火曜日, 10月 30, 2007

公共事業だけが地方を救える術なのか

ダイヤモンド・オンライン

 憤懣やるかたない口調だった。

前回このコラムで、「道路特定財源を応能税として捉えなおし、一般財源化せよと書いたら、北海道と九州の市長、町長二人から、「地方の惨状、東京との格差を知らぬ者の一方的主張だ」と、強烈なお叱りの電話をいただいた。

「道路特定財源の一般財源化」に火をつけたのは、小泉純一郎元首相である。族議員、地方自治体、自動車工業会などの関連業界の猛烈な反対を受けて 果たせず、引き継いだ安倍晋三前首相は昨年一二月、「道路整備に必要な財源を上回る税収分だけを一般財源化する」という妥協の産物で決着させた。

 しかし、福田康夫首相はそれさえも慎重な姿勢に後退している。それだけ抵抗勢力の勢いが増している、ということだ。福田内閣が打ち出した地域格差是正の目玉だ、とすら意気込んでいる。

 電話をいただいた市町長とは、それぞれ30分ほど問答を繰り返した。

 第1に、「熊しか通らない道路」の例えどおり、もはや道路整備は有効な社会資本形成には結びつかない。第2に、公共事業を全国にいくらばらまいて も経済活性化、景気回復には役に立たず、借金がかさむだけであることは小渕政権の失敗で証明されている。第3に、地方の公共事業は“国内ODA”と揶揄さ れるほど族議員、建設会社社長などの有力者による中抜きが多く、地元の人々におカネは回らない。第4に、公共事業を行なうならば都市部のほうがはるかに効 率的だ――縷々説明する私に、相手はついにキレた。

「じゃあ一体、国は代わりに何をしてくれる」――。

 世界でも類を見ないスピードで進む日本の少子高齢化は、地方で先行する。例えば、65歳以上が人口の過半数を占める「限界集落」は全国で7800 あり、年間約300増える。税収は少なく、介護保険など年金生活者に負担を強いる。さまざまな制度を維持できない。「暮らしを守れない。安全も守れない。 その苦しさは、東京に住むものには分からない」、そう訴える市町長にとって、公共事業は効率悪かろうが、虎の子の所得再配分機能なのだ。

奪われてたまるか――電話口から、東京への怨念すら伝わってきた。民主党の幹部は、「今、地方は東京へのルサンチマン(他人や差異への憎しみ)が覆っている。われわれが参議院選挙で大勝したのは、そこに火がついたからだ」と言う。

 ルサンチマンの増大は、社会の不安定化をもたらす。といって、道路整備や公共事業のばら撒きに戻ってはならない。公共事業に代わる、より有効な所得配分機能を、社会保障政策として考えるべきときだろう。

経済学的に言えば、最も効率がいいのは直接おカネを配ることである。地方に産業構造転換や町興しの努力を迫るとともに、暮らしを脅かされている人 々には、「最低保証年金」とでも呼ぶべき制度をつくる。そのとき、増税のみに頼らず、歳出構造を抜本改革し、公共事業から社会保障への転換を宣言すること が必須であることはいうまでもない。


日本経済と小泉神話

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年10月17日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

東京の日興シティグループのエコノミスト、村島帰一氏はロンドンから戻って来たばかり。ロンドンはあまり楽しくなかったという。日本の国債や証券をもつ投資家たちと何度か会合した結果、村島氏はこう結論した。「日本への関心が薄れている」

関心が薄れている一因は、わくわくするとは言い難い日本の経済成長がいまだに、外需依存だからだ。しかもその外需依存は、ますます不安定さを増している。 しかしそれよりも根深く、日本経済にがっかり落胆する気分が広まっている原因は、9月の安倍政権崩壊をきっかけにした政治膠着が、そのまま政策の麻痺につながるのではないかと懸念されているからだ。

こうした懸念は、表面的にはよく理解できる。9月には与党・自民党の派閥領袖数人が集まって、自分たちで決めて、灰色スーツを着た71歳の福田康夫氏を総裁室に押し込んだ。この人選方法はまさに、小泉政権の前にさかのぼるオールドスタイルな日本そのもの。小泉元首相は国民に直接訴えかけて支持を集め、そう やって旧弊や因習を覆したものだが、今回のこれは……という不安を、多くの人が抱いたのだろう。

さらに不安なことに、福田氏というコンセンサス重視型の政治家が首相になったと時を同じくして、日本ではまさにその党内コンセンサスを飛び越えて実施され た「小泉改革」への反発が噴出している。与党は今年7月、5年間にわたる景気回復の具体的成果をほとんど得られていない、日本の最貧地域の有権者に、手痛いしっぺ返しをくらった。

2001年4月から2006年9月まで総理大臣だった小泉氏は、「改革なくして成長なし」と訴え続けて、有権者だけでなく、少なくない数の外国人投資家を 見事に説得した。小泉氏の在任期間がちょうど、日本で戦後最長の景気拡大と時期が重なったため、この成長は改革のおかげなんだろうと多くの人が考えたの だ。この単純な分析をつきつめるとつまり、改革がいま止まれば成長も止まる、ということになる。

構造改革がどういう性質のものだったか。日本経済の回復に構造改革が具体的にどういう役割を果たしたのか、それとも関係なかったのか。誤解されている部分がある。最も好意的に解釈したとしても「改革」というのはせいぜいが「良い変化」という曖昧な意味しかもたない、ある意味でいい加減な、政治家にとっては便利な言葉だ。特に、自分が施行する法律が全て好ましいものだとは限らないという事実を、はっきり認めたくない政治家にとっては、便利な言葉だ。日本では この「改革」という言葉は、「財政再建」と「規制緩和」の両方を意味してきた。それだけに、意味はますます良く分からなくなる。

小泉政権下での予算削減や規制緩和の推進はいったい、経済成長にどういう効果があったのか? ほとんど何もなかった。2001年の金融危機の最中に政権を とった小泉氏は、政府借入金を大幅削減すると約束した。しかし幸いにして、元首相はそんなことをしなかった。あの時に政府の借金を大幅に減らしていたら、 ただでさえデフレ状態にあった経済がさらにひどい景気後退に陥っていただろう。小泉氏は確かに公共事業予算を削った。また任期末期に向けては、支出全般を 抑制し、課税されていることが分かりにくい巧妙な隠れた税によって歳入を増やした。これは日本の将来の長期的な健康のためには、良いことだったかもしれな い。しかしこれらの施策が景気回復のきっかけになっただなどと主張する経済学者は、たとえいたとしても、きわめて少数派だ。

規制緩和は成長を促進させることはできる。しかし日本で行われたほとんどの規制緩和は(たとえば金融や小売り部門での緩和は)、小泉氏が首相になる前に実施されたものだ。

小泉内閣の官房長官だった福田氏は、小泉政権による規制緩和の功績について質問されると、風邪薬が薬局以外でも買えるようになったことを例として挙げた。 確かにこの措置は、ハンカチとティッシュを手放せないあまたのサラリーマン諸氏にとってきわめて便利な、津々浦々まであまねく影響力をもつものだったかも しれない。しかし、これが経済成長の根源だったとはほとんど誰も言わないだろう。

小泉政権の下で日本経済が回復した、その本当のカギとなったのは、輸出業に恩恵となった中国の好景気と、金融機関の建て直し成功だ。円安基調を維持するた めに金融当局が行ったすさまじい為替介入によって、輸出業はさらに助けられた。しかしさすがに、いくら日本で「改革」論争がごちゃごちゃに混乱しまくった とはいえ、この為替介入を「改革」に分類する人は誰もいなかった。

小泉改革の中で、最大かつ本物の改革だったのは、郵政民営化だ。これは小泉氏が辞任した1年後にならないと始まらなかったし、完成するには 2017年までかかる。しかし外国人投資家は2005年末の時点で早くも、郵政民営化を理由に日本の株式を買いまくった。おかげで当時の株価は一気に 40%近く高騰したのだ。

リーマン・ブラザーズは最近、こういうコメントを書いている。「小泉時代、興奮や派手なレトリックはともかくとして、構造改革のペースはとりたてて速くはならなかった」

そもそも小泉氏が、めくるめく新世界を実現できなかったのだ。小泉時代の財産を福田首相が全部なかったことにしてしまうのでは? などと心配するのは的外れだ。

財政面でいえば、よくも悪くも新首相は、赤字削減を大事なテーマとして抱えているようだ。辛い目に遭っている農村部に国家予算をつぎ込むべきだという圧力が、政治的にはあるのかもしれない。しかし福田氏は、公共事業拡大を否定し、2011年度にプライマリーバランス(基礎的財政収支)を黒字化させるという (達成可能な)政府目標を改めて表明している。そしてこれまでのどの前任者よりも、消費税引き上げ議論に積極的なように見える。

規制緩和については確かに、野党が参議院をコントロールしている限り、大した前進は期待できなさそうだ。もしも農産品関税引き下げや外国人労働者の規制緩 和を期待している人がいるなら、考え直した方がいい。とは言えそもそもからして、これといってろくに何も起きていなかったのだ。すでに実現したものを新政権がむやみに解体してしまうなどというおそれは、ほとんどない。コンビニやスーパーから総合感冒薬を撤去しろ、などと言い出す政治家は、今のところはまだいないのだし。

日本に関しては、確かに心配に値する材料が色々ある。たとえば給与水準が伸び悩んでいることとか、消費需要がなかなか活気づかないとか。しかしながら、福田氏が小泉氏の改革マニュアルを破り捨ててしまうかもしれない、などという心配は無用の長物だ。



よく分析してるよね。
小泉さんが、結果なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんにもしてないことを、よく分かってらっしゃる。
マネーゲーム冗長させたことを、功績と呼ぶなら呼べばイイだけのことで、実態経済が上向いていたなんて話は、嘘っぱちでしかない。
それでも、郵政民営化に踊らされたツケは、じわじわと国民にしわ寄せてくるだろうね。

火曜日, 10月 16, 2007

「応能税」か「応益税」か 【辻広雅文 プリズム+one】

ダイヤモンド・オンライン

 税には、2つの基本的な考え方がある。「応能税」と「応益税」である。「応能税」は、個人の負担能力に応じて課す租税で、累進課税である所得税が 典型だ。国税の多くは「応能税」で、社会保障、防衛などの用途幅広い一般財源となる。一方、「応益税」は、さまざまな行政サービスの受益者が、その負担を する。受益と負担の関係が明確であり、地方税がこの考えに立つ。ゴミの回収費用は、住民が負担するのだ。

 道路特定財源の一般財源化に、福田康夫首相は慎重である。道路族、地方自治体、自動車工業会は猛反対している。彼らの本音は横に置こう。その論理 は、道路整備を目的とする税をその他の分野に使うのは筋違いだ、という一点にある。目的税なのだから当然、「応益税」だという主張である。 

 待って欲しい。そもそも5兆6000億円の道路特定財源のうち、揮発油税、自動車重量税など3兆円強は国税なのである。実は、その揮発油税は 1953年に特定財源化される前は、一般財源だったことは知られていない。多くの人が誤解し、政府もあえて説明していないのだろうが、「揮発油税は道路整備のために創設された目的税」ではない。戦前から存在していた国税であり、目的税ですらない。道路が未整備だった当時、田中角栄らによって緊急の立法措置 がなされ、特定財源化されただけなのである。以来、半世紀を経て、必須の道路建設は減り、財源は余剰となった。

 本来の趣旨に戻って、「応能税」として捉えなおすべきときだろう。「応能税」の負担能力に応じて課税するという考え方は、有り体に言ってしまえ ば、取れる人、取りやすいところから取って、幅広く国民に役立てるということである。税の原理原則であり、たばこは60%が税金だが、喫煙者のために使えとは誰も言わない。揮発油税も同じであろう。

 自動車工業会は、財源が余剰なら税率を下げるべきだ、と主張する。筋は通っている。一理ある。だが、現に、国民の大多数が自動車を利用し、揮発油 税などを納税しているのだ。負担できる能力があるということだ。他方では、日本のあちこちに財源不足の穴が開いている。有効に利用できれば、国民の支持は 得られる。

 問題は用途である。道路特定財源を一般財源化して、無駄の多い道路予算を5000億円だけ削減し、喫緊の課題である基礎年金再構築のために国庫負担分を5000億円増すという政策を打ち出したら、どれほどの国民が反対するだろうか。


反対しないぞ