木曜日, 2月 14, 2008

ガソリン“暫定税率”は永久に続くのか?永田町の欺瞞を許すな!【週刊・上杉隆】

ダイヤモンド・オンライン
 
 永田町は不思議な世界だ。時として世間の常識が通用しないばかりか、その真逆のことがいくらでも罷り通る。

  たとえば、政治家が、「前向きに検討します」や「善処します」などと言う時は、まず間違いなく、何もしないという意味に受け取ったほうが良い。また、演説 などで、「国民の皆様のために」などと言った時も注意が必要だ。その真意は「自分の選挙のために」であり、実際に発言を置き換えてみれば、案外すっきりと いくものである。

 これらのものを「永田町用語」という。最近でも、その例として“暫定”と“恒久”が挙げられる。

『広辞苑』によれば、“暫定”とは、〈本式に決定せず、しばらくそれと定めること。臨時の措置〉とある。一方、“恒久”は、〈久しくかわらないこと。永久〉となっている。その通りであるならば、次の事例は一体どうやって説明すればいいのだろうか。

  1998年、日本はバブル崩壊後の株式市場の長期低迷にいまだ喘いでいた。小渕恵三首相(当時)は、野菜の蕪を持ち上げて、「カブ、上が~れ」と叫ぶ涙ぐましいパフォーマンスで景気回復を願った。果たして、小渕内閣は、中小企業への貸し渋り対策や地域振興券配布などを含んだ42兆円規模の緊急経済対策を実 施し、景気浮揚策の一環として所得減税も導入した。そして、その減税は“恒久減税”と名づけられた。

 だが、それがいつの間にか、“恒久的減税”と「的」が挿入され、昨年には、景気は回復基調にあるとして、“恒久”はわずか8年間の短い生涯を閉じたのである。

  一方で、1972年のオイルショックを受けて、2年間の暫定として、田中角栄首相(当時)が導入したガソリン税(租税特別措置法)の暫定税率は、その後 32年間にもわたって維持され続けている。1974年以降は、5年間ごとに延長が繰り返され、現在、与党からは、さらに10年の再延長を求める法案が提出 されている。

 仮に10年という延長法案が成立すれば、実に42年間、つまり、約半世紀近くにわたって“暫定”が続くことになる。

 つまり、永田町での“恒久”とは、10年ほどの期間を指し、逆に“暫定”とは、半世紀、場合によってはそれ以上の半永久的な期間を指すのである。

 こうした「欺瞞」は、永田町に特有な文化をも透かし見せてくれる。それは、政治家や官僚にとって都合のよい“増税”は、安産でしかも長寿になる場合が多いが、逆に、国民が喜ぶような“減税”などは、難産の上、短命に終わってしまうことが少なくないという独特な文化だ。

 改訂版が出されたばかりの『広辞苑』にすら果敢に挑戦してしまう永田町の政治家たち……。もはや怒りを通り越して、呆れるばかりだが、じつは現在、国会で論争に発展している道路関係の諸問題も、こうした永田町用語の「欺瞞」が起因しているのだ。

◇ 道路公団民営化は「上下分離方式」で無実化した

 筆者が、道路問題の取材を始めたのは2002年の春だった(同年『週刊朝日』誌上で8週連続の同時進行ルポを掲載)。

 前年、小泉純一郎首相(当時)は「改革断行評議会」で「聖域なき構造改革」を謳い、一般財源化を図ることを前提に道路特定財源を見直す、と宣言し たばかりだった。小泉首相のそれは、自民党政治の利権構造の“本丸”に挑む宣言に他ならない。よって、その実現性はともかく、当時は多くの永田町関係者が “改革”への期待を抱いたのは確かだ。

 設置されたばかりの道路公団民営化推進委員会では、ムダな道路は造らないという掛け声の下、委員たちからは続々と「凍結」の言葉が吐いて出た。そう、第1回会合では、総延長9342キロメートルという高速道路建設を、ゼロベースで見直しすることすら語られていたのだ。

 だが、議論は踊った。夏、7人の委員はホテルニューオータニで合宿を張ってまで討論を繰り返したが、直後に提出された中間報告では「凍結」の文字は消えていた。

 自民党道路族と旧建設省道路局の抵抗は、予想以上であった。民営化委員会は回を重ねるにつれ、9342kmどころか、「四全総」(第四次全国総合 開発計画)で決定した14000kmの建設まで議論を押し戻そうという動きが顕在化してきた。そして12月、「答申」が出された頃にはすっかり法案策定作 業を担う内閣府(実際は国交省職員)や自民党道路調査会などに、道路建設の決定権を投げ返してしまっていたのだ。

 案の定5年後(2007年)の国幹会議では、道路公団民営化の前提であった9342キロメートルすら消え、中期計画と称して、「四全総」の決定が蘇ってしまったのである。実は、この亡霊復活の背景には、別の「欺瞞」が隠されている。

 2002年秋以降、7人の委員で構成された道路公団民営化推進委員会は紛糾し、結局空中分解してしまうのだが、その分裂の主たる原因は、民営化後の道路会社の経営を「上下分離方式」とするか、あるいは「上下一体方式」とするかの論争が決裂したことにあった。

「分離」を許す猪瀬直樹委員や大宅映子委員に対して、田中一昭委員や川本裕子委員は徹底して「一体」での民営化を訴えた。仮に田中氏らの主張した 「上下一体」が採用されていれば、現在の道路建設の是非を巡る9342kmも、14000km云々という議論自体も存在しなかっただろう。なぜなら、経営 が「一体」であるならば、民営化会社には無駄な道路を作らないというインセンティヴが働き、国幹会議の結論に左右されずに、必要な道路のみを造るという民 間会社としては当然の選択が可能だったからだ。

 だが、委員会の結論を、猪瀬氏らの主唱する「分離」にしたことで、道路の保有主体と管理主体が分けられ、民営化会社は道路建設には一切タッチせ ず、オペレーションのみを行うことになってしまった。ちなみに、この議論の過程で7人のうちの5人の委員が委員会を辞任している。

◇ 道路公団改革は虚構の改革だった

 道路公団民営化での「欺瞞」はまだある。

 1969年の「新全総」では、高速道路建設に当たっては、「償還主義」が採用されていた。「償還主義」とは、道路特定財源で造られた有料道路は借金を返済した時点で、各々無料にしていくという約束のことだ。

 それでいえば、黒字である東名高速道路や名神高速はとうの昔に無料になっているという計算になる。ところが、実際はそうはなっていない。それは、1972年、田中角栄首相が、突然「プール制」を導入し、国民との約束を反故にしたからである。

「プール制」とは、全国の道路はすべてつながった一本の道であるという考えに基づくもので、各々ではなく、高速道路全体の採算制に変更するという ものであった。これによって当然ではあるが、道路を造れば造るほど、高速道路は無料にならずに、ユーザーからの利用料も入るという仕組みになった。

 こうした「欺瞞」を議論したはずの民営化推進委員会が、「虚構の改革」だと言われるのはそうした背景があるからだ。いったい道路公団改革とは一体なんだったのか?

 この問題を最初から追及している加藤秀樹・構想日本代表はこう訴える。

〈マスメディアの多くも、状況の正確な解説よりも、正義の味方を装った発言を繰り返す「役者」をヒーローにまつりあげ、大舞台での派手な立ち回りば かりを娯楽番組まがいに報道した。本業をサボって虚構を演出した(テレビはこちらが本業かもしれないが)という意味ではつくづく罪が深いと思う。
(中略)
  しかし、虚構に惑わされていると、そのツケは結局国民に回され、国力は削がれる。そろそろ私たちも目を覚まそうではないか。政治家も官僚も学者もジャーナ リストも、虚構にぶらさがる者は多いが、真剣に国の行く末を考えている人が実はもっと大勢いるのだから〉(『ウェッジ』2008年2月号)

 加藤氏の言う「虚構」を暴くには、この通常国会での道路論議こそが、本当にラストチャンスなのかもしれない。

※加藤秀樹氏による道路問題研究については「構想日本」のHPに詳しい。



呆れるだけじゃ済まないから、国策に関わる話は、更に頭にくるんだよね。