土曜日, 7月 28, 2007

日本は絶対に原子力を手放さない

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年7月26日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

マグニチュード6.8の地震に見舞われた新潟県刈羽村の住民の多くは、家を失った。身内を亡くした人たちもいる。にもかかわらず、地震発生直後に多くの人 たちが真っ先に気にしたのはひとつ。村の近くにあるあの原子力発電所から立ち上っている、巨大な黒煙はいったい何だ?——という一点だった。元町議会議員 の武本和幸さんはそう言う。

原発から黒煙がもうもうと立ち上るあの映像は、日本中を震撼(しんかん)させた。世界最大規模の巨大な柏崎刈羽原子力発電所で稼働中だった4つの原子炉は、設計どおりに自動停止した。しかし原子炉以外の部分では、安全対策と安全確保の手順に重大な欠陥があった。

どたばた警察コメディではあるまいに、原発で初期消火にあたった4人は十分に火を消すことができなかった。その理由は、おっとびっくりまさかそんな、消火 用水の水道管が地震で破損していたからだという。地元の消防隊は、被災者の救援活動に忙殺されていたため、出火から2時間近くたってようやく、原発に到着する始末だった。そしてその後の調査で、日本の電力供給の3割近くを担う原発全55基の内、消火体制の整っている原発はひとつもないことが判明した。

ロンドンのハイド・パークの2倍強もの広さがある柏崎刈羽原発は、中越沖地震ほどの規模の揺れに耐えられる造りにはなっていなかった。設計時に想定した揺れの強さについては、1号機は273ガルだったが、実際の揺れは680ガルにも達した。

その結果、放射性物質を含む水が海に漏れ出し、放射性物質が大気中にも放出されるなど、個別に発生した損傷や不具合などのトラブルは63件に上った。柏崎 刈羽原発を操業する東京電力と、経済産業省原子力安全・保安院は共に、漏れた放射能の量は「極めて微量」で、人体はや周辺環境への影響はないと説明し、住 民の不安を解消しようとしている。漏れ出した放射能の影響は確かにそうなのかもしれない。しかし東京電力は当初、放射能漏れはないと発表していただけに、 彼らの言うことを信頼していいのかどうか。

何よりおまけに、今回の地震が起きるまで東京電力は、柏崎刈羽原発の間近くに断層はないと主張していたのだ。今回の地震で、震央(震源の真上)から原発ま での距離は16キロ。さらに、余震などを分析した結果、地震の断層が、原発の地下まで延びている可能性が高いことも判明した。

こうして次々と明らかになる新事実は、反原発派にとっては援護射撃のようなものだ。原発に反対する人たちは、地球上で最も地殻変動が活発な場所のひとつに ある日本で原発を作るなど、狂気の沙汰だと主張しているからだ。神戸大学都市安全研究センターの石橋克彦教授(地震学)によると、日本は全国どこでも巨大 地震に見舞われる危険があるのだという。6500人が犠牲になった1995年の阪神大震災は、それまで地震の危険は低いと信じられていた大都市を襲った。 石橋教授は、地震と地震による核・放射能事故が引き起こす複合的災害(原発震災)で数百万人が犠牲になる危険があると警告している。

地球上にある原発の1割を、地球上で最も地震の活発な地域のひとつに押し込めるのは、果たして賢明なことなのか。原子力発電そのものが大嫌いだというわけでなくても、これにはいささか首をひねりたくなる。しかし原子力政策の担当者たちは、過剰反応はしないほうがいいと話す。まず第一に、中越沖地震から学ぶ べき教訓は、原発の危険性ではなく、むしろその逆かもしれないという指摘だ。柏崎刈羽原発の設計想定よりも2倍以上の最大加速度で地面が揺れたが、原子炉は正常に自動停止した。トラブルが起きたのは、基幹部分ではなかった。大気中に漏れた放射性物質の量は、保安院などの発表によると、「東京~ニューヨーク を飛行機で往復する間に宇宙から浴びる放射線の1000万~100万分の1の量」に過ぎなかった。

国際的な原子力の専門家は、最新の設計技術を使えば、想像できる最大規模の地震にも耐える原発を造るのは可能だと話す。自動停止と冷却機能、漏えい遮断などの機能がある限り、チェルノブイリ型の事故はほとんど不可能なのだという。

ポイントは2つある。第1は、規制・監督の問題だ。民間事業者はどう見ても、安全性について手抜きをしてきたし、地震発生の可能性をありえないほど低く見 積もっていた。これまでのやり方を見ても、日本の経済界は本当のことを隠すのが得意だ。それだけに、政府が徹底的に監視し、積極的に監督機能を果たさなく ては、事故防止のためあらゆる手を尽くしていると国民を説得できない。

第2のポイントは、もっと根本的な問題だ。そもそも日本は原子力産業をもつべきなのだろうか? ここで問題になるのは、石油や天然ガスをほとんど持たない日本にとって、原子力発電のない生活は考えられないということだ。

自分たちは資源の乏しい国——。日本人が抱えるこの根深い強迫観念こそ、1930年代の日本を突き動かし、そして破滅へと追い込んだ帝国主義的野望の最大 要因だった。自分たちには資源がないという日本人のこの強迫観念がいかに根強いものか、日本の外ではあまり理解されていない。たとえば海外の自由貿易主義 者たちは、日本の農産物関税が高すぎると批判しているが、日本国内の議論はそれよりむしろ、カロリーベースで40%しかない食料自給率をどう引き上げるかに移りつつある。

日本は資源に乏しい国だというこの強烈な恐怖は、実は一部で言われるほど、合理性を欠いたものではない。いったん危機が起きれば、国内に食糧とエネルギー が入ってこなくなるという、そういう弱点を日本は抱えているのだ。ということはつまり、日本政府はこれから、原発の安全性向上のために徹底した見直し作業 に入るが、そもそも日本が原子力産業をもつべきかどうかは、これからも議論されないままということになる。



予言めいた終わり方ではあるが、実際、その予言は現実のものとなっている。

理想的な話をするならば、次世代のエネルギー資源に関して、開発さえ進めば....ということになるが、直近、水力火力を総動員しても、日本の電気は賄えない!と脅された場合、なるべく目立たないところに、原子力発電所があればイイなぁ....というところに、落ち着いたりもする。 こうしてPCに向かう時間が、現実的に制限されるよりは、その方が「マシ」と考えてしまう弱さである。

結論先送りは昨今の政治の決定的な「質の悪さ」と感じるが、情けないけど、大差ないなぁ....

火曜日, 7月 17, 2007

FTと昼食を 安倍昭恵さんとランチ

ご亭主よりも、キャラ的には好きだったね、この人は....

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年7月13日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

安倍晋三首相の妻・昭恵さんは日本ではスター並みの人気者で、その上、私が昼食をご一緒した数日後には、米ホワイトハウスでジョージ・ブッシュ大統領夫妻 とプライベートなディナーを共にしていた。日本のファーストレディに魅了された大統領は、安倍首相に向かって手放しで賞賛。「素晴らしい奥様を夕食に連れ てきてくださって、ありがとう。首相はとてもよい伴侶に恵まれていらっしゃる。アキエの優しさと知性に、私はつくづく感服した」――と。居心地の悪そうな 表情の安倍首相に向かって大統領はさらに、ファーストネームで首相を呼んで「シンゾー、ローラは新しい友達を見つけたようだよ。私もそう感じている」と付 け加えた。

日本の週刊誌に「アッキー」「アッキーちゃん」(「ちゃん」とはペットや「ハローキティ」につけるたぐいの愛称)と呼ばれている昭恵さんは、夫が昨年9月 に首相就任してからというもの、首相よりも華々しく活躍している。「シンゾー」は、華やかな前任者・小泉純一郎氏の「モップヘア」(訳注・前首相の髪型の こと)な影からなかなか抜けられずに苦労しているが、昭恵さんはもっとすんなり楽々とスポットライトを浴びはじめた。

日本のファーストレディたちはこれまで、「三歩下がって夫の影を踏まず」とは言わないまでも、舞台中央を独占することはほとんどなかった。これに比べると 昭恵さんの場合、(45歳に先月なったばかりの)首相夫人はあちこちで「若くて現代的な日本女性」という扱いで、きらびやかな特集に登場。何を感じ、何に 情熱を抱いているか、正直に表現して恐れない、そういう女性として取り上げられている。

「韓流スター」に夢中で、お酒好き――。昭恵さんは、国家行事の場で夫の手を握ることでも有名だ。これを日本でやるというのは、たとえばブッシュ大統領が ホワイトハウス前庭で記者団を前に、夫人にディープキスするのと等しい(いや、そのイメージは頭から消したい)。昭恵さんは、自分たち夫妻に子どもがいな いこともオープンに話題にするし、「安倍昭恵のスマイルトーク」という10代の若者のようなブログも公開している。

昭恵さんと私は、リッツ・カールトン・ホテル45階のレストランで会うことになった。最近の東京に次々と立ち並ぶ高級ラグジュアリー施設のひとつだ。私は 早めに到着したので、結果的に、礼儀作法を気にするホテルのスタッフを心配させる羽目になった。私がどこで首相夫人を出迎えるべきか、高層階にあるメイン ロビーか地上階か、ホテルのスタッフはひそひそと相談しあっていた。

結局、私たちは地上に降りていく。スタッフはそれでも正しいエチケットについて相談を続けている。するとそこに現れた昭恵さんは、私たちがひそひそと固 まっているのに気づかず、さっそうと前を通り過ぎてしまう。私たちは慌てて後を追う。一緒にエレベーターに乗って上に向かう間、昭恵さんは礼儀正しく私を 無視する。これからランチを一緒にするフィナンシャル・タイムズの相手が私だと、分からないようだ。

夫人の後ろを数歩遅れてついていくと、ファーストレディの目に映る世界というものが、垣間見えた。誰もが次々とお辞儀をして、緊張した笑顔と仰々しい挨拶 をこちらに向けてくる。私たちは続いて、青々とした見事な畳敷きの個室に入り、名刺を交換して、座卓に向かう。ちょっと前にちょっとした誤解があったこと について、昭恵さんは触れない。もしかして、誤解していたのは私の方かもしれないと思う。

昭恵さんは、地味だけれどもファッショナブルなグレーのピンストライプスーツを着ている。世間で言われているような、気楽な人ではないのかもしれないな、 と第一印象で思う。彼女は緊張している。かぼそい小鳥のような声で、唇をさかんにかんで、何かを言い始めても最後まで言い切らずに途切れたり、内気な感じ で笑って、続く言葉を飲み込んでいる。その後に続く沈黙を破るのは、三味線の音色だけだ。

緊張した様子の若いウェートレスがピンクの着物姿で現れる。額を畳にこすりつけんばかりにお辞儀をしてから、震える両手で熱いおしぼりを渡してくれる。す るとちょうどその時、昭恵さんのお腹がグーッと大きく鳴る。すると大したもので、首相夫人は自分のお腹が鳴っているのを隠したりせず、爆笑する。笑いなが ら、手で口元を隠したりしない。

高級料亭にはありがちなことで、メニューはない。前菜(蛤の白ごま味噌和え)を一緒に試しつつ、夫が総理大臣になってから生活がどう変わったか尋ねてみ る。「一番大きい変化は、首相官邸に移り住んだことと、外に出かけるとみんなが私を知っていることですね。外国の元首や要人の奥様たちとお会いするとき は、緊張することもありますが、そんなにものすごく極端に生活が変わったというわけでもありません」

製菓会社の社長令嬢として生まれた昭恵さんは、安倍晋三氏とのお見合いに応じたとき、それがどういう生活を意味するか承知していたはずだ。何と言っても安 倍氏は、祖父と大叔父が総理大臣という、そういう一族の人間なのだから。結婚から4年後に安倍氏の父・晋太郎氏が亡くなり、晋三氏は遠い山口の実家を継 ぐ。総理大臣になるのは、時間の問題だった。「ずっとその日のために準備していたようなものです」と昭恵さんは言う。

昭恵さんはお澄ましをすすっている。私が次に質問するまでに、食べ終えてしまおうということらしい。私はこう尋ねてみる。月末の参院選挙でご主人はひょっ としたら任期満了前に総理の座を失うかもしれないが、そういう状況の中、安倍さんの堅苦しいイメージをソフトにするために、安倍夫人が利用されていると、 自分自身はそうは思わないかと。

「本当のことを言うと、夫はすごくユーモアのセンスのある、面白い人なんです。でも世間に見せている顔は、いつもとてもかしこまっている。私が隣に立つことで、夫のイメージがソフトに柔らかくなるなら、それは私の役目のひとつです」

ひとつ問題なのは、予想していたよりも早く夫が首相になったことだと昭恵さんは言う。「戦うことなく、苦労することなく、首相の座についてしまった。総理大臣になるための準備が足りていないと、夫は感じている」

次のコースは蒸した百合根まんじゅう。これを出そうと、ウェートレスがそこここにヒラヒラしている。夫の代わりに遊説して回るのは、楽しいというよりは辛い役目だと、昭恵さんは言う。

「心から楽しんでいるとは言えません。でもちょっと、スポーツみたいな感じもあって。勝つと、ごほうびにおいしいビールを飲むんです」

ビールの話題が出たのでいいチャンスだと、「お酒がお好きだそうで」と聞いてみる。ほとんど下戸に近い安倍氏とは裏腹に、昭恵さんはかなりの酒豪なのだそ うだ。「私がお酒好きなのは有名です。山口に引っ越したとき、私は近くに親類も友達もいなかったので、支援者のみなさんと仲良くなるには、お酒がすごく役 に立ちました。雰囲気がリラックスしますからね。お酒はとても便利なものです」

この話題が楽しいのか、昭恵さんはさらに続ける。「日本酒も好きですが、最近ものすごくおいしいワインをいただく機会があって。中国に行ったときは、すご く強いマオタイ酒をいただきました。どれだけ飲んでも二日酔いになりませんよ、と言われて。週刊誌は『マオタイ10杯』とか書いていましたけど、それは オーバーです」

昭恵さんの韓国好きについても少し話す(ちなみに韓国も強い酒で有名だ)。そして、いわゆる「従軍慰安婦」の問題をどう思うか、と聞いてみる。戦争中に (多くは韓国の若い女性が)日本軍の売春宿で働かされていたことについて、安倍氏は最近、日本軍は直接関与していなかったという意味の発言をして国際的非 難を浴びた。これについて聞かれると昭恵さんは、明らかにスタッフがあらかじめ用意した想定問答集の中から答えをひっぱってきたような口調で「それについ ては、あまり話したくありません。戦争という状況の中で色々なことがあって、慰安婦になってしまった女の人たちはとてもお気の毒だと思います」と答えた。

二段重ねの重箱に美しく繊細に盛り付けられたごちそうをいただきながら、私はさらに、「控えめで尽くす日本女性」という欧米視点のステレオタイプは本当にそうかと質問してみる。

「私が(広告代理店で)勤めていたころは、女性は数年間だけ働いて結婚と同時に退職するのが普通でした。私は、特にこれを極めたいというスキルも、これを続けたいというキャリア志向もなくて、ただ結婚して幸せな家庭を作りたかった」

昭恵さんの口調は今ではぐっとなめらかで、リラックスしている。「それに比べると今では、ほとんどの女性が大学に進んで、出産後も仕事を続けたいと願って います。でも企業の中はまだ女性にとって難しくて。女性よりも能力の低い男性が出世しがちです。日本女性が外資系企業に就職したり、外国に移住したりする のは、こういうわけです」

それは才能の浪費だと昭恵さんは言う。「日本社会にもパイオニア的な女性はいますが、男の人の考え方が変わらないと。中にはいまだに封建的な考え方をする人もいますから」

それはあなたの夫が率いている、権力を半世紀も独占してきた政党の責任ではないのでしょうか? 日本女性を(役割をきちんと果たしていない)「産む機械」と呼んだ柳沢厚労相を、安倍首相が支え続けたのは最近のことだ。

「柳沢さんが使ったもののたとえは、口が滑ったのだと思います。柳沢さんの奥様は画家で、大学教授を務めていらっしゃいます。自立した方で、ご自分の意見 をお持ちです。もし柳沢さんが本当にそういう古臭い考えをお持ちなら、奥様に仕事を辞めて選挙を手伝うよう命じたはずです。『機械』という言葉はウッカリ 間違って使ってしまわれたのだと思います」

ウェートレスがまた静々と入ってくる。刺身とご飯を茶漬けにするためのお茶を運んできた。日本では、男の生活と女の生活は不平等というよりは、切り離され ているように見えます――と、私は言う。キャリア志向のサラリーマンは、妻や子どもより、自分の会社に忠誠を尽くすよう要求されているようだ。「よく言う じゃないですか」と昭恵さんは冗談めかして言う。「亭主元気で留守がいい、って」

安倍氏は様々な信条の持ち主だが、妻の昭恵さんも同じ考え方なのだろうか。「私はそもそも、そんなにしっかりした考えをもっていなかったんです。そして 20年の結婚生活でだんだんに洗脳されたのかもしれない」と昭恵さんは笑う。「私は政治家ではありませんから。政治家の妻として、夫を応援するために、支 援者集会に行くのです。そういう意味では、私がどういう信念を持っているかは関係ない」

とは言うものの、戦争責任の重みで長いこと卑屈になってしまった(と保守政治家たちは考える)日本に、国としての誇りを復活させるという夫の使命については、昭恵さんにも違和感はないようだ。

「夫の目標は『美しい国、日本』を作ること。美しい国というのは、環境のことだったり、大切な日本の伝統文化のことだったり、日本人の美しい心のことだったりするかもしれない。経済大国になった日本は、失ってしまったものに気づきはじめたのです」

私たちはすでにデザートを楽しんでいる。繊細な桜豆腐に濃厚な餡(あん)と金色の葉っぱがかかったものだ。昭恵さんは、ファーストレディとしてどうしたら いいか、ブレア前英首相の妻シェリー・ブレアさんや、米国のローラ・ブッシュさんにアドバイスをもらったという。その一方で、独身の小泉前首相に言われた 言葉が、印象深く残っているとか。

「総理大臣としての毎日はすごく大変だから、家に帰ってきたらギュッと抱きしめてあげなさい、と言われたんです」と昭恵さんは言う。

それだけ聞くと、いかにも「夫に尽くす女」の伝統的なあるべき姿かとも思えるが、昭恵さんはついつい付け加える。

「もしかして当時、小泉さんをギュッとしてあげる人が誰もいなかったのかしら」

昭恵さんは「ねえ……」とウィンクでもしそうな「訳知り」な様子でこう言う。というのも前首相は在任中、周りに女性を寄せ付けなかったというのが、今では伝説となっているからだ。

「でも今ではお楽しみだと思いますよ」 いたずらっぽくこう言い放ってから、昭恵さんはのけぞって大爆笑した。