土曜日, 11月 04, 2006

安倍首相、日本の国際的地位確立を目指す


(フィナンシャル・タイムズ 2006年10月31日初出 翻訳gooニュース) デビッド・ピリング東京支局長

 安倍晋三が小泉純一郎の後釜となり、日本の総理大臣になってまだ4週間ほどしかたっていない。「後釜となる」ことを英語では「(前任者の)靴を履く」と言 うが、新総理が履くことになった前任者の下駄は実に巨大だ。小泉氏は、日本で数十年ぶりに出現したカリスマ的な総理大臣で、見方によってはかなりの業績を残した総理大臣でもあるからだ。その後任となった安倍氏が見劣りするのは、避けがたい宿命のようにも思えた。

新政権はまだ始まったばかり。安倍氏が結局は、これといったことのない総理大臣として歴史に名を残す可能性はまだある。しかし安倍首相は最初の1ヵ月で (1ヵ月というより1年みたいな感じがすると、本人は笑いながら言う)、先輩に匹敵するだけの、あるいはそれ以上の、活発な動きで注目を集めている。

就任からわずかの間に新首相は、北京訪問を果たし、ここ数年冷え切っていた中国との外交関係を修復した。言うまでもなく、中国は日本にとって最重要な貿易 相手だ。首相がこれまで北朝鮮に示してきた強硬姿勢も、北朝鮮の核実験後は、周辺諸国結束の拠り所となった。北朝鮮の6カ国協議復帰という最新の展開を見 ると、安倍氏の強硬姿勢は功を奏しつつあるようだ。

一方で安倍氏は国内に向けては、過激な右翼主義という風評を払拭し、真当な穏健派というイメージを作り出すのに成功した。総理大臣として臨んだ初の選挙でも(安倍氏を首相に選んだのは国民ではなく自民党だった)、神奈川と大阪の衆院補選を自民圧勝という結果に導いた。

政権発足から間もなく立て続けにこうした成果を挙げたことで、「安倍政権は短命のつなぎ政権、情勢微妙な来年7月の参院選を持ちこたえられない」という憶測は聞こえなくなった。安倍政権の支持率は60%台後半。人気沸騰中だった小泉政権初期の数字には及ばないが、日本で普通とされる首相支持率を遥かに上 回っている。

安倍首相は10月31日、フィナンシャル・タイムズ(FT)の単独インタビューに応じた。就任後初の新聞インタビューとなったその場で、首相は、自民党規 則が総裁に認める最長任期6年間を総理大臣として全うしたいと表明。その6年間の任期中に平和憲法の改憲を果たし、「日本にとって新しい時代を開きたい」 と言明した。

初の戦後生まれの総理大臣として、安倍氏は「美しい国」を作り出すことを自分の使命としている。安倍氏の言う「美しい国」はつまり、日本人はもう戦争の罪 悪感に打ちひしがれなくてもいいということだ。安倍氏の祖父は岸信介元首相、戦争犯罪人として逮捕されたが起訴はされなかった人物だ。そんな安倍氏は、日 本の敗戦国症候群に遂に終止符を打ち、国民の誇り回復を目標として、総理大臣になった。

安倍首相の計画の中心にあるのは、憲法の改正だ。日本を占領していた米軍の若い理想主義者たちが1946年に急いで書き上げた憲法は、軍隊の保有を正式に は禁止されている(そしてそのおかげで日本は、世界で最も装備の整った警察隊を持っている)。その日本が改憲によって、十分な自衛力を持つ国、国際的な安 全保障に貢献できる国となることを、安倍氏は目指している。

無機質だが美しい新首相官邸は、ワシントンのキャピトル・ヒルに相当する東京の霞ヶ関にある。そこでFTの単独取材に応じた安倍首相は「現在の憲法は、戦後日本が独立する前に書かれたものです。それから60年たって、現在の実態に見合っていない部分がある」と話した。

改憲にあたって最大の難関となるのは、憲法9条の撤廃だ。9条のもとで日本は、国際紛争を解決する手段としての武力行使権を放棄し、「陸海空軍その他の戦 力」を保持する権利も放棄している。しかしこの条文はその意味がどんどん拡大解釈され、特に小泉政権下では、無意味と言ってもおかしくないところまで来て しまっている。

安倍氏はこの憲法9条は「日本を守るという観点から改正する必要がある」と指摘。さらには、世界第2の経済大国として日本は国際社会の安全保障に貢献すべ きだと言う意味でも、改正の必要があると話した。イラク復興支援に地上部隊を派遣するだけでなく、日本はインド洋における米軍艦の給油に協力してきたし、 今後は国連制裁の実施に伴い北朝鮮船舶に対する臨検を支援する方針だ。

日本人の誇りや国の安全保障を強調してきた安倍氏は、日本を極右へひきずりこむタカ派だと、さかんに批判されてきた。前任者に比べて経済政策にさほど関心 を示さなかったことも、経済改革をほったらかしにするつもりだと批判された。しかし外交と経済の両分野で小泉氏は、安倍氏が自分なりの成果を残せるよう、 貴重なお膳立てをしていったと言える。

前首相によるお膳立てのひとつは、中国・韓国との冷えきった関係。安倍氏にしてみれば、改善するしかないという代物だった。小泉氏は首相として、靖国神社 (東京裁判で有罪となったA級戦犯14人を含め、戦死者250万人が奉られている)を繰り返し参拝し、これに中韓は激しく抗議していた。中国は日本にとっ て最大の貿易国、韓国は第3の貿易相手だが、靖国参拝に対する両国政府の怒りは激しく、日本との関係はここ数十年来で最悪ともいえるところまで悪化した。

安倍首相自身も何度も靖国を参拝しているし、東京裁判で下された「勝者の正義」について疑問を呈してきたが、小泉氏がはまってしまった外交の袋小路からは 巧みに脱出。首相就任から10日の内に中国政府からの招待を獲得した安倍氏は、前任者が5年余りの任期中に果たせなかった北京訪問を実現し、双方のために なる新たな次元に両国の関係を高めていく必要があると表明した「日中共同プレス発表」に合意した。

日中関係の改善については、本人の努力もさることながら、小泉時代のもつれた関係から抜け出したいと中国政府の方も意志を固めていたことが大きかった。安 倍氏はこう認めている。「日本の政権交代というタイミングをとらえて行動しようと決めたのだと思う」と安倍氏は言う。「特に経済分野において、日中はお互 いを必要としている。そのことを中国側は強く意識していて、もしこのまま政治的な緊張関係が続けば、中国経済に悪影響を与えかねないと、おそらく考えてい たのだろう」

中国側も動いたが、安倍氏も動いた。小泉氏とは異り、新首相は靖国参拝を公約にしていない。この日のインタビューでは、日本の首相が靖国を参拝しても大丈 夫なほど新しい日中関係は強力なものになったのかという質問に答えず、靖国参拝の話題を避けた。首相は代わりに、妥協の必要性を強調し、「両国はお互いに 努力して、信頼関係を築く必要がある」とだけ答えた。

自分の強硬派レトリックを打ち消そうと、安倍氏はほかにも努力をしてきた。対外的には、周辺諸国を怒らせることなく、対内的には信頼できる穏健派としての 評判を獲得しようと、意識的に努力しているように見える。首相は国会では戦争について謝罪を繰り返し、祖父・岸信介を含む指導者の戦争責任を認めさえし た。FTとのインタビューではこの点を質問される前に、自分の方から、日本人が「アジアで多くの人々に多大な損害を与えた」と言及し、日本人はこうした過 去の教えを「真剣に受け止めている」と述べた。

東京テンプル大学のジェフ・キングストン教授(アジア研究)は「(安倍新首相は)嬉しい驚きだった。中韓からの申し出にこれほど素早く応えるとは、まさか 期待していなかった。しかし安倍氏は毅然とした指導者らしく振る舞い、好ましい基調を打ち出した。1ヵ月の働きとしては、全く悪くない」と評価する。安倍 氏と親しい政治評論家・三宅久之氏は「国の代表として安倍さんは、個人の信条と国家利益をごっちゃにすべきではないと考えている。そういう意味では、小泉 さんよりも柔軟だ」と見ている。

安倍氏にとって今のところ外交は、これ以上ないほどうまくいっている。比較してしまうと、国内政治はさほど劇的に何かが進んだというわけではないが、それでも新首相はなかなかうまくやっている。

消費税引き上げなど不人気な対策をとらなくても、安倍政権は日本の巨大な財政問題を解決できる──と、安倍氏は有権者を説得しなくてはならない。これに は、来年夏に控える参院選の勝敗がかかっている。安倍政権が任期半ばの短命で終わるか、あるいは小泉政権並みの長期政権となるかが、参院選の結果にかかっ ているのだ。

これについて小泉氏は、近隣諸国との気まずい関係とは違い、はるかに前向きなお膳立てを残していった。小泉政権は、日本の経済を過去15年間で最高の状態 にまで改善した上で、後任に託したのだ。回復基調も5年目に入った日本経済は、2.5%程度の成長率をまだ数年間は持続できるだろうと言われている。 1990年代の停滞ぶりに比べれば、好景気と呼んでもいいくらいの状態だ。

一方で、安倍政権は現在の好景気を言い訳にして、時間稼ぎをしていると批判する声も多い。国内総生産(GDP)の182%にも相当し、先進国の中でも最多 の巨大な財政赤字にただちに取り組むべきところを、安倍氏は経済回復を言い訳に、伸ばし伸ばしにしているというのだ。確かに安倍氏は、来年の選挙が無事に 終わるまで、消費税を現行のわずか5%から引き上げることはしないと、はっきり述べている。

しかし選挙が終わればその後には、難しい政策決定が待っている。これを疑う人は少ない。政府は、成長促進と増税と経費削減のバランスを上手に図る方策を見つけ、高齢化の進む日本の人口構成に日々浸食されている財政の問題をなんとかしなくてはならない。

FTの取材に対して安倍氏は、財政再建の議論はどうなるかという質問になかなか応えようとしなかった。しかしその発言から察するに安倍氏は、戦後日本で一般的とされてきたモデルよりも、低負担・低福祉のモデルに傾いているようだった。

「社会保険料の上昇を抑えるために、効率化の努力を重ねなくてはならないし、まだまだ打つ手はあると思う」と安倍氏。「同時に、国民の納税意識に取り組ん で、たとえば社会保険の保険料を引き上げるとか、サービスを受けた際の窓口負担を引き上げるなど、(より大きな)貢献をお願いするかもしれない」 首相の諮問機関として大きな影響力をもつ経済財政諮問会議で民間メンバーを務める伊藤隆敏・東大教授は、新首相がじっくり待って様子を見るのは当然だと話 す。景気循環のもたらす果実を有効活用して事態打開を図れるかもしれないのに、慌てて増税するのは愚かなことだと伊藤教授は言う。

所信表明演説で「改革の炎を燃やし続けて」いくと宣言した安倍氏は伊藤教授によると、経済の規制緩和を進め、公共投資を減らす様々な対策をすでに静かに実 施している。たとえば、国内では格差の拡大に対する懸念が強いが、労働基準法をさらに緩和して企業のパート雇用をこれまで以上に後押しするなどだ。安倍首 相は法人税減税も検討している。 経済財政諮問会議はさらに、政府による地方債の保証を廃止するよう提言。これが実現すれば、公費支出は劇的に抑制される。

こうした中で安倍氏が支持を保つには、来年夏の大事な選挙が終わるまで経済成長が続いてくれなくてはならない。経済成長が続くかどうかは、日銀の対応によりけりという側面があるが、安倍首相にしてみれば日銀は金利引き上げに意欲的すぎるということになる。

日銀は今年7月、当時の官房長官だった安倍氏が「まだデフレ脱却を果たしていない」と厳しく警告したにもかかわらず、短期金利の誘導目標を6年ぶりに引き 上げて0.25%とした。原油価格が下落し続ければ消費者物価はマイナスの領域に戻ってしまう恐れもあるが、日銀は年内の追加利上げの可能性を除外してい ない。

しかし安倍氏はこの点については慎重に言葉を選び、日銀は金融政策の運営にあたり完全な独立性をもっていると強調した。

「政府も日銀も、デフレ脱却を共通の目的としている。そして政府も日銀も、残念ながらデフレ脱却の目標にはまだ達していないと判断している。そのため政府としては、日銀には金融政策で日本経済を下支えしてもらいたいと期待している」と首相は話した。

しかし何も強制するつもりはないと首相は言う。たとえばインフレ目標を1%に設定するなど、何らかの正式な目標設定を日銀に要求するつもりはあるかと質問すると、首相はきっぱりとこれを否定。「そういうことは考えていない」と答えた。

新首相は明らかに、靖国問題以外でも、話の分かる穏健派という評価を確立しようとしているようだ。



穏健派リベラリストってーと聞こえはイイけどね....結果何にもできなかったでしょ、あんた。


「任期中に改憲」 安倍首相にフィナンシャル・タイムズが聞いた一問一答

フィナンシャル・タイムズ
 2006年11月4日(土)09:57

(フィナンシャル・タイムズ 2006年10月31日初出 翻訳gooニュース) デビッド・ピリング東京支局長

フィナンシャル・タイムズ(以下、FT):総理は日本で初の戦後生まれ首相となりました。日本が戦争からいまだに引きずっている問題がいくつかあります。ご自分が首相在任中に、日本はいわゆる普通の国に、普通の憲法と普通の軍隊と、今ほど謝罪的でない普通の歴史観をもった国になるべきだと考えていますか。

安倍晋三首相(以下、安倍):戦争の結果、60年前、日本人は自らひどい損害を受けると共に、アジアの多くの人々に多大な損害を与えました。この教訓を心から受け止めて、日本人は今まで60年間、自由と民主主義と基本的人権を守り、それによって世界平和に貢献してきた。

そうした確信を胸に、日本人は21世紀の新しい時代に見合った憲法を、自分たちの手で作るべきです。憲法改正を政治課題のひとつに上げるため、我々が指導力を発揮しなくてはならないと考えている。

私が、日本国憲法を改正すべきだと考える理由は3つある。第一に、今の憲法は日本が戦後、独立を回復する前に書かれたものです。第二に、制定から60年 たった今、現在の実態に見合っていない部分がある。第三に、憲法制定以降に生まれた新しい価値観を取り上げ、憲法に書き込むことでその精神を後押しすれ ば、日本にとって新しい時代を開くことができると考えている。

FT:憲法の中で、現代の価値観にそぐわない部分とは具体的に何でしょうか。ご自分の任期中に、憲法が実際に改正されると思いますか。

安倍:新しい価値観という意味では、たとえば地球環境の保護がとても大事だという考え方もその一つです。プライバシー権もそう。

時代にそぐわなくなった条文といえば、典型的な例は9条です。9条は、日本を守るという観点から改正する必要がある。また、日本に国際貢献を期待する国際社会の期待に応えるという観点からも、改正の必要がある。

私の任期は1期3年で、自民党総裁は最長2期まで在任できる。その期間内に、私は改憲の実現を目指すつもりです。

FT:次に、中国についてお聞きしたい。中国政府との関係修復は、外交上の勝利ともいえる大成果でした。明らかに中 国側には、対日姿勢を変えようという用意があった。小泉前首相とあなたとで、中国側の姿勢がこれほど違ったのはなぜだと思いますか。何が根本的に変わった のでしょうか。

安倍:日中関係については、特に経済分野において、両国ともお互いを必要としています。そのことを中国側は強く意識していて、もしこのまま政治的な緊張関係が続けば、中国経済に悪影響を与えかねないと、おそらく考えていたのでしょう。

中国はそのことをここ数年間で気づき、おそらく日本の政権交代というタイミングをとらえて行動しようと決めたのだと思う。

FT:新しい日中関係はどれぐらいしっかりしたものなのでしょうか。つまり、総理は自分が靖国を参拝するかどうか明 言していませんが、仮にたとえば1年たって「自分は日本の総理大臣なのだから、どうして靖国に行ったらいけないんだ」と思い立ったとします。それでも中国 側は受け入れるほど、日中関係は頑丈なものになったのでしょうか。

安倍:日本と中国は、相互利益につながる戦略的な関係を構築すると合意しました。その関係を築くことができるのか、両国ともこれから試されるわけです。そしてその目的に向って、両国とも努力していかなくてはならない。

目的実現のための装置として、首脳会談や閣僚級会談を時々もつことにします。そしてそれによって重要なのは、信頼関係の構築に向けて両国がお互いに努力することです。

FT:胡錦涛国家主席は来年早々にも来日するのですか?

安倍:まだ決定はしていませんが、いずれにしても、中国首脳が来年、来日することを期待しています。

FT:次に北朝鮮についておうかがいします。南アフリカを例外として、核爆弾を自発的に放棄した国はありません。金正日は、自国民が苦しんでもかまわないという態度です。朝鮮半島の非核化を本当に実現するためには、体制変換しかないのではないですか。

安倍:我々は、金正日政権と交渉する必要がある。そしてその意味でも、現行の政策を続けるならば自分たちの状況は日々悪化するばかりだと、金体制に気づかせなくてはならない。経済状況も食糧事情も、ひたすら悪化の一途をたどるだけです。

そのためには中国と韓国を含めた国際社会が協力して、国連安保理決議1718に本当の意味で実効性を持たせなくてはならない。

FT:第2案はないのでしょうか。仮に食糧やぜいたく品の禁輸が実現しても、それによって一般市民がどれだけ苦しんで も、金正日はかまわず、ただひたすら意固地にこりかたまったりしたら? 気まぐれにミサイルを発射するようになったらどうするのでしょうか。武力紛争にも 見える状況に日本がひきずりこまれる事態もあり得るわけです。そのための準備はできているのでしょうか。

安倍:この問題は外交によって、平和的に解決しなくてはならないと確信しています。それは、米国を含む国際社会の総意だと思う。

しかし金正日総書記と政権実力者たちは、もし自分たちが武力を使うようなことがあれば、自分たちはもうおしまいだと理解していると思う。

FT:おしまいですか?

安倍:そう、おしまいです。そのことを向こうは十分、理解していると思う。

FT:これはフィナンシャル・タイムズ紙のインタビューなので、経済政策についても少しお伺いします。日本は米国式 の税制と欧州式の福祉制度をもった国だとよく言われます。国民の大半が現役で働いている高度成長期にはそれで大丈夫でしょうが、日本の人口ピラミッドは変 わりつつあります。以前よりも高齢者が増えて、成長率は下がっている。ある意味で今や日本は、米国式税制と欧州式福祉のどちらかを選ばなくてはならないと ころに来ている。

安倍首相は、福祉の民営化を拡大し、低負担・低福祉のモデルを選びつつあるように見えます。それが総理のビジョンでしょうか。面倒見のいい優しい政府に慣れてきた日本の国民に、低負担・低福祉のモデルを受け入れるよう説得できますか?

安倍:社会保険料を引き上げる主な理由は、高齢化社会です。社会保険料の値上げを抑えるから最適化する方策をまとめているところです。

社会保険料の上昇を抑えるために、効率化の努力を重ねなくてはならないし、まだまだ打つ手はあると思う。保険請求のデジタル化など、様々な手段がある。

公的な社会保障制度を維持するのが目的です。社会保険料の上昇を抑制すると同時に、国民の納税意識に取り組んで、たとえば社会保険の保険料を(さらに)引き上げるとか、サービスを受けた際の窓口負担を引き上げるなど、(より大きな)貢献をお願いするかもしれない。

こうした色々なやり方のバランスをどうとるべきか、議論を重ねていく必要がある。

将来的には、民間保険の役割が色々と出てくると思うが、公的な社会保障を削減するつもりはない。

FT:最新の消費者物価指数によると、日本はデフレに舞い戻る危険がややあるように見えます。いくつかの技術的な要 因にもよりますが、あり得る話です。デフレ再来の危険がある状況で日銀が追加利上げを実施するのは馬鹿げたことですが、総理として日銀にそう伝える用意は ありますか。

安倍:金融政策を決めるのは日銀の仕事です。

政府も日銀も、デフレ脱却を共通の目的としている。そして政府も日銀も、残念ながらデフレ脱却の目標にはまだ達していないと判断している。そのため政府としては、日銀には金融政策で日本経済を下支えしてもらいたいと期待している。

FT:総理は、名目成長率3%、実質成長率2%、インフレ率1%を目標として掲げていますが、日銀にはたとえばインフレ目標を1%前後に設定してほしいと期待しますか。

安倍:そういうことは考えていません。それよりもまず第一に、潜在的成長を拡大するため、技術革新への投資を促したい。

月曜日, 10月 30, 2006

【FT】日本にまだ潜むデフレの危険

この辺って未だに引っぱってると思うんだけどな....。

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2006年10月27日初出 翻訳gooニュース) 東京=デビッド・ピリング

日本の総務省によると、9月の全国の消費者物価指数(CPI)は予想を下回り、前年同月比0.2%しか上昇しなかった。つまり、日本はまだ決定的にデフレから脱却したとは言えないようだ。

物価上昇率が予想を下回ったことから、日銀は金利を引き上げにくくなっただろうと市場は判断。対ドルと対ユーロの円安が進んだ。

市場アナリストによると現在の円安は、円キャリートレードが一因となっている(円キャリートレードとは、短期金融市場金利の目標値が0.25%と低金利の 日本国内で円を借り、高金利の外国で投資すること)。円安が進み、対ユーロで150円80銭、対ドルで118円50銭と最安値を更新した。

マッコーリー証券のエコノミスト、リチャード・ジェラム氏は「これは日本経済にまだ、インフレ傾向がほとんどないことの証だ」と指摘しつつ、11月からインフレ率が上昇する可能性もあり、日銀はやはり年内に金利をさらに0.25%引き上げるかもしれないと話す。

9月の日本式コアインフレ(生鮮食品を除く消費者物価指数)は前年比0.5%減。安倍新政権は、経済がデフレから決定的に脱却するまでは新たな金利上昇は望ましくないと明言する一方で、日銀の独立性に介入するつもりはないとしている。

消費者物価のコア指数は、薄型テレビなど家電品や携帯電話などの移動電話通信料の下落によって、全体が押し下げられた。調査対象品目を見直した基準改定の結果、家電や携帯通信料などがCPIに大きく影響するようになった。

昨年の通信料値下げによって、コアCPIが前年比0.15%減となる影響を受けた可能性がある。日銀は11月になれば、通信料値下げの影響はなくなるものと予測しているが、通信3位のソフトバンクは23日、大幅値下げを宣言。新たな値引き戦争が始まるかもしれない。

別業種では、緩やかなインフレがすでに始まっているかもしれない兆候が見られる。スターバックスは来月、10年前に日本で開業して以来初の値上げに踏み切 り、ショート・ラテが340円から360円になる。東京電力や東京ガスも11月から1~2%の値上げを発表。また全日本トラック協会も10~20%の運賃 値上げを要求している。

しかし物価はエネルギー価格によって決定する可能性が高い。メリル・リンチのエコノミスト、ジェスパー・コール氏は、原油価格が下落を続ければ、インフレ率は来年再びマイナス傾向に戻るかもしれないと話す。

マッコーリー証券のジェラム氏は、通信料や米価、原油価格など個別品目がCPIを大きく左右する可能性があるということは、「消費者物価デフレ復活の衝撃 を和らげるクッション材がない」ということだと指摘。ジェラム氏は、日銀がインフレ目標を導入したがらないことに批判的で、「物価安定の目安を前年比 0−2%程度と定義している限り、その場限りの出来事がデフレのきっかけとなる、そんな事態を防ぐための防御壁がない」と言う。

一方で、全国の指数よりもひと月先に発表される東京都区部の10月消費者物価指数(中旬速報値)は、前年同月比0.1%増だが、エネルギー関連を除くと同0.1%減だった。9月は横ばいだった。

火曜日, 10月 17, 2006

ブログスペースがあると....


ついつい使ってみたくなった挙句、三日坊主....。
形に拘って、かっこよく見せたくて、そんなに省みられる内容でもないのに、肩肘張るからそーなるんだろうな。

本日少々パソコン整理中

気に入った素材は、ここに格納してしまうのはどうだ?

金曜日, 9月 29, 2006

【FT】 小泉の跡継ぎ 人気が隠すよろいのヒビ

この人たちの分析ってスゴイと思う....。

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2006年9月26日初出 翻訳gooニュース) デビッド・ピリング

 世界第2位の経済規模を誇る国の首相として、安倍晋三は実になめらかに舞台中央に躍り出た。そのあまりのそつのなさには、驚嘆した。と同時に、あ まりになめらかすぎて、問題点が見えにくくなっている。自民党が安倍氏を総裁に選ぶこと、それによって自動的に、安倍氏が次の総理大臣になることは、日本 中の誰もが何週間も前からわかっていたことだ。

 国会の承認を得て、これまでで最も若い戦後の総理大臣となった安倍氏は、ただちに自分がイメージする通りの組閣を実行。新首相の友人や、思想を共にする仲間が、次々と入閣した。

 一見、磐石そうに見える安倍人気は、その弱点を隠してしまっている。政治家としてやや経験不足な52歳の新首相には、前任者ほどの党内影響力がない。これは安倍氏の「よろいのヒビ」のひとつで、多くの政治評論家が指摘していることだ。

 小泉氏は、党内アウトサイダーだったからこそ自民党に対して威力を発揮し、経済危機にあった日本で大勝利を収めた。アウトサイダーだったからこ そ、党内改革を受け入れないならば「自民党をぶっ壊す」とまで強弁できたのだ。それに比べると安倍氏は、もっと自民党に依存的だ。そして自民党の中には、 「小泉以前」に戻りたがっている勢力が残っているのだ。

 国民の人気を背景に安倍氏は自民党総裁になったが、自民党苦戦が予想される来年夏の参議院選挙で成果を出さなければ、安倍氏の権力基盤は瞬く間に消滅してしまう。多くの消息筋はそう予測する。

 日本政治に詳しい米コロンビア大学のジェラルド・カーティス教授は、安倍氏は生まれながらにして総理大臣になるべくしてなったようなものだと指摘 し、それだけに安倍氏はこれまで個々の政策を自分がどう考えるか、明示しないですんできてしまったと話す。おかげで予算配分の優先順位や地方再生、慢性的 な財政赤字の解消など、激しい対立軸となり得る政策課題をめぐる争いに、安倍氏は今後ふりまわされる危険がある。

 自民党総裁選に臨んだ安部氏の政権構想は、わずか3ページたらずの薄っぺらな冊子で、対立候補たちが発表したものに比べてきわめて短かった。特に 谷垣禎一前財相が発表した政権構想は、財政再建を中心に政策課題について詳しく論じる、長文のものだった(安倍首相就任と共に、谷垣氏はあっさり閣僚の座 を追われた)。

 安倍氏は自民党議員と党員の67%の票を集めた。かなりの高支持率に思えるが、70%を期待していた安倍氏の票読みを下回ったのも事実だ。安倍氏 に投票した議員・党員の多くは、安倍氏が好きだからというよりも、みんながそうするから投票した様子だ。勝者の側につきたいという心理が働き、潮目を正し く読んだ結果、組閣人事でごほうびをもらった人たちもいる。しかし、そういう「支持」というのは元来、移り気なものだ。

 安倍氏を支持しなかった3割というのは、タカ派と呼ばれる安倍氏の外交政策を懸念する人々、あるいは安倍氏の経済政策に疑問を抱く人々などだ。 「自由市場資本主義」に対する反発が最近高まっているが、安倍氏は市場原理主義者すぎるのではないかという懸念もある。あるいは、増税してまで日本の財政 を立て直そうという覚悟が、安倍氏にはないのではないかという疑いもある。

 自民党総裁としての安倍氏の任期は3年。課題をこなしていくだけの時間はたっぷりある。5年近くも続く回復基調という戦後最長の持続的成長を果たしつつある日本の経済状況は、首相が腕をふるうにはまたとなく良い状態だ。

 しかし現実的には、時間はあまりない。「参院選がおそらく、安倍にとって最大の関門となるだろう」とカーティス教授は指摘し、もし自民党にとって 不本意な結果になれば安倍氏の引責辞任もありうると付け足した。安倍氏に小泉流の真似はできないので、「個別具体的な政策課題の中身で勝負していかなくて はならない。しかも早急にだ。急がなければ、国民もマスコミもさっさと安倍に背を向けるだろう」と教授は言う。

 安倍氏は外交や憲法問題、教育改革などに強い信念を抱いている。しかし国民の支持という意味では、どれも特に求心力のあるテーマではない。世論調 査によると、国民の多くが重視するのは、年金制度など社会保障制度の改善、財政再建、格差是正などだが、安倍氏はまさにそれらの分野で、あいまいな発言し かしてこなかったのだ。

 組閣人事も、安倍氏の弱点を補うものにはなっていない。3つの経済閣僚ポストはやや地味な人選だった。財務相に選ばれた尾身幸次氏(73)は、で きるだけ早い時期に増税が必要だという財務省の考えに賛成だと言われてきたが、閣僚名簿発表後の会見で尾身氏は、消費税引き上げ議論について、本格的な議 論は来年夏の参院選が無事終わってからと述べ、安倍氏の方針を支持する立場を示した。

 一方で、財務相を退任した谷垣氏は会見で、市場の動揺と金利上昇を避けるには財政改革を実施していかなくてはならないと言明し、安倍新政権に厳しく注文をつけた。安倍政権の経済政策が今後、党内で大きな争点になるだろうという予感が、このとき改めて強調されたわけだ。

 党内摩擦はほかにも、所得格差の問題で予想される。今後も拡大が予測される国民の所得格差をどうやって是正していくのか。これについて安倍氏は山本有二氏を金融・再チャレンジ担当相に任命した。

 自民党内には、格差是正にもっと金をつぎ込むべきだという意見もある。一方で、小泉路線を踏襲しコスト削減を続け、総理大臣としての意志の力のみで強引に国民をひっぱっていくべきだという意見もある。

 安倍氏は、外交分野では強いという定評がある。しかし安倍総理大臣のこれからの戦いは、経済政策が主戦場となるのかもしれない。

木曜日, 9月 28, 2006

【FT】陽も息子もまた昇る 長州から安保そして安倍家二代

その後の展開を誰が予測し得たか?ってトコかな....
まぁここの坊ちゃんにも、日本国首相は荷が重かったってことにしとこか....。

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2006年9月15日初出 翻訳gooニュース) デビッド・ピリング

The son also rises. 息子はまた昇る。

 日本で57人目の総理大臣にとって、何より鮮やかな幼いころの思い出といえば、祖父の膝に座っている自分だという。祖父とは、37人目の総理大臣 だった岸信介のこと。安倍晋三は当時5歳。日本は連日、激しいデモの嵐に揺さぶられていた。東京・渋谷の閑静な住宅地にあった岸の自宅周辺を取り囲んだデ モ隊は、幼い晋三を膝であやす優しいおじいちゃんを、口々にののしっていた。

1960年のことだ。岸は1951年の日米安全保障条約を改定しようとしていた。新条約は、正式な軍事力を奪われた日本に対する、米政府の防衛責任を拡大 したものだった。日本の左翼は、日本が太平洋に浮かぶ米国の不沈空母となることを嫌い、日本が中立国になることを望んでいただけに、この安保改定を嫌悪し た。そして約1ヵ月にわたる激しいデモ闘争が続き、少なくとも500人が負傷した(訳注:東大生・樺美智子さんがこの年6月のデモで死亡している)。

岸邸前のデモ隊は「安保反対」を叫び続けていた。安倍の友人によると、幼い晋三が「あんぽ、はんたい」とデモ隊のまねをすると、岸はニコニコ笑いながら、 条約は日本を守るためのものでデモ隊は間違っているんだよと諭したという。そして晋三は「安保賛成」と言うよう、親に教えられた。

安倍(「Abe」は「あ・べ」と発音する)はこの場面を、今夏に出版された著書「美しい日本へ」で紹介している。日本の首相を選ぶのは政権与党で、実質的 には自由民主党だ(過去半世紀の間、自民党が野党に転じたのはわずか11ヵ月間)。安倍の首相選出は国民の意見を直接反映したものではない。このため安倍 は、自分の考えを国民に知ってもらおうと、この本を出版したのだ。

安保改定によって祖父は日本の「国益」を守ろうとしていた。安倍はそう解釈している。そしてこの「コクエキ」こそが、安倍の政治信条の中核をなすものであって、安倍政権の基本路線を理解するカギとなるだろう。

日本の安全保障にとって1960年の新日米安保条約はなくてはならないものだった。安倍はそう主張する。占領下の日本が独立を回復した1951年に押し付 けられた安保条約は屈辱的な内容のものだったのに対し、新条約は日本にとって前より有利な内容だった。岸は激しい反対を押し切って安保改定を実現したが、 その代償は大きかった。大混乱する国会で安保改定を強行採決した後、岸内閣は総辞職したのだ。

安倍家と親しい三宅久之は「安倍さんはそうやって教育された」と語る。晋三少年は祖父の膝の上で、現実主義政治の手ほどきを受けたのだという。

このエピソードが意味するところは大きい。まず、安倍は首相になるために生まれてきたのだということ。安倍がよく「貴公子」「プリンス」と呼ばれるのに は、それなりの理由がある。安倍は生まれたときから安倍家の家業、つまり「政治(ステーツマンシップ)」の空気を吸って育ってきたのだ。安倍の親類で国の トップに上り詰めたのは、岸だけではない。岸の辞任からわずか4年後には、岸の弟で安倍の大叔父にあたる佐藤栄作が首相となり、8年近く務めた(岸信介は 「佐藤家」に生まれたが、父の実家・岸家の養子になっている)。岸の娘と結婚した晋三の父・晋太郎が首相になっていれば、その時点で一族にとってハットト リックだったのだが、晋太郎は首相への志半ばにしてすい臓がんで死去している。

安倍晋三の友人の多くは、彼は総理大臣になるべくしてなるのだと話す。これまでの道筋が実に順調だったのは、宿命以外の何物でもないと。名家出身の安倍は、人望厚かった父が病魔に邪魔されてしまった当然の権利を、わがものにしているにすぎないのだと。

安倍と旧知の中村慶一郎は「父は夢を果たせなかった。このことは安倍に重くのしかかっている。首相になることが自分の運命だと、安倍は強く信じている」と話す。

名門の血を引く安倍は、その点で小泉純一郎と大きく異なっている(政界に地殻変動が起こりさえしなければ、あるいは本物の大地震さえなければ、自民党は安 倍を小泉の後継者に選ぶし、その数日後に国会が安倍を首相に指名することになっている)。安倍は9月21日に52歳となり、過去65年で最も若い総理大臣 となる。

政治家3世という意味では、小泉も同じだ。しかし安倍の祖父と違い、小泉の祖父はとび職出身で、全身に昇り竜のいれずみを入れた人物だった(日本でいれず みといえば、ヤクザを連想することが多い。上流階級とはあまり縁のないものだ)。安倍の総裁選出は早くから約束されていたようなものだが、小泉の時は仰天 した人も多かった。

岸の膝で安倍が学んだ、もう一つのこと。それは、おじいちゃんが戦争で何をしたのか、だった。岸は1936年、満州国の高官に就任。1941年には、東条 英機首相の戦時内閣に商工大臣として入閣した(東条は後に、アジア版ニュルンベルク裁判の東京裁判で戦犯として有罪になり、絞首刑に処せられている)。

岸は1945年、戦犯容疑者として進駐軍に逮捕され、3年間収監される。起訴はされなかったが、公職追放令が1952年に廃止されるまで、政界から遠ざかっていた。しかし公職復帰がかなうと、岸が首相になるまでに5年とかからなかった。

祖父の思い出に「戦争犯罪者」という言葉が影を落としている。そのことを安倍は不満に思っている。そして保守派のひとりとして安倍は、日本のアジア侵攻は 西洋の帝国主義よりもひどかったという考えや、第二次世界大戦中の日本は比類なく残虐だったという考え方に、疑問を抱いている。日米同盟を強く支持しなが らも、安倍は、東条たちが断罪された東京裁判は米国によるやらせ裁判だったとして、その正当性を疑っている。

日本が戦った戦争は、それほど不名誉なものではなかったという信念。それが、安倍が靖国神社を参拝する理由のひとつだ。靖国神社は日本の愛国心の象徴であ り、日本にひどく侵略された中国は靖国を嫌悪している。靖国神社は、東京の喧噪(けんそう)から隔絶された、優雅で静かな桜の名所だ。天皇の名の下に戦っ て死んだ250万人が奉られている。そして東条をはじめ、「A級戦犯」として有罪になった日本の戦争指導者14人が合祀されている。小泉は毎年の靖国参拝 でアジア各国の怒りを買う一方で、日本の侵略行為については遺憾の意をはっきり表明してきた。しかし安倍はそこまではっきりとは発言していない。

 戦後の取り決めで巨額の賠償金支払いを免れた戦後日本は、経済成長を実現することができた。しかし一方で日本は「強い国になる」という、明治維新以来の 野望を実現できなくなり、日本はその実力を出し切ることなく、過去60年を過ごしてきた。日本の憲法は、ダグラス・マッカーサー将軍率いる占領軍の、理想 主義的な若いアメリカ人たちが執筆したもので、日本の戦力保持や戦争行為を禁止している。

その憲法の現行解釈では、日本は自ら進んで、集団的自衛権を放棄していることになっている。そのため、日本は安全保障を米政府に全面依存しているが、たとえばもしも東京湾内で米軍艦が北朝鮮のミサイルに直撃されても、日本は何も手助けできない。

外交官出身で保守系論客の岡崎久彦は、「安倍のブレーン」と呼ばれている。その岡崎によると、安倍が総理大臣としてまずやることのひとつは、集団自衛権放 棄を廃止することだという。「(集団的自衛権の行使禁止は)憲法に明記されているわけではない。この憲法解釈は過去50年も続いてきたが、私や安倍に言わ せれば馬鹿げたものだ。変えるのは簡単だ」と岡崎は言う。

筆者は、東京・虎ノ門にある岡崎の事務所を二度ほど訪ねている。ワシントンにおけるキャピトル・ヒルに相当する日本政界の渦の目、永田町からそう遠くない 場所にある岡崎の事務所には、駐タイ大使時代に集めた骨董陶器があちこちに詰め込まれてる。陶器のほかには、書の掛け軸、白黒写真、そして安倍と小泉が共 に尊敬するマーガレット・サッチャーの伝記がある。岡崎は薄手のコットン・ジャケットにゆったりしたズボンという学者風のカジュアルな装い。そして彼は、 自分のことを情報将校のようなものだと考えている(日本では軍人としての情報将校の存在は禁止されている)。有用な情報を集めて解釈するのが自分の仕事 で、かつ有用な情報の95%はただで手に入るのだと岡崎は言う。事務所で二度、取材させてもらった際、岡崎は目についたあの記事やこの新聞論評を探しなが ら、ひっきりなしに立ったり座ったりしていた。

安倍の生まれや育ちがその人物にどう影響しているか。これについて岡崎は「安倍は支配階級で生まれて、自分は国家に仕えるべき存在だと自覚している。彼に とっては『品格』が重要で、尊敬に値する人間になることと、尊敬に値する国家を作ることが、『品格』の大事な要素なんだ」とまとめる。

岡崎によると、安倍を大きく突き動かす要因がもうひとつある。それは安倍家のルーツがある地元の影響だ。安倍は東京で生まれ育ち教育を受けたが、政治家と しての血統は日本本州の西端にある山口県に脈々と伝わるものだ。父・晋太郎は政治家としてのキャリアを山口で築き上げた。1991年に父が亡くなると、安 倍が下関の選挙区を受け継ぎ、圧勝を続けている。

山口はかつて長州藩だった地域の中心にある。長州とは、250年におよぶ徳川一族の支配に対して1867年に反旗を翻した4藩のひとつだ。徳川家は今の東 京から、世界から閉ざされた国、武士が治安維持にあたる国家を統治した。その徳川の最後の将軍が政権の座から追われたのを機に、日本は250年にわたる鎖 国政策を止め、現代的な工業化を開始する。倒幕派が擁した天皇のもと、新しい元号は明治となったため、この革命は明治維新と呼ばれる。次々に交代した複数 の幕府体制のもとで政治から隔絶され、全くの象徴的な存在となっていた日本の天皇が、これで数百年ぶりに主要な立場を占めるようになったのだ。

倒幕派による革命のきっかけとなったのは、1853年の「黒船到来」だ。米国のマシュー・ペリー提督は武力を誇示する砲艦外交で、多くのアジア諸国と同じ ように開国するよう、日本に求めた。そうして日本相手に自由貿易と、後に遺恨を残す「不平等条約」を押し付けたのだ。徳川幕府は日本人に対し、外国人との 接触を厳しく制限していた。そのせいで日本では、戦争術を含めた新しい技術を習得するのが難しかった。明治政府の指導者たち、特に長州出身のリーダーたち は、野蛮な外国人の魔手から日本を守るには、開国し、社会を変革させなくてはならないと決断した。自分たちの敵を良く知ること。これが彼らの行動指針と なった。

「安倍の後ろには、長州の伝統がある」と岡崎は言う。「安倍は自分の地元や県だけでなく、国全体のことを考えている。長州人は日本の国益というものを常に考えている人たちだ」

国益こそ、安倍の政治人生における主要テーマだ。安倍が国中にその名を馳せたのは、2002年。北朝鮮の金正日に真正面から立ち向かい、日本の誇りを取り 戻した人物として、一躍有名になった。その背景にあったのは、1970年代から1980年代にかけて多くの日本人が謎の失踪をとげた一連の事件。10代の 若者を中心に数十人が海岸付近などからさらわれていったが、日本政府は長年にわたり、北朝鮮スパイによる拉致だという噂を否定していた。

2002年9月、小泉首相による異例の平壌訪問に、当時の内閣官房副長官だった安倍は同行した。この時の首脳会談で金正日は、自分の国が確かに日本人を拉致していたことを認め、被害者5人が生きていることを明らかにしたのだ。

下関の安倍事務所には、当時47歳だった官房副長官がそれからどういう経緯で小泉の後継者となるに至ったのかをよく表す、一枚の写真が飾ってある。大きく 重厚なテーブルで小泉と金が、日朝国交正常化への道筋を示した平壌宣言に署名している写真だ。両国政府の関係者が両首脳の近くで控える中、安倍はひとり テーブルから距離を置き、目の前で展開する不愉快な事態に顔をしかめている。

平壌でのことの進み方が安倍には不満だった。昼食時に(日本代表団は東京から弁当を持ち込むほど、両国間の空気は冷えきっていた)安倍は小泉に対し、金に 謝罪を求めるべきだと主張。金はこれに同意した。当初は短期間の予定で拉致被害者5人が日本に「一時帰国」した時、このまま日本に残るべきだと主張したの は安倍だった。

北朝鮮に残した子供たちや夫と引き離された形になった拉致被害者を日本が「再拉致した」と、当初は非難された。しかし安倍はこれを機に、日本のために北朝 鮮に立ち向かった男として評価されるようになる。北朝鮮に対する制裁発動を求め、ミサイル防衛システム計画を後押しする安倍は、日本の国益を体現する存在 となった。つまり、安倍は英雄になったのだ。

 戦後日本は「国益」という考え方を、全面に主張してこなかった。これには理由が二つある。戦争中の出来事を恥じている敗戦国・日本が、外交力をあ からさまに発揮するよりも経済成長を重視してきたというのが、まず一つ。国の安全保障を米国に依存する日本の「外交政策」は、ワシントンが決める内容を丸 写ししたものだった。

第二に、戦後日本で政治とはイデオロギーの問題ではなくなり、いかに金を確保するかがテーマになった。地元の選挙区にいかに予算を落とすか。政治家はその 技術をどんどん完成させていったのだ。時の総理大臣が雪国・新潟の地元まで新幹線をつなげた、というのは有名な話だ。政治にとって大事なのは国益ではな く、地元利益だった。

しかしその仕組みは、バブル崩壊で資金繰りが苦しくなって以来、破綻しかかっていた。また小泉政権の5年間が、そのシステム打破に一役買った。小泉政権の 下、自民党は農村部だけでなく都市部の票に支えられている政党に変身。おかげで、地方の「顧客」の要求に、政策を沿わせる必要が前ほどなくなったのだ。

地元よりも国が優先するという考えは、日本のどこよりも長州に深く流れているのかもしれない。安倍の政治思想と長州の歴史があまりにもピッタリ合致するので、筆者は現地に行ってみて安倍のルーツを探ることにした。

訪れたのは、夏の盛り。台風一過の空には、きれぎれの雲がわずかに浮かんでいるばかり。早朝の涼しさが、本格的な暑さに追いやられようとしている、そんな 時に到着した。同行してもらうのは、安倍の友人で選挙活動を支えている的場順三。事務方として長年、政治の裏側から影響力を発揮してきた人物ならではの自 信をたたえている。穏やかな外見の的場は71歳だが、実年齢よりははるかに若い体格と体力の持ち主だ。田んぼの間を縫って車を走らせ、蝉時雨の響き渡る山 間に入っていく間、的場は私に歴史の講義をしてくれた。

長州について、そしてもしかしたら安倍について、まず第一に知っておくべきこと。それは、彼らの決意がいかに揺るぎないものか、だという。徳川家は 1600年に関ヶ原の戦いで毛利家を破り、新しい封建国家を確立した。権力は現在の東京である江戸に移った。そして毛利家は領地を減らされ、藩の中心を本 州西端の萩に移す羽目になった。萩は江戸から遠く離れた海岸部の町で、徳川体制にとって何の脅威にもならなさそうな場所だ。私たちはそこへ向う。

「長州では、重臣たちが新年に集まり『今年は倒幕の機はいかに』と藩主にお伺いするのが毎年のならわしだった」と的場は説明する。「家臣に問われ、藩主が 『時期尚早』と答えるのが決まりだった」 しかし関ヶ原の戦いから250年以上たち、日本が野蛮な外国の「夷狄(いてき)」の脅威にさらされたとき、長州 の家臣たちはようやく、徳川に反撃する時がやってきたと判断したのだった。

明治維新という反乱を成功させて以来、山口県となった長州は(安倍の前に)7人の総理大臣を輩出している。ほかのどの都道府県よりも多い数だ。安倍の祖 父・岸信介と大叔父・佐藤栄作のほかに、5人。明治政府を作った「反乱者」たちが制定した立憲君主主義のもと、1885年に総理大臣となった伊藤博文も長 州出身だ。しかし総理大臣にまで上りつめたどの長州人よりも、はるかに大きな存在だったのは、首相になるどころではなかった、吉田松陰その人かもしれな い。日本以外ではあまり知られていないことだが、作家ロバート・ルイス・スティーブンソンは吉田松陰について、民族国家建設に松陰が果たした役割は偉大 で、イタリアのガリバルディと同じくらいに評価されるべきだと書いている。

松陰は日本を外国の侵略から守るには、日本が銃器製造から社会の仕組み作りに至るまで、あらゆる実用技術を西洋から学ぶ必要があると確信していた。自分の 使命を確信していた松陰は、鎖国の禁を破ってまで外国人と接触しようとした。江戸沖に停泊中だったペリーの「黒船」まで舟を漕ぎ、自分を米国に連れて行く ようペリーを説得しようとしたのだ。しかし密航を拒否された松陰は檻に入れられ、萩へ送り戻される。釈放された後、松陰は小さな私塾を主宰する。その私塾 が、私たちの旅の最大の目的地だ。明治の元勲となった多くの若者が、大きな志を抱いた場所。それが、吉田松陰のこの松下村塾だった。

松陰の弟子のひとりに、高杉晋作がいた。高杉は1867年に28歳の若さで死亡したが、その彼も、歴史に大きな影響を与えた。高杉は激しい攘夷論者だった が、松陰と同様、野蛮な外国人を追い払うために日本は現代国家になる必要があると考えていた。武士階級出身の高杉による最大の改革とは、武士以外の者が武 装することを禁じる封建社会の掟を、打ち破ることだった。高杉は武士以外に武器を持たせ、戦闘集団を作った。農民や町民を集めたこうした戦闘集団は、徳川 幕府が率いた武士軍団よりも遥かにプロフェッショナルで、倒幕勢力の強力な武器となった。

安倍晋太郎と息子・晋三は共に、高杉晋作から「晋」の一字をとっている。日本の首相と、日本の近代軍隊の創設者・高杉晋作との間には、親密なつながりがあるし、さらには高杉の師であり、民族国家・日本の思想的な父だった吉田松陰とも、安倍はつながっているのだ。

私たちは、ほこりっぽい庭に囲まれた松下村塾の跡を訪れる。わずか数畳ほどの幅しかないこんなに小さな木造の建物が、日本の歴史にどれほど大きな影響を与 えたか、にわかには理解しにくい。同じ敷地内には小さな蝋人形館があり、松陰が弟子たちに講義する場面などが再現されている。そのほか、山口出身の総理大 臣7人の蝋人形も並んでいる。着物姿の岸信介や、紺色のピンストライプスーツでこわばった様子の佐藤栄作もいる。「もうすぐ8人目が並ぶよ」と的場が言 う。

安倍の支援者数人が集まって、魚料理で有名な市内の料理店に落ち着く。安倍もお気に入りの店なんだという。店内は、公営プールみたいな雰囲気だ。大きな生 け簀があって、その周りの畳に座卓が置かれている。生け簀の中にはウナギやカレイやヒラメが泳いで、網から逃れようとしている。私を招いてくれた皆さんは 実に上機嫌。この日は8月20日。安倍が自民党総裁に選ばれるまで、残すところあとちょうど1ヵ月となったからだ。「前祝いをしましょう」と的場は、ビー ルのコップを掲げた。

乾杯を合図に、地元でとれた鮮魚が次々と運ばれてくる。生ダコのブツ切り。ヒラメの薄造り。箸に負けないほど長くてぷりぷりした海老。クリーミーなオレンジ色をしたウニの山盛り。それから天ぷら。川魚の丸焼き。ごはん。みそ汁。

素晴らしいごちそうをいただきながら、安倍の組閣人事が話題になる。首相としての初訪米がいつになるか。あるいは、小泉政権との冷えきった関係にへきえきとした中国が、政府首脳の東京訪問に合意するかどうか。話題は尽きない。

首相になるだけの用意が、安倍にはあるのだろうかという話になった。政治家生活30年の父と違い、安倍が政治家になってからまだ13年。党内の主要ポスト は務めてきたが、外務、財務、経済産業といった主要閣僚ポストの経験はない。自分はそういう家、そういう運命のもとに生まれたという意識が安倍を突き動か してはきたが、本人にもためらいはつきまとっていた。父・晋太郎が1982年に外相になったとき、安倍は神戸製鋼に勤めていた。退職し、父の秘書として政 界入りをついに決意するまでには、父の求めを何度か断っている。昨年10月に官房長官に任命された時(小泉首相が安倍を後継者と見なしていることが、これ で示唆された)でさえ、安倍には迷いがあったと言われている。

 岡崎をはじめとする安倍の友人たちが、今回は年長者に譲って次回を待ったらどうかと助言したことも、安倍の迷いを大きくした。自民党は来年7月の参院選で苦戦が予想されており、もし敗北すれば、時の首相が引責辞任する羽目になるかもしれないからだ。

しかし安倍家の人々の中では、がんと診断される前の父・晋太郎が首相の座をためらい、機会を他人に譲ってしまったことが、記憶に深く刻み込まれている。先 代の支援者だった三宅は、筆者にこう話した。「安倍晋三の母、洋子さんは、晋太郎の妻だったことよりも、岸の娘だということを誇りにしている。晋太郎が総 理になり損ねたとき、洋子夫人は、夫はもっとがんばるべきだったと悔しがった。洋子さんは息子・晋三に『チャンスはつかみなさい』と教えていたという人も いる」

しかし今、魚料理の並ぶ卓を囲んでいる面々は、これに同意しない。安倍は、母親にかりたてられてきたわけではないだろうと。彼らが言うには、安倍は自分自 身でゆっくりと自分の意志を鍛えてきた。自分に与えられた運命と正面から向かい合うべき時がやって来たと、自分で自分を説得してきたのだという。ある政界 ウォッチャーによると、これまでの安倍はいつも自分を「私」や「僕」と呼んでいたのが、最近になって「俺」を使うようになった。より強面イメージのある 「俺」という自称は、権力の座につく心構えが安倍にできた印だと言うのだ。

筆者が初めて安倍を見たとき、安倍は桜の木の下に立っていた。記念撮影を求める中年女性の集団に囲まれていた。小泉と同じで、安倍は「かっこいい男の人」 なのだとされている。しかし真黒な髪をきちんと整え、厳しいけれどもどこか少年ぽさを残した安倍の見た目は、エルビス・プレスリーになりたかった上司とは 違う、もっと正統派のルックスだ。

これは2003年4月のこと。その場の注目を集めていたのは安倍で、そのこと自体がとても印象的だった。というのも、毎年恒例のこの花見会は小泉首相の主 催で、主役は官房副長官ではなく、首相のはずだったからだ。しかしこの時、首相の支持率は一時的に低迷していた。記憶に間違いがなければ、桜は咲いてな かった。それは実に象徴的なことに思えた。首相の花見会は、花のタイミングを計り損ねてしまったのだ。天の祝福も配剤も、安倍に移りつつあるように見え た。

それからも様々なことがあり、色々な浮き沈みが続いた。小泉首相が国会を解散し、続く選挙で自民党史に残る大勝利を果たしたのは、花見から2年後。しかしその間も、小泉の後継者は安倍に違いないという噂は、途絶えることがなかった。

次に私が安倍を近くで見たのは、インタビューの席。昨年4月のことだ。ばたばたと活気ある党本部に向かった私は、革張りの本がずらり並ぶ部屋に通された。 安倍は、紺色ブレザーに合う色のネクタイという、いつもながらの服装だった。ヨットの船長さんみたいだな、と思ったのを覚えている。

そのときの主な話題は、靖国神社だった。安倍は、首相による例年の靖国参拝について、総理には参拝する権利があるとさかんに弁護していた。安倍の物言いは 直接的で、中国に「タカ派」呼ばわりされるだけのことはあった。「中国は信仰の自由を理解できないから、我々を非難している」。この時、安倍はそう言っ た。

総理が靖国参拝を止めれば日中首脳会談を再開してもいい(小泉の任期中、結局再開されなかった)という中国側の言い分について、私が繰り返し尋ねると、安 倍は怒りをあらわにして、「靖国神社は日本の国内にある。自分たちの領内にある場所に総理大臣が行ってはいけないだなんて、そんな馬鹿な話があるか」と声 を荒げた。「交渉の余地がないことを理解すれば、向こうは文句を言わなくなる」と。

日本は、武力をちらつかせて威嚇しているわけではないし、右傾化しているわけでもない。安倍はそう主張した。日本はただ単に、60年におよぶ敗戦国症候群 から抜け出て、普通の国になろうとしているだけだと。「これからは、自分たちの国益を主張していかなくてはならない」と安倍は言った。これこそが、安倍内 閣の主要テーマとなる。

安倍のこうした物言いのおかげで、総理大臣には向いていないのではという懸念が数カ月前、自民党内だけでなく、経済界でもさかんに取りざたされた。日本の 最大の貿易相手は今や米国を抜いて中国。日本経済は中国に大きく依存しているのだ。小泉政権に続いてさらに今後何年も中国政府とこじれた関係が続くのは、 日本にとって困ったことだと言う意見は多かった。

かつては小泉に近しい盟友だった加藤紘一は、安倍が、過激な愛国主義や歴史修正主義を支持しているのではないかと心配している。靖国参拝を批判し続けた加 藤の自宅は先月、右翼主義者に放火されて全焼した。加藤発言への怒りが、犯行の動機に関係していたとされている。犯人は加藤宅に放火した後、切腹しようと して失敗している。放火事件から数日後、「この手の愛国心は、指導者がいったん火をつけたが最後、鎮めるのがとても難しい」と加藤は私に話してくれた。

しかし総理就任が近づくにつれて、安倍は中道寄りに自分の立ち位置を修正している様子だった。今年4月に会ったとき、安倍はすでに官房長官という露出度の 高い役職を与えられていて、実にミニマルで奇妙に美しい首相官邸にいた。前回の取材から1年。その間に安倍は明らかに、自分は総理大臣になるのだという考 え方を受け入れていた。前回のインタビューの席に、安倍はひとりでやってきた。しかし今回は、記録係の側近数人を引き連れてさっそうと現れた。前よりも明 らかに自信に溢れていたが、礼儀正しく穏やかな口ぶりだった。

経済について尋ねるのが、今回の私の目的だった。安倍は基本的に小泉路線を踏襲し、民間が大きな役割を担う自由経済を重視していると話した。しかし安倍が もっとも熱弁を振るったのは、税制についてでも規制緩和についてでもなく、総理大臣になるには経験不足ではないかという私の質問に対してだった。日本はい い加減、年功序列崇拝を止めなくてはならない。安倍はそう主張した。「序列を乱しさえしなければ、世界は平和になるなんていう考えを、日本人は大事にしす ぎている」

中国については、一年前の熱い調子とは打って変わって、強い決意を持ちつつも物わかりがいいという、バランスの良さを披露。「両国とも、経済的なつながり の恩恵を受けている。そのことはお互いに分かっている。両国とも互いに、経済のつながりを大事にするべきで、この関係を壊してはならない。ということは、 対話を続けるということだ。首脳レベルで話し合い、一歩前に進むよう、私は中国に促したい」

これまでのスタンスを部分的に修正する(安倍はこれを「譲歩」だなどとは絶対に認めない)用意があるかもしれないという、そういう兆候さえ見えた。小泉は 首相就任前の選挙戦で「毎年、靖国を参拝する」などとその場の勢い的な公約をしたが、安倍はそこからは距離を置いた。真意は分からせないように計算されつ くした物言いで、「靖国神社を訪れると宣言するつもりは全くない」と言ったのだ。

安倍は実はこの取材のわずか数日前、内密に靖国を訪れていたのだが、それが明らかになったのは数カ月後。マスコミの大騒ぎにさらされた小泉首相の靖国参拝 と、安倍の秘密の参拝は実に対照的で、一つの可能性を示していた。安倍は今後そうして、自分自身の信念に忠実でありつつも、政治的火種としての参拝問題に は水をかけてしまうのかもしれない。

安倍は、総理大臣になるために生まれてきたのかもしれないが、総裁選出馬をついに公式に表明したのは今月初め。広島で自民党支持者を前にして、安倍はつい に、日本政府のトップを目指すと宣言し、一族の長年の悲願に応えた。「美しい国」と書かれた巨大なパネルを頭上に、安倍は、国の自信と誇りを回復させるつ もりだと表明した。「日本には美しい自然と文化、長い歴史がある。私たちはそのことを誇りに思うべきだ」と。

あまりにも長く「自虐史観」に支配され続けた国の教育制度を、刷新するつもりだと安倍は言う。日本の財政基盤がしっかりするよう、社会保障制度も作り直す。アメリカ製の憲法は改正を目指す。そして日本の軍事力に対する規制も取り外す。

安倍の出馬宣言には、長州の心を揺さぶる主張が、あちこちに散りばめてあった。総理として自分は、国益のための政治をするつもりだと。日本が豊かで、かつ 安全な国であり続けるよう、努力すると。そのためには日本は世界に対して自らを開き、日本の創意工夫や競争力を刺激するような新しいアイディアが海外から 流れ込んでくるような、開かれた国にならなくてはいけないと。日本は世界に開かれた国であると同時に、強い国であることができるのだと。現代日本の建国に 貢献した吉田松陰や高杉晋作といった長州の倒幕志士たちならば、安倍の言葉に深くうなずいたことだろう。

関連リンク ( 安倍新政権 )

水曜日, 9月 20, 2006

【FT】 日本の主要な政策決定者が辞任表明

コイツも戦犯の一人だね。
小泉改悪も、この男の存在なしには、あり得なかったんだろうから....。
官僚支配の打破って一点だけなら、掛け値なしに評価できるのに、やっぱり生活苦しいと支持し切れんやね....。

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2006年9月15日 翻訳gooニュース) 東京=デビッド・ピリング

 小泉純一郎首相の経済政策にとって、最も重要な役割を演じてきた竹中平蔵氏は15日、政府から退くと表明した。政界における竹中氏のキャリアは、これで終わることになる。

 総務・郵政民営化担当相だった竹中氏は、9月26日に安倍晋三氏が小泉氏の後任首相として就任するのを機に、閣僚ポストを退くと同時に、参議院議員も辞職する。

 5年半におよぶ小泉政権で、ずっと閣僚を務め、一貫して首相を支えてきたのは、竹中氏ひとりだ。その竹中氏の辞職表明とほぼ同じタイミングで、内閣府は9月の月例経済報告から「デフレ」という表現をひっそりと外すことにした。

 「デフレ」の言葉が月例経済報告から消された。これは、小泉内閣の経済政策の成功を改めて裏打ちする展開だ。小泉内閣は2001年、デフレと不景 気を背景に発足したのだから。内閣府は一方で、「デフレ」という表現を外しはしたが、「デフレ脱却宣言」を高らかに掲げるのは控えた。物価はまだ安定し きっていないという安倍氏の懸念に、配慮したのがその理由のひとつとされている。

 竹中氏は、安倍氏を民間サイドから支援し続けると表明している。しかし、今になって辞任した理由は、竹中氏ほどはっきりした自由市場経済の支持者は、安倍内閣に居場所がないからではないかという見方もある。

 米メリル・リンチのエコノミスト、ジェスパー・コール氏は「市場改革の黄金時代は終わった」と話す。コール氏によると小泉内閣は、デフレや金融制 度が崩壊しかけたことによる危機感に突き動かされていた政権だった。日本経済が成長基調に乗って5年目になる今、当時の危機感は収束しているのだとコール 氏は見る。


米モルガン・スタンレーのエコノミスト、ロバート・フェルドマン氏は、世間が考えている以上に安倍氏は市場原理主義者のはずだと見ている。安倍政権は規制 緩和をこれまで以上に促進し、「結果の公平」よりも「機会の平等」を確立するため、さらに対策を進めるだろうというのだ。

 大学教授だった竹中氏は2001年、小泉首相にじきじきに指名され、ただちに金融改革の担当に任命された。中国の需要拡大を一因として日本の経済状況全般が改善したことに助けられ、竹中氏は不良債権で沈没しかかっていた銀行業界の大掃除を後押ししていった。

 その竹中氏は、自民党政治家の多くから、米国流資本主義をあまりに無批判に信奉していると嫌悪され、徹底的にたたかれた。

 「破綻させるには大きすぎる」という考えはもたないという発言が問題視されたが、実際の竹中氏はきわめて実際的で、公的資金2兆円を注入して国内5位のりそなホールディングスを救済したりした。

 竹中氏はさらに、世界最大の預金高を抱えていた郵便貯金を民営化し、経済政策の決定権を官から民へ移行させるために、郵政民営化法案をまとめた。

 フェルドマン氏は、政治家・竹中氏の5年間を「実に見事な、圧倒的な成功」だったと賞賛する。そして辞任の理由は、非難ばかりされるのにもう飽き 飽きとしていたから、あるいは新政権に合わせて自分のやりかたを変えるのがいやだったからではないかと推測する。「武士は二君に仕えず、だ。竹中はどこま でいっても小泉一派なのだから」

 竹中氏の辞職後、比例区繰上げで代わりに参議院議員となるのは、プロレスラーの神取忍氏。

関連リンク ( 竹中氏、辞任 )


水曜日, 8月 30, 2006

【FT】「危険」な愛国主義の波が日本を席巻

田母神の伏線って、この辺りにも潜んでるんだね....。
フィナンシャル・タイムズ  2006年8月30日(水)09:34


(フィナンシャル・タイムズ 2006年8月28日初出 翻訳gooニュース) デビッド・ピリング

加藤紘一は憤慨している。当然だ。

今月半ば、包丁と大量の油で武装した男が山形県にある加藤氏の実家を全焼させ、現場で「切腹」しようとした。この家に住む加藤氏の97歳の母親が散歩に出かけていたのは、本当にたまたまのことだった。

加藤氏宅への攻撃は、過激な右翼関係者によるものとされている。事件に至るまで、自由民主党ベテラン議員の加藤氏は、首相は靖国神社を参拝すべきでないと 繰り返し苦言していた。靖国神社は戦死者250万人を奉るだけでなく、東京裁判で戦争犯罪人として有罪になった東條英機元首相など戦時中の指導者数人も合 祀されている。小泉純一郎首相の靖国参拝は中国や韓国の怒りを買い、日本は戦時中の歴史に向き合うことを拒否していると批判されるに至った。

火傷のほか、腹部や手首への傷を治療中の容疑者はまだ供述していない。しかし警察は、日本で最も大切な愛国的象徴をボイコットすべきと加藤氏が主張したことに、男が激怒したものと見て捜査している。

加藤氏はかつて小泉氏の右腕だったが、首相は同氏の提言を退けて、8月15日の終戦記念日に靖国神社を参拝した。かつて日本と戦った国々にとっては、参拝が最も腹立たしく感じられる日だ。

加藤氏にとって一連の出来事は、日本が不健康な愛国主義に傾斜している証拠に見えるという。「非常に強い反中かつ反韓、時には反米的でもある愛国主義が日本に広がっていることが、心配だ」と加藤氏は言う。

1930年代から1940年代にかけて日本が戦ったのは、果たして正当な戦争だったのかどうか。米国の策略で開戦に追い込まれたのか。この議論を再燃させ てしまったのは、安倍晋三を含む政治家のせいだと加藤氏は批判する。「この手の愛国心は、指導者がいったん火をつけたが最後、鎮めるのがとても難しい。と ても危険な愛国心だ。政治家が利用すべきものではない」と加藤氏は言う。

大方の予想している通り、9月の自民党総裁選で安倍氏が小泉首相の後継者となった場合、事態は悪化するかもしれないと加藤氏。「小泉首相は東條たちが戦犯だと認めていた。しかし安倍氏はその考えを受け入れていない」

加藤氏の説では、安倍氏は祖父・岸信介元首相の考え方に強く影響されている。戦後に首相となった岸氏は、戦犯に指定されて拘束されたが訴追はされなかった。

安倍氏の側近たちなら、こう説明するだろう。次期首相候補は単に、60年にわたる日本の「自虐」史観から一線を画そうとしているに過ぎないのだと。戦争中 の日本はほかに類を見ないほど悪い国だったと、戦後の日本人に学校で教え続けた「自虐」史観の代わりに、安倍氏は「健全な愛国心」を復活させようとしてい るのだと。健全な愛国心とは、自分の国の文化や業績に誇りをもつことだと。

安倍氏はさらに、日本の自衛権とは何を意味するのか明確化しようとしている。安倍氏にとってそれは、戦力保持を禁止する今の平和憲法を改正し、日本が半世紀にわたり放棄してきた集団自衛権を明確に主張することを意味する。

現状では、もし日本が攻撃されれば米国には日本を守る義務がある。しかしもし日本周辺で米国が攻撃されても、日本は米国を支援できない。安倍氏のブレーン のひとり、岡崎久彦氏は「愛国心には良い愛国心と悪い愛国心がある。国旗を掲揚して国歌を斉唱することは良い愛国心。よその国の旗を引きずり降ろすのは、 悪い愛国心だ」と説明。安倍氏が後押ししているのは、良い愛国心の方なのだという。

しかし加藤氏はこうした動きについて、政治家が不健康な領域に国民を連れ込もうとしている、歴史に対する記憶喪失を積極的に後押ししていると批判する。

加藤氏はさらに、こうした危険な愛国心を本や映画が助長していると非難。たとえば、同氏実家に放火した男は犯行直前まで、右翼的な内容のマンガを読んでいたとされている。

ベストセラー「国家の品格」の著者で、日本の保守層の看板男ともいえる藤原正彦氏は「A級戦犯という概念は無意味だ。勝者には敗者をさばく権利はないからだ。東京裁判だけでなく、ニュルンベルク裁判も同様だ」と主張する。

「東條がA級戦犯だというなら、ルーズベルトもチャーチルもスターリンも毛沢東もそうだ。日本に原爆を落としたトルーマンもそうだ」

しかし加藤氏に言わせると、こうした考えは危険だ。それよりも、日本は自分たちが戦前に抱いていた傲慢や、植民地主義的な野心を正面から見据えるべきだが、そうではない「過去の間違いを全て帳消しにしたい人たちがいる」のだと加藤氏は言うのだ。

関連リンク ( 国を愛するとは.... )