えた。これは祖父・岸信介氏から安倍氏が引き継いだものだ。戦時 中の東條内閣で大臣を務めた岸元首相は敗戦後、A級戦犯容疑で逮捕され収監されたが不起訴となった。この岸元首相の孫である安倍氏は、祖父の愛国心を尊敬 し、たとえ国民に不人気でも国益のために正しいと信じることを実行するべきだという、そういう信念を抱いていた。

岸元首相は1960年、国内を揺るがした反対デモを無視して日米安保条約改定を断行したものの、混乱を招いた責任をとって辞職。安保改定を達成した上での、まさに栄光の炎にわが身を焼くがごとくの失墜だった。

孫の安倍氏もやはり日米関係が間接的な原因となって、首相の座を降りることになった。しかし1年で終った安倍内閣は結局一度も、「栄光の炎」に輝くことはなかったのだった。



これで「ぼっちゃん」にはうんざりしたんだよね。
三代続く日本のぼっちゃん首相の顛末や如何に!ってトコ?

土曜日, 7月 28, 2007

日本は絶対に原子力を手放さない

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年7月26日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

マグニチュード6.8の地震に見舞われた新潟県刈羽村の住民の多くは、家を失った。身内を亡くした人たちもいる。にもかかわらず、地震発生直後に多くの人 たちが真っ先に気にしたのはひとつ。村の近くにあるあの原子力発電所から立ち上っている、巨大な黒煙はいったい何だ?——という一点だった。元町議会議員 の武本和幸さんはそう言う。

原発から黒煙がもうもうと立ち上るあの映像は、日本中を震撼(しんかん)させた。世界最大規模の巨大な柏崎刈羽原子力発電所で稼働中だった4つの原子炉は、設計どおりに自動停止した。しかし原子炉以外の部分では、安全対策と安全確保の手順に重大な欠陥があった。

どたばた警察コメディではあるまいに、原発で初期消火にあたった4人は十分に火を消すことができなかった。その理由は、おっとびっくりまさかそんな、消火 用水の水道管が地震で破損していたからだという。地元の消防隊は、被災者の救援活動に忙殺されていたため、出火から2時間近くたってようやく、原発に到着する始末だった。そしてその後の調査で、日本の電力供給の3割近くを担う原発全55基の内、消火体制の整っている原発はひとつもないことが判明した。

ロンドンのハイド・パークの2倍強もの広さがある柏崎刈羽原発は、中越沖地震ほどの規模の揺れに耐えられる造りにはなっていなかった。設計時に想定した揺れの強さについては、1号機は273ガルだったが、実際の揺れは680ガルにも達した。

その結果、放射性物質を含む水が海に漏れ出し、放射性物質が大気中にも放出されるなど、個別に発生した損傷や不具合などのトラブルは63件に上った。柏崎 刈羽原発を操業する東京電力と、経済産業省原子力安全・保安院は共に、漏れた放射能の量は「極めて微量」で、人体はや周辺環境への影響はないと説明し、住 民の不安を解消しようとしている。漏れ出した放射能の影響は確かにそうなのかもしれない。しかし東京電力は当初、放射能漏れはないと発表していただけに、 彼らの言うことを信頼していいのかどうか。

何よりおまけに、今回の地震が起きるまで東京電力は、柏崎刈羽原発の間近くに断層はないと主張していたのだ。今回の地震で、震央(震源の真上)から原発ま での距離は16キロ。さらに、余震などを分析した結果、地震の断層が、原発の地下まで延びている可能性が高いことも判明した。

こうして次々と明らかになる新事実は、反原発派にとっては援護射撃のようなものだ。原発に反対する人たちは、地球上で最も地殻変動が活発な場所のひとつに ある日本で原発を作るなど、狂気の沙汰だと主張しているからだ。神戸大学都市安全研究センターの石橋克彦教授(地震学)によると、日本は全国どこでも巨大 地震に見舞われる危険があるのだという。6500人が犠牲になった1995年の阪神大震災は、それまで地震の危険は低いと信じられていた大都市を襲った。 石橋教授は、地震と地震による核・放射能事故が引き起こす複合的災害(原発震災)で数百万人が犠牲になる危険があると警告している。

地球上にある原発の1割を、地球上で最も地震の活発な地域のひとつに押し込めるのは、果たして賢明なことなのか。原子力発電そのものが大嫌いだというわけでなくても、これにはいささか首をひねりたくなる。しかし原子力政策の担当者たちは、過剰反応はしないほうがいいと話す。まず第一に、中越沖地震から学ぶ べき教訓は、原発の危険性ではなく、むしろその逆かもしれないという指摘だ。柏崎刈羽原発の設計想定よりも2倍以上の最大加速度で地面が揺れたが、原子炉は正常に自動停止した。トラブルが起きたのは、基幹部分ではなかった。大気中に漏れた放射性物質の量は、保安院などの発表によると、「東京~ニューヨーク を飛行機で往復する間に宇宙から浴びる放射線の1000万~100万分の1の量」に過ぎなかった。

国際的な原子力の専門家は、最新の設計技術を使えば、想像できる最大規模の地震にも耐える原発を造るのは可能だと話す。自動停止と冷却機能、漏えい遮断などの機能がある限り、チェルノブイリ型の事故はほとんど不可能なのだという。

ポイントは2つある。第1は、規制・監督の問題だ。民間事業者はどう見ても、安全性について手抜きをしてきたし、地震発生の可能性をありえないほど低く見 積もっていた。これまでのやり方を見ても、日本の経済界は本当のことを隠すのが得意だ。それだけに、政府が徹底的に監視し、積極的に監督機能を果たさなく ては、事故防止のためあらゆる手を尽くしていると国民を説得できない。

第2のポイントは、もっと根本的な問題だ。そもそも日本は原子力産業をもつべきなのだろうか? ここで問題になるのは、石油や天然ガスをほとんど持たない日本にとって、原子力発電のない生活は考えられないということだ。

自分たちは資源の乏しい国——。日本人が抱えるこの根深い強迫観念こそ、1930年代の日本を突き動かし、そして破滅へと追い込んだ帝国主義的野望の最大 要因だった。自分たちには資源がないという日本人のこの強迫観念がいかに根強いものか、日本の外ではあまり理解されていない。たとえば海外の自由貿易主義 者たちは、日本の農産物関税が高すぎると批判しているが、日本国内の議論はそれよりむしろ、カロリーベースで40%しかない食料自給率をどう引き上げるかに移りつつある。

日本は資源に乏しい国だというこの強烈な恐怖は、実は一部で言われるほど、合理性を欠いたものではない。いったん危機が起きれば、国内に食糧とエネルギー が入ってこなくなるという、そういう弱点を日本は抱えているのだ。ということはつまり、日本政府はこれから、原発の安全性向上のために徹底した見直し作業 に入るが、そもそも日本が原子力産業をもつべきかどうかは、これからも議論されないままということになる。



予言めいた終わり方ではあるが、実際、その予言は現実のものとなっている。

理想的な話をするならば、次世代のエネルギー資源に関して、開発さえ進めば....ということになるが、直近、水力火力を総動員しても、日本の電気は賄えない!と脅された場合、なるべく目立たないところに、原子力発電所があればイイなぁ....というところに、落ち着いたりもする。 こうしてPCに向かう時間が、現実的に制限されるよりは、その方が「マシ」と考えてしまう弱さである。

結論先送りは昨今の政治の決定的な「質の悪さ」と感じるが、情けないけど、大差ないなぁ....

火曜日, 7月 17, 2007

FTと昼食を 安倍昭恵さんとランチ

ご亭主よりも、キャラ的には好きだったね、この人は....

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年7月13日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

安倍晋三首相の妻・昭恵さんは日本ではスター並みの人気者で、その上、私が昼食をご一緒した数日後には、米ホワイトハウスでジョージ・ブッシュ大統領夫妻 とプライベートなディナーを共にしていた。日本のファーストレディに魅了された大統領は、安倍首相に向かって手放しで賞賛。「素晴らしい奥様を夕食に連れ てきてくださって、ありがとう。首相はとてもよい伴侶に恵まれていらっしゃる。アキエの優しさと知性に、私はつくづく感服した」――と。居心地の悪そうな 表情の安倍首相に向かって大統領はさらに、ファーストネームで首相を呼んで「シンゾー、ローラは新しい友達を見つけたようだよ。私もそう感じている」と付 け加えた。

日本の週刊誌に「アッキー」「アッキーちゃん」(「ちゃん」とはペットや「ハローキティ」につけるたぐいの愛称)と呼ばれている昭恵さんは、夫が昨年9月 に首相就任してからというもの、首相よりも華々しく活躍している。「シンゾー」は、華やかな前任者・小泉純一郎氏の「モップヘア」(訳注・前首相の髪型の こと)な影からなかなか抜けられずに苦労しているが、昭恵さんはもっとすんなり楽々とスポットライトを浴びはじめた。

日本のファーストレディたちはこれまで、「三歩下がって夫の影を踏まず」とは言わないまでも、舞台中央を独占することはほとんどなかった。これに比べると 昭恵さんの場合、(45歳に先月なったばかりの)首相夫人はあちこちで「若くて現代的な日本女性」という扱いで、きらびやかな特集に登場。何を感じ、何に 情熱を抱いているか、正直に表現して恐れない、そういう女性として取り上げられている。

「韓流スター」に夢中で、お酒好き――。昭恵さんは、国家行事の場で夫の手を握ることでも有名だ。これを日本でやるというのは、たとえばブッシュ大統領が ホワイトハウス前庭で記者団を前に、夫人にディープキスするのと等しい(いや、そのイメージは頭から消したい)。昭恵さんは、自分たち夫妻に子どもがいな いこともオープンに話題にするし、「安倍昭恵のスマイルトーク」という10代の若者のようなブログも公開している。

昭恵さんと私は、リッツ・カールトン・ホテル45階のレストランで会うことになった。最近の東京に次々と立ち並ぶ高級ラグジュアリー施設のひとつだ。私は 早めに到着したので、結果的に、礼儀作法を気にするホテルのスタッフを心配させる羽目になった。私がどこで首相夫人を出迎えるべきか、高層階にあるメイン ロビーか地上階か、ホテルのスタッフはひそひそと相談しあっていた。

結局、私たちは地上に降りていく。スタッフはそれでも正しいエチケットについて相談を続けている。するとそこに現れた昭恵さんは、私たちがひそひそと固 まっているのに気づかず、さっそうと前を通り過ぎてしまう。私たちは慌てて後を追う。一緒にエレベーターに乗って上に向かう間、昭恵さんは礼儀正しく私を 無視する。これからランチを一緒にするフィナンシャル・タイムズの相手が私だと、分からないようだ。

夫人の後ろを数歩遅れてついていくと、ファーストレディの目に映る世界というものが、垣間見えた。誰もが次々とお辞儀をして、緊張した笑顔と仰々しい挨拶 をこちらに向けてくる。私たちは続いて、青々とした見事な畳敷きの個室に入り、名刺を交換して、座卓に向かう。ちょっと前にちょっとした誤解があったこと について、昭恵さんは触れない。もしかして、誤解していたのは私の方かもしれないと思う。

昭恵さんは、地味だけれどもファッショナブルなグレーのピンストライプスーツを着ている。世間で言われているような、気楽な人ではないのかもしれないな、 と第一印象で思う。彼女は緊張している。かぼそい小鳥のような声で、唇をさかんにかんで、何かを言い始めても最後まで言い切らずに途切れたり、内気な感じ で笑って、続く言葉を飲み込んでいる。その後に続く沈黙を破るのは、三味線の音色だけだ。

緊張した様子の若いウェートレスがピンクの着物姿で現れる。額を畳にこすりつけんばかりにお辞儀をしてから、震える両手で熱いおしぼりを渡してくれる。す るとちょうどその時、昭恵さんのお腹がグーッと大きく鳴る。すると大したもので、首相夫人は自分のお腹が鳴っているのを隠したりせず、爆笑する。笑いなが ら、手で口元を隠したりしない。

高級料亭にはありがちなことで、メニューはない。前菜(蛤の白ごま味噌和え)を一緒に試しつつ、夫が総理大臣になってから生活がどう変わったか尋ねてみ る。「一番大きい変化は、首相官邸に移り住んだことと、外に出かけるとみんなが私を知っていることですね。外国の元首や要人の奥様たちとお会いするとき は、緊張することもありますが、そんなにものすごく極端に生活が変わったというわけでもありません」

製菓会社の社長令嬢として生まれた昭恵さんは、安倍晋三氏とのお見合いに応じたとき、それがどういう生活を意味するか承知していたはずだ。何と言っても安 倍氏は、祖父と大叔父が総理大臣という、そういう一族の人間なのだから。結婚から4年後に安倍氏の父・晋太郎氏が亡くなり、晋三氏は遠い山口の実家を継 ぐ。総理大臣になるのは、時間の問題だった。「ずっとその日のために準備していたようなものです」と昭恵さんは言う。

昭恵さんはお澄ましをすすっている。私が次に質問するまでに、食べ終えてしまおうということらしい。私はこう尋ねてみる。月末の参院選挙でご主人はひょっ としたら任期満了前に総理の座を失うかもしれないが、そういう状況の中、安倍さんの堅苦しいイメージをソフトにするために、安倍夫人が利用されていると、 自分自身はそうは思わないかと。

「本当のことを言うと、夫はすごくユーモアのセンスのある、面白い人なんです。でも世間に見せている顔は、いつもとてもかしこまっている。私が隣に立つことで、夫のイメージがソフトに柔らかくなるなら、それは私の役目のひとつです」

ひとつ問題なのは、予想していたよりも早く夫が首相になったことだと昭恵さんは言う。「戦うことなく、苦労することなく、首相の座についてしまった。総理大臣になるための準備が足りていないと、夫は感じている」

次のコースは蒸した百合根まんじゅう。これを出そうと、ウェートレスがそこここにヒラヒラしている。夫の代わりに遊説して回るのは、楽しいというよりは辛い役目だと、昭恵さんは言う。

「心から楽しんでいるとは言えません。でもちょっと、スポーツみたいな感じもあって。勝つと、ごほうびにおいしいビールを飲むんです」

ビールの話題が出たのでいいチャンスだと、「お酒がお好きだそうで」と聞いてみる。ほとんど下戸に近い安倍氏とは裏腹に、昭恵さんはかなりの酒豪なのだそ うだ。「私がお酒好きなのは有名です。山口に引っ越したとき、私は近くに親類も友達もいなかったので、支援者のみなさんと仲良くなるには、お酒がすごく役 に立ちました。雰囲気がリラックスしますからね。お酒はとても便利なものです」

この話題が楽しいのか、昭恵さんはさらに続ける。「日本酒も好きですが、最近ものすごくおいしいワインをいただく機会があって。中国に行ったときは、すご く強いマオタイ酒をいただきました。どれだけ飲んでも二日酔いになりませんよ、と言われて。週刊誌は『マオタイ10杯』とか書いていましたけど、それは オーバーです」

昭恵さんの韓国好きについても少し話す(ちなみに韓国も強い酒で有名だ)。そして、いわゆる「従軍慰安婦」の問題をどう思うか、と聞いてみる。戦争中に (多くは韓国の若い女性が)日本軍の売春宿で働かされていたことについて、安倍氏は最近、日本軍は直接関与していなかったという意味の発言をして国際的非 難を浴びた。これについて聞かれると昭恵さんは、明らかにスタッフがあらかじめ用意した想定問答集の中から答えをひっぱってきたような口調で「それについ ては、あまり話したくありません。戦争という状況の中で色々なことがあって、慰安婦になってしまった女の人たちはとてもお気の毒だと思います」と答えた。

二段重ねの重箱に美しく繊細に盛り付けられたごちそうをいただきながら、私はさらに、「控えめで尽くす日本女性」という欧米視点のステレオタイプは本当にそうかと質問してみる。

「私が(広告代理店で)勤めていたころは、女性は数年間だけ働いて結婚と同時に退職するのが普通でした。私は、特にこれを極めたいというスキルも、これを続けたいというキャリア志向もなくて、ただ結婚して幸せな家庭を作りたかった」

昭恵さんの口調は今ではぐっとなめらかで、リラックスしている。「それに比べると今では、ほとんどの女性が大学に進んで、出産後も仕事を続けたいと願って います。でも企業の中はまだ女性にとって難しくて。女性よりも能力の低い男性が出世しがちです。日本女性が外資系企業に就職したり、外国に移住したりする のは、こういうわけです」

それは才能の浪費だと昭恵さんは言う。「日本社会にもパイオニア的な女性はいますが、男の人の考え方が変わらないと。中にはいまだに封建的な考え方をする人もいますから」

それはあなたの夫が率いている、権力を半世紀も独占してきた政党の責任ではないのでしょうか? 日本女性を(役割をきちんと果たしていない)「産む機械」と呼んだ柳沢厚労相を、安倍首相が支え続けたのは最近のことだ。

「柳沢さんが使ったもののたとえは、口が滑ったのだと思います。柳沢さんの奥様は画家で、大学教授を務めていらっしゃいます。自立した方で、ご自分の意見 をお持ちです。もし柳沢さんが本当にそういう古臭い考えをお持ちなら、奥様に仕事を辞めて選挙を手伝うよう命じたはずです。『機械』という言葉はウッカリ 間違って使ってしまわれたのだと思います」

ウェートレスがまた静々と入ってくる。刺身とご飯を茶漬けにするためのお茶を運んできた。日本では、男の生活と女の生活は不平等というよりは、切り離され ているように見えます――と、私は言う。キャリア志向のサラリーマンは、妻や子どもより、自分の会社に忠誠を尽くすよう要求されているようだ。「よく言う じゃないですか」と昭恵さんは冗談めかして言う。「亭主元気で留守がいい、って」

安倍氏は様々な信条の持ち主だが、妻の昭恵さんも同じ考え方なのだろうか。「私はそもそも、そんなにしっかりした考えをもっていなかったんです。そして 20年の結婚生活でだんだんに洗脳されたのかもしれない」と昭恵さんは笑う。「私は政治家ではありませんから。政治家の妻として、夫を応援するために、支 援者集会に行くのです。そういう意味では、私がどういう信念を持っているかは関係ない」

とは言うものの、戦争責任の重みで長いこと卑屈になってしまった(と保守政治家たちは考える)日本に、国としての誇りを復活させるという夫の使命については、昭恵さんにも違和感はないようだ。

「夫の目標は『美しい国、日本』を作ること。美しい国というのは、環境のことだったり、大切な日本の伝統文化のことだったり、日本人の美しい心のことだったりするかもしれない。経済大国になった日本は、失ってしまったものに気づきはじめたのです」

私たちはすでにデザートを楽しんでいる。繊細な桜豆腐に濃厚な餡(あん)と金色の葉っぱがかかったものだ。昭恵さんは、ファーストレディとしてどうしたら いいか、ブレア前英首相の妻シェリー・ブレアさんや、米国のローラ・ブッシュさんにアドバイスをもらったという。その一方で、独身の小泉前首相に言われた 言葉が、印象深く残っているとか。

「総理大臣としての毎日はすごく大変だから、家に帰ってきたらギュッと抱きしめてあげなさい、と言われたんです」と昭恵さんは言う。

それだけ聞くと、いかにも「夫に尽くす女」の伝統的なあるべき姿かとも思えるが、昭恵さんはついつい付け加える。

「もしかして当時、小泉さんをギュッとしてあげる人が誰もいなかったのかしら」

昭恵さんは「ねえ……」とウィンクでもしそうな「訳知り」な様子でこう言う。というのも前首相は在任中、周りに女性を寄せ付けなかったというのが、今では伝説となっているからだ。

「でも今ではお楽しみだと思いますよ」 いたずらっぽくこう言い放ってから、昭恵さんはのけぞって大爆笑した。

月曜日, 6月 25, 2007

G8で2位の自殺率 助けを求める声に日本政府も

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年6月22日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

東京の西の郊外にある荻窪駅から乗車する通勤客はおそらくもう、ホームに巧みに設置された幅2メートル高さ1.2メートルの鏡を、いちいち気に留めてはい ないのだろう。鏡がそこにある理由は、飛び込み防止。自分の姿を目にすれば、人は線路に飛び込みにくくなるのではないか、という発想だ。

中央線を運営するJR東日本によると、鏡を5年前に設置してから効果がどれほどあったか、まだ検証していないという。しかしJRが鏡設置を試してみたというそのこと自体から、日本が自殺問題にどう取り組むべきか苦慮している様子がうかがえる。

警察の記録によると、昨年1年間に自ら命を絶った人は3万2155人。1日約90人だ。高い順位に入りたくないこの世界ランキングで、日本は上位に入って しまっている。世界主要8カ国の内、日本よりも自殺率が高いのはロシアだけ。ロシアでは人口10万人中39.4人が自殺している。日本の自殺率は10万人 中24.1人。フランスの18.4人よりもずっと高く、英国やイタリアの3倍にもなる。しかし、どうして?

専門家の中には、日本の伝統文化が背景にあると説明したがる人もいる。自殺を禁じるキリスト教と違い、武士道はかねがね自死は名誉ある去り方だと称えてき たからだと。しかし実際には、1960年代から1990年代半ばに至るまでの日本の自殺率は、確かに国際標準からしたら高めではあったが、現在ほどの高い数字ではなかったのだ。

自殺率が一気に上昇した分岐点は1998年。企業が数千人単位のリストラを開始した時期と重なり、自殺者の数は前年から35%も増えて3万2863人になった。

「経済と何らかの関係があるのは明らかだ」 東京大学のジョン・キャンベル客員教授はこう言う。「(1998年は)リストラが相次いだ、ひどい年だった。 日本の自殺率が高く思えるのは、中年男性の自殺が増えているからだ」 昨年の自殺のうち約3分の2が、40歳を超えた男性によるものだった。

しかし経済回復がもう5年も続き、労働市場は求職者よりも求人の方が多いという引き締まった状態だと言うのに、なぜ自殺率は下がらないのか。それが謎だ。

日本のマスコミがさかんに報道するのは、学校のいじめやインターネットの自殺サイトや掲示板などきっかけにした自殺などだ。確かにこういうケースはそれぞれに悲惨だが、全体に対する割合としてはごく一部に過ぎない。

警察によると、インターネットで自殺仲間を募って実行した人は昨年1年で約90人。学校関係の問題で自殺した人は242人で、自殺全体の1%。とすると残 る自殺の理由は、経済的なものや健康上のものなどだ。経済全体の状況は改善したとしても、経済格差の拡大から、大きな借金を抱えたり、かつての経済・社会ステータスに戻れないと諦めたりと、絶望的な気持ちになっている人がそれだけ増えているのではないか。そう見る専門家は多い。経済や仕事関係の問題が原因 で自殺した人は、昨年1年で約9000人。1998年は約8000人だった。

テンプル大学のジェフ・キングストン教授(アジア研究)は、日本の高齢化が進むに連れて、病気が原因の自殺が増えるだろうと見ている。昨年は自殺のほぼ半数が、健康上の理由を原因としていた。

内閣府自殺対策推進室の高橋広幸氏は、政府のさらなる取り組みが必要だと認めている。そして実際に、今月になって発表した自殺総合対策大綱で、日本政府は 自殺を20%以上減らすという目標を掲げた。高橋氏は、政府の対策のひとつとして、消費者金融の上限金利を20%に抑えるための法的措置を挙げる(訳注・ いわゆる「グレーゾーン金利」撤廃のための改正貸金業法成立など)。これは、借金を原因とする自殺を減らすための、方法の一つになるだろうと高橋氏は言う (一方で、消費者金融の上限金利制限は、経済成長を抑制するほか、消費者金融が貸し付け条件を厳しくするため、闇金融に走る人を増やすだけだと言う批判も ある)。

高橋氏はさらに、政府が「再チャレンジ」のための訓練機会提供を重視していると指摘し、また自己破産法の改正は、救済措置としての自己破産のマイナスイメージをやわらげることを目的としたものだと話した。

これに加えて日本では、うつに苦しむ人のカウンセリングを強化する必要があると高橋氏は言う(カウンセリングは健康保険の対象外)。もし心理カウンセリン グが保険診療で可能になったとしても、今度は「精神科医が足りない」と高橋氏は言う。いずれにしても、予算の制約から、日本のうつ対策はすぐさま解決でき るという問題ではないのだ。

「過去10年間の国の対策は大失敗だった」とキングストン教授は言う。「カウンセリングやセラピーを必要としている人たちが、きちんとした治療を受けられていない。重大な公衆衛生の問題なのに、あまりにも長いこと見過ごされてきた」

この問題にきちんと対応しない限り、自殺率の低減はいつまでたっても何をやっても、鏡や煙に頼るトリックめいた、目くらましに過ぎない。キングストン教授はこう警告している。



国の対策がどうのこうのってのもあんだろけど、そも大企業の収益増にばっかり目を奪われて、庶民生活が沈み込む一方の中で、いざなぎ景気を越えた!なんて、能天気な話に終始してる連中に、一体何が分かるのか問いたいね。
スマート官僚さん達は、自身の経歴が第一だから、そんな部署を担当させられた日にゃ、言わぬが花だの、知らぬが仏だの、くさいものには蓋だのって、自殺者が増えようが減ろうが頬被り決め込むのが関の山だろうし、間抜けな政治家さん達は、報告ないと知らないまんまだかんね。

しかしまぁ、中高年の自殺者が多いって、恥ずかしい国だよね。

金曜日, 6月 01, 2007

それでも昔の日本には戻れない それはなぜ

ジィさんの威光はコイツも一緒だったなぁ

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年5月31日 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

日本の安倍首相はエジプト・カイロで、地元記者が日本・エジプト関係について質問するのをじっと聞いていた。やがて答えた首相いわく、両国関係は好調だと いう。しかし興味を引いたのは、首相のこの答えではない。意外だったのは、安倍首相が同時通訳のヘッドホンをつけていなかったこと。首相はいつの間に、ア ラビア語が堪能になっていたのかと、そう見えた。

要するに、記者の質問はかなり前に事前提出されていたものだった。安倍氏はわざわざ通訳を聞くまでもないと、ヘッドホンをしていなかった。質問の内容は事前に知っていたし、どういう答えが自分に求められているかも承知していたからだ。

この一芝居は、かつての鈴木善幸首相を思い出させた。1980年代初めに首相を務めた鈴木氏はあまりに堂々と、用意された答弁原稿を読み上げてばかりいた ので、「テープレコーダー」などと揶揄(やゆ)されていた。安倍首相のカイロでのこの一幕は、ささいな出来事かもしれないが、ささいながらも、日本が昔の 日本に退行しつつあると指摘する意見を裏づけている。なので、注目に値する。

この日本退行論いわく、小泉純一郎氏はあくまでも経済危機が生み出した総理大臣であって、彼の存在は、線香花火のような一瞬のきらめきに過ぎなかったのだ という。小泉改革が日本の政治にもたらした変化は、束の間のものに過ぎなかったのだと。伝説的ですらある日本の強大な官僚機構を小泉氏は制御したかもしれ ないが、それもほんの一瞬のことだったと。そして危機が去った今、日本は通常モードに戻りつつあるのだと。

安倍首相の諸々は、この日本退行論を裏づける状況証拠になってはいる。首相としてのスタイルは、単独主義的・一方的な小泉スタイルよりも、合意重視のコンセンサス型だ。また小泉流の市場主導型政策は、どうも安倍氏にはしっくりきていないようだ。

「オールド・ジャパン」復活を示す出来事がこのところ続いた。自民党が約50年間ほとんど途切れることなく権力を独占してきたのは、「金権政治」のおかげ だが、その金権政治がいかに未だに脈々と続いているかが、おぞましい形で改めて示されたのだ。現役の農水大臣だった松岡利勝氏が5月28日、首をつって自 殺した。松岡氏は、公共事業の受注に関わる公益法人などから献金を受けていた問題で、追及されていた。そして松岡氏自殺の翌日、談合の仕組みを作ったとさ れた公団元理事が投身自殺した。

連日の悲劇は、安倍首相の評判に影を落とす。政権与党・自民党をもう何十年にもわたり汚してきた、薄汚い政治のありようを、あたかも首相自身が容認してき たかのように見えるからだ。しかし実際には、これは言うならば、旧体制の断末魔のもがきであって、「オールドジャパン」の健在ぶりを示すものではない。日 本が「小泉の前」の状態に戻りつつあるという結論は、間違っている。

小泉氏は決して、自分ひとりで変化のきっかけを作ったわけではない——というのが理由のひとつ。小泉氏は、新しい変化を自分で巻き起こしたのではなく、す でに始まっていた構造的変化を象徴する、「顔」(と髪型)だったのだ。いま新しいものに変身しつつある日本の戦後体制はそもそも、高い経済成長率がなけれ ば続かないものだった。自民党は公共事業を通じて、都市部で吸い上げた税収を農村部に注ぎ込んだ。注ぎ込んだ金の報酬として自民党は、農村部の中選挙区か ら票を吸い上げ、また公共事業の恩恵を受ける色々な利益団体から「政治献金」を受け取っていた。これが、自民党の戦後体制だった。しかしこのシステムはも う機能しない。理由は単純。金がもうないのだ。公共事業予算は過去10年間で削りに削られた。郵便貯金で道路やダムを作るやり方は、終息しつつある。それ どころか日本の郵便局そのものが、かつてはお小遣いがたっぷり入っていた世界最大の貯金箱が、民営化されることになっている。

米コロンビア大学の日本専門家ジェラルド・カーティス教授によると、日本は今、現代に入って3回目の巨大な変革期にさしかかっているという。最初は、日本 の指導層が封建主義を捨て去った明治維新。2回目は、高度経済成長実現のための仕組みを作った戦後復興。そして3回目の変革期のことをカーティス教授は 「20年越しのデケイド(10年間)」と呼ぶ。この間に日本は、氷河が動くが如くの緩慢な速度でゆっくりのろのろと、しかし大地に渓谷を刻むが如くの確か さでじわじわと、国内の経済危機や国際経済のグローバリゼーションに対応してきたというのだ。この緩慢な調整プロセスを通じて、かつて日本が誇った護送船 団方式の資本主義は崩れ、さらに企業間の株式持合も結びつきがほどけていった。これはつまり、平等な所得分配の放棄を意味する。さらに政治の世界では、札 束ぎっしりの封筒が選挙を左右することがなくなるし、総理大臣の権限と責任が拡大することになる。

世間一般的に安倍首相は気弱とか弱腰とか見られがちだが、実際には、改憲や愛国教育という異論の多い政治テーマに実に熱い情熱を抱いている。そして、小泉 首相が郵政改革に邁進(まいしん)したと同じぐらいの情熱をもって、改憲や教育改革の実現に突き進んでいる。それに実は安倍首相の方がよほど大胆に、公共 事業や公務員制度への支出をばっさりと削っているのだ。

「オールドジャパン」の残滓(ざんし)は確かにしつこく残っている。日本の政界で見て見ぬふりをされている最大のネックは、野党の力不足だ。野党はいつま でたっても、本当の意味で自民党を脅かすことができないでいる。自民党を支え続けた政治の仕組みがもうガス欠になりつつあるというのに。日本の野党はどう してこれほどまでに、事態を自分たちの有利に運ぶことが下手なのか。となると、野党の存在意義とは政権獲得にあるのではなく、政権与党=支配層に正当性を 与えることでしかないのではないか——そう結論したくなる。

キュー出ししてもらわなくても自発的に答弁できる党首が見つかれば、野党は自民党よりはよほど有利になれるかもしれない。しかし世の中には、決して変わらないものもある。変わるはずのないものに変化を求めるのは、それは無理というものかもしれない。

水曜日, 4月 04, 2007

日本の軍隊、役割拡大に備える

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年3月29日 翻訳gooニュース) 東京=デビッド・ピリング

日本の安倍晋三首相は3月、防衛大学校の卒業式に出席し、日本は今まさに転換期にあり、卒業生諸君はその中で「軍」(訳注・原文の"military"をそのまま訳出)に入ろうとしているのだと、強調した。

卒業生を前に安倍首相は、北朝鮮の核開発から「大量破壊兵器の拡散」に至る「様々な課題」が、立ちはだかっていると述べた。日本がもっと意思をはっきりと 主張し、国際情勢に積極的に関与するとなれば、これまで以上に世界各地の紛争地に、自衛隊の部隊や装備を派遣することを否応なく意味する。

安倍氏の主張としては新しいものではない。これまでの論調を踏襲した発言だ。昨年秋に首相就任して以来、安倍氏はもっと積極的な外交の展開を主張し、防衛 庁を防衛省へと格上げした。そして日本政府はまさに今、防衛費の割り当てを必要とする様々な施策を次々と打ち出しているところだ。

日米両政府がまとめた在日米軍再編案という大規模なプランに基づき、日本政府は約1兆円を負担する。その一環として政府は、ミサイル防衛システムの配備を 急いでいる。3月末には、地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)が東京北部の航空自衛隊入間基地(埼玉県)に配備された。PAC3はすでに、在日米軍約 5万人に大半が駐留する沖縄の嘉手納空軍基地には、20基以上が配備されている。

PAC3は、日本へ向かって打ち込まれる弾道弾ミサイルを迎撃するよう設計されたもので、日本のイージス艦に搭載されている海対空ミサイルとセットで機能する。

「省」に昇格したばかりの防衛省を率いる久間章生防衛大臣は、そもそも2011年完成予定のミサイル防衛システムを、前倒しで配備するよう主張。「国民の不安を取り除く必要がある」からだと述べている。

日本政府はこのミサイル防衛システム以外にも、巨額の防衛費を払わなくてはならない。たとえば、老朽化した戦闘機約300機を次世代機と入れ替える必要が ある。いま現役の戦闘機の中には、1971年に就役したものさえある。次期機には、1機あたり2億ドル(約240億円)の米国製か、1機あたり6500万 ポンド(約155億円)のユーロファイターのどちらかが選ばれる見通しだ。

さらに日本は、在日米軍再編の一環として、在沖縄海兵隊のグアム移転費60億ドルを負担しなくてはならない。

こうして米軍再編に資金を出し、自衛隊の役割も拡充しようとする一方で、日本政府は防衛費を国民総生産(GNP)比1%以下に抑えるといういわゆる「1%枠」を守ろうとしており、現に防衛費を削減している。

多くの人が、この矛盾に注目している。たとえば、トマス・シーファー駐日米国大使がそのひとりだ。シーファー大使はこのほど報道陣に対し、日本は米政府に 便乗しているという考えを示した。「米国はGDPの4%以上を防衛費に費やしている。このお金はアメリカを守るためだけではなく、日本とアジア太平洋地域 を守るためにも使われている」

大使はさらに「(防衛分野で)日本にできることがたくさんあると気づいてもらいたい。その多くは、『GDP1%以下』という非公式の枠内には収まりきらないものだということにも、気づいてもらいたい」と述べた。

「将来的には様々なことが予想され、日本がこのまま現状レベルの防衛費を維持するのはきわめて困難になるだろう。米政府は、日本が防衛費を増やすことを期待している」

昨年12月末にまとめられた予算案では、今年度の防衛費は5年連続で削減され、前年度比0.3%減の400億ドル(4兆8016億円)と決まった。

防衛関係者や防衛族は、予算増を求めていた。しかし財務省は削減を強く求め、冷戦中に想定されていた陸上攻撃に対抗するための装備を廃棄することで、予算削減は可能だと主張した。

東京のテンプル大学で防衛問題を専門とするロバート・ドジャリック氏は、シーファー大使が日本の防衛費増を求めたのは、米政府の意向を反映したもので、安 倍政権にとってプラス材料になるかもしれないと話す。「日本の保守層にとっては、『もっと防衛に金を使ってくれ』と米国大使に言われるのは、いいことなの だろう」

しかしドジャリック氏の意見では、防衛費増大を受け入れる用意が日本国民にはまだない。戦後を通じて日本は、国家防衛のほとんどを米国に外注していたから だ。「アメリカが、頼りになる傘を掲げてくれているのだから、どうしてもっと払わなくてはならない? そういう考えだ。防衛費を増やせという有権者からの 圧力は全くない」

防衛大の卒業式で安倍首相は、日本の「安全保障基盤の着実な整備を図るとともに、日米同盟を一層強化していく必要がある」と強調した。

しかしドジャリック氏によると、「1%枠」を超えても防衛費を増やすよう日本の世論が求めるようになるには、本当にアメリカは本気で日本を守ってくれるのだろうかという疑問が、もっと高まる必要がある。しかし日本国内ではこのところ、米国への信頼が揺らぎつつあると同氏は言う。6者協議で米政府が、北朝鮮 との合意を急ぎすぎたという批判的な見方が、あちこちで浮上しているというのだ。

米政府が北朝鮮との合意を受け入れたのは、中東で頭がいっぱいだからで、米国は北東アジアの諸問題に真剣に取り組んでいない——。日本の保守層の一部は、こう解釈した。

アメリカは日本を守ってくれない、そういう不信感が広まれば、防衛費1%枠の撤廃を求める世論の高まりにつながるかもしれない。しかし、日本政府が防衛費 増を目指しているという兆候が表面化すれば、日本国内だけでなく中韓からの強い反発を招くことになるだろう。「政治的に、実現可能なことかどうかは分から ない」とドジャリック氏は言う。



給油是か非かってのは分かり易いけど、議論の遡上に載せるんなら、防衛費ってのも、キッチリさせんとあかん類の話なんでないのかな?

金曜日, 3月 23, 2007

FTと昼食を 「国家の品格」藤原正彦さんと

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年3月9日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

電車はゴミゴミした東京をすり抜けて、緑豊かな長野の高地へと向かっていく。私は、これから会うその人が書いた『国家の品格』をパラパラめくる。

「悪名高い」藤原正彦氏(「悪名高い」と呼んだのはご本人であって、筆者ではない)は、東京の話題の的だ。薄い新書として発表した『国家の品格』は日本国 内で200万部以上を売り上げ、売上トップの『ハリー・ポッター』に次ぐベストセラーとなった。魔法学校よりもやや重厚なテーマを扱った本にしては、悪く ない成績だ。数学者転じて社会評論家となった藤原氏は、西洋式の論理や合理性の限界について考察し、日本が武士道精神に戻るべきだと説き、さらには自然に対する日本人の感受性がいかに独特なものかを語っている。

となると、この本はまたしてもお約束の「日本人論」かと一蹴するのは簡単だ。ここで言う日本人論とは(往々にして隙だらけの不完全な理屈で)、日本民族や 日本文化がいかに独特で、いかにほかの何よりも優れているかを強調するもののことだ。その手の「日本人論」本は、日本が経済大国になるだろうといわれた 1980年代に次々と出版され、最高潮に達したものだ。

藤原氏の著作は、1980年代とは全く異なる時代を背景に書かれている。日本経済にはまだ長所もあるが、日本経済は不滅だという幻想は15年前に資産価値 が暴落したのを機に消えてなくなった。藤原氏の唱える日本特異論は、「日本はアメリカにも(アメリカ流の薄汚いやり方で)勝てる」というのではなく、日本 はもっと日本らしい価値観を大事にすべきだというものだ。

私は長野・茅野の小さな駅で下りて、タクシーに乗る。向かったのは、田舎風のレストラン。素朴なテーブルが並び、食事の皿が元気よく行き交い、おしゃべり で溢れている、そんな店だ。藤原氏はもう到着している。62歳になる藤原氏は、今でも東京のお茶の水女子大学で数学を教えている。この日はチェック模様の 半そでシャツに、ゆったりした白いスラックスというカジュアルな服装。白髪交じりの髪は、くしをどこかに置き忘れてしまったみたいな、野放図な感じ。筋 張った体。表情は鋭く真剣だ。

ランチセットを注文してから、藤原氏が客員数学教授として過ごした米英生活について軽く話す。そして私は、藤原氏がこれまで発表してきた時評のなかでどう して『国家の品格』が今の日本の「時代の心」をつかむことに成功したのか、著者としてどう思うか、尋ねてみた。藤原氏は、正確な英語で答えてくれる(学校 での英語教育はほとんど不要だと主張する人が、正確な英語を話すというのは、なかなかないい感じだ)。日本人は金持ちになることを半世紀にわたり追求し続 けた後、長い停滞の時期を経てようやく、自分たちが何を失ったか気づいたのだ。藤原氏はそう言う。

「その昔、日本人も英国紳士と同じで、『カネ』を軽蔑していた。しかし戦後はアメリカの影響で、日本人は金持ちになることにばかり、かまけてしまった」

ランチの最初の料理が運ばれてくる。海老と刺身といくつかのヒヨコ豆の組み合わせ。私の皿の盛り付けは、藤原氏の皿の盛り付けとそっくり同じだ。同じすぎて、もしかして豆の数まで一緒なんじゃないかと思う。

私が豆を数え始める前に、藤原氏は武士道の話を始める。武士道の真髄をなす精神が、いかに失われているかを語る。「12世紀に成立した武士道は、そもそも 剣の道だった。江戸時代に260年にわたる泰平の世が続いたとき、剣の道は道徳律のようなものになった。貧しい者や弱いものをいたわる惻隠(そくいん)の 情、寛容、誠心、勤勉、忍耐、勇気、公平などだ」

名誉や品格を重視する時代へのノスタルジア。日本では今、アメリカ式の資本主義を受け入れたことなどによる格差社会の拡大が問題となっている。その不安感 に、このノスタルジアが見事にマッチしたのだろう。社会的保守派の安倍晋三氏は2006年9月に新首相になると、自らの使命は「美しい国」日本の復活だと 宣言(「美しい国」というスローガンは藤原氏の「国家の品格」に相通じるものがある)。安倍首相は、藤原氏のように西洋式資本主義を見下しているわけでは ない。しかし問題だらけ(だと彼らは言う)の教育制度にてこ入れをし、60年にもわたる「敗戦国シンドローム」に奪われた国家の品格を取り戻すという命題 については、二人の目的は重なっている。

藤原氏は、武士道精神の復活を希求している。1868年の明治維新を達成した革命家たちは、日本は現代国家にならなければ、植民地にされてしまうと考え、 武士道を捨てた。武士階級を消滅させ、廃刀令で帯刀を禁止し、断髪令で髷(まげ)を結うことを禁止した。ほとんど一晩でそれまでの社会システムを捨てて、 別の仕組みを取り入れたという、そのトラウマは、今でも日本で尾を引いている。外国文化を受け入れたのは、外国の侵略を防ぐためだった。だったとしても、 日本は未だに外の世界とどう接するかをめぐり、国内で対立を続けている。

藤原氏によると、日本が取り入れた自由と民主主義のモデルには、欠陥がある。信頼できない大衆を信頼しすぎているし(冷静な真のエリートの方がいいと藤原は言う)、合理性を過大評価しすぎているからだという。「民主主義に加えて、もっと何か違うものが必要だ。たとえばキリスト教は、その『何か』かもしれな い。しかし私たち日本人には、キリスト教やイスラム教のような宗教はない。だからもっと別の『何か』が必要だ。たとえば、情緒とか」

この時点でお店の人が、サーモンの盛り合わせを運んでくる。大きな皿に、様々に色合いのサーモンピンクがおいしそうなグラデーションで重なり、ウェイターはどれがどういう種類の鮭か丁寧に説明してくれる。そして店の人がいなくなると、藤原氏はまた語りはじめた。

「私は市場原理主義には反対です。確かにきわめて公平な競争かもしれないが、公平かどうかというのは、単に論理的な判断に過ぎない。たいして意味のないことだ。公平というのは、弱者につらくあたり、あまり才能のない人たちにつらくあたることと一緒だ。とても不愉快だ」 

藤原氏はこう言い切る。あるいは最後の一言は、論理的な反駁というよりは、感情的な拒絶反応なのかもしれない。

「敵対的買収がそうです。論理的で合法なものかもしれないが、私たち日本人に言わせれば、それは卑怯なことだ」

藤原氏によると、日本が軍国主義に転落していったのも、名誉を重んじる精神を捨ててしまったからだという。「日本人はとても傲慢になった。アジアの盟主になりたくて、次々と外国を侵略していった。分別を失ったのです」

「私は常々、日本は『異常な国』にならなければダメだと言っている。『普通の国』になってはならない。日本は、ほかの大国と同じ、普通の国になってしまっ た。それはほかの大国にはいいことかもしれないが、日本という国は孤高であるべきだ。特に精神的に、孤高でいなくてはならない」

実のところ、藤原氏が高く評価する江戸時代に日本社会が手にしていた安定は、外の世界からほとんど完全に孤立するという代償を払って得ていたものだ。長い鎖国の反動で、日本は欧米の影響を徐々に受け入れるのではなく、欧米の脅威にさらされると一気に内部爆発した。あっという間に封建体制をひっくり返し、西 欧式の議会制民主主義に近い政治体制を受け入れた。

それに、藤原氏の言う武家社会とは、本当に藤原氏の言うとおりのものだっただろうか? 実際には厳しい階級社会で、剣をもった貴族階級が思うがままに恣意的な権力をふるい、農民たちを虐げていたのではないだろうか?

「封建時代には確かに、とても貧しい農民が多かった。しかし良い側面もあった。両面を見なければならない。ある意味ではひどい時代だったが、ある意味では 今よりもはるかに良い時代だった」 藤原氏はこう言い、扇動的な断定調の多い自著ではめったに見かけない、中道的な意見を口にした。

次のコースの皿がやってくる。藤原氏の前には片付けられない皿が所狭しと並ぶようになった。今度のはホタテ貝の料理で、まるで天使たちが盛りつけたみたい な繊細さだ。美しい盛りつけを眺めながら、藤原氏は「中華料理はもちろんとてもおいしいです。でも美しさという点から言えば、私たち日本人は、とても高い 美意識をもっている。文字を書くには書道があって、花については生け花がある」

英国滞在中の藤原氏は、ケンブリッジ大の有名な教授たちが紅茶をマグカップでガブ飲みしている姿を目にして、ショックを受けたという。「私たちには茶道がある。日本人は何でも、芸術に高めるのです」

確かに日本人は、あらゆるものを美しくすることにかけて天才的だ。しかし自然の美しさについては、そうでもない。20世紀後半に日本人は国の自然景観をず たずたにしてしまった。『国家の品格』で日本人の自然への感受性について書かれている部分では、私はほかの部分よりも激しく一言いいたくて、余白にグリグ リと勢い良く書き込みをしている。

たとえば本の中で藤原氏は、日本を訪れたアメリカの大学教授が虫の音を耳にして、「あのノイズはなんだ」と言ったと書いている。虫の音を雑音扱いされて、 藤原氏はあぜんとしている。虫の音は美しい音色だと、日本人なら誰でも分かるのに、この大学教授には分からないのか? 「なんでこんな奴らに戦争で負けた んだろう」と思った——藤原氏はそう書いている。

「虫の音を聴くと、私たちは冬も間近な秋の悲しみを聴く。夏は終わってしまった。日本人なら誰でも感じることだ。そして同時に私たちはもののあわれを感じる。短く儚い人の一生のあわれを感じるのです」

こういう藤原氏に私は反論する。日本人が聞き取るこの「音楽」は当然ながら、教養として教わり作られた感覚のはずだ。確かに日本で虫の音は、「もののあわ れ」を象徴する。あっという間にはかなく散る桜の花と同じだ(ちなみに藤原氏は、欧米人が肉厚な花びらのバラを好むのに対して、薄く儚い桜花を好む日本人 の感覚を対比している)。しかし日本人が、虫の音や桜の花びらに「もののあわれ」を感じるのは、あまたの詩人や歌人や哲学者たちにそう感じるよう教わって きたからではないか? それはたとえば、ボールがクリケットバットあたる音を聞いても、一般的な日本人はただ「ボールが木のバットにあたる音」としか思わ ないだろうが、イギリス人にばそれは「夏」と「村の緑地」を意味する音なのだ——ということと同じではないか?

藤原氏は私の言うことにも一理あるとは認めてくれるが、結局のところは、意見を撤回するつもりはない。「ある東京の大学の教授が電子器具を使って実験した 結果、日本人は虫の音を聞くのに右脳を使うが、欧米人は左脳で聞いているので、日本人は虫の音を音楽として聴き取るのだと証明した」と藤原氏は言う。

これはいわゆる「日本人論」そのものだ。しかし藤原氏は日本と日本的なものに高い誇りを抱く一方で、英国についても実に温かい言葉をかけてくれる。英国は肉厚なバラと論理とバカでかいマグカップの国だが、そんな国でも、藤原氏はなかなか気に入ってくれているのではないか?

とても好きだ、と藤原氏は言う。英国は残酷な歴史をもつが、それでも好きな国だと。「20世紀になって、ドイツとアメリカはイギリスに追いつき、追い越し てしまった。経済が下向きになるに伴い、イギリスの人々は、あれほどの金と名声があっても決して幸せではなかったと気づいた。だからこそあなたの国の経済 は、ずっと停滞したままなんです」と藤原氏は、ゴードン・ブラウン英財務相の逆鱗に触れるようなことを言う。「経済停滞が続いても、英国人は慌てなかっ た。だから英国は偉大なんです。日本は英国から学ぶべきだ。いかに優雅にエレガントに衰退するか。いかに優美に朽ちていくか」

ウェイターはカプチーノとアイスクリームとメロンを運んでくる。私が矢継ぎ早に質問し続けたせいで、テーブルの上にはまだ食べ終わっていない皿が多重事故 みたいに重なり合っている。デザートを食べながら、私たちの会話は日米同盟の話に移り、藤原氏は渋々とこれを支持する(中国に依存するよりはましなのだと いう)。日米同盟から次に話題はインドの数学に移り、その次には現代日本で武士道精神を継承しているのはヤクザではないかという話になる(この説に藤原氏 は反対する)。

元気いっぱいな意見交換は最初から最後まで、実に親しい友好的な空気の中で終わった。食後、藤原氏は自分の山小屋に私を案内してから、駅まで送ってくれた。

列車に間に合うよう急ぐ私は、駅の構内に飾ってある生け花の前を通り過ぎた。駅員が生けたものだろう。改札を通ると、駅長が深々とお辞儀をしてくれた。列 車は当たり前のこととして、定刻に到着する。藤原氏は、日本の良いところがどんどん失われていると嘆く。しかし私には、日本の良いところは変わらず残って いるように見える。変わらず、驚くほどたくましく、残っていると思う。



誤解は誤解を誘発しますね。
この手の話でも聞いてなければ、大きな誤解があったことに気付けないのは、少々寂しい気はするのですが....。