金曜日, 3月 23, 2007

FTと昼食を 「国家の品格」藤原正彦さんと

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年3月9日初出 翻訳gooニュース) FT東京支局長デビッド・ピリング

電車はゴミゴミした東京をすり抜けて、緑豊かな長野の高地へと向かっていく。私は、これから会うその人が書いた『国家の品格』をパラパラめくる。

「悪名高い」藤原正彦氏(「悪名高い」と呼んだのはご本人であって、筆者ではない)は、東京の話題の的だ。薄い新書として発表した『国家の品格』は日本国 内で200万部以上を売り上げ、売上トップの『ハリー・ポッター』に次ぐベストセラーとなった。魔法学校よりもやや重厚なテーマを扱った本にしては、悪く ない成績だ。数学者転じて社会評論家となった藤原氏は、西洋式の論理や合理性の限界について考察し、日本が武士道精神に戻るべきだと説き、さらには自然に対する日本人の感受性がいかに独特なものかを語っている。

となると、この本はまたしてもお約束の「日本人論」かと一蹴するのは簡単だ。ここで言う日本人論とは(往々にして隙だらけの不完全な理屈で)、日本民族や 日本文化がいかに独特で、いかにほかの何よりも優れているかを強調するもののことだ。その手の「日本人論」本は、日本が経済大国になるだろうといわれた 1980年代に次々と出版され、最高潮に達したものだ。

藤原氏の著作は、1980年代とは全く異なる時代を背景に書かれている。日本経済にはまだ長所もあるが、日本経済は不滅だという幻想は15年前に資産価値 が暴落したのを機に消えてなくなった。藤原氏の唱える日本特異論は、「日本はアメリカにも(アメリカ流の薄汚いやり方で)勝てる」というのではなく、日本 はもっと日本らしい価値観を大事にすべきだというものだ。

私は長野・茅野の小さな駅で下りて、タクシーに乗る。向かったのは、田舎風のレストラン。素朴なテーブルが並び、食事の皿が元気よく行き交い、おしゃべり で溢れている、そんな店だ。藤原氏はもう到着している。62歳になる藤原氏は、今でも東京のお茶の水女子大学で数学を教えている。この日はチェック模様の 半そでシャツに、ゆったりした白いスラックスというカジュアルな服装。白髪交じりの髪は、くしをどこかに置き忘れてしまったみたいな、野放図な感じ。筋 張った体。表情は鋭く真剣だ。

ランチセットを注文してから、藤原氏が客員数学教授として過ごした米英生活について軽く話す。そして私は、藤原氏がこれまで発表してきた時評のなかでどう して『国家の品格』が今の日本の「時代の心」をつかむことに成功したのか、著者としてどう思うか、尋ねてみた。藤原氏は、正確な英語で答えてくれる(学校 での英語教育はほとんど不要だと主張する人が、正確な英語を話すというのは、なかなかないい感じだ)。日本人は金持ちになることを半世紀にわたり追求し続 けた後、長い停滞の時期を経てようやく、自分たちが何を失ったか気づいたのだ。藤原氏はそう言う。

「その昔、日本人も英国紳士と同じで、『カネ』を軽蔑していた。しかし戦後はアメリカの影響で、日本人は金持ちになることにばかり、かまけてしまった」

ランチの最初の料理が運ばれてくる。海老と刺身といくつかのヒヨコ豆の組み合わせ。私の皿の盛り付けは、藤原氏の皿の盛り付けとそっくり同じだ。同じすぎて、もしかして豆の数まで一緒なんじゃないかと思う。

私が豆を数え始める前に、藤原氏は武士道の話を始める。武士道の真髄をなす精神が、いかに失われているかを語る。「12世紀に成立した武士道は、そもそも 剣の道だった。江戸時代に260年にわたる泰平の世が続いたとき、剣の道は道徳律のようなものになった。貧しい者や弱いものをいたわる惻隠(そくいん)の 情、寛容、誠心、勤勉、忍耐、勇気、公平などだ」

名誉や品格を重視する時代へのノスタルジア。日本では今、アメリカ式の資本主義を受け入れたことなどによる格差社会の拡大が問題となっている。その不安感 に、このノスタルジアが見事にマッチしたのだろう。社会的保守派の安倍晋三氏は2006年9月に新首相になると、自らの使命は「美しい国」日本の復活だと 宣言(「美しい国」というスローガンは藤原氏の「国家の品格」に相通じるものがある)。安倍首相は、藤原氏のように西洋式資本主義を見下しているわけでは ない。しかし問題だらけ(だと彼らは言う)の教育制度にてこ入れをし、60年にもわたる「敗戦国シンドローム」に奪われた国家の品格を取り戻すという命題 については、二人の目的は重なっている。

藤原氏は、武士道精神の復活を希求している。1868年の明治維新を達成した革命家たちは、日本は現代国家にならなければ、植民地にされてしまうと考え、 武士道を捨てた。武士階級を消滅させ、廃刀令で帯刀を禁止し、断髪令で髷(まげ)を結うことを禁止した。ほとんど一晩でそれまでの社会システムを捨てて、 別の仕組みを取り入れたという、そのトラウマは、今でも日本で尾を引いている。外国文化を受け入れたのは、外国の侵略を防ぐためだった。だったとしても、 日本は未だに外の世界とどう接するかをめぐり、国内で対立を続けている。

藤原氏によると、日本が取り入れた自由と民主主義のモデルには、欠陥がある。信頼できない大衆を信頼しすぎているし(冷静な真のエリートの方がいいと藤原は言う)、合理性を過大評価しすぎているからだという。「民主主義に加えて、もっと何か違うものが必要だ。たとえばキリスト教は、その『何か』かもしれな い。しかし私たち日本人には、キリスト教やイスラム教のような宗教はない。だからもっと別の『何か』が必要だ。たとえば、情緒とか」

この時点でお店の人が、サーモンの盛り合わせを運んでくる。大きな皿に、様々に色合いのサーモンピンクがおいしそうなグラデーションで重なり、ウェイターはどれがどういう種類の鮭か丁寧に説明してくれる。そして店の人がいなくなると、藤原氏はまた語りはじめた。

「私は市場原理主義には反対です。確かにきわめて公平な競争かもしれないが、公平かどうかというのは、単に論理的な判断に過ぎない。たいして意味のないことだ。公平というのは、弱者につらくあたり、あまり才能のない人たちにつらくあたることと一緒だ。とても不愉快だ」 

藤原氏はこう言い切る。あるいは最後の一言は、論理的な反駁というよりは、感情的な拒絶反応なのかもしれない。

「敵対的買収がそうです。論理的で合法なものかもしれないが、私たち日本人に言わせれば、それは卑怯なことだ」

藤原氏によると、日本が軍国主義に転落していったのも、名誉を重んじる精神を捨ててしまったからだという。「日本人はとても傲慢になった。アジアの盟主になりたくて、次々と外国を侵略していった。分別を失ったのです」

「私は常々、日本は『異常な国』にならなければダメだと言っている。『普通の国』になってはならない。日本は、ほかの大国と同じ、普通の国になってしまっ た。それはほかの大国にはいいことかもしれないが、日本という国は孤高であるべきだ。特に精神的に、孤高でいなくてはならない」

実のところ、藤原氏が高く評価する江戸時代に日本社会が手にしていた安定は、外の世界からほとんど完全に孤立するという代償を払って得ていたものだ。長い鎖国の反動で、日本は欧米の影響を徐々に受け入れるのではなく、欧米の脅威にさらされると一気に内部爆発した。あっという間に封建体制をひっくり返し、西 欧式の議会制民主主義に近い政治体制を受け入れた。

それに、藤原氏の言う武家社会とは、本当に藤原氏の言うとおりのものだっただろうか? 実際には厳しい階級社会で、剣をもった貴族階級が思うがままに恣意的な権力をふるい、農民たちを虐げていたのではないだろうか?

「封建時代には確かに、とても貧しい農民が多かった。しかし良い側面もあった。両面を見なければならない。ある意味ではひどい時代だったが、ある意味では 今よりもはるかに良い時代だった」 藤原氏はこう言い、扇動的な断定調の多い自著ではめったに見かけない、中道的な意見を口にした。

次のコースの皿がやってくる。藤原氏の前には片付けられない皿が所狭しと並ぶようになった。今度のはホタテ貝の料理で、まるで天使たちが盛りつけたみたい な繊細さだ。美しい盛りつけを眺めながら、藤原氏は「中華料理はもちろんとてもおいしいです。でも美しさという点から言えば、私たち日本人は、とても高い 美意識をもっている。文字を書くには書道があって、花については生け花がある」

英国滞在中の藤原氏は、ケンブリッジ大の有名な教授たちが紅茶をマグカップでガブ飲みしている姿を目にして、ショックを受けたという。「私たちには茶道がある。日本人は何でも、芸術に高めるのです」

確かに日本人は、あらゆるものを美しくすることにかけて天才的だ。しかし自然の美しさについては、そうでもない。20世紀後半に日本人は国の自然景観をず たずたにしてしまった。『国家の品格』で日本人の自然への感受性について書かれている部分では、私はほかの部分よりも激しく一言いいたくて、余白にグリグ リと勢い良く書き込みをしている。

たとえば本の中で藤原氏は、日本を訪れたアメリカの大学教授が虫の音を耳にして、「あのノイズはなんだ」と言ったと書いている。虫の音を雑音扱いされて、 藤原氏はあぜんとしている。虫の音は美しい音色だと、日本人なら誰でも分かるのに、この大学教授には分からないのか? 「なんでこんな奴らに戦争で負けた んだろう」と思った——藤原氏はそう書いている。

「虫の音を聴くと、私たちは冬も間近な秋の悲しみを聴く。夏は終わってしまった。日本人なら誰でも感じることだ。そして同時に私たちはもののあわれを感じる。短く儚い人の一生のあわれを感じるのです」

こういう藤原氏に私は反論する。日本人が聞き取るこの「音楽」は当然ながら、教養として教わり作られた感覚のはずだ。確かに日本で虫の音は、「もののあわ れ」を象徴する。あっという間にはかなく散る桜の花と同じだ(ちなみに藤原氏は、欧米人が肉厚な花びらのバラを好むのに対して、薄く儚い桜花を好む日本人 の感覚を対比している)。しかし日本人が、虫の音や桜の花びらに「もののあわれ」を感じるのは、あまたの詩人や歌人や哲学者たちにそう感じるよう教わって きたからではないか? それはたとえば、ボールがクリケットバットあたる音を聞いても、一般的な日本人はただ「ボールが木のバットにあたる音」としか思わ ないだろうが、イギリス人にばそれは「夏」と「村の緑地」を意味する音なのだ——ということと同じではないか?

藤原氏は私の言うことにも一理あるとは認めてくれるが、結局のところは、意見を撤回するつもりはない。「ある東京の大学の教授が電子器具を使って実験した 結果、日本人は虫の音を聞くのに右脳を使うが、欧米人は左脳で聞いているので、日本人は虫の音を音楽として聴き取るのだと証明した」と藤原氏は言う。

これはいわゆる「日本人論」そのものだ。しかし藤原氏は日本と日本的なものに高い誇りを抱く一方で、英国についても実に温かい言葉をかけてくれる。英国は肉厚なバラと論理とバカでかいマグカップの国だが、そんな国でも、藤原氏はなかなか気に入ってくれているのではないか?

とても好きだ、と藤原氏は言う。英国は残酷な歴史をもつが、それでも好きな国だと。「20世紀になって、ドイツとアメリカはイギリスに追いつき、追い越し てしまった。経済が下向きになるに伴い、イギリスの人々は、あれほどの金と名声があっても決して幸せではなかったと気づいた。だからこそあなたの国の経済 は、ずっと停滞したままなんです」と藤原氏は、ゴードン・ブラウン英財務相の逆鱗に触れるようなことを言う。「経済停滞が続いても、英国人は慌てなかっ た。だから英国は偉大なんです。日本は英国から学ぶべきだ。いかに優雅にエレガントに衰退するか。いかに優美に朽ちていくか」

ウェイターはカプチーノとアイスクリームとメロンを運んでくる。私が矢継ぎ早に質問し続けたせいで、テーブルの上にはまだ食べ終わっていない皿が多重事故 みたいに重なり合っている。デザートを食べながら、私たちの会話は日米同盟の話に移り、藤原氏は渋々とこれを支持する(中国に依存するよりはましなのだと いう)。日米同盟から次に話題はインドの数学に移り、その次には現代日本で武士道精神を継承しているのはヤクザではないかという話になる(この説に藤原氏 は反対する)。

元気いっぱいな意見交換は最初から最後まで、実に親しい友好的な空気の中で終わった。食後、藤原氏は自分の山小屋に私を案内してから、駅まで送ってくれた。

列車に間に合うよう急ぐ私は、駅の構内に飾ってある生け花の前を通り過ぎた。駅員が生けたものだろう。改札を通ると、駅長が深々とお辞儀をしてくれた。列 車は当たり前のこととして、定刻に到着する。藤原氏は、日本の良いところがどんどん失われていると嘆く。しかし私には、日本の良いところは変わらず残って いるように見える。変わらず、驚くほどたくましく、残っていると思う。



誤解は誤解を誘発しますね。
この手の話でも聞いてなければ、大きな誤解があったことに気付けないのは、少々寂しい気はするのですが....。


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