水曜日, 12月 17, 2008

空自 イラク撤収開始 献身が生んだ「犠牲ゼロ」

攻撃予告などで中止30回 「戦地」のイラク空自部隊
共同通信2008年12月16日(火)20:14
 航空自衛隊のC130輸送機が5年にわたるイラクでの輸送任務中、武装勢力による地対空ミサイル攻撃予告や不審者発見などの「脅威情報」により、 運航を中止したケースが約30回に上っていたことが16日、複数の関係者の話で分かった。うち約20回はバグダッド空港への空輸任務で、上空で着陸待機中 に脅威情報が入り、急きょ行き先を変更したこともあった。「戦地派遣」の危険な実態が浮き彫りになった。

これだけ大変な目にあっても、国民に評価されるとは限らない。 気の毒と言えば気の毒....でも、田母神に組する気にはならんね....。

産経新聞 2008年12月16日(火)08:05
 イラクでの任務を終えた航空自衛隊が15日、撤収を始めた。3機のC130輸送機のうち最初の1機が、日本に向けてクウェートのアリアル・サレム飛行場を出発。情報収集で、バグダッドの多国籍軍司令部に派遣されていた隊員5人も帰国した。これまでの国際活動より格段に危険だったイラク派遣では、C130がロケット弾の標的になりかけたこともある。民主党のイラク特措法廃止法案は士気に影を落とし、有能なパイロットが自衛隊を去った。1人の犠牲者も出さずに5年の活動を完遂した裏側で何が起きていたのか。(半沢尚久)
                   ◇
 米中枢同時テロの発生日と同じ9月11日、町村信孝前官房長官は、唐突に空自撤収方針を表明した。
 実は前日の1本の公電がきっかけだった。
 《イラク政府は多国籍軍のうち(米英豪など)6カ国を残し、ほかの国は撤収させる意向だ》
 米政府は公電に記し、日本が6カ国に含まれていないことを公表するとも伝えてきた。主体的判断にこだわる日本政府は待ったをかけ、慌てて撤収方針を表明したのが真相で、出口戦略のなさを象徴している。

 ■間一髪
 空自のC130が攻撃を受け、被害が出たケースはない。だが、隊員が肝を冷やす場面はあった。
 C130がバグダッド空港を離陸後、15分遅れで離陸し、同じルートを飛行した米軍機が対空砲で攻撃されている。同空港の滑走路で要人を乗せて待機中、C130の上を4発のロケット弾が飛び越えていたことも弾道計算で判明した。
 「非戦闘地域」ではあったが、「治安が悪化した時期には、バグダッド空港への攻撃は月に30件ほどあった」(自衛隊幹部)。クウェートを拠点にイラクの 南部アリ、中部バグダッド、北部アルビルに国連や多国籍軍の人員、物資を輸送した空自部隊にとって、最も危険度が高かったのは同空港だった。
 着陸直前、同空港へのロケット弾攻撃が起き、パイロットが着陸の判断を迷ったこともある。「隊員やC130が1発でも撃たれれば撤収論が巻き起こる」(同)。空自部隊は“完全試合”を求められていた。

 ■高評価
 真夏の気温は50度で、エンジン始動前のコックピットは70度にも達した。とりわけ過酷な任務は、クウェートのアリアル・サレム飛行場からバグダッドを経由し、アルビルを往復する7時間のフライトだった。その都度、パイロットは3キロやせたという。
 「軍法もないのに規律正しい」「C130の稼働率はほぼ100%で、信頼性は群を抜いている」
 空自の働きぶりは多国籍軍からの評価も高かった。飛行の技量や信頼性に加え、注目されたのが士気の高さ。米軍の輸送機は、9機のうち修理などの影響で稼 働しているのは5機程度だが、空自は徹夜の整備も辞さず、常に全3機が飛行できる状態を維持したこともその一例といえる。
 こうした任務の陰には隊員の献身があった。機長クラスでは派遣回数が5回という隊員がざら。派遣されている間に親が亡くなり、最期に立ち会えなかった隊員も16人にのぼった。

 ■揺らぎ
 「隊員の士気にボディーブローのように効いた」。2度の派遣経験のある空自幹部がそう指摘するのは、昨年10月のイラク特措法廃止法案提出と、バグダッ ドへの空輸を違憲とした今年4月の名古屋高裁判決だ。その2つを機に、基地にデモ隊が押し寄せ、官舎に批判ビラがまかれた。「パパは悪いことをしている の?」。妻や子供は疑心暗鬼になり、隊員も揺れた。
 実際、廃止法案提出を受け、1人の輸送機パイロットが退職。「自衛隊の任務は正しくないのかもしれない」。退職願には動揺と戸惑いがつづられていた。
 「献身的に支えてくれたご家族に感謝します」。先月、ゲーツ米国防長官から浜田靖一防衛相に届いたメッセージの一文だが、任務終了決定を受けた麻生太郎 首相談話では、家族へのねぎらいはなかった。「家族へのいたわりを怠り、自衛官の使命感に頼り切っていると国際任務は破綻(はたん)しかねない」。防衛省 幹部はしみじみと5年を振り返った。
                   ◇
【用語解説】イラク空自派遣
 イラク復興支援特別措置法に基づき、空自は平成15年12月に先遣隊を派遣、翌16年3月から輸送活動を開始した。クウェートを拠点にイラクの首都バグ ダッドや北部アルビルに国連や多国籍軍の人員、物資を輸送。約210人の隊員がC130輸送機3機で任務にあたった。空輸実績は821回、輸送物資は約 673トン。政府は撤収理由として国連安保理決議が年末で切れることや、イラクの安定化傾向を挙げた。

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「国際活動で初心者卒業」 イラクの空自指揮・織田邦男空将に聞く
産経新聞 2008年12月16日(火)08:05
 イラクからの航空自衛隊撤収を前に、航空支援集団司令官として約2年半、派遣部隊を指揮した織田邦男空将が産経新聞の取材に応じた。危険を伴うイラクでの任務を終え、「自衛隊から若葉マークが外れた」と指摘。今後の国際協力活動では、一層の「国民の理解と支持」が欠かせないとの認識も強調した。一問一答は次の通り。

 --5年間のイラク派遣を振り返って

 「カンボジアPKO(国連平和維持活動)派遣から16年。危険性のある地域で軍事組織にしかできない任務をこなし、多国籍軍の中で“実技試験”にも合格した。国際協力活動で自衛隊から若葉マークが外れた」


 --指揮官として心を砕いたことは

 「派遣隊員の高い士気と厳正な規律をいかに維持するかだ。平成18年7月からバグダッドなどに活動範囲を広げ、危険性は格段に増した。身の危険を感じてまで遂行すべき任務なのかと疑問がわくと、隊員の戸惑いにつながると危惧(きぐ)した」


 --士気と規律をどう維持したのか

 「イラク派遣の大義名分を明確に伝えた。身の危険を感じる任務に送り出す場合、大義名分と現場感覚を一致させる必要がある」


 --具体的には

 「大義名分は(1)イラク復興支援(2)国連加盟国としての義務(3)中東の安定は日本の国益(4)安定した原油調達への活用(5)日米同盟-が挙げられるが、現場感覚としては日米同盟だ。米軍と一緒に汗を流すことで連帯感を高め、日米同盟の強化につながっているという大義名分を浸透させた」


 --派遣での教訓は

 「情報の重要性を痛切に感じた。治安と掃討作戦に関する情報がなければ危険で、輸送は行えなかった。そもそも派遣準備の段階では、脅威情報や装備につい て米側からの情報は少なかった。日米首脳会談(15年5月)での自衛隊派遣方針の表明、イラク特措法成立(同年7月)で本気だと理解され、米側からの情報 は質量ともに激変した」


 --今後の国際協力活動に向けて

 「隊員は喜んで赴いているわけではなく、嫌なら自衛隊を辞められる。非戦闘地域とはいえ、リスクもかなりあった。若葉マークが外れた自衛隊の国際任務は 今後、いっそう難しいものになるだろう。大義名分を与え、危険のある任務だからこそ自衛隊に一肌脱いでほしいという国民の理解と支持が不可欠だ」

                   ◇

 軍事アナリスト、小川和久氏の話 「約5年にわたる自衛隊のイラク派遣で、国際平和協力への日本の取り組みを世界に示すことができた。ただ、政府がイラ クの復興支援には自衛隊が不可欠と当初から明確に打ち出さなかったため、相変わらず米国の軍事行動に追随したと誤解されて語られることが多い。世界平和を うたった憲法前文の精神を具現化するには、迅速、効果的な国際平和協力の実施が望ましく、自衛隊の海外派遣を随時可能にする恒久法の整備が必要だ」


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