月曜日, 10月 27, 2008

麻生首相の対策、「玉石混交」=モルガン・スタンレー証券のフェルドマン氏


2008年10月27日(月)18:30
 モルガン・スタンレー証 券マネージング・ディレクターのロバート・フェルドマン氏は27日、都内で開かれた内外情勢調査会の会合で講演し、麻生太郎首相が同日とりまとめを指示し た市場安定化策について、「政府が元気に動いていることを示している」と素早い対応を評価する一方、内容については「玉石混交」との見方を示した。

 フェルドマン氏は、首相が指示した対策のうち、銀行等保有株式取得機構による株再取得の検討について、「こういう時期だけに必要だろう」と指摘。また、公的資金注入枠の拡大も、「悪用を防ぐ道筋をつければ」有効な対策だと評価した。

 一方で、時価会計の運用緩和については、「企業会計に対する信頼を損なう」として反対の考えを明らかにした。また日本の銀行の自己資本比率については、株価がさらに下落しても、国際決済銀行(BIS)基準を下回るようなことはないと述べた。 
[時事通信社]

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青色吐息のヤツから言われたかねぇや!って思うもののちゃんと追ってはおきたいね。
この辺分かり易いから載せとこう。


緊急安定化策:総動員も空回り 昼に発表で「危機感薄い」

 東京市場の株価暴落を受け、政府・与党は27日、公的資金による金融機関への資本注入枠拡大などを柱とする「緊急市場安定化策」の骨格をまとめ た。同時に、先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)も急激な円高に懸念を示す緊急共同声明を発表。政策総動員で「株安と円高の連鎖」に歯止めを掛け る姿勢を示した。しかし、中身は銀行保有株の買い取りや為替相場への口先介入など、かつて発動した市場対策の焼き直しばかり。発表後も株価は下げ止まら ず、政府高官ですら「期待通りの反応でない」(河村建夫官房長官)と嘆きの声を上げる。
 「株価の実体経済への影響は非常に大きい。いろんなことを考えてやらないといけない」。麻生太郎首相は27日、緊急安定化策のとりまとめ指示後、 こう強調した。しかし、市場対策は、取引開始前に打ち出して株価の底割れ防止を図るのが普通なのに、この日の発表は昼。かえって「危機感が薄い」との印象 を広げる結果になった。
 対策の実効性への疑問も少なくない。「金融機能強化法」改正案による公的資金投入枠を10兆円規模に広げることについて、「安易に申請すれば、市 場から経営不安視され、株を売り浴びせられる」(地銀幹部)として、注入を申請する金融機関がいくつあるかは不透明。また、「銀行等株式取得機構」と日銀 による銀行保有株の買い取り再開も、想定される購入総額が計1兆5000億円程度にとどまることから「株価下支え効果は薄い」(証券アナリスト)。米国発 の金融危機拡大で、手元資金確保を急ぐヘッジファンドなどの換金売りに対抗するだけの規模ではないからだ。さらに保有株売却には多額の処分損を覚悟しなけ ればならないことから、金融機関が取得機構の利用に二の足を踏む可能性もある。
 一方、G7の円高懸念の共同声明で、市場には「G7の円売りユーロ買い協調介入もあり得る」との観測が広がった。しかし、前週末24日の海外市場 で対ドルで1日7円、対ユーロで12円も円高に振れた流れを変えるには至っていない。円高、株安に有効な対応策を政府が打ち出せないまま、27日の日経平 均株価はバブル後最安値を更新して取引を終えた。【須佐美玲子、清水憲司】

◇ 高まる利下げ圧力
 急速な株安・円高が進行する中でも、日銀は利下げに慎重な姿勢を崩していない。ただ、米欧の中央銀行の追加利下げ観測が市場で高まっており、株安・円高がさらに進めば、日銀への利下げ圧力が高まりそうだ。
 27日に就任した山口広秀副総裁は会見で「現在の政策金利(年0.5%)は、日本の経済成長率や物価上昇率から見て極めて低い」と早期利下げに慎重な考えを繰り返した。
 日銀は「金融市場の混乱には潤沢な資金供給が有効」と判断しており、金融機関が日銀の当座預金に置いている資金に利息を付けて、資金供給の円滑化を図る措置を検討するなど、利下げ以外の対策の拡充に躍起だ。
 日銀は今月8日の米欧協調利下げに同調しなかった。利下げ余地が乏しく、日銀には「日本経済が一段と悪化した場合に備え、利下げカードを温存しておきたい」との思いも強い。
 だが、米連邦準備制度理事会(FRB)は28、29日に開く連邦公開市場委員会で追加利下げを決めるとの観測が広がっている。米欧が利下げすれば、日本との金利差が縮小し、円高圧力がさらに強まりかねない。
 株安・円高が一段と進むと、日本経済が後退色を強めるのは確実。市場では「景気後退リスクの高まりから、市場の圧力で日銀が利下げに追い込まれる可能性は増している」(みずほ証券の上野泰成氏)との見方が広がりつつある。【斉藤望】


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毎日新聞 2008年10月27日 21時40分(最終更新 10月27日 22時16分)

営業再開 選挙後の米国に新しい資本主義が?

フィナンシャル・タイムズ
(フィナンシャル・タイムズ 2008年10月15日初出 翻訳gooニュース)
クライヴ・クルック

1930年代以来最悪の金融危機が米国を本格的に襲った今年夏のずっと前から、米国はイデオロギーの変換期にさしか かっている様子だった。ジョージ・W・ブッシュ大統領の政権はひどく不人気だったし、アンチ自由貿易、アンチ・ビジネスの国民感情は高まっていたし、民 主・共和両党ともそれぞれ違うやり方で、こうした変化に対応していた。

ビル・クリントン前大統領と、民主党改革を掲げた新進気鋭の「ニュー・デモクラット」たちはその昔、自由市場重視でテクノクラート中心のリベラリズムを推 進した。しかし今年のバラク・オバマ民主党候補の選挙戦では、こうした市場重視型リベラリズムはすでに影を潜めている。米国の経済苦境が深まるにつれて、 「市場主義」というテーマは下火になったどころか、消えつくしてしまった。オバマ氏はもはや競争やインセンティブの重要性を呼びかけるよりも、「金持ちか ら富が下に滴り落ちる」仕組み重視の経済がいかに破綻したかを力説することになる。
共和党のジョン・マケイン候補も、オバマ氏に負けず劣らず、「ウォール街の強欲」を激しく批判している。ブッシュ政 権はその間、国内金融機関に総額2500億ドル(約26兆円)を投入(ポールソン財務長官はこの施策を「好ましくはない」が必要なものだと評価した)。 ブッシュ政権も、それまで表向きしがみついていた市場原理主義や規制緩和のお題目を、ついに諦めることになった。

これから先はどうなるのか? 今回の金融混乱は、一部の識者が指摘するように、いわゆる「アメリカ的」な資本主義そのものの終りを指し示すものなのか?  全体を見渡せばこれは、ありえないように思える。しかしそれでも、いわゆる「アメリカは特別な国」という発想は、かつてないほど激しく揺さぶられている。
金融危機がこれからさらに展開していく中で、誰が大統領になろうとも、米国金融は大変化するだろう。こう予測しても 問題はあるまい。規制強化された金融システムでは、体力が弱く破綻しつつある金融機関は、まだそれほど弱っていない金融機関に吸収されていく。監視監督の 仕組みは今までよりも簡潔で包括的なものとなり、権限は明確化され、監督当局の数は絞り込まれるだろう。

金融規制のルールそのものがどれだけ厄介なものになるかは、もっと予測が難しい。今回の金融破綻は「規制緩和」のせ いだとさかんに言われている。だからと言って、以前のような強い規制でがんじがらめの仕組みを、ただそのまま復活させればいいというものでもない。かつて 預金金利の上限を設定した「レギュレーションQ」を復活させようという声は聞こえてこないし、「グラス・スティーガル法」の復活を求める意見もない(銀行 の証券引受業務や株式の売買を禁止するなど、銀行業務と証券業務の分離を定めた同法がもしあったなら、バンク・オブ・アメリカによるメリル・リンチ買収 や、JPモルガン・チェースによるベア・スターンズ買収は、禁止されていたはずだ)。
今よりもっと優れた規制が必要なのは明らかだが、規制の仕組みを作り出すのは、これまでの歴史が示すように、難しい作業だ。「市場は間違う」と言ってみたところで、それは確かに正しいのだが、解決にはならないからだ。
いずれにしても、金融とは特別なものだ。金融規制に新たな姿勢で取り組むことそれ自体は、アメリカ式資本主義の終焉 を意味したりしない。危機がそこまで波及するには、もっと大きな変化が必要だ。たとえば経済全般における政府の役割が変化し、財政支出の規模や課税規模が 変化し、社会的なセーフティネットをどう提供すべきかという意識が変化し、富を再配分すべきかという意識が変化しなくてはならない。要するに、新たな社会 契約が必要なのだ。そんなことが果たして考えられるだろうか?

もちろんだ。大恐慌から生み出されたのは「ニューディール」という、新しい社会契約の形だった。今回も、同じような 展開をはなから度外視するのは愚か過ぎる。現在の危機は、政府による新たな介入をますます求めている。多くのエコノミストは、景気循環に対抗するために も、長期成長のきっかけを作るためにも、インフラ整備に支出すべきだと主張している。失業者が増え、国民の所得が減れば、社会の不平等に対する不満感がい や増すことになる。米国世論はかつてないほど、国民皆医療保険を支持するかもしれないし、たとえば高額所得者への増税をも支持するかもしれない。

こういう国民感情によって、アメリカ式資本主義は変身するかもしれないし、一気に終息して過去のものに成り果てるかもしれない。こういう国民感情があれば こそ、オバマ氏はおそらくホワイトハウス入りするのだろうし、連邦議会の民主党支配も、より強固なものになるのかもしれない。流れの勢いはあまりに強く、 そのため世論調査の専門家たちは、「地すべり的圧勝」の可能性さえ口にし始めた。ひょっとしたら、大統領の拒否権をも覆すことのできる、3分の2以上とい う圧倒多数を民主党が上院で確保するかもしれないと、そこまで言われ始めたのだ。
さらに現在の危機は、長期間かけて進行しつつある米国民の態度変化の方向性とも合致しているかもしれない。米国の世 論調査機関ピュー・リサーチ・センターによると、「自分たちの国は持てる者と持たざる者とに分断されている」と考える米国民が、次第に増えているという。 米国がそうやって分断していると答える人は、1988年には約4分の1だった。それが2007年には、約半分に増えていた。同様に、1988年には約 60%の回答者が自分は「持てる者」だと答えていたのに対し、今回の金融危機が始まる前の2007年時点ですでに、自分は「持てる者」だと答える人は 45%に減っていた。
米国社会は分断されているという認識は高まりつつある。そして多くの人が、自分は損する側に立たされていると感じる ようになっている。この傾向は、共和党支持者でも民主党支持者でも同じだし、大学進学した人でもそうでない人でも同じだ。調査データをどう縦横斜めに切り 取っても同じで、老若男女すべてのグループでほとんどの人が、同じように感じているのだ。この期間、インフレ修正後の収入伸び率は(最富裕層を除いて)す べての所得グループにとって比較的鈍かった。これに加えて、多くの中流世帯にとって支出の大部分を占める医療費や大学の学費が急騰したことも、「自分たち の暮らし向きはなかなか良くならない」という多くの米国人の思いを増幅させた。

一方でこの間、主だった金融関係者(投資ファンドのパートナーやヘッジファンドのマネージャー、破綻しかかっている 銀行のCEOなどなど)の収入は驚くほど巨額になり、そのとてつもなさはさかんに報道され、そして「とんでもないことだ」と広く国民の怒りを買った。米財 務省が最初に提示した金融救済案は、ウォール街の大金持ち連中に緊急避難のパラシュートを提供するに等しいと見なされ、すさまじいまで世論の抵抗に遭っ た。それはまさに、国民の怒りを浮き彫りにする反応だった。どうやら今のアメリカ国民は、金融業界の巨人たちを確実に大いに苦しめるためなら自分たちが少 し苦しい思いをするのも厭わないと、そういう気持ちでいるらしい。こういう態度はアメリカ的というよりは、旧ソ連を彷彿とさせる。
専門家たちによると、ルーズベルト大統領の「ニュー・ディール」政策が、結果として米国に欧州型の社会主義を定着さ せることにならなかったのは、第2次世界大戦後の好景気の影響だという。戦後の好景気が実に多くの米国民に、生活レベル向上の機会を与えたからだと言われ ているのだ。生産力は急激に拡大し、その恩恵を多くの国民が共有した。高等教育も急激に広まり、それに伴い生まれた優れた労働力とあいまって、「チャン ス」というアメリカン・ドリームの維持に貢献した。ほとんどの人は自分の生活レベルがどんどん良くなっていくのを実感し、自分の子供たちは自分よりもさら に良い暮らしができるはずだと、根拠をもって確信していた。

そんな時代は、もう終った。生活レベルは横ばいを続けている。次の10年間で、労働市場を去っていく大卒者の数が、新たに労働市場に入っていく大卒者の数を上回ることになる。米国経済の流動性は今でもすでに、多くの欧州諸国を下回っている。

こうした諸々のことは、住宅市場の低迷とその後に続いた金融危機が起きる前から進行していた。そしてその上に重なる ようにして、住宅市場が破綻し金融危機が起きて、ほとんどの米中流世帯の預金(ほとんどの場合は住宅担保ローンという形をとっていた)が危うくなり、 ウォール街の「強欲は良いことだ」と唱える商人たちを救済するために7000億ドルものの命綱を投げてやる羽目になった。こういう状況で、新たな社会契約 などありうるのかって? もちろんだ(You bet)。

にもかかわらず、反対方向へと強力に押し出す力もある。ピュー・リサーチ・センターを始め、過去数年にわたる複数の 調査結果は一貫して「欧州市民よりも米市民の方が、自分の経済的失敗やその他の失敗は、社会の責任ではなく個人の責任だと捉えがちだ」という傾向を示して いる。これは未だにそうらしい。経済的成功のチャンスと言うアメリカン・ドリームが消え失せつつあっても、「個人の責任」を重視する姿勢は変わらず強固 だ。というよりもむしろ、そういう傾向があるからこそ、金融救済案に国民があれだけ反発した理由がよく分かる。多くのアメリカ人は、救済に値しないウォー ル・ストリートの住人に怒っているだけではなく、救済に値しないメーン・ストリート(金融業界以外の一般市民)にも向けられているのだから(「私は、返済 できる範囲内の住宅ローンしか借りなかった。借金しすぎた連中を、どうして私が助けてやらなきゃならないんだ」)。
「社会民主主義のアメリカ」に向かおうとする流れをせきとめる、もうひとつの大きな要素は、財政だ。ブッシュ政権の 遺産のひとつに、構造的な財政赤字がある。社会保障年金やメディケア(高齢者向け医療保険)のコストなど、長期的に財政を圧迫する諸問題は、途方もなく大 きい。さらに短期的には、景気後退のせいで税基盤が縮小するため、歳入を超えた歳出を重ねてしまうことになる。そしてさらにその上に、金融機関救済の費用 がかかるというわけだ。

現行の金融救済パッケージのコストは、7000億ドル以下に抑えられそうだ。財務省が買い上げた資産や証券からの払 い戻しによって、いくらかは回収できると期待されているからだ。しかしそれでも、かかるコストは巨大な額になるだろう。利益が回収できるようになるまでの 間、救済策の費用は全部支払わなくてはならないし、そもそも現行の救済策は第一陣に過ぎないのだ。来年早々にも追加刺激策が導入されるだろうし、銀行の資 本再構成やその他の危機管理施策がさらに必要だとなれば、現時点で予定されている以上の費用がさらにかかるだろう。

こうしたことに加えて、もしオバマ政権が発足するとなれば、金のかかる大規模な政府事業の計画をたくさん抱えてホワイトハウスに乗り込んでいくことにな る。安い大学の学費実現、学校予算の拡大、最新の電力供給網など新しいインフラ整備、化石燃料以外の代替燃料支援、ほぼ皆国民に近い医療保険制度の実現な どだ。最初の大統領討論会で、司会はオバマ氏に繰り返し、これまで公約してきたこうした新規事業のうち、金融危機によってどれを諦めなくてはならないかと 質問していた。オバマ氏は、明確に答えようとしなかった。ただ目標を繰り返しただけだった。(その後に討論会に臨んだ副大統領候補のジョー・バイデン上院 議員の方が、もう少しはっきりとこの質問に答えていた。バイデン候補は、対外援助を削減することになるかもしれないと述べていた)。オバマ氏はいまだに、 勤労世帯の95%には減税を実施すると約束している。
エコノミストの多くは、こうした施策は新しい短期的な景気刺激策と平行して、全て実施すべきだと指摘する。必要なの は需要拡大であって、だとすると、インフラ整備の投資に主眼を置いた新しい「ニュー・ディール」の必要性は否応なしに高まっているというのが、彼らエコノ ミストの主張だ。
インフラ整備事業の立案と実行には何年もかかることがあるので、景気循環への対抗策としてはめったに使われない。し かし今回は違うと、多くの専門家が言う。費用効率の高い優れた事業計画があちこちの州で、予算不足のせいで実施されずにいる。連邦政府から資金提供があれ ば、いくつもの優れた投資計画がただちに動き始める。そしてもし米国経済の景気後退が長引くのならば、公的資金の支払いによって何年かにわたって国民に雇 用を提供する計画は、対応策としてふさわしいものと言えるかもしれない。
しかしこれほどの巨額借金を必要とする事業に、世界の金融市場は拒否感を示すかもしれない。これは次の米政権の懸案 となるだろう。来年の米財政赤字は、1兆ドルを大幅に超える見通しだ。次の大統領がこれをまるで気にしていないわけもないだろうし、次の大統領は遅ればせ ながらでも、長期的な財政バランス回復のためにやる気を市場に示すことだろう。もしそうならなかったら、逆に驚くべきことだ。次の大統領は当然のことなが ら、色々な新規事業に支出したいと思っても、支出意欲を抑制せざるを得なくなるはずだ。
しかし最終的に歴史の評価を分けるのはほかのどの事業でもなく、医療保険改革の成否に尽きるのかもしれない。最新の 電力供給網の確立などといったインフラ整備事業は、最初の「ニュー・ディール」と似ているし、それぞれに意味のある投資事業だろう。けれどもアメリカにお ける資本主義の性質そのものを変えてしまうほどの影響はないかもしれないのだ。その一方で、もしもオバマ氏が当選したとして、財政圧力やその他の懸案事項 をおいてでも、彼が強い意志を持って、国民皆保険にほぼ等しい制度を実現したとする。そしてこれがさらに、(オバマ氏の想定どおりに)完全な皆保険制度へ と発展したとする。
これはアメリカ社会において、とてつもない変化だ。社会保障(ソーシャル・セキュリティー)年金制度が作られたとき と同じくらいの、大変化だ。国民皆保険が米国で実現されれば、社会保障の整備具合において米国と欧州の落差はほとんどなくなる。そして国民保険制度の長期 的なコストが国の財政にどう影響するかを考えれば、米国と欧州の税率ギャップもやがてほとんどなくなるかもしれない。

それでもアメリカの資本主義は、その特色を失うことはないだろう。アメリカ式資本主義というのは、競争意欲や創意工 夫の精神から生まれ出る。そしてアメリカという骨身に刻みこまれているかのような、ひたむきな勤勉の精神から湧き出るものだ。こうした意欲が、アメリカの 資本主義の特徴なのだ。

しかし今回の危機の結果、強力で意欲的なオバマ政権が誕生し、民主等優位な連邦議会が成立し、それによって野党の反対という従来の抑制が取り払われるのな ら、そこから大規模な医療保険改革が実現し、それがきっかけとなってアメリカ社会は大変身を遂げるかもしれない。今回の経済危機がもたらす最大で持続的な 変化とは、もしかしたらこういう形での社会の変化となるのかもしれない。アメリカは新しい社会契約を結ぶことになる。その結果アメリカは、それほど特別でもなければ特殊でもない国となるだろう。


」 アメリカの面白味が消えるってコト?

課題・・・過大!?

渋沢栄一なんて「帝都物語」の登場人物の一人程度の認識しかないんだけど....。

Rongo and Soroban Now!

2008年10月24日 金曜日 渋澤健

 Centuries before the calculator, before the PC spreadsheet, there was the “Abacus.” It is a calculating tool that is constructed as a wooden frame with counting beads that slide on a series of thin rods. In Japan, it is known as “Soroban,” and said to be imported from China around 1600, during the early Edo Period.

 The Edo Period, also known as the Tokugawa Period (1603 to 1868) was 270 years of political stability, basically untouched by forces from the outside world, and thus an era of cultural, social and economical self-development for Japan. The teachings of Confucius -- that social order is attained through virtue and benevolent humanity -- flourished among the ruling warrior class during this period and became the intellectual foundation in Japan.

 Confucius was an ancient Chinese philosopher, whose teachings are said to have reached Japan via Korea around year 300 AD. The “Analects” of his teachings, known as “Rongo” in Japan, were written by his disciples, and passed down through the centuries for about 2500 years as universal wisdom of humankind.

 The end of the Edo period in 1868 to the early 20th century marked an era of extraordinary growth marked by emergence of feudal Japan as a world class economic power. With the victory in the Russo-Japanese War (1904-05), Japan also emerged as a military power, which had been dominated exclusively by the West. The period known as Meiji Restoration was full of vibrant innovators that marked this era with incredible achievements, and was a major turning point in Japanese history.

 One such innovator was Eiichi Shibusawa. Born in 1840 into a well-to-do agricultural merchant household in what is now Saitama Prefecture just north of Tokyo. He is often referred to as the leading industrialist during the Meiji Restoration, and most well known as the man who established the first bank in Japan.

 Some also call him the “father of Japanese capitalism,” as he was also one of the first in the country to recognize the merits of the shareholder system. He was also rightfully the first and most prolific venture capitalist in Japan, as historical researchers estimate that he was involved in the establishment of about 500 business enterprises. He was also a committed philanthropist, involved in the management and financial support of some 600 social enterprises. He also lived till a ripe age of 91 years old.

 How was Eiichi Shibusawa able to maintain such breath and depth in his activities? He was a firm believer that “Rongo,” representing ethical humanism, and “Soroban,” representing economical activities, seemingly at opposite ends of the spectrum, were actually in accord.

 It was not just about doing good. Nor was it just about making money. Both “Rongo” and “Soroban” were equally necessary. Necessary for sustainability of well-being.

 Being deft on the “Soroban” may fatten one’s wallet. But if that individual is short on virtue, then that wealth he earned may not be sustainable. Equally, just reading “Rongo” may heighten your self-being, but if that individual is short on the economics, then there is nothing there for him to sustain.

 Therefore, Eiichi Shibusawa strongly believed that both “Rongo and Soroban need to be in accord” for that individual and society to flourish and be sustainable.

 This new column hopes to bring light the “analects” of Eiichi Shibusawa to the modern age, not to dwell on past glories, but rather to explore whether his thinking can be applied to this present age, so that our future generations can flourish.

 Confucius says, “On-Ko-Chi-Shin.” Look to the past, for new innovations today.

とても自身和訳可能だなんて思っていないものの....。


菅・鳩山夫人、巣鴨に繰り出す=衆院選へ民主売り込み

どっちもどっちだな....。
時事通信2008年10月26日(日)18:30
 民主党菅直人代表代行夫人の伸子さん、鳩山由紀夫幹事長夫人の幸さんらが26日、「おばあちゃんの原宿」で知られる東京・巣鴨に繰り出し、衆院選に向けて同党への支持を訴えた。

 羽田孜元首相夫人の綏子さんも参加し、3人はかっぽう着姿で街頭演説し、商店街を練り歩いた。途中、買い物客から「バスの本数が減って困っている」と声を掛けられると、綏子さんは「そういう小さな声を政策に生かす政治をしないと」と応じた。

 その後、商店街の一角に設けられた党都連の臨時出張所「おばあのお茶の間サロン」に移り、有権者と懇談。「無駄遣いをなくして」などの声に耳を傾け、「上(首相)だけ代えてもだめ。(衆院選で)ばっさりやらないと」(幸さん)、「内閣ではなく財務省が予算を決めている。民主党にやらせてみて」(伸子さん)と、民主党を売り込んでいた。 

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