月曜日, 6月 25, 2007

G8で2位の自殺率 助けを求める声に日本政府も

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年6月22日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

東京の西の郊外にある荻窪駅から乗車する通勤客はおそらくもう、ホームに巧みに設置された幅2メートル高さ1.2メートルの鏡を、いちいち気に留めてはい ないのだろう。鏡がそこにある理由は、飛び込み防止。自分の姿を目にすれば、人は線路に飛び込みにくくなるのではないか、という発想だ。

中央線を運営するJR東日本によると、鏡を5年前に設置してから効果がどれほどあったか、まだ検証していないという。しかしJRが鏡設置を試してみたというそのこと自体から、日本が自殺問題にどう取り組むべきか苦慮している様子がうかがえる。

警察の記録によると、昨年1年間に自ら命を絶った人は3万2155人。1日約90人だ。高い順位に入りたくないこの世界ランキングで、日本は上位に入って しまっている。世界主要8カ国の内、日本よりも自殺率が高いのはロシアだけ。ロシアでは人口10万人中39.4人が自殺している。日本の自殺率は10万人 中24.1人。フランスの18.4人よりもずっと高く、英国やイタリアの3倍にもなる。しかし、どうして?

専門家の中には、日本の伝統文化が背景にあると説明したがる人もいる。自殺を禁じるキリスト教と違い、武士道はかねがね自死は名誉ある去り方だと称えてき たからだと。しかし実際には、1960年代から1990年代半ばに至るまでの日本の自殺率は、確かに国際標準からしたら高めではあったが、現在ほどの高い数字ではなかったのだ。

自殺率が一気に上昇した分岐点は1998年。企業が数千人単位のリストラを開始した時期と重なり、自殺者の数は前年から35%も増えて3万2863人になった。

「経済と何らかの関係があるのは明らかだ」 東京大学のジョン・キャンベル客員教授はこう言う。「(1998年は)リストラが相次いだ、ひどい年だった。 日本の自殺率が高く思えるのは、中年男性の自殺が増えているからだ」 昨年の自殺のうち約3分の2が、40歳を超えた男性によるものだった。

しかし経済回復がもう5年も続き、労働市場は求職者よりも求人の方が多いという引き締まった状態だと言うのに、なぜ自殺率は下がらないのか。それが謎だ。

日本のマスコミがさかんに報道するのは、学校のいじめやインターネットの自殺サイトや掲示板などきっかけにした自殺などだ。確かにこういうケースはそれぞれに悲惨だが、全体に対する割合としてはごく一部に過ぎない。

警察によると、インターネットで自殺仲間を募って実行した人は昨年1年で約90人。学校関係の問題で自殺した人は242人で、自殺全体の1%。とすると残 る自殺の理由は、経済的なものや健康上のものなどだ。経済全体の状況は改善したとしても、経済格差の拡大から、大きな借金を抱えたり、かつての経済・社会ステータスに戻れないと諦めたりと、絶望的な気持ちになっている人がそれだけ増えているのではないか。そう見る専門家は多い。経済や仕事関係の問題が原因 で自殺した人は、昨年1年で約9000人。1998年は約8000人だった。

テンプル大学のジェフ・キングストン教授(アジア研究)は、日本の高齢化が進むに連れて、病気が原因の自殺が増えるだろうと見ている。昨年は自殺のほぼ半数が、健康上の理由を原因としていた。

内閣府自殺対策推進室の高橋広幸氏は、政府のさらなる取り組みが必要だと認めている。そして実際に、今月になって発表した自殺総合対策大綱で、日本政府は 自殺を20%以上減らすという目標を掲げた。高橋氏は、政府の対策のひとつとして、消費者金融の上限金利を20%に抑えるための法的措置を挙げる(訳注・ いわゆる「グレーゾーン金利」撤廃のための改正貸金業法成立など)。これは、借金を原因とする自殺を減らすための、方法の一つになるだろうと高橋氏は言う (一方で、消費者金融の上限金利制限は、経済成長を抑制するほか、消費者金融が貸し付け条件を厳しくするため、闇金融に走る人を増やすだけだと言う批判も ある)。

高橋氏はさらに、政府が「再チャレンジ」のための訓練機会提供を重視していると指摘し、また自己破産法の改正は、救済措置としての自己破産のマイナスイメージをやわらげることを目的としたものだと話した。

これに加えて日本では、うつに苦しむ人のカウンセリングを強化する必要があると高橋氏は言う(カウンセリングは健康保険の対象外)。もし心理カウンセリン グが保険診療で可能になったとしても、今度は「精神科医が足りない」と高橋氏は言う。いずれにしても、予算の制約から、日本のうつ対策はすぐさま解決でき るという問題ではないのだ。

「過去10年間の国の対策は大失敗だった」とキングストン教授は言う。「カウンセリングやセラピーを必要としている人たちが、きちんとした治療を受けられていない。重大な公衆衛生の問題なのに、あまりにも長いこと見過ごされてきた」

この問題にきちんと対応しない限り、自殺率の低減はいつまでたっても何をやっても、鏡や煙に頼るトリックめいた、目くらましに過ぎない。キングストン教授はこう警告している。



国の対策がどうのこうのってのもあんだろけど、そも大企業の収益増にばっかり目を奪われて、庶民生活が沈み込む一方の中で、いざなぎ景気を越えた!なんて、能天気な話に終始してる連中に、一体何が分かるのか問いたいね。
スマート官僚さん達は、自身の経歴が第一だから、そんな部署を担当させられた日にゃ、言わぬが花だの、知らぬが仏だの、くさいものには蓋だのって、自殺者が増えようが減ろうが頬被り決め込むのが関の山だろうし、間抜けな政治家さん達は、報告ないと知らないまんまだかんね。

しかしまぁ、中高年の自殺者が多いって、恥ずかしい国だよね。

金曜日, 6月 01, 2007

それでも昔の日本には戻れない それはなぜ

ジィさんの威光はコイツも一緒だったなぁ

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年5月31日 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

日本の安倍首相はエジプト・カイロで、地元記者が日本・エジプト関係について質問するのをじっと聞いていた。やがて答えた首相いわく、両国関係は好調だと いう。しかし興味を引いたのは、首相のこの答えではない。意外だったのは、安倍首相が同時通訳のヘッドホンをつけていなかったこと。首相はいつの間に、ア ラビア語が堪能になっていたのかと、そう見えた。

要するに、記者の質問はかなり前に事前提出されていたものだった。安倍氏はわざわざ通訳を聞くまでもないと、ヘッドホンをしていなかった。質問の内容は事前に知っていたし、どういう答えが自分に求められているかも承知していたからだ。

この一芝居は、かつての鈴木善幸首相を思い出させた。1980年代初めに首相を務めた鈴木氏はあまりに堂々と、用意された答弁原稿を読み上げてばかりいた ので、「テープレコーダー」などと揶揄(やゆ)されていた。安倍首相のカイロでのこの一幕は、ささいな出来事かもしれないが、ささいながらも、日本が昔の 日本に退行しつつあると指摘する意見を裏づけている。なので、注目に値する。

この日本退行論いわく、小泉純一郎氏はあくまでも経済危機が生み出した総理大臣であって、彼の存在は、線香花火のような一瞬のきらめきに過ぎなかったのだ という。小泉改革が日本の政治にもたらした変化は、束の間のものに過ぎなかったのだと。伝説的ですらある日本の強大な官僚機構を小泉氏は制御したかもしれ ないが、それもほんの一瞬のことだったと。そして危機が去った今、日本は通常モードに戻りつつあるのだと。

安倍首相の諸々は、この日本退行論を裏づける状況証拠になってはいる。首相としてのスタイルは、単独主義的・一方的な小泉スタイルよりも、合意重視のコンセンサス型だ。また小泉流の市場主導型政策は、どうも安倍氏にはしっくりきていないようだ。

「オールド・ジャパン」復活を示す出来事がこのところ続いた。自民党が約50年間ほとんど途切れることなく権力を独占してきたのは、「金権政治」のおかげ だが、その金権政治がいかに未だに脈々と続いているかが、おぞましい形で改めて示されたのだ。現役の農水大臣だった松岡利勝氏が5月28日、首をつって自 殺した。松岡氏は、公共事業の受注に関わる公益法人などから献金を受けていた問題で、追及されていた。そして松岡氏自殺の翌日、談合の仕組みを作ったとさ れた公団元理事が投身自殺した。

連日の悲劇は、安倍首相の評判に影を落とす。政権与党・自民党をもう何十年にもわたり汚してきた、薄汚い政治のありようを、あたかも首相自身が容認してき たかのように見えるからだ。しかし実際には、これは言うならば、旧体制の断末魔のもがきであって、「オールドジャパン」の健在ぶりを示すものではない。日 本が「小泉の前」の状態に戻りつつあるという結論は、間違っている。

小泉氏は決して、自分ひとりで変化のきっかけを作ったわけではない——というのが理由のひとつ。小泉氏は、新しい変化を自分で巻き起こしたのではなく、す でに始まっていた構造的変化を象徴する、「顔」(と髪型)だったのだ。いま新しいものに変身しつつある日本の戦後体制はそもそも、高い経済成長率がなけれ ば続かないものだった。自民党は公共事業を通じて、都市部で吸い上げた税収を農村部に注ぎ込んだ。注ぎ込んだ金の報酬として自民党は、農村部の中選挙区か ら票を吸い上げ、また公共事業の恩恵を受ける色々な利益団体から「政治献金」を受け取っていた。これが、自民党の戦後体制だった。しかしこのシステムはも う機能しない。理由は単純。金がもうないのだ。公共事業予算は過去10年間で削りに削られた。郵便貯金で道路やダムを作るやり方は、終息しつつある。それ どころか日本の郵便局そのものが、かつてはお小遣いがたっぷり入っていた世界最大の貯金箱が、民営化されることになっている。

米コロンビア大学の日本専門家ジェラルド・カーティス教授によると、日本は今、現代に入って3回目の巨大な変革期にさしかかっているという。最初は、日本 の指導層が封建主義を捨て去った明治維新。2回目は、高度経済成長実現のための仕組みを作った戦後復興。そして3回目の変革期のことをカーティス教授は 「20年越しのデケイド(10年間)」と呼ぶ。この間に日本は、氷河が動くが如くの緩慢な速度でゆっくりのろのろと、しかし大地に渓谷を刻むが如くの確か さでじわじわと、国内の経済危機や国際経済のグローバリゼーションに対応してきたというのだ。この緩慢な調整プロセスを通じて、かつて日本が誇った護送船 団方式の資本主義は崩れ、さらに企業間の株式持合も結びつきがほどけていった。これはつまり、平等な所得分配の放棄を意味する。さらに政治の世界では、札 束ぎっしりの封筒が選挙を左右することがなくなるし、総理大臣の権限と責任が拡大することになる。

世間一般的に安倍首相は気弱とか弱腰とか見られがちだが、実際には、改憲や愛国教育という異論の多い政治テーマに実に熱い情熱を抱いている。そして、小泉 首相が郵政改革に邁進(まいしん)したと同じぐらいの情熱をもって、改憲や教育改革の実現に突き進んでいる。それに実は安倍首相の方がよほど大胆に、公共 事業や公務員制度への支出をばっさりと削っているのだ。

「オールドジャパン」の残滓(ざんし)は確かにしつこく残っている。日本の政界で見て見ぬふりをされている最大のネックは、野党の力不足だ。野党はいつま でたっても、本当の意味で自民党を脅かすことができないでいる。自民党を支え続けた政治の仕組みがもうガス欠になりつつあるというのに。日本の野党はどう してこれほどまでに、事態を自分たちの有利に運ぶことが下手なのか。となると、野党の存在意義とは政権獲得にあるのではなく、政権与党=支配層に正当性を 与えることでしかないのではないか——そう結論したくなる。

キュー出ししてもらわなくても自発的に答弁できる党首が見つかれば、野党は自民党よりはよほど有利になれるかもしれない。しかし世の中には、決して変わらないものもある。変わるはずのないものに変化を求めるのは、それは無理というものかもしれない。