金曜日, 12月 21, 2007

福田政権、官僚に敗北! 骨抜きの独立行政法人改革 【町田徹の眼】


ダイヤモンド・オンライン

 政府の独立行政法人改革が、すったもんだの末、成果があったかのように装う「数合わせ」の幕切れを迎えようとしている。本稿の執筆段階(20日 夜)では、国土交通省傘下の都市再生機構と住宅金融支援機構の2つについて、福田康夫首相が預かって21日中にも最終判断を下すことになっているが、その 選択肢に早期の民営化などの抜本策は含まれていない。

 先の年金問題を巡る首相自身の失言もあって、内閣支持率はすでに急落の様相をみせている。年末の独立行政法人改革の失敗は、官僚に弱く、経済政策に疎い福田政権の力量を改めて浮き彫りにしており、来年の政局運営に大きな影を落としている。

◇ 目玉になる大改革は無く数合わせのお粗末な結果に

 独立行政法人改革が大詰めを迎えた12月19日。この最後の最後の局面まで、渡辺喜美行革担当大臣は、はしごを外され続けていた。町村信孝官房長官に主導権を奪われ、5省の大臣との3大臣折衝で敗退を繰り返したのである。

 最初は、午前10時20分過ぎからの渡海紀三朗文部科学大臣との3大臣折衝だ。まず、町村長官が、学位授与機構と国立大学財務経営センター、国語 研究所と人間文化研究機構、防災科学研究所と海洋研究開発機構の統合を提案して合意を取り付けたものの、渡辺大臣が主張してきた青少年機構や学生支援機構 の他の法人との統合は見送られた。

 次いで、若林正俊農林水産大臣との3大臣折衝でも、渡辺大臣の研究6法人の統合要求が退けられた。

 午後のトップバッターとなった舛添要一厚生労働大臣との折衝でも、町村官房長官は換骨奪胎を繰り返した。労働健康福祉機構の統合相手を、国立病院機構から、労働安全衛生総合研究所に差し替えたのだ。

 そして、甘利明経済産業大臣は、「政府保有株を売却しない」という条件、つまり、「民営化しない」という趣旨の条件を突き付けて、これを認めさせたうえで、日本貿易保険を政府の100%出資会社にすることを受け入れた。

 極め付きは、この日、最後の3大臣折衝の相手となった冬柴鐵三国土交通大臣だ。町村官房長官は、渡辺大臣が今回の独立行政法人改革の最大の目玉と して要求してきた都市再生機構と住宅金融支援機構の早期民営化案を取り下げ、民営化を含めた経営形態のあり方を「3年かけて検討する」という代替案を提 示。冬柴大臣と押し切ろうとしたという。しかし、これに、渡辺大臣が納得せず、「5年以内の株式会社化」を求めて噛み付いたことから、両案の間での裁断 を、首相に仰ぐことになったとされる。いずれにせよ、こうして、早期民営化という抜本策は見送られてしまったのだ。

 できあがった改革案は、現在、102ある独立行政法人を、16減らして86に減らすというものだが、目玉になるような民営化は存在しない。それど ころか大半が、職員数十人規模の小さな法人の統合にとどまっており、「抜本的な天下りポストの削減などは望むべくもない」(関係者)と言うのだ。

 福田首相は24日に、この改革案を閣議決定する構えだが、政権として官僚に敗れたとの印象を拭えないお粗末な内容だ。

 いったい何故、こんなお粗末な結果になってしまったのだろうか。

◇ 渡辺大臣は諮問会議に全く出席できず

 振り返れば、一連の独立行政法人改革が俎上に乗ったのは、今年5月のこと。舞台は、安倍晋三前政権が議長をつとめていた経済財政諮問会議だった。 この場で、民間代表の議員が、看板の掛け替えだけに終わった特殊法人改革の反省を踏まえて、天下りの温床とされる独立行政法人の整理・合理化を年内に行う ように提案。これを受けて、安倍政権は、独立法人改革を公務員改革と並ぶ行政改革の目玉にする方針を打ち出し、渡辺行革担当大臣が、民間でできるものは民 営化することを大原則として、改革がスタートした経緯がある。

 しかし、小泉政権の後半から、経済財政諮問会議の主導権が官邸官僚の手に移っていたため、この改革には、当初から、暗雲が漂っていた。本来なら ば、渡辺大臣が折に触れて、この会議に出席し、主要閣僚に協力を求め、首相がそれを後押しすべきにもかかわらず、官邸官僚に阻まれて、5月の会議以降、渡辺大臣は一度も諮問会議に出席できないという事態に陥ったからだ。

 渡辺大臣に、焦りや苛立ちがなかったとは考えにくい。同大臣は頻繁にテレビ番組に出演し、世論に訴える手法で独立行政法人改革を進めようとした。しかし、これが、他の主要大臣の反発を買い、逆に、実現を困難にするジレンマを招いてしまった。

 こうした状況がくっきりと浮かびあがったのが、本来ならば、集中的に、渡辺大臣が所管大臣とサシの大臣折衝を進めるべき時期にあたった12月10日から12日の3日間の動きだ。驚くべきことに、一つも大臣折衝が入らなかったのである。

◇ 官邸官僚が諮問会議を牛耳り渡辺大臣を締め出した

 そこで、異例のことながら、渡辺大臣は局面を打開しようと、自ら、各省の大臣室に電話を入れた。ところが、電話に応対した大臣は、額賀福志郎財務大臣一人だけ。ほとんどの省は秘書官が対応したが、中には、秘書官まで居留守を使った役所があったという。

 12月13、14日になって、渡辺大臣は、ようやく2順目の大臣折衝に漕ぎ着けたが、どの大臣もゼロ回答ばかりで、進展はなかった。そして、迎えたのが、冒頭で記した町村官房長官を交えた3大臣折衝だったのである。

 実は、こうした表舞台の大臣折衝の不調を背後で演出した人たちがいる。財務省出身の坂篤郎官房副長官補を頂点とする官邸官僚の一群だ。彼らは、早くから、経済財政諮問会議の議事を牛耳り、渡辺大臣を締め出しただけではない。

 ある経済官庁の中堅幹部は、「坂氏ら官邸官僚たちは、12月に入ってからも『閣僚折衝は成果なしでよい。あとは官邸が引き取るので、悪いようには しない』と、我が省にも指示してきた」と証言する。こうした指示によって、まず渡辺大臣のサシの折衝を不調に終わらせておいて、町村官房長官を入れた3大 臣折衝で、骨抜き・数合わせの幕引きを図ったというのである。

 こうした官邸官僚の跋扈を許し、指導力の乏しさを露呈した町村長官と福田首相の責任が重いことは、言うまでもないだろう。

 共同通信が12月15日、16日に実施した世論調査によると、福田内閣の支持率は11月上旬より11・7ポイント低い35・3%に急落した。初めて、内閣を「支持しない」が内閣を「支持する」を上回ったのも、この時である。この急落の原因は、直接的には、年金記録問題の全面解決を事実上断念したこ とについて、福田首相が「公約違反というほど大袈裟なものか」と発言したことが大きいとみられている。

 しかし、今回の独立行政法人改革の失敗は、福田政権が、厚生労働官僚に限らず、お膝元の官邸官僚を含む全官僚に対して指導力を欠いていることを裏 付けてしまった。しかも、森喜朗内閣以来、旧清和会系の首相の経済政策オンチぶりは、定評のあるところ。来年、2008年の福田内閣の政策運営には、一段 と暗い影が立ち込めてきたと言わざるを得ない。



ため息しか出てこないね。
そのうち、官僚に天誅が下るぞ!

火曜日, 12月 11, 2007

道路特定財源-一般財源化を断固阻止する“抵抗勢力”

ダイヤモンド・オンライン

 道路特定財源とは、自動車の利用者等が負担する揮発油税(基本的にガソリンに課される税金)や自動車重量税など、あらかじめ道路の建設や維持のた めに使われることが決められている税金のことを指す。この制度の基本には、当該施設を利用する受益者が、それを作ったり、維持するために必要なコストを負 担する、受益者負担の考え方がある。

 戦後の1950年代以降、道路という社会インフラの整備が遅れていたわが国は、道路特定財源の制度を使うことによって道路整備を進めた。その後、 道路網の整備が進んでも道路特定財源の制度が残り、その財源は、しだいに“道路族”と呼ばれる政治家が、自分の裁量に基づいて使うことの出来る一種の“資 金源”になっていたとの指摘もある。

 こうした状況を改革し財政の建て直しに貢献するため、特定使途の縛りをはずして、他の目的の支出にも使うことができる、いわゆる“一般財源化”が検討されている。

◇ 日本の道路整備の歴史は税金制度創出の歴史

 戦後の復興期、わが国の道路整備は遅れていた。道路を整備したくても、財源=資金がなかったことが最も大きな制約になっていた。その財源を捻出す るために、後の総理大臣・田中角栄議員(当時)が議員立法として作ったのが、「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」であった。

 翌年、揮発油税が道路特定財源化され、第1次道路整備5ヵ年計画がスタートした。58年には、臨時措置法が「道路整備緊急措置法」に改訂され、第 2次道路整備5ヵ年計画が策定されると同時に道路整備特別会計が創設された。このころから、わが国の本格的な道路整備が開始されたと考えてよいだろう。そ れに伴い、財源確保のために、66年に石油ガス税、68年に自動車取得税、71年に自動車重量税が相次いで創設された。

 こうした流れを振り返ると、わが国の道路整備の歴史は、新しい税金制度創出の歴史とも考えられる。しかも、74年以降、ほとんどの税金に関する税 率で、租税特別措置法によって、本来の約2倍近い税率が適用されている。揮発油税の本来の税率は1リットル当たり24.3円に対して、現行は同48.6円 になっている。この特別措置は、2007年度末に期限切れとなる。今後の国会の審議が注目される。

 積極的な道路整備の結果、わが国の道路整備はかなり進展したといわれている。その一方、数十年前に作られた道路に関する特定財源制度が残っており、「郵政の民営化と同じように、道路関係の特定財源制度を改革することが必要」との指摘が出てきた。

 この背景には、いわゆる“道路族”議員が、既得権益として、道路予算を支配しているとの批判が出ていることもある。そうした状況を改革するために は、族議員や一部地方の反対を押しきり、財源を“一般財源化”することによって、財政の効率化を図ることが必要になると見られる。

◇ 官僚と族議員の抵抗で“一般財源化”の議論は後退

 一応、郵政民営化の結果を出した小泉政権は、次の課題として道路特定財源問題を安倍政権にバトンタッチした。安倍政権下で様々な議論が戦わされた 後、2006年12月7日、政府・与党は、2008年の通常国会で、特定財源制度を全面的に見直す方針で合意した。具体的には、「道路歳出を上回る税収を 一般財源化する」ことが決められた。

 元々、道路特定財源の制度は、インフラ整備が遅れていた時期に、道路を作る財源を確保することを目的に作られた仕組みであり、整備の進んだ現在の 状況には適合しない部分が多い。その制度が残っているため、既得権益に固執する“道路族”や官僚などが上手く利用しているという面もある。そうしたデメ リットを改善するためには、制度自体の改革の必要性が生じることは避けられない。2006年末の合意は、相応の意義を持つものと考えられる。

 ところが、最近、そうした改革の動きが怪しくなってきた。

 まず、経済格差が進む地方や族議員から反対意見が出された。また、今年7月の参院選挙で、地方中心に安倍政権に対する批判が高まり、安倍首相率いる自民党が惨敗したこともあって、このところ、反対勢力の声が勢いを取り戻している。

◇ 不要不急の道路建設は続き増税も避けられない

 国土交通省も、今後10年間の道路建設に関わる中期計画の中で、税収をすべて道路建設等に使うことを素案としている。それが現実のものになると、一般財源化する対象がゼロということになってしまう。国土交通省は、道路特定財源の既得権を守る姿を鮮明化しているのである。

 さらに、一般財源から道路建設費用を捻出している地方公共団体や道路族議員の反対もあり、福田首相も、一般財源化には消極的といわれている。“一般財源化”の議論が大きく後退することは避けられないと見られる。

 そうした状況が続くと、これからも不要不急の道路建設が続き、道路族議員やそれに関連するファミリー企業等の既得権益が手厚く保護されることになるだろう。それでは、財政の効率化を図ることは難しい。

 その結果、増え続ける社会保障費負担を賄うため、消費税の引き上げが避けられなくなるのは明らかだ。友人の一人は、「最近、海外投資家が日本の改革に期待を抱かない理由がよく分かる」と指摘していた。残念だが、その通りだろう。