金曜日, 9月 28, 2007

福田氏、自民党に警告する

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年9月26日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

幸運の女神はこのところ、日本の民主党にほほ笑んでいる。わずか数カ月のうちに、民主党としてかつてない大勝を選挙で収め、参議院の第一党となり、そして安倍晋三前首相を辞任に追い込んだのだ。

後任の総理大臣となった自民党の福田総裁は現状について、自らの内閣を自分自身で「背水の陣内閣」と呼び、「一歩でも間違えれば、自民党が政権を失う、そういう可能性がある内閣だ」と危機感を示した。

しかし、過去半世紀にわたり権力を独占してきた自民党をこうして脅かすことと、その自民党を実際に野党の地位に追いやってしまうことは、全く別の話だ。民主党はどうやったら今のこの順風を本格化させて、政権与党になることができるのだろう。

民主党には、戦略と政策の両方が必要だ。というのも福田氏の首相選出は民主党にとって、色々と厄介をはらんでいる。不運な安倍氏と比べて、福田氏は攻撃しにくいというのが、1点。

おまけに新首相は、テロ特措法の延長をほぼ諦めたかに見えるのがもう1点。米国など多国籍軍の艦船に海上自衛隊がインド洋上で補給活動をするためのテロ特 措法について、延長を承認しないというのが、民主党のこれまでの切り札だった。しかし切り札はもはや、切り札でなくなってしまった。

民主党「次の内閣」の「ネクスト防衛大臣」、浅尾慶一郎参議院議員は、「もし福田氏がテロ特措新法を議論しようというなら、それは民主党にとっていいことだ。しかしどうも、見通しが変わってきた」と話す。

民主党はこれから、自衛隊の海外派遣は国連決議にもとづいた活動にすると規定した独自法案を提出するかもしれない。それにはおそらく、給油活動を停止し、 アフガニスタンの警察部隊を訓練し、アフガニスタンにおけるDDR(元兵士の武装解除・動員解除・社会復帰)活動に参加するという内容が含まれるだろう

この戦略にはリスクがないでもない。日本の世論はインド洋での給油活動を支持するかどうかで割れているし、民主党が特措法延長を政争の具に使って政治的ポ イントを稼ごうとしているとみなされたら、世論は民主党を批判するかもしれない。さらに福田首相は、民主党内でも意見が分かれているところに割って入っ て、民主党内の不一致を利用するかもしれない。民主党内ではたとえば、前原誠司前代表などが、党の公式見解を乗り越えて、給油活動の継続に前向きな姿勢を見せているからだ。

テロ特措法をめぐる対立は別にしても、民主党は参院優位を活用して、早期の衆院解散を強く求めていく方針だ。浅尾氏はこう言う。「できるだけ早い総選挙を望んでいる。しかし福田氏の方は、できる限り引き伸ばしてくるだろう」

総選挙を遅らせる理由のひとつとして、自民党は来年7月に予定される北海道・洞爺湖サミットをあげてくるかもしれないと浅尾氏。G8サミットで議長国の任 を果たす前に政権交代のリスクを犯すのは、無責任だと政府は言うかもしれない。そして総選挙を遅らせればその分だけ、自民党はその間に体勢を立て直し、安 倍政権の不幸な1年の記憶を和らげることができるというのが、評論家たちの見方だ。

民主党にとって、とるべき戦略がリスキーだというなら、まして掲げるべき政策は尚のこと。民主党の政策が自民党といかに違うか、その説明の仕方にはかなり 工夫が必要となる。与党・自民党は、タカ派から穏健派、自由市場主義者から保護主義者、福祉重視派まで様々な政治思想・主義主張をひっくるめて擁している 思想的幅の広い政党だ。しかし同様に、民主党も同じだ。

小泉純一郎氏が首相だったとき、民主党は自分たちこそが市場改革の党で、小泉氏は民主党の真似をしただけだとさかんに主張していた。ところが最近の民主党は、農家への補助金給付を約束したり「共生社会」を掲げたりと、むしろかつての旧来型の自民党のような様相だ。

しかしそれは誤解だと、民主党の参議院政策審議会長代理、大塚耕平議員は言う。「矛盾はしていない。市場主義原理を導入する必要があると最初に訴えたのは民主党だ。しかしだからといってそれは、貧しい人々を置いてきぼりにしていいということではない」

浅尾氏はさらに、民主党の外交政策の基本はただ米国に盲目的に追従することではなく、国際法を守り、アジアの近隣諸国と関係を改善していくことだと話した。

自民党と違う政策を提示する以上に、民主党が示す可能性と言うのは、戦後初めて自民党以外の政党が長期政権を担うかもしれないという展望だ。浅尾氏はこう言う。「どこの民主国家でも、せめて10年に一度は政権交代があったほうがいい」

一方でこの間、26日に発表された世論調査によると、福田新内閣への支持率は58%まで一気に上った。つまり日本の有権者は、執行部を一新した自民党に、再度チャンスを与えようとしているのだ。

共同通信によるこの世論調査の支持率は、第一次安倍内閣のそれよりも17ポイント高く、8月の内閣支持率に比べれば約30ポイントも高い。

UBS証券のチーフエコノミスト、大守隆氏は、福田首相が主要ポストに派閥重鎮を多く選んだことについて、「古い自民党に逆戻りしてしまったという批判もある」と指摘する一方で、自民党の派閥はかつてよりもずっと実力主義なところになっているとも話す。

小泉政権で金融担当相などを務めた竹中平蔵氏は、福田首相が「大胆な改革」を実行するとは考えにくいと指摘。「(福田首相は)強力な指導力を発揮するというよりも、色々な意見を調整することの方が得意なのです」



この人ってば、攻撃しずらいってのもあるけど、攻撃してもこないよね。 なぁぁぁんか、淡々と乗り切られちゃいそうで、岸さんとこのお孫さんより、よっぽど手ごわい感じ....。

水曜日, 9月 26, 2007

変わらなければ日本は取り残されると福田氏は

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年9月24日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

福田康夫氏が自民党総裁選に出馬し、自民党を苦境から救いだす希望の星として浮上したとき、福田氏は出馬について「貧乏くじかもしれないよ」と記者にコメ ントしていた。確かに福田氏が率いることになったのは、参議院の支配を失った自民党だ。日本では、自由主義的な市場改革の動きに取り残されたとされる地域 や人たちが大勢いて、その人たちが夏の選挙で、自民党に手痛いしっぺ返しをしたばかりなのだ。

過去5年にわたる経済成長がいずれは国民一人ひとりの生活向上につながると、そういう希望を自民党が有権者に与えることができなければ、自民党は次の総選 挙で本当に政権を失いかねない。まさにそうした危機的状況にあると多くの政治評論家は見ている。そして、衆院選は遅くても2009年には開かなくてはなら ないのだ。

第2次世界大戦以降で最長期にわたる持続的な経済成長の最中にあっても、多くの日本人はその恩恵を実感できずにいる。給料はほとんど上がらないのに、いく つかの市町村では失業率が全国平均を大きく上回ったまま動かない。小泉政権で導入された地方交付税の見直しなどによって、いくつかの地方自治体は財政破綻 の危機に直面。なかでも北海道の夕張市はすでに破綻してしまった。

こうした一連のことが重なって自民党は今、1993年に一時的かつ一度だけ政権を失って以来の、最悪の事態にさらされている。にもかかわらず福田氏も、そ して対立候補として総裁選に出馬した麻生太郎氏も、有権者に対して大きなネックとなっているこの小泉改革を、後戻りさせようとは決して主張しなかったの だ。

福田氏は麻生氏と同様、社会格差の是正に取り組み、自由市場の行き過ぎを抑制する必要があると主張した。しかし今の政策の基本路線について後戻りはないと、この点について福田氏は明快だった。

総裁選の最中にたびたび開かれた討論会で福田氏は、「改革を推進しなければならない」と言った。さらに福田氏はこうも言った。

「世界は変わっている。改革をしないと、日本は国際社会から取り残される」

小泉改革以前に戻ろうと掲げる総裁候補を自民党が出さなかったことからしても、反・改革の動きに本当の意味での政治的な勢いはないのだというのが分かる。

改革の動きは小泉改革とは呼ばれるが、小泉氏が一人で始めたものではない。そしてこの改革の動きにはいくつかのポイントとなる課題がある。(1)財政健全 化 (2)公共事業や税収移転の形で人口の少ない農村部に与えてきた補助金を減らす (3)可能な限り、民間部門の役割を拡大する——とういものだ。

福田氏は9月半ばに日本外国特派員協会で、「日本社会は転換期にある。高齢化が進み、社会構造が変わりつつある。労働生産性を上げて、一連の課題に対応していかなければならない」と話している。

リーマンブラザーズ証券のエコノミスト白石洋氏はこれに対して、たとえ政治家がそう望んだとしても、国の財布を緩めるのは難しいだろうと話す。

「財務省の厳しい縛りの下では、財政政策が大きく変わるのは難しい。(今や日本のGDPの1.5倍に達する)公的債務の規模を思えば、ばらまき政治に戻るのは、かなり考えにくい」

2011年度までに基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字化する目標については、そのまま堅持するだろうと多くのアナリストは見ている。

福田首相は確かに、国民が生活する上での困難・困窮を和らげるため、いくつかの施策を掲げている。たとえば、高齢者の医療費自己負担を1割に凍結する案を 検討するとしている。小泉政権で決まった現行案では、来年4月から70-74歳の医療費の窓口負担は現在の1割から2割に引き上げられることになってい る。

さらに小泉政権下では、国から地方へ税源を移譲し、地方自治体が独自に税収を増やすことで、独自で自主的な行政サービスをまかなうべきだという税制改革が進められたが、福田氏の下ではこれも、より穏やかで漸進的な変化に変えようと議論されている。

とは言うものの財務省も、そして小泉政権の内閣官房長官として小泉改革の諸政策に関係の深い福田氏も、1990年代に顕著だったばらまき財政に立ち返るわけもないだろう。

当時は、ともかくひたすら財政支出を重ねることで停滞するデフレ経済を回復させようというのが、政府の方針だった。それに対して現時点では、自民党が政権 を維持できる程度に、有権者の支持を集められる程度に、要所要所で支出を少しばかり調整しようというのが、政府のねらいだ。しかしそのために使える財源は 今後も、厳しく制約されたままだろう。



日本の内閣総理大臣って、世襲制だったっけ?

金曜日, 9月 21, 2007

総理がいなくてもやっていける日本

末期的だよね

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年9月19日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

米テレビドラマ「The West Wing(ザ・ホワイトハウス)」に、作中の米大統領ジェド・バートレットが撃たれて緊急手術を受けるという話がある。大統領は間もなく回復するが、その 後、大論争が持ち上がる。大統領が手術を受けていた間、いったい誰が国を動かしていたのか、というのだ。全ては平常に戻るが、大統領が麻酔をかけられてい た数時間、実は憲法上の危機が起きていたのではないかという議論が後からぶりかえす。というのもあの数時間の間、アメリカには正当な最高権力者がいなかっ たからだ。

現実の日本では、安倍晋三という若すぎた首相が12日に辞任表明。52歳という年齢は首相には若すぎたと言われてしまったが、辞任の本当の理由はまだ全て が明らかになっていない。23日には、与党・自由民主党の新しい総裁が決まり、25日には国会で総理大臣として指名される。辞意を表明した翌日、くたびれ きった安倍氏は入院し、政府から退場した。とするとこの国を動かしているのは、正確にはいったい誰なのだ?

と言うことを、誰も気にしていない。あるいはほとんど気づいてもいない。そしてそのこと自体が、日本における権力と民主主義の本質について、なかなか興味深い点をいくつか浮き彫りにしている。

結局のところ、安倍氏は国民に選挙で選ばれた首相ではなく、半世紀にわたって権力を独占してきた政党に選ばれた首相だったというわけだ。ということは、安 倍氏というのはベネズエラのチャベス大統領の日本版だったのか?——と思われるかもしれない。しかし日本の首相というのはベネズエラの大統領とは全く違 う。確かに数年前から、内閣は少しずつ権限を強めてはいるが、日本の総理大臣というのは先進国の中でもきわめて力の弱い指導者のひとりなのだ。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は1989年発表の名著「日本権力構造の謎」で、このパラドックスを詳しく分析した。あの本が発表されて以来、日本の政界は二転三転しているが、混乱の末にやがて何が新しく生まれてくるのか、誰もはっきり見通せないままだ。

1993年に自民党は9カ月間、政権の座を追われた。野に放り出されたこのわずかにして唯一の経験の後、自民党は他党との連立に頼ることで権力にしがみつ いてきた。そしてこの不安定な状況下の日本では、まもなく二大政党制が成立するのではないかという憶測がさかんに飛び交うようになった。

二大政党制成立の予測は、実現しつつあるように見えるかもしれない。2001年に首相となった小泉純一郎氏は、自分の党を「ぶっ壊す」と掲げて出馬。「自 民党をぶっ壊す」というこのスローガンはあるいは、自民党が権力を握り続けるための最高の手法だったのかもしれない。小泉氏はこれで地すべり勝利を収めた のだから。そして2007年7月には、民主党の小沢一郎代表が同じスローガンを掲げて参院選を戦った。小沢氏も自民党をぶっ壊すと主張し、そして小沢氏も 大勝した。ということはつまり、自民党の命運は途絶えたということなのだろうか?

手短かな答えはノーだ。というのも自民党は、確かにあからさまな問題をたくさん抱え込んではいるが、見た目と違って、決して政治的に破たんはしていないからだ。日本は確かに未だに、一党支配の国かもしれない。しかしそれでもどうにかして、民主国家であり続けているのだ。

日本が一党支配下の民主国家だという証拠は、先週の政界の動きからも明らかだった。というのも、国民は安倍氏が嫌いだった。だから国民は、安倍氏を辞任さ せたのだ。もって回ったやり方になったのは、安倍総理が自民党総裁だったからで、自民党総裁である以上、2009年9月には必ずやらなくてはならなかった 衆院選まで、その立場は理屈の上では安泰だったからだ。安倍氏は、空気が読めないと批判されていた。しかし当の自民党は、空気を読むことができた。だから 安倍氏は速やかに退場となったのだ。

いつもこういう展開になる。自民党は確かに、日本国民よりも保守色の強い保守政党だ。しかし自民党の政策は、世論の大きな動きをきっちり追いかけている。 たとえば1970年代にひどい公害問題に対して国民の不安が高まると、自民党は社会党のお家芸を盗んで、一夜にして環境重視の党に変身した。あるいはバブ ル崩壊後の長引く不況対策として民主党が自由市場主義を持ち出してくるや、自民党はそれに対抗して小泉氏を作り出し、民主党の政策を掲げて出馬させた。

今回の総裁選で、ほとんどの党内派閥が結集して福田康夫氏をこぞって支援している光景は、確かに「古い悪い自民党」復活の兆しなのかもしれない。しかし派 閥同士が密室であれこれ取り引きしている今のこの状況でさえ、世論の意向を反映したものだと言える。日本国民は、麻生氏の個性的な人柄が好きだが、それで もやはり総理大臣には福田氏の穏健で落ち着いた安定ぶりを好んでいるのだ。

なのでもしかしたら、日本は確実に二大政党制に近づいているというお題目は、妄想に過ぎなかったという結末になるかもしれない。それよりもむしろ可能性と してあり得るのは、福田氏の下で自民党が今一度、世論を反映する形で自らを作り変えるという展開だ。これはなかなか厄介な作業になる。小泉前首相による市 場主導の改革を継続しつつも、改革に取り残されたと感じている人々を支援しなくてはならないからだ。

あるいは別の可能性として、自民党は次の選挙で負けるかもしれない。しかしそうするとかえって、もっと大々的な政界再編成につながるかもしれない。そして その結果として、はっきりと主義主張の異なる二大政党が出現するよりも、様々な勢力がひとつの当選しやすい政党に結集するという結果になりかねない。その 「当選しやすい政党」が自民党と名乗るか、別の名前にするかは、本質とはあまり関係のないことだ。

そしてひるがえって自民党総裁、別名「日本の総理大臣」のことだが。小泉氏がさかんに努力したにもかかわらず、権力のほとんどを握っているのは、総理大臣ではない。

日本における権力の一部は自民党が、そして一部は大企業が握っている。そしてさらに一部は、政官財という「鉄の三角形」のもう一角、つまり官庁が握ってい る。1990年代に度重なるスキャンダルや政策の失敗ですっかり面目を失った官僚たちは、今はじっと鳴りを潜めている。確かに往時の勢いはないかもしれな いが、しかしそれでも官僚の影響力はおそらく今でも、政治家のそれを上回るはずだ。

たとえば今なら、貧しい地域にいる有権者の不満を解消するという政治的な要請に応えるならば、公共投資の拡大が当然ということになる。しかし官僚たちが、国の財布のひもを緩める気配はまったくない。

つまりだからこそ、安倍氏がモーニングジャケットを脱いで入院着に着替えても、誰もパニックしなかったのだ。自民党は見た目以上に権力をがっしり握りしめている。しかしその手に握った権力の実態というのは、見た目ほど強固なものではないのだ。

党の魂をめぐる戦い 自民党総裁選

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年9月19日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

安倍晋三首相が先週、突然の辞任表明で自由民主党を危機に突入させて以来、福田康夫氏と麻生太郎氏は、切っても切れない関係となった。どこに行くにも2人 一緒と言う状態だ。安倍氏に代わって自民党の総裁になり、よって次の総理大臣になろうと名乗りをあげた2人は、23日の総裁選挙に向けて国民に訴えかける ため、一緒にバスや飛行機であちこちを行脚している。

福田氏と麻生氏は実際、同じ目的を抱いている。それはつまり、自民党を守ること。しかし2人の政策やスタイルの違いから、2人は実は自民党の魂をめぐって 争っているのだということが、明らかになってきた。「安倍辞任」の大失態を党として乗り切った後、自民党がどういう政党になるのか、その根幹の部分を2人 は争っているのだ。

自民党幹事長の麻生氏は、党の右派から総裁を目指している。安倍首相と同様に、日本はもっと国際社会の舞台で頭角を現すべきだと考えている。弁舌に優れ、裕福な名家出身であると同時に、一般受けする親しみやすさも兼ね備えている。

福田康夫氏は対照的にドライで辛口、かつガリ勉的な政策通あるいは政治オタクだ。日本外国特派員協会で開かれた19日の記者会見では麻生氏が、福田氏は「霞が関の機械」の言いなりになりかねないと、言外に皮肉っている。

外交政策について2人のスタンスはかなり違う。A級戦犯数人を含む戦没者200万人が奉られている靖国神社について、福田氏は「参拝しない」と言明。一方 の麻生氏は、実際にはおそらく参拝しないだろうが、参拝する権利を手放すつもりはないと示唆して、「自分の国のために命を投げ出してくれた人に敬意を表す ることを禁止する国はない」と述べた。福田氏は、第2次世界大戦がもたらした全ての問題が誰にとっても満足のいく形で解決したと言えるわけではないと認識 した上で、近隣諸国との相互理解を求めていくべきだと主張。この立場も、戦後日本はこれまで十分すぎるほど戦争への負い目を抱えてきたとする麻生氏とは、 対照的だ。

両氏は共に、インド洋で多国籍軍への給油活動を継続することで、アフガニスタンでの「対テロ戦争」に貢献すると表明。この給油活動継続を可能にするテロ対 策特別措置法の延長問題が、安倍首相辞任の表向きの理由だった。アフガニスタンの国際治安支援部隊に関する国連安保理決議に、海上自衛隊によるインド洋で の給油活動などへの「謝意」が盛り込まれたことは、テロ特措法延長の突破口になるかもしれない。民主党など野党はこれまで、「アフガニスタンの対テロ戦争 は国連の承認を得ていない」として、特措法延長に反対していたからだ。

実のところ福田氏は、国際舞台でむやみに日本のプレゼンスを上げることに腐心していない。特に、従来の憲法解釈では禁止されてきた集団的自衛権の行使とみなされる活動について、福田氏は慎重だ。

安倍首相の「主張する外交」がどうも国民にしっくりこないまま終った後とあって、福田氏の穏健な外交姿勢は自民党にとって安心できるものなのかもしれない。しかし自民党が次の総選挙で勝つか負けるかを決めるのは、外交ではなく国内の問題だ。

国内の課題については、安倍氏前任の小泉純一郎前首相の人気と、小泉改革がもたらした自由主義市場改革への反発との間で、どうバランスをとるか。これが、 自民党にとって重大な課題だ。雇用が少なくて経済が停滞している地域の多くは夏の参院選で、自民党に厳しい反撃をくらわせている。

麻生氏は、「どこにも行かない道路」などを造る公共事業のばら撒きによる、強引な地方経済の振興には反対している。その代わり、地域経済が自ら復活できる よう、行政のしきたりを破り、地方分権を促進すると方針を示した。とは言うもののその一方で麻生氏は、明らかに保護政策や補助金などのことを意味しつつ、 国際競争をする企業に求められる「グローバル・スタンダード」を必ずしも地域経済に要求する必要はないだろうと付け加えている。

福田氏も「自立と共生」ということを訴えている。改革続行と規制緩和を進める上で、今までよりも優しい、家長的なアプローチを組み合わせることは可能だろ うという考えだ。小泉改革による市場主義による行き過ぎが、日本の格差を拡大させたという意見があると福田氏は言及。これまで阻害されてきた人々の声を、 政府がよく聴いてよく考えていかなければ、反発の嵐に押し流されて、改革そのものが「破滅」してしまうだろうとの考えを示した。



所詮大同小異なんだって....。

金曜日, 9月 14, 2007

安倍政権1年、ひどい1年は辞任で幕


フィナンシャル・タイムズ


(フィナンシャル・タイムズ 2007年9月12日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

今月11日のことだ。ふだんは羊のように大人しい日本人記者団が珍しく、安倍晋三首相に「少し体調が悪いようだが」と立ち入った質問をした。首相はこれに 「ちょっと風邪をひきました」と返答。しかし振り返ってみればこれは、予兆だった。映画ではたいがい、登場人物がくしゃみをすれば、そのキャラクターは後 のほうで死ぬことになっているものだが、案の定、「ちょっと風邪をひきました」と答えてから24時間もたたない内に、安倍首相は政治的な屍と化していた。

首相の辞任会見後に会見した与謝野馨官房長官は、首相が自ら口にすることはなかったが、辞任の理由のひとつに健康問題があったのではないかと述べた。

「総理は自分の健康が総理大臣の厳しい日程・精神的な重圧に耐えられるかどうか、常に吟味していた」と官房長官。

確かに12日の辞意表明会見で、安倍首相はげっそりと生気がなかった。声は小さく、元気もなくて、狭い会見室の後ろのほうにいた人たちは、首相が何を言っているのか聞き取るのに苦労するほどだった。

健康問題を辞任理由にする自民党の説明の仕方が、単なる目くらましの煙幕なのかどうかは、間もなく明らかになるだろう。しかし何が突然の辞任の契機となったにせよ、安倍首相の近くにいた人々はみな驚いていた。

「絶対に戦い続けるはずだと信じていた」 首相を良く知る関係者はこう言う。

これが7月に参院選で惨敗した後に、首相が辞任していれば、誰も驚かなかったはずだ。自民党52年の歴史の中でも最悪の敗北だったとされるあの選挙で、有 権者は安倍首相のリーダーシップと政治テーマをとことん拒絶したのだ。なかでも、ここ数年の自民党の経済政策によって取り残され、のけ者にされたと感じて いる地方や貧しい県の有権者は、きっぱりと安倍政権にそっぽを向いた。

にもかかわらず安倍首相は、政治的な慣例を破り、党内重鎮たちの声も聞き入れず、続投を表明。参院選大敗の責任をとって辞任するのではなく、国際社会において顔を上げて主張することのできる日本をつくるという野望実現のため、努力し続けると表明していた。
心機一転の再出発を期して、首相は8月に内閣を改造。閣僚が4人も不祥事や失言などで辞任する羽目になった「軽量級」の第一次内閣とは異なる、より堅実で 有能な布陣をそろえたかに見えた。しかしそれからたった1週間もしないうちに、農林水産大臣がスキャンダルで辞任するという事態に陥っていたのだ。

首相はその後、海上自衛隊がインド洋で米国など同盟国の艦船に給油することを認めるテロ対策特別措置法の延長に、自分の将来を賭けることになる。というの も、参院第一党となった民主党が、「直接的に国連安全保障理事会から承認されていない」という理由で、延長に反対しているからだ。

先週末にシドニーで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で、安倍首相はブッシュ米大統領に、テロ特措法延長を約束。さらに記者会見で、 そのために「職を賭す」と発言し、延長できなければ辞任する意向を示唆したのだ。この発言は、首相が面目を保ちながら辞任する口実を作るための、いわば出 口戦略を自ら用意したものだと、そう解釈する声もあった。

しかし帰国後の首相は、戦い続ける意志があるかのような姿勢を見せていた。10日には臨時国会を開いて所信表明演説。与党が衆院で獲得している3分の2の圧倒多数を使ってテロ特措法延長を衆院で再可決する意欲があるかのようだった。

けれどもその同じ日、安倍氏の後継と目されている麻生太郎氏によると、首相は「困難な状況」打開のために自ら退くと、辞任の意向を麻生氏に伝えていた。

辞任表明のタイミングに、大勢が驚き、そして政治状況をいっそう混乱させるものだと反発した。「大変なことになる」と政府関係者は話す。

しかし短命政権で終る羽目になった安倍首相の就任直後から、今回の事態の予兆はあちこちにあった。就任直後に果たした中国訪問で、首相は冷え切っていた両国関係の回復を図り、「戦略的互恵」と呼んだ日中関係の構築を掲げるというシンボリックな外交成果を挙げた。

しかし思えばこれこそが安倍政権の絶頂期だったわけで、それ以降は閣僚のカネのスキャンダルと失言(女性を「産む機械」と呼んで、有権者の半分の反感を買った大臣さえいた)が相次ぎ、首相の支持率は60%から20%台までひたすら下落し続けた。

ただでさえ支持率が低下し続ける中、社会保険庁が3000万件分の年金記録を紛失したという事態があかるみに出て、安倍政権はさらに横殴りの打撃を受ける羽目に。

米コロンビア大学の日本専門家ジェラルド・カーティス教授は、年金記録問題こそが安倍首相にとっての「ハリケーン・カトリーナ」だったと指摘する。 2005年に米南部を襲ったハリケーン・カトリーナがブッシュ米大統領自身の責任ではなかったと同様、年金記録の紛失は安倍首相本人の責任ではないもの の、事後の対処の仕方があまりにひどかったせいで、首相の(あるいは大統領の)感覚と国民の感覚がいかにずれているか、そのずれの大きさを象徴する出来事 だったからだ。

日本経済はもう5年間も成長基調にあると言われるが、全くそれを実感できない。日本各地で一般国民は、そのことを何よりも心配している。にもかかわらず、安倍首相は「美しい国」作りというお題目を唱え続けたのだ。

「自虐的」だと安倍氏が呼ぶ日本人の自己像を捨て、日本の誇りを復活させようと安倍氏は訴えた。これは祖父・岸信介氏から安倍氏が引き継いだものだ。戦時 中の東條内閣で大臣を務めた岸元首相は敗戦後、A級戦犯容疑で逮捕され収監されたが不起訴となった。この岸元首相の孫である安倍氏は、祖父の愛国心を尊敬 し、たとえ国民に不人気でも国益のために正しいと信じることを実行するべきだという、そういう信念を抱いていた。

岸元首相は1960年、国内を揺るがした反対デモを無視して日米安保条約改定を断行したものの、混乱を招いた責任をとって辞職。安保改定を達成した上での、まさに栄光の炎にわが身を焼くがごとくの失墜だった。

孫の安倍氏もやはり日米関係が間接的な原因となって、首相の座を降りることになった。しかし1年で終った安倍内閣は結局一度も、「栄光の炎」に輝くことはなかったのだった。



これで「ぼっちゃん」にはうんざりしたんだよね。
三代続く日本のぼっちゃん首相の顛末や如何に!ってトコ?